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氷点下5℃の市役所でスキーウエアを着込んでパソコンに向かう…財政破綻した夕張市職員の厳しすぎる現実

プレジデントオンライン / 2023年4月5日 10時15分

財政再建団体となった夕張市の街並み=2007年5月13日、北海道夕張市 - 写真=時事通信フォト

財政破綻した夕張市は、どのような状況だったのか。市長として再建に取り組んだ北海道の鈴木直道知事は「経費削減のため、市役所では冬でも午後5時に全館の暖房を切っていた。職員はマイナス5度の室内でスキーウエアやベンチコートを着込んで働くしかなかった」という――。

※本稿は、鈴木直道『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■炭鉱の閉山によって、少子高齢化が急速に進んだ

北海道のほぼ中央に位置する夕張市は、明治時代から「炭鉱のまち」として栄えてきました。

当時、石炭事業は国の基幹産業で、「黒いダイヤ」と呼ばれる良質の石炭が採れる夕張には、国策として多大な資金や資材が投入されました。戦後も石炭エネルギーの供給基地として発展を続け、1960年代の最盛期には12万人近くの人口を擁していました。当時の写真を見ると、まるで東京の渋谷か原宿のように商店街には人が溢れています。

炭鉱の住宅、電気、ガス、水道、病院などの生活インフラは民間の炭鉱会社が運営し、しかも利用料は無料。身一つで夕張へ来てもお金を稼げる仕組みが整っていたのです。

しかしその後、国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換。炭鉱は相次いで閉山に追い込まれ、職を失った人たちは次々と夕張を去りました。石炭産業以外の産業基盤が乏しかったため、働き手である若者の転出は顕著で、少子高齢化が急速に進んでいきました。

■大型リゾート開発に乗り出すが、市の財政は破綻

市は、残された炭鉱住宅や病院、上下水道設備などを買い取るために、1979年から15年間で約584億円を投入し、332億円もの地方債を発行せざるを得なくなりました。

逼迫した財政を立て直すため、「炭鉱から観光へ」の旗印を掲げて大型リゾート開発に乗り出したものの、過大投資と第三セクターによる放漫経営がたたり、ついに市の財政は破綻。2007年、353億円という巨額の赤字を抱え、財政再建団体となるに至ったのです。

最盛期に12万人近くだった人口は、私が東京都から派遣された頃には1万人台を割り込むのが目前に迫り、さらに減り続けていました。働き盛りの市の職員も、次々と夕張から去っていきました。「生まれ育った夕張で仕事を続けたいが、このままではとても生活できない」と嘆きながら。

財政破綻後、市職員の給与は年収ベースで平均4割カットされ、市が借金を返し終わるまで、それが続くことになっていました。進学を控えた子どもや住宅ローンを抱える職員は、人生設計の変更を余儀なくされ、後ろ髪をひかれる思いで故郷を離れていったのです。

■マイナス5度の室内で、職員は夜遅くまで働いていた

初めて夕張市役所に出勤した日のことです。

私は、机の上の書類を確認してはパソコンに入力する作業を繰り返しながら、「初日だし、歓迎会でも開いてくれるのかな」と、のんきに考えていました。

しかし、そんな気配はまったくないまま、退勤時刻の午後5時になりました。

同時に、それまで聞こえていた暖房の音が止まりました。すると皆は突然立ち上がり、スキーウエアやベンチコートを着込み、指先の自由が利く手袋をはめると、またパソコンに向かいます。誰一人、帰ろうとする人はありません。

そのうちに、館内は急速に冷え込んできました。冬の夕張の夜は外気温がマイナス20度近くになることもあり、室内でも暖房がないとマイナス5度程度になります。私もスーツの上にコートをはおり、厚手の手袋をして仕事を続けましたが、それでは満足にキーボードを打てない。手袋を取ると、あまりの寒さで指が動かない。ついに夜10時過ぎに限界になりました。

「すみません、今日は初日ですし、お先に失礼させていただきます」と挨拶して家路につき、翌日からはしっかり厚着をして出勤するようになりました。

夕張市役所(北海道夕張市)(写真=PD-self/Wikimedia Commons)
夕張市役所(北海道夕張市)(写真=PD-self/Wikimedia Commons)

■残業しても暮らしていくのがやっとの給料しかもらえない

この一件で私は、市役所が経費削減のために冬でも午後5時に全館の暖房を切っていること、職員は皆そこで夜遅くまで働いていることを知りました。しかし、それは財政破綻による影響のほんの一端に過ぎないことを、最初の給料日に痛感したのです。

その日、所用から戻ると、机の上に給与明細が置かれていました。私の給料は東京都から出るので、夕張市の給与明細が配られるはずはなく、「あれ? おかしいな」と思って開けてみると、それは同じセクションにいる同年代の男性職員のものでした。

「あっ!」と思ったときには、記された金額が目に入っていました。

その額は、私が東京都からもらっている給料より何万円も少なかった。あれだけ残業しているのに、彼は暮らしていくのがやっとの給料しかもらっていないのです。

職員の給与が大幅に削減されたことは、もちろん知っていました。しかし、一緒に働いている仲間が置かれている状況を、具体的な数字として目の当たりにしたショックは大きく、財政破綻の意味を初めて現実のものとして認識させられたのです。

■ボランティアグループで仕事以外の知り合いができた

夕張ではボランティア活動が盛んです。

市役所の仕事に少し慣れてきた頃、休日に雪かきのボランティアに参加したことをきっかけに、私はあちこちのボランティアグループに顔を出すようになりました。

雪かきボランティアで知り合った松宮文恵さんは、年に何回か市民会館を借りて映画を上映する「ゆうばりキネマ・クラブ」に所属しており、「会員になって」と声をかけられて入会すると、次の会合では、なぜか全会一致で運営委員に選ばれていました。

「NPO法人ゆうばり観光協会」では、パソコンを使えない高齢のスタッフの代わりにチラシをつくるお手伝いをしました。すると、「鈴木は使い勝手がいい」という噂が地域のキーパーソンの間に広がったのか、別のグループの打ち合わせに呼ばれる。どうやら自分は巻き込まれやすいタイプらしいと気付いたときには、8つほどのグループに入っていました。

いつも弁当を買っているコンビニの店長・本田靖人さんに声をかけられ、「ゆうばり桜まつり」というイベントの準備のために会場となるキャンプ場に行き、手づかみで鹿のフンを拾うボランティアをしたこともあります。もちろん軍手は着けていました。

■行政がサービスを提供できず、市民が代わりに担うしかない

たくさんのグループに誘われたおかげで、気付いたら仕事以外にも市内のあちこちに知り合いができていました。仕事から帰ると、玄関先に肉じゃがの入ったビニール袋がぶら下がっていることもありました。ボランティアで知り合ったお母さんがわざわざ届けてくださった差し入れを、おいしくいただきました。

ほかにも夕張には、市道脇や公園、廃校になった学校周辺の草刈りや掃除を定期的に行うグループ、駅近くの公衆トイレを清掃するグループ、市民会館を清掃するグループ等々、たくさんのボランティアグループが活動していました。

それ自体は非常に素晴らしいことです。ただ、ボランティア活動がこれほど盛んなのは、市が財政破綻したことと無関係ではありません。行政が既存のサービスを提供できなくなったため、市民が代わりに担うしかない、という現状が背景にあることを私は知りました。

■東京23区より面積が広いのに、小中高校がそれぞれ1校ずつしかない

たとえば、公衆トイレの清掃は、市が清掃などの維持費をまかなえなくなったため、地域の人たちが声をかけ合い、交代で行うことになったと聞きました。

鹿のフン拾いも、市の予算難から途絶えてしまった「ゆうばり桜まつり」を復活させるために、本田さんをはじめとする有志が自発的に行っているものでした。

図書館は運営費を捻出できずに廃止され、蔵書を保健福祉センターに移して、「図書コーナー」という形でほそぼそと貸し出しを続ける状態。そのお手伝いや子どもたちに絵本の読み聞かせをするボランティアグループが複数あり、私も所属していました。

学校の少なさにも驚きました。これは財政破綻だけが原因ではありませんが、夕張は東京23区より面積が広いにもかかわらず、小中高校がそれぞれ1校ずつしかないのです。最盛期には小学校22校、中学校9校、高校6校があったそうですが、急速な少子化によって統廃合が続いた結果、小中学生のなかにはバスで40分かけて通学しなければならない子もいました。

■「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」

行政サービスが低下する一方で、市民の負担は増えました。市民税の個人均等割は3000円から3500円になり、国内で最高レベルの負担に。自治体ごとに決められる軽自動車税は、破綻前の1.5倍に増額。

鈴木直道『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』(PHP新書)
鈴木直道『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』(PHP新書)

下水道料金は、10立方メートル当たり1470円から2440円(約1.7倍)に値上げ。ゴミの収集は1リットル当たり2円に有料化されました。45リットルの家庭ゴミ1袋を出すたびに、90円もかかってしまうことになります。

施設使用料も5割増しになりました。仮に、会費を出し合って市の施設を借り、年に12回サークル活動をしていたグループがあったとすると、破綻前と同じ会費では年に8回しか活動を楽しめなくなってしまったことになります。

当時の夕張市は、「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」と言われていました。そのため、さらに転出者が相次ぐ「負のスパイラル」に陥っていたのです。

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鈴木 直道(すずき・なおみち)
北海道知事
1981年生まれ。埼玉県三郷市出身。1999年、東京都庁入庁。2004年、法政大学法学部法律学科卒業(都庁に勤めながら4年間で卒業)。2008年、夕張市へ派遣、2010年4月、東京都知事本局総務部より内閣府地域主権戦略室へ出向(同年、夕張市行政参与に就任)、2010年11月、夕張市市長選出馬の決意を固め東京都庁を退職。2011年4月、30歳1カ月(当時全国最年少)で夕張市長に就任。夕張市の財政再建に道筋をつける。2019年4月、38歳1カ月(当時全国最年少)で北海道知事就任。

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(北海道知事 鈴木 直道)

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