人類史とは「感染症パンデミックの歴史」である…カリスマ講師が「コロナ後」の価値観変容を見据える理由
プレジデントオンライン / 2023年4月6日 17時15分
※本稿は、茂木誠『世界と日本がつながる 感染症の文明史 人類は何を学んだのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやった
明けて1348年――『デカメロン』の舞台となったこの年――ペストはイタリア全土、フランス全土、イギリスからハンガリーまでを席巻し、数百万の人々を斃(たお)していきました。当時、イギリスは百年戦争でフランスに侵攻中でしたが、撤収を余儀なくされています。
その後、感染はドイツ諸国やスウェーデンにまで到達し、ヨーロッパの国々の人口の3分の1の人々を壮絶な苦しみを伴う死に追いやったのです。
敵国ジェノヴァの惨状を見たヴェネツィアやラグーザ(現・クロアチアの港町ドゥブロヴニク)は、船の入港を禁じ、港外に錨(いかり)を下ろして40日間待機させる、という検疫制度を採用しました。「40」を意味するイタリア語(ヴェネツィア方言)から、検疫のことを英語で「クワランティーン(quarantine)」といいます。
検疫によって船内に閉じ込められた人々には悲惨な運命が待っていましたが、被害を市街地全体に広げないための非常措置であったといえるでしょう。
■ペストを鎮められないカトリック教会は権威が失墜した
黒死病の恐怖は、中世ヨーロッパの人々の精神をも一変させました。
第一に、教皇を頂点とするカトリック教会の権威失墜を加速させました。厳かな教会建築も、壮麗なミサの儀式も、高潔な司教の説教も、ペストを鎮めることができなかったからです。それどころか、信徒の葬儀の場に駆けつける聖職者たちへと感染が次々に広がっていきました。
このとき目を引いたのが、「鞭打ち苦行団」と呼ばれる人々でした。
彼らは黒死病を「不信心者を罰する神の鞭」と考え、自らの身に鞭を振り下ろすことで、神の鞭を免れようとしたのです。半裸に裸足、帽子を被った姿で隊列を組み、結び目に鉄を仕込んだ革の鞭で背中を打ち、血を流しながら行進する異様な姿が、ヨーロッパ各地に現れました。
しかし、自分を鞭打つだけならまだしも、他者に黒死病の責任を押しつけるという蛮行も行なわれました。その犠牲となったのがユダヤ人でした。ユダヤ教徒の共同体を維持し、キリスト教徒には許されなかった金融業を営む彼らは、ことあるごとに迫害の標的にされました。
■「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂が広まる
ペストの流行が始まると、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂が広まり、激昂した市民がユダヤ人街を襲ったのです。1348年、スイスのジュネーヴで始まった虐殺は、ライン川流域と南フランスで繰り返され、多くの難民を生み出しました。
モンゴルの侵攻によって人口が希薄になっていたポーランドは、皮肉なことにペスト禍を免れ、西ヨーロッパに比べればユダヤ人差別も軽微でした。「大王」の異名で呼ばれるポーランド王カジミェシュ三世(1310〜1370年)は、西ヨーロッパからのユダヤ難民を受け入れてポーランドの復興に成功しました。
美術の世界では15世紀以降、死や疫病を象徴する骸骨や、死の恐怖から逃れようとするためか集団で踊り狂う「死の舞踏(ダンス・マカブル)」の絵画がさかんに描かれ、「死を忘れるな」(ラテン語で「メメント・モリ」)という言葉が、さまざまな場所に刻まれました。
![ポーランド](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/f/1200wm/img_af3cd240031475c4d1ce4f4cd2d650b0995969.jpg)
■民衆が救いを求めた聖セバスチャンと聖ロック
その一方で民衆は、ペストから身を守る守護聖人として、聖セバスチャンと聖ロックに救いを求めました。
256年生まれの聖セバスチャン(セバスティアヌス)はローマ帝国末期、ディオクレティアヌス帝の親衛隊長だった人物とされます。キリスト教弾圧を命ずる皇帝のもとで、密かにキリスト教に改宗したために告発され、野原に立てた杭(くい)に縛られたうえに、大量の矢を射られて処刑されましたが、それでも死ななかったという伝説の人物です。ペストの主症状である黒斑=「神の矢」という連想から、ペストからの守護聖人になりました。
1295年にフランスのモンペリエで生まれた聖ロック(聖ロクス)は20歳で両親を亡くしたのち、ローマ巡礼中にペスト流行に遭遇し、患者の介護にあたりました。自らも罹患(りかん)したため、森に死に場所を求めますが、犬が食料を運んでくれたので助かったという、これまた伝説の人物です。その画像は、「結節のある太腿」と「犬」で象徴されます。
■新しい文学や学問が生まれる
文学では、ラテン語の読み書きができる人間が激減した結果、民衆の言葉――俗語の文学が生まれました。ボッカチオの『デカメロン』は、ラテン語ではなくフィレンツェ地方の俗語であるトスカーナ語(これがイタリア語の原型になる)で書かれ、登場人物は聖母マリアや聖人たちではなく、現実の人々でした。
イギリスでは、ジェフリー・チョーサー(1340ごろ〜1400年)が「英語版デカメロン」といわれる『カンタベリー物語』を書きました。
学問の世界では、理知的・学問的に聖書を解読しようとするトマス・アクィナス(1225ごろ〜1274年)に代表される哲学(スコラ学)の権威が揺らぎ、さまざまな異端とされた思想が生まれました。
ドイツのライン地方では、自我を消し去り、肉体的に「神との合一」をめざすマイスター・エックハルト(1260ごろ〜1328年ごろ)の神秘主義が流行しました。この思想は、19世紀にドイツ・ロマン主義というかたちで開花します。
■大学閉鎖で雑務から解放されたニュートンは、重力理論を発見した
イギリスの神学者ウィリアム・オッカムは、キリスト教(信仰)と哲学(理性)とをはっきりと区別することを唱え、教皇と対立しました。オッカムは1349年ごろにペストで亡くなりますが、その思想は脈々と受け継がれ、17世紀にアイザック・ニュートン(1642〜1727年)らによる科学革命へとつながります。
![アイザック・ニュートンの肖像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/4/1200wm/img_04b27eaf653a9b572d24970f44ee2322304442.jpg)
ケンブリッジ大学で学費無料と引き換えに雑用をしながら物理学や数学を学んでいたニュートンは、才能を高く評価され、1664年から奨学金が支給されるようになりました。1665年、このあとに説明するロンドン大ペストで大学が閉鎖されたために故郷へ疎開中、雑務から解放されたことで思索が深まり、微積分法や重力理論を発見するに至りました。
「リンゴの実が落ちるのを見て、重力の存在に気づいた」という有名な逸話は、のちにニュートン自身が好んで語ったものです。
同じくイギリスのオックスフォード大学の神学者であるジョン・ウィクリフ(1330?〜1384年)は聖職者の堕落を非難し、ラテン語の聖書を英語に訳しました。その結果、庶民でも聖書の内容が理解できるようになり、説教をする者も現れました。これがロラード派です。
■聖書が英訳され、宗教改革につながっていく
同派の僧であるジョン・ボール(?〜1381年)は、フランスとの百年戦争中の臨時課税に反対し、イングランドの農民ワット・タイラーが率いる農民反乱の精神的指導者となりました。
ドイツ(神聖ローマ帝国)の一部だったチェコでは、ウィクリフの影響を受けた神学者ヤン・フス(1369ごろ〜1415年)が、チェコ語で説教をするようになり、教会を否定したために宗教裁判にかけられて処刑されました。フスを支持するチェコの人々は、ドイツ人に抑えられていたチェコ人の自由を求める運動と結びつき、信仰の自由を求めてフス戦争(1419〜1436年)を引き起こします。
![茂木誠『世界と日本がつながる 感染症の文明史 人類は何を学んだのか』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/1200wm/img_4a1cff02aba7801e2b194f434a5d39f1239722.jpg)
神聖ローマ皇帝は鎮圧のために十字軍を5回も派遣しましたが失敗し、信仰の自由を認めるかたちで和約を結びました。フス派の一部はドイツに逃れて「ボヘミア兄弟団(チェコ兄弟団)」を組織し、その影響を受けたイギリス国教会のジョン・ウェスレー(1703〜1791年)がメソジスト派を組織することになります。
ウィクリフやフスの思想は異端として弾圧されましたが、その後、16世紀に宗教改革の火蓋を切ったマルティン・ルター(1483〜1546年)に大きな影響を与えました。
ルネサンス美術、ルネサンス文学、宗教改革、科学革命、ロマン主義――ひと言でいえば「西欧近代」そのものが、14世紀の黒死病パンデミックの余波として始まった、ともいえるのです。
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駿台予備学校/N予備校 世界史科講師
東京都出身。ノンフィクション作家、予備校講師、歴史系YouTuber。学習参考書のほか、一般向けの著書に『世界史で学べ! 地政学』(祥伝社)、『超日本史』(KADOKAWA)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC出版)、『「米中激突」の地政学』(ワック)、『政治思想マトリックス』(PHP)、『「保守」って何?』(祥伝社)、『グローバリストの近現代史』(ビジネス社)などがある。YouTube「もぎせかチャンネル」でも発信中。
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(駿台予備学校/N予備校 世界史科講師 茂木 誠)
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