なぜ「ガーシー本の出版」が問題視されるのか…朝日新聞の抗議が示す「新聞記者」という仕事の本当の価値
プレジデントオンライン / 2023年4月1日 11時15分
■きっかけは元朝日新聞ドバイ支局長が出した一冊の本
「退職した記者が前職で取材したことを書いてはいけないのか」という議論がメディア関係者の間でもりあがっています。
きっかけになったのは、元朝日新聞ドバイ支局長の伊藤喜之氏が出した『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』(講談社)という一冊の本です。
前参院議員で国際指名手配中のガーシーこと東谷義和容疑者。そのガーシーに、2022年4月、ドバイ支局長時代に取材をした伊藤氏は、そのインタビューの掲載を巡って朝日新聞と対立し、同年8月に同社を退職します。その後も独自で取材を続け、この本を書き上げました。
知り合いの出版関係者から「あの本、かなり売れているようですよ」と聞いていたので、気になってはいました。しかし、ガーシーという人物にはまったく興味がないので手にとってはいませんでした。
ところが、朝日新聞が『悪党』の著者である伊藤氏と版元の講談社に抗議をしたというので、驚きました。
■「在職中に取材したことは辞めても書くな」という言い分
3月28日に朝日新聞が自社サイトに、「取材情報などの無断利用に抗議しました」と投稿したのです。その言い分は朝日のサイトをみると下記のとおりです。
「退職者が在職時に職務として執筆した記事などの著作物は、就業規則により、新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず、本社に著作権が帰属する職務著作物となり、無断利用は認めていません。
また、本件書籍の記述には、伊藤氏が在職中に取材した情報が多数含まれます。これらの情報は、本社との雇用契約における守秘義務の対象です。就業規則により、本社従業員は業務上知り得た秘密を、在職中はもとより、退職後といえども正当な理由なく他に漏らしてはならないと定められています。」
整理すると、朝日新聞はこう主張しています。
①新聞に掲載されたか、掲載されていないかに関係なく、記者が書いた原稿の著作権が会社にある。
②在職中に取材したことは退職後も「正当な理由なく」、漏らしてはいけない。
要するに、在職中に取材したことは辞めても書くなということです。
■記者が在職中のことを退社後に書いた本は無数にある
この是非をめぐって、メディア関係者の間で議論が巻き起こっています。
法律論だけでいえば、就業規則に定められているので、その運用の問題ということになるでしょう。
しかし、この問題が大きな議論を巻き起こしているのは、これまで朝日新聞もふくめ新聞記者が在職中のことを退社してから書いた本が無数にあるからです。
最近では、やはり朝日新聞記者だった鮫島浩さんの『朝日新聞政治部』(講談社)という同社編集部の内幕を赤裸々に暴露した手記がベストセラーになっています。しかし、朝日新聞のサイトを見ても、鮫島さんの本への抗議文は載っていません。
「なぜ『悪党』だけが、槍玉にあがるのか」
不思議に思って、本を買って読んでみました。
第8章に「朝日新聞の事なかれ主義」という見出しで、ガーシーのインタビューが没にされた経緯や、その理由をあげて、会社を批判していますが、『朝日新聞政治部』をはじめとする他の朝日OBが書いていることに比べれば、正直、暴露そのものはそれほど強烈ではない感じです。
■書いた記事も、集めた情報も会社のものと明言
朝日新聞の抗議文で特に驚いたのは、「新聞などに掲載されたか未掲載かを問わず」という部分です。未掲載原稿について著作権を主張している例はあまり見たことがありません。
本を読んでわかったのですが、「未掲載」というのは、上司の判断でボツになったガーシーのインタビューなどを伊藤氏が新聞にのせるはずだった記事の形式で掲載していることを指しているのでしょう。
しかし、ガーシーはこの本の出版当時、国会議員であり、逮捕されるかどうか、国会議員から除名するかどうかは、国会で議論されるほど大きな公共性をもつ問題でした。当の新聞社も報じています。
その当事者のインタビューを国民に公開することは、大きな公益性を持ち、まさに「正当な理由」にあたるのではないか、と感じました。
朝日新聞が、抗議文などでは明らかにしていない事情があるのでしょうか。
抗議文でとても気になったのは、朝日新聞が、記者が書いた記事はもちろん、集めた情報もすべて会社のものである、会社の判断なしには、辞めてからも書くことを許さないと明言していることです。
■新聞記者は会社員である前にジャーナリスト
つまり、あくまで記者は会社の一員にすぎず、独自の判断で主張することはできない、つまり独立したひとりのジャーナリストとしては捉えていないということです。
それは果たして新聞記者のあるべき姿でしょうか。
ぼくの考えをさきにいえば、新聞記者は会社員である前に、個人として独立したジャーナリストであるべきだと思っています。
「新聞は公器だ」という人もいます。報道には社会的な役割があるからです。官僚が公僕として国民の奉仕者であるのと同様、報道人は社会のために働く存在でなければいけません。
その意識は取材する側だけではありません。新聞社から取材を受けた側は通常、謝礼をもらうことはありません。単に新聞社の事業に協力するのであれば、無報酬なのはおかしな話です。
新聞社は「金品の受授によって証言が歪む懸念を排除する」という理屈を主張するケースもあります。しかし取材を受ける側がタダでも応じるのは、「新聞を通じて自分が持っている正しい情報を世の中に伝える」というパブリックな気持ちを持っているからです。
■小さなことに拘らないほうが面白くなる
取材記者が、在職中には社内の事情で書けなかった、しかし世の中に伝えるべきだと思うことを退職後に伝えるというのは、それは取材先から言葉を預かった責任でもあります。
さらに違う論点をあげると、そもそも新聞には、政治家や官僚、経営者たちの退職後の手記や内幕話などがあふれています。それは歴史的な価値があるから、記者が取材をして口を開いてもらっているのでしょう。
それにもかかわらず、「就業規則」を振りかざし、自社では退職者にまで口をとざさせようとするのは違和感があります。
もっと大きな視点から未来を考えたときに、そんな小さなことに拘らないほうが、日本の新聞もジャーナリズムももっと面白くなります。
在職中のことを書くなと言いだしたら、読売新聞の元エース記者で退職後に傑作『不当逮捕』を書いたノンフィクション作家、本田靖春さんはどうなるんですか。もちろん朝日新聞にも退職後に記者時代の過去を書いた人はいっぱいいます。そういう人を排除したら、そうとうつまらないジャーナリズムになりそうです。
実は、こうしたことをぼくのFacebookに書いたら、朝日新聞の若い記者からたくさんメッセージがきました。
「とても共感することを書いてくれた」
「退職しても好きなことも発表できないのか、とても悩んでいる」
「もっと自由に情報を発信したい」
■これから個人の力がさらに強く求められる
朝日新聞自体は新聞社の中でも自由に発信をできる会社でもあります。SNSもほぼほぼ制約なく使えます。そこで育った発信力は、これからの時代、新聞社にとっても大きな力になるはずです。退職した記者がジャーナリストとして活躍することは、在職する記者のモチベーションにつながります(そうでない嫉妬深い人もいるかもしれませんが)。
ケチなことを言わずに、もっと大きく構えてはいかがでしょうか。そのことが報道機関としての会社の将来に寄与するでしょう。
ここで、少しジャーナリズムの未来の話をさせてください。
ぼく自身、ジャーナリズムを次の時代にどうやって残していくのか、という課題に取り組んでいます。いろいろ試行錯誤する中で、明確に感じていることがあります。それはジャーナリズムはこれから個人の力がさらに強く求められるようになるということです。
メディアのビジネスモデルは変わり続けています。新聞にしろ、テレビにしろ、雑誌にしろ、配信の独占、優位性というこれまでの利潤の源泉に依拠することはできなくなり、デジタル世界のフラットな市場での競争にさらされています。
いまの大きな組織の力は弱くなるでしょう。「新聞社に入ったから」、「新聞記者になったから」といって、自由に取材活動をし、十分な給料がもらえるという、これまでのような働き方は難しいかもしれません。
■専門家の集合体をつくれば、新聞社は強くなる
一方で、記者という仕事をクリエイターとして捉えれば、それはまた不思議なことではありません。漫画家にしろ、音楽家にしろ、毎日の生活に大変な方がいる一方で、トップクラスの成功をおさめた方もいます。それがクリエイティブの競争ということでもあります。
実際、ジャーナリストの中から、これまでとは違った成功例も出ています。2022年4月に日経新聞から独立した後藤達也さんは、7月のスタートから5カ月の間にnoteで2万人以上の有料会員を集めています。
さらにはAIの時代になれば、中途半端な書き手やありきたりの分析はとって変わられてしまうでしょう。一方で、専門家として仮説をたてるための直感や、小さな問題疑問を感じる力、これまでデータ化されていない事象を取材していくジャーナリストの役割は必要とされます。厳しい時代ですが、個人の力が問われます。
そして、そういう専門家の集合体をつくることができれば、新聞社は強くなります。新しい時代に生き残る力になります。
だからこそ、個人のジャーナリストとしての力を伸ばしていくことが、必要になります。
今後、汎用性のあるニュースや速報などはAIで生成可能になり、値段は暴落していくかもしれません。一方で、専門性のあるジャーナリストがその感性をもとに問いをたて、深い専門性をもって掘り下げていく記事、調査報道の価値はより重要になってくるでしょう。
■どーんと構えて未来に挑んでほしい
ぼくらがいま取り組んでいるスローニュースという試みは、深い取材をする調査報道が生まれてくるエコシステムづくりを目指しています。
ニュースの解説や見方を毎日、音声サービスVoicyで提供する「聞くスローニュース」、その週の見逃せない調査報道や発見のあるニュースをおすすめする無料のメールマガジン「SlowNewsLetter」でフォローしてみてください。この夏からは新しい調査報道の活動を始めます。
いうまでもないことですが、朝日新聞は財務省の公文書改竄問題や大阪地検特捜部の証拠捏造事件などに代表される素晴らしいスクープ、調査報道を手がけてきました。最近では、人身事故が起きた全国100万件分の地点を地図に落とし込み、危険な場所を可視化した「見えない交差点」という卓越したデジタル報道のキャンペーンも手がけています。こうした調査報道の実績も手法も持った敏腕記者がたくさんいます。それが会社としての本当の財産です。
その記者たちの力を最大限発揮できるよう、それが会社にとどまらず公共に資することができるよう、ケツの穴の小さいことを言わないでどーんと構えて未来に挑んでほしいなあ、と期待しています。
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スローニュース代表
1965年兵庫県生まれ。同志社大学卒業。1988年、日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。経営企画室、『日経ビジネス』編集部などを経て退職。1993年、講談社入社。 『月刊現代』『FRIDAY』『週刊現代』各編集部などを経て『現代ビジネス』編集長、第一事業戦略部部長などを歴任。2018年8月にスマートニュースに入社、同年8月に設立した『スマートニュース メディア研究所』の所長に就任。2019年2月に調査報道の支援を目指す子会社、スローニュースを設立、代表取締役に就任。
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(スローニュース代表 瀬尾 傑)
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