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本人は何事にも無関心、親は入学式なのに普段着…偏差値が測定不能「BF大学」の教員がいちばん苦労すること【2022下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2023年4月4日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/1001nights

2022年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。教育・子育て部門の第4位は――。(初公開日:2022年11月30日)
大学を偏差値でランク分けしたとき、不合格者が少なすぎて偏差値が測定不能な「BF(ボーダーフリー)」とされる大学がある。教育ジャーナリストの朝比奈なをさんは「BF大学では、高等教育の学習が困難なケースが少なくないため、『教育困難大学』といえる」と指摘。現場で奮闘する教員の姿に迫った――。

※本稿は、朝比奈なを『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■大学をランク付けする「受験偏差値」

文部科学省の2021年の学校基本調査によれば、日本の大学数803の内、国立大学が86、公立大学が98、私立大学が619となっている。短期大学は総数が315で、国立は0、公立が14、私立301である。この他、高等専門学校が57(内、国立51私立3)、専修学校専門課程が2754(内、国立8、公立183、私立2563)存在し、これら全てが高等教育機関と称されている。

これらの大学が受験偏差値の上から厳密にランク付けされている。ここで、現在、一般的に言われている国内の大学のランク付けに関して概観してみたい。

日本の大学入試は、従来の一般受験、2020年度からは一般選抜と呼ばれる受験方法で大きく二分される。従来のセンター試験、現在の共通テストの受験を必須とし、その後に各大学・学部等による個別テストを行う2段階の選抜を原則とし多数の受験科目が課される国公立大学と、3科目程度の受験科目が課される私立大学である。

私立で共通テストを利用する入試もあるが、そこで課される科目数はやはり1〜3科目程度である。国公立大学はその受験難易度の上位から東京大学・京都大学をトップに旧帝国大学の系譜を引く大学が続き、以下、全ての大学のランクが決められている。

■入試が選抜機能を果たさない「BF大学」

私立大学は受験偏差値の上から「早慶上智」(ICU〈国際基督教大学〉を含むこともある)、続いて関東圏では「GMARCH」、関西圏では「関関同立」、さらに関東圏の「日東駒専」と関西圏の「産近甲龍」となり、次に「大東亜帝国」が続き、一番下には入試が選抜機能をほとんど果たしていない大学群がある。

実は、国公立・私立大学のどちらも一般選抜以外の受験方法が定着して既に久しい。国公立大学は今でも一般選抜での入学者が大多数だが、私立大学全体では総合型選抜(以前のAO入試)や学校推薦型選抜(以前の指定校推薦や一般推薦等)で入学する学生が半数を超えている。

受験偏差値は入学する学生の一部に関係するだけなのだが、偏差値によるランク付けは根強く定着している。入試が選抜機能を果たしていない大学とは、どのような大学なのだろうか。

大学受験の関係者たちはこのような大学を「Fランク大学」や「名ばかり大学」等様々な名称で表しているが、最も知られているのは「BF大学」の呼称だろう。名付親である大手予備校のインターネットサイトでは、前年度の入試において不合格者が少なかったため、入試の際の合否可能性が50%に分かれるボーダーラインが引けなかった大学と説明している。

確かに、近年は、定員を充足していない大学が全大学数の半数近くに上っている。だが、これらの大学の中には、経営状況が厳しくとも、教育の質を保つために入試の選抜機能を手放さない学校も存在する。その一方、そうでない大学は、高等教育の学修が可能になるだけの基礎学力や能力、さらには学習意欲を持っていない学生が多数入学し、教職員がどれだけ努力をしても教育活動が功を奏さない状況になる。

筆者は、このような大学を、高校と同様に「教育困難大学」と呼びたい。

■「教育困難大学」に勤務する教員の苦労

「教育困難大学」の実態を知る手がかりとして、このような大学に勤務している大学教員を取材した。

取材に応じてくれたのは60代男性、古川さん(仮名)である。彼は、大学院卒業後、数校の大学で非常勤講師として働いた後、1990年代初めから現勤務校であるB大学に常勤教員として採用された。B大学は幼稚園、高校他を展開していた関東地方の私立学校法人が母体で、1960年代後半に社会科学系の単科大学として発足した。その後の変遷を経て、現在は2学部、在学生数約2000人の小規模大学である。

キャンパスは主要鉄道の駅から約2キロメートル離れた住宅街にある。母体となった学校法人の活動も周辺地域に限定していたので全国的な知名度が低いため、学生募集に苦しむ年が多かった。90年代以降は、AO入試など多様な入試方法を取り入れ、また、学費の軽減措置を手厚く行って多数の留学生を受け入れる等の努力で大学の存続を図ってきた。

一方、学生や教職員の不祥事が少ないこと、慎重な経営方針を取って来たこと、時々の大学改革の方向性を忠実に実現してきたこと等もあり、高等教育の質を評価する大学評議委員会の認証評価に合格して正会員になっている。

1990年代にB大学で専任教員となった古川さんは、このような大学の変遷を渦中で体験してきた方だ。専門分野の授業の他に、新入生対象の、いわゆる「初年次教育」やゼミも30年近く担当してきた。大学教員には学生の教育面にあまり関わりたがらない人も多いが、古川さんは真面目で誠実な人柄から、学生指導にも熱心である。

また、B大学での勤務の他に、複数の国立大学の非常勤講師も長く兼務しており、大学間の学生の学力差についても熟知している。

■「先生、おれら勉強、できないからさ」

取材の最初に、長い勤務期間中の学生の変質に関して聞いた。彼は過去を振り返るかのように少し時間を置いてから、「そうですねえ。ここで働き始めた90年代前半から半ばの頃の学生が最も活気があったような気がします。こちらが若かったせいもあるのでしょうが、良きにつけ悪しきにつけ意欲がありましたね」と応えてくれた。

「今の学生は、大人しいのですが、だからって真面目なわけではない。何事にも興味を失っているのか、縮こまっている気がします」と学生の気質についての感想を語った。

居眠り
写真=iStock.com/GCShutter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GCShutter

学力面を聞くと、「基本的にはあまり変わらない気がするのですが」と言った。その上で、「この学校に勤務した最初の年、ある授業でいかにもヤンキー風の学生に言われたことを覚えています。『先生、おれら勉強、できないからさ。そこんところわかってもらって、適当にやってよ』と言われたんです。驚きましたよ」と話してくれた。

この話は、1990年代の大学改革で新たに大学に進学するようになった高卒生の一部の姿を如実に表している。この頃、学力上位層が集まる大学での「学力低下」が社会的に関心を集めたが、もともと学力が低い層が進学する大学では、学費が調達できて保護者が子に大学進学させたい高卒生が新しい入試方法を使って入学するようになったのだ。

■学生の学力が大幅にアップした時期もあったが…

しかし、ある時期、学生の学力が以前よりも大幅にアップしたそうだ。古川さんはその時のゼミ記録を今でも保存しているが、それは1996年前後に4年生となった学生のものだ。

「この時は学生の学力や能力が高く、大学側は急遽、学生のレベルに合わせた授業を教員に要請してきました。私も卒業研究に関わりましたが、インターネットも今ほど普及していないこともあって、きちんとした文献資料を読んで、しっかり考察できる学生がいて驚きました」と古川さんは語る。

文部科学省の調査によれば、18歳人口がピークとなったのは1992年である。この頃は大学進学への意欲も向上していたが、大学や学部の増設は早計にはできない。そのため大学受験が最も厳しかった時期である。

従来であれば、一般受験でもっと偏差値の高い大学に合格する層の受験生が、B大学に入学してきたのだ。古川さんの体験は、大学に関する全国的な動きにまさに合致している。古川さんを始め当時の大学教員を驚かせた学生の学力差は、出身高校の学力差が反映したものと考えられる。

古川さん所有の当時の記録から、学生の出身地は関東地方に留まらず、東日本の広範囲に及んでいることがわかる。バブル崩壊の影響がまだ日本社会に深く及んではおらず、実家を離れて大学生活をさせる経済的余力がある家庭に生まれた学生が多かったことが推測できる。

■「おたくの大学を志願する生徒はいないので」

古川さんは、この時期の学生の卒業論文を保管していたので見せてもらった。それらからは、この時期の学生には資料の読解力や学術的な文章の書き方など学修の基礎力が身に付いているとわかった。

バブル経済崩壊の影響が大卒求人に出ている時期だったが、B大学としては就職状況も良好で、当時、花形だった大手建設業や金融業等に複数人が入社している。「あの時は、この学生のレベルが続いてくれればと思いました。ですが、あっと言う間に元の学生レベルに戻りました」と、古川さんは残念そうに語った。

その後、有名大学の定員増や学部増設、それなりの知名度のある短大の4年制大学化などが続き、一時期B大学に入学した学力層の高卒生はそちらに動いていく。さらに、経済不況が長引き、地方からB大学に入学する学生は減り、必然的に大学周辺地域の高校から志願者を掘り起こそうとすることになった。このような動きはB大学だけに起こったことではなく、各地にある知名度も入試偏差値も高くない大学で同様に見られたことだ。

2000年代前半は、志願者を少しでも増やしたい大学が高校への広報活動である高校訪問を盛んに行った時期である。古川さんも関東地方で度々高校訪問を行った。その際に、高校側の大学を見る視線の冷酷さに気づいたという。

名刺交換
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

「大学の方針で、いわゆる進学校も訪問しました。こちらは大学の特色等を説明するのですが、気のない表情で一応話を聞いてくれるものの、最後は『うちからはおたくの大学を志願する生徒はいないので』と言われました。受験の偏差値できっちりと固定化した大学ランキングの一角を崩すのは、大学側が一生懸命努力しても難しいと感じました」と、当時を振り返る。

■服装、持ち物、言葉遣い…すべてがとにかくラフ

高校訪問にはさほどの効果がないと判断されたのか、しばらくすると高校生や保護者等が直接大学に来校するオープンキャンパスに力を入れるようになる。この際に来校した高校生や保護者の姿を見て、古川さんは新たな変化を感じたと言う。

「自分が教え始めた頃は、学生も広範囲に来ていたので、日本の各地方に支部会があり、教員は出張で参加しました。その時に会った親御さんたちと、オープンキャンパスに来る親御さんとはずいぶん違ったのです。服装や持ち物、大学教職員に対する態度、言葉遣い等々、とにかくラフな印象なのです。来校する高校生もとても大人しいのですが、何を勉強したいのか、何に興味があるのかなどを尋ねても何も答えてくれないのです」

古川さんの嘆きはまだ続く。「オープンキャンパスでは個別相談コーナーを設けるので、そこの担当になることもあります。そこで出る質問は、毎年『勉強が苦手なのだが、大学に入って大丈夫か』『この大学を出ると就職は大丈夫か』『お金がないが大丈夫か』といった質問ばかりです」

■入学式や卒業式に普段着でやってくる

さらに、「この頃から入学式や卒業式に来る保護者の様子も変わりました。式典という、いわばハレの日に着てくるとは到底思えない普段着のような軽装でやってくるようになったのです。

また、式典に乳飲み子や幼児を連れてくる保護者も増えました。それまでは、大学生にそんな幼い弟や妹がいるとは考えてもみませんでした。実際にはいたのかもしれませんが、式典には連れてこないという暗黙の了解があったかもしれませんね。とにかく、保護者の変化に驚かされました」と言葉を続ける。

古川さんが驚いた保護者の姿は、筆者のように「教育困難校」に通じている者には見慣れた姿である。式典などに対する常識が社会全体で変わっていることの影響もあるだろうが、彼の気づいた変化は、B大学進学者の家庭環境が、従来の進学者の家庭環境と異なってきたことに一因があるだろう。

1990年代は学力に重きを置かない新しい入試方法の導入で、学費が払える家庭で保護者や本人がどうしても大学進学をしたいと考えた層が大学進学した。最初の授業で古川さんを驚かせた学生の姿が、この時期の大学進学者を象徴している。

■「大学がなんとかしてくれる」という甘え

2000年以降は新しい入試法が定着し、進学先を選ばなければ誰でも大学進学ができることが高校教員や高校生に周知されてきた。この頃は、バブル崩壊とその後の経済低迷の影響で、高卒生の求人が減少し、就職活動が非常に厳しかった時代である。

朝比奈なを『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』(朝日新書)
朝比奈なを『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』(朝日新書)

そこで、将来の就職に多少なりとも有利になるのでないかと期待して、家計が厳しくても大学進学を目指す高校生が増加したのである。オープンキャンパスで学費のことを必死に尋ねる保護者、近くに預ける親戚や知人等がいないし、お金を払って一時預かりを依頼するのも勿体ないと思い、大人でも集中するのが難しいような長時間の式典に幼児を連れてくる保護者は、「教育困難校」の多くの保護者の姿でもある。

1990年代からの新しい大学進学者はどちらのタイプでも学力のことはさほど気にしていないことに注意するべきだ。ほとんどの保護者が大学を出ていないので、大学への憧れはあるものの、大学のシステムや学修について知らない。入学すれば、高校までのように大学が何とかしてくれるだろうと思っている。

送り出す高校側も、進学先の大学は生徒募集に苦しんでいるので、どのような生徒でも入学させてくれると知っているし、入った後のことは高校側の責任ではないと考えている。

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朝比奈 なを(あさひな・なを)
教育ジャーナリスト
筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ 教育困難校』『教員という仕事』『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』(すべて朝日新書)などがある。

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(教育ジャーナリスト 朝比奈 なを)

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