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「スーパードライ」以外ヒットなしでも業界1位…アサヒビール新社長が語った「それでもアサヒが勝つ理由」

プレジデントオンライン / 2023年4月7日 9時15分

撮影=門間新弥

アサヒビールは2022年、ビール類シェア1位に返り咲いた。その原動力となったのが看板商品「スーパードライ」のリニューアルだった。なぜリニューアルは成功できたのか。今年3月にアサヒビール新社長に就任した松山一雄氏に、ジャーナリストの永井隆氏が聞いた――。

■「野武士集団」のイメージが、実際はサラリーマンばかり

アサヒグループホールディングス(HD)傘下のアサヒビール社長に、松山一雄専務(62)が就任した。鹿島建設やP&Gジャパン、サトーHDなど転職を重ねて、2018年にマーケティングのプロとして専務で入社。特異な経歴を持つ松山氏は、アサヒを、そして成熟しきったビール産業をどう変えていくのか。(聞き手はジャーナリスト・永井隆)

――アサヒに入社してほぼ4年半が経過しました。複数の会社に勤務し、またサトーHDでは社長も務めた松山さんが、この4年半で感じたアサヒの強みは何だと考えますか?

【松山】決めたことに対する実行力、情熱、責任感はとても強いところです。それと社員の心根がすごく良い。私はいろいろな会社に勤務しましたが、世の中の役に立ちたいと、多くの社員が純粋に思っています。裏表はなく、純な人が多い。

――一方で、同じくアサヒの弱みは何だと考えますか?

【松山】入社前にアサヒに関する書籍を数多く読んだのですが、アサヒは野武士集団というイメージをもってました。とくに樋口さん(廣太郎氏・1986年~92年に社長)時代には、型破りな人がたくさんいて、挑戦のDNAに溢(あふ)れていたはず。ところが、18年に入社してみるとサラリーマンばかりでした。また、「お客さま」とか「消費者」という言葉が社内では出ていなかった。だいぶ改善されましたけど。なお、私が言うお客さまとは、消費者を指します。

■「決めたことを実行する力」でNo1に

アサヒビールは1949年、GHQ(連合国最高司令部)によって、最大手だった大日本ビールからサッポロビールとともに二分割された会社。家庭向けの取り組みが遅れ低迷。60年代にはサッポロとの合併案が何度か浮上するが流れてしまう。

71年には住友銀行(現・三井住友銀行)から社長が派遣される。が、シェア(市場占有率)は低下を続ける。85年には最悪の9.6%に落ち込むなど経営危機に直面。住銀から来た3代目の村井勉社長時代の86年2月「アサヒ生ビール(通称マルエフ)」を発売し凋落に歯止めがかかる。直後に住銀副頭取だった樋口氏が社長に就任し、翌87年3月発売の「スーパードライ」の大ヒットでアサヒは復活していく。

――アサヒビールは1987年発売の「スーパードライ」以来、ヒット商品のない会社です。なのに、勝ってしまうのはなぜでしょう?

【松山】それは実行力であり、やりきる力がライバル社との同質化競争のなかで発揮された結果だと思います。

――昨年アサヒは「スーパードライ」を発売から36年目にして、初めてリニューアルしました。外部から来て、専務でマーケ本部長を務めた松山さんだからできたことだと思います。一般に、世の中や組織を変えることができるのは「若者」「外者」そして「バカ者」などと言われます。

【松山】私は若者ではない。気持ちは若いのですけどね(笑)。

■ドライのリニューアルは「やる。これしかない」

――販売量が減少し続けた「スーパードライ」は22年、前年比13.2%増の6888万箱(1箱は大瓶20本=12.66リットル)と販売量が2桁伸びました。難しいとされる主力商品のリニューアルを松山さんは成功させました。

【松山】正直に申し上げて、「スーパードライ」のリニューアルは私一人ではできなかった。できたのは、塩澤(賢一アサヒビール会長)のおかげなんです。(1981年にアサヒに入社して営業畑を歩み)業界を知り尽くしている塩澤と、外部から来た私は、デコボコがあってダイバーシティー(多様性)の妙がある。私は消費者視点から、(缶のふたを開けると精緻な泡が出る)「生ジョッキ缶」や「マルエフ」再発売、(飲み方の多様性を推進する)「スマートドリンキング(スマドリ)」など新しいことをやってきました。

特に「スーパードライ」を変えるというのはマーケの責任者だった私にとって重大なテーマでした。変えなければいけない、しかし、いつのタイミングでどの程度やるのか。決めるのは、経営の一丁目一番地だったのですが、(社長だった)塩澤が「腹をくくって(スーパードライの初めてのリニューアルを)やる。これしかないんだ」と、みんなの前で言ってくれたのです。

――具体的には、いつ、どういう場で塩澤さんは表明したのですか。

【松山】リニューアルのプロジェクトが発足したのは20年末。塩澤が、役員と本社の部長クラスが集まった会議で明言したのは、21年初頭でした。重い言葉だった。

■圧倒的に強い「業務用」が一夜にして消えた恐怖

――反対はなかったのでしょうか?

【松山】この時はなかったのです。というのも、コロナ禍が20年から始まり、業務用の需要が一気に喪失されたから。「販売量が減り続けているスーパードライをいつかは変えなければならない」、と実は誰もが感じていたと思います。コロナにより、「いつか」という未来が、突然やってきてしまったのです。恐怖でした。「スーパードライ」が圧倒的に強かった業務用という安定基盤が、一夜にして消えたわけです。実は、塩澤の言葉をみんな待っていたのだと思います。

アサヒはスーパードライに経営資源を集中させた「一本足打法」を貫き、01年にキリンを抜き業界首位を奪った成功体験をもつ。スーパードライ販売量のピークは2000年の1億9170万箱。01年に発泡酒、05年に第3のビールにアサヒは参入し、スーパードライの販売量は減少していく。17年に1億箱を割り、コロナ禍が始まった20年は6517万箱で実に19年比22%減。飲食店需要激減の影響をもろに受けた。

――日本企業は、重要な決断を先送りしたり、できなかったりするケースは多いように思えます。例えば自動車業界のEV(電気自動車)化は、当初日本が先行しながら、EVシフトへの決断を先送りしたため、気がつけば世界から後れをとっています。

■まずは社員を前向きな気持ちにさせたい

【松山】「勇気と覚悟が要りますよね」と私は塩澤とよく話し合ってました。みんな課題意識を持っている。なのに、誰も手を挙げられない。会社を覆う“空気”があって誰もが忖度(そんたく)してしまうから。今回は、「もうコロナ前の昔には戻らない」とみんなが気付き、どうにもならない状況から「スーパードライ」を変えられたのです。

私達マーケティング本部は、あたかも人間ドックのように「スーパードライ」を360度分析。香りを向上させて、より飲み応えを追求したビールをつくり、これがお客さまに受け入れられました。

――2月22日の就任会見で、①未来志向、②顧客志向(真ん中はお客さま)、③イノベーションを創発し続ける組織(リスクをとる覚悟)、④事業は人なり(ダイバーシティー、インクルージョンの推進)、⑤サスティナビリティ経営の推進、を示しました。具体的にアサヒをどう舵取りするのでしょうか。

【松山】一言で言うと、100年後にもお客さまに愛され、世の中から必要とされる「未来のビール会社」を作りたい。100年後、ビールの比率はメチャクチャ減っているかもしれません。未来志向を最初に入れたのは、社員に向けたメッセージだからです。市場が縮小しているため、アサヒも業界全体も目先を見てしまい、みんな悲観的になっているように思います。

松山一雄氏
撮影=門間新弥
ビール類(ビール、発泡酒、第3のビール)市場は最盛期だった1994年を100とすると、コロナという特殊要因があったにせよ、2022年は59%の規模にまで縮小した。

■量産体制から「価値重視」の体制へ

【松山】悲観しても何も変わらないわけで、もっと未来志向を持とうと、呼びかけたのです。未来の形は私が答えを持っているのではなく、みんなで考え一緒に作っていこう、という意味なんです。

――業界全体に閉塞(へいそく)感は覆っています。

【松山】顧客志向は当然として、3つ目にイノベーションと入れたのは、未来を作るなら、やはり違うものを作る必要があるからです。大きな革新でなくとも、独自価値があれば十分。違いがあってお客さまがイメージできれば、数量は小さくとも価値はある。みんなが次々に作っていけば、未来のビール会社につながっていきます。ボリュームからバリューへとターゲットを転換していきます。

――ビール会社は典型的な装置産業です。そもそも工場稼働率を上げるため量が求められ、小さな独自価値の追求とは相反します。

【松山】市場の状況から、8工場体制から6工場体制にする苦渋の決断を、昨年行いました。しかし、九州の鳥栖に建設する(博多工場に代わり26年稼働する)新工場は、これからのロールモデルを目指します。

現状の博多工場は、「スーパードライ」単品を大量生産するのに適し、柔軟性はありません。これに対し新工場は、多品種少量生産に対応できるのが特徴。ビールでも、缶チューハイなどRTD(レディ・ツゥ・ドリンク)でも、ノンアルコールでもニーズに合わせた展開が可能。小回りが利いてコスト競争力、環境に優しいサスティナビリティを持ち合わせていきます。

■これからは「スーパードライ」「マルエフ」中心

――価値軸からクラフトビールはやらないのですか?

【松山】(参入を)否定しません。ただし町興(おこ)し的なものはやらない。

――酒税改正ですが、20年10月に続き、今年10月、26年10月と3段階で行われビール類(ビール、発泡酒、第3のビール)の税額は最終的に統一されます。減税されるビールは有利になるわけで、ビールに強いアサヒには追い風では。

【松山】ビールへの市場の流れは26年まで続くでしょう。また、今年「ビールに力を入れていく」と各社とも年初に発表しています。競争は激しくなりますが、ビールは活性化すると思います。

アサヒは「スーパードライ」と「マルエフ」を中心にビールを展開します。ビールの新製品を出す予定は今のところない。また、ビールのPB(プライベートブランド)をやるつもりは一切ない。アサヒはNB(ナショナルブランド)の会社だから。

ビール、発泡酒、第3のビールと三層あるビール類の税額は三段階で統一されていく。
350mlあたりの税額は20年9月まではビール77円、第3のビール28円と3倍近い開きがあった。これが20年10月ビールは7円減税され、第3のビールは9円80銭増税された。

今年10月は、ビールが6円65銭減税されて63円35銭に、第3のビールは9円19銭増税され発泡酒と同額の46円99銭に。この段階で第3のビールという区分はなくなり、ビールと発泡酒だけになる。「いわゆる第3のビールは、定義上は発泡酒になる」(財務省)という。

■チューハイ分野で勝てない原因は

最終的には26年10月に、ビールは9円10銭減税され、発泡酒は7円26銭増税され、54円25銭で統一されていく。ビール類やRTDなどの発泡性酒類内の税率格差是正を、財務省は平成18年度(2006年度)税制改正ですでに示していた。

――税額は統一されても、エコノミーなビール類は残ると予想されます。

【松山】おそらく(流通大手の)PBは増えていくと予想します。安い商品へのニーズはありますから。もっとも、味や健康志向からお客さまに支持されている発泡酒や第3のビールをアサヒはやり続けます。

――RTDはどうするのでしょうか。01年に参入したものの、アサヒには定番商品がありません。RTD市場はこの20年で約4.6倍に成長しているのに。しかも、今年10月の税制改正でRTDの税率は据え置かれます。

【松山】ビール類とRTDではお客さまが違うのに、アサヒは一緒と考えて商品開発していたのが失敗してきた原因でした。今年から、4つの新ブランドを東北、九州、中国・四国、東海・北陸とエリア限定で発売する取り組みを始めました。お客さまのニーズに応えられているのかを見極めてから、全国発売を目指します。新価値創造に向けた新しい挑戦なのです。25年までにRTD事業を22年比1.5倍以上の600億円にしていきたい。

22年のRTD販売量は約163万kl。ビール類の約429万klの38%に相当。RTDの税額は350mlあたり28円のまま20年も今年10月も維持され、26年10月でも35円。統一されるビール類より20円近く安くなる。

■不毛なコモディティ競争は避ける

――ビール類とRTDとを合算した発泡性低アルコール市場と捉えると、市場はそれほどへこんでいるわけではありません。値段からビール類からRTDへのユーザー流出は増えるのでは。

【松山】RTDにはキリン「氷結」をはじめ、強い商品はあります。しかし、お客さまのブランドへのロイヤルティーは低い。これは第3のビールも一緒です。コスパなど価格軸からいずれも選ばれ、RTDと第3のビールを行き来するお客さまはいて、その数は増えるかもしれない。

ただし、アサヒは独自の価値を持つRTDを商品化し、不毛なコモディティ競争とは一線を画したマーケ戦略で戦っていきます。

松山一雄氏
撮影=門間新弥

――20年からアサヒは「過度のシェア競争を避けるため」と、自社の販売数量の公表をやめてます。高い酒税を払っている消費者には、数量をきちんと公表する責任がメーカーにはあるのでは。

【松山】アサヒは量から価値へと変えています。KGI(重要目標達成指標)が箱数の時代は終わった。数量を公表すると、元の体質に揺り戻ってしまい風土改革はできなくなります。(卸への)押し込み販売など、本当はあってはならない。なので、公表はしません。

公表を続ける3社の実績や前年比からアサヒの数量を割り出すと、20年にキリンは11年ぶりに首位に立ち、22年は僅差でアサヒが首位を奪取した。

■時代は変わっても、答えはいつも現場にある

――マーケ出身のトップとして、「スーパードライ」を超えるヒット商品をつくる意思はありますか。

【松山】87年といまとでは、市場も社会そのものも、そしてお客さまも違います。単一ブランドが多くを占めるのではなく、多様化している。「一本足打法」ではやっていけません。ただ「スーパードライ」にはまだ潜在力がある。クラフトビールなどでより多様化する海外市場で日本発グローバルブランドを目指していて、マザー市場の日本でしっかり伸ばしていくつもりです。小さくとも価値ある商品ならば、自社商品同士が競合するカニバリはあまり起こらないと考えます。

87年春、まだ経営が厳しかったなか樋口社長は夜になると酒屋や料飲店を無アポで訪問して廻っていました。店主と言葉を交わし、現場のにおいを嗅いでいた。その結果「新製品のスーパードライは大ヒットする」と皮膚感覚で判断されて、「マルエフ」から「スーパードライ」に生産の中心を瞬時に切り替えた。

これこそ経営であり、データを超えたマーケティングなんです。時代は変わっても、答えはいつも現場にある。実は私も、樋口さんにならい週に一回は現場に出ています。私は、アサヒをお客さまから愛され、社会から必要とされる会社にしていきたい。

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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『キリンを作った男』(プレジデント社)、『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。

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(ジャーナリスト 永井 隆)

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