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1500万円のテレビカメラを生放送中に破壊…オールナイトフジが「伝説の深夜番組」と語り継がれるワケ

プレジデントオンライン / 2023年4月14日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuremo

4月14日から始まる新番組「オールナイトフジコ」(フジテレビ系)は、32年前の伝説の深夜番組「オールナイトフジ」を下敷きにしている。社会学者の太田省一さんは「『オールナイトフジ』はテレビに素人を出す当時としては画期的な番組だった。『オールナイトフジコ』はその伝統を受け継いで、MCに元テレビ東京社員である佐久間宣行さんを選んだのではないか」という――。

■伝説の深夜番組「オールナイトフジ」の内容

フジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』。1980年代に青春を過ごしたひとにとっては懐かしい響きがあるはずだ。その『オールナイトフジ』が『オールナイトフジコ』とタイトルを改め、なんとこの4月、32年ぶりに復活する。当時、この番組のどこが人気で、新しかったのか? その頃の世の中の様子も踏まえながらこの機会に振り返ってみたい。

『オールナイトフジ』は、いまからちょうど40年前の1983年4月にスタートした長時間生バラエティ番組。(1969年から1975年にかけても同名番組が放送されているが、『オールナイトニッポン』のテレビ版で基本的に別の番組と見ることができる)。

土曜深夜の放送で「サタデーナイトは オールナイトフジ!」の掛け声で毎回始まっていた。

メインMCは女性若手芸能人が務めるのが恒例で、初代は秋本奈緒美と鳥越マリ。松本伊代や麻生祐未がMCだったこともある。片岡鶴太郎やとんねるずなどがレギュラーとして番組を盛り上げた。

■「放送終了時間未定」

この『オールナイトフジ』は、なにかと斬新な番組だった。

たとえば、番組の終了時間が決まっていなかったのもそのひとつ。毎回オープニングにその日の内容のタイムテーブルが画面に流れるのだが、その際「放送終了時間未定」となっていた。

スポーツ中継などは別だが、たとえ生放送でもテレビのバラエティ番組が延長されることなどは基本的にない。だがこの番組は違っていた。むろん深夜ゆえに融通が利くということもあったが、それでも「放送終了時間未定」というテロップには地味ながらインパクトがあった。

そこにはテレビの既成の枠組み、その窮屈さを打破しようというスタッフの並々ならぬ意気込みが感じられる。「なんでもあり」と口で言うのはたやすいが、それを本気で実行に移そうとしたのがこの『オールナイトフジ』だった。

■ガチの素人によるハラハラ感

具体的にはまず、素人の女子大生の起用である。この番組では、女子大生を「オールナイターズ」と名づけ、番組のMCやリポーターをやらせた。その数は数十名に及ぶ。いまだと女子大生といってもほとんどタレントのような場合が多いが、『オールナイトフジ』の女子大生にはガチの素人感があった。

たどたどしいのはもちろんだが、台本の漢字が読めなかったり、噛んだりするなどの失敗は日常茶飯事。だがそれが、彼女たちの素の面白さ、人間的魅力を引き出すことにもなった。

当然「大学生にもなって」という批判も巻き起こったが、一方でテレビ最大の魅力であるハラハラ感の源、ハプニングの宝庫にもなり、番組は評判を呼ぶようになった。

その中心にいたオールナイターズもアイドル的人気を獲得した。批判を逆手に取って『私たちはバカじゃない オールナイトフジで〜す』(1984年発売)という番組本を出版するなど話題づくりも巧みで、ほどなく「女子大生ブーム」が巻き起こる。メディアも盛んに書き立てた。

その波に乗って歌手デビューもした。全員で歌う曲もあったが、人気メンバーによるユニットも誕生した。

「恋をアンコール」(1984年発売)は、山崎美貴、松尾羽純、深谷智子による「おかわりシスターズ」のデビュー曲。番組の公開ライブで大勢のファンを前にこの曲を歌ったとき、松尾が感極まって叫んだ「みんな、大好き!」は後々までいじられることになった。そのライバル的存在として、バラエティ能力の高かった片岡聖子と井上明子による「おあずけシスターズ」などもレコードデビューを果たした。

彼女たちのなかには芸能界に進む人間もいたが、多くは学生時代の良い思い出と割り切って卒業とともに一般人に戻っていった。そのあたりがさらに、素人の魅力を感じさせた部分でもあった。

■生放送ゆえのハプニング

「なんでもあり」によるハプニングは、芸能人でも生まれた。そのなかには、いまでも伝説として残るものも多い。

当時アイドル歌手だった松本伊代が、自分が出す『伊代の女子大生まるモテ講座』(1985年発売)という本の宣伝をしたことがあった。テレビではよくある光景だが、ここで松本伊代は「どんな内容?」と聞かれて「今日初めて見たので、まだ読んでないんですけど……」と答えてしまった。

芸能人の本にゴーストライターがいることは皆なんとなく知っていたが、それを事実として白日のもとにさらしてしまったわけである。ツッコまれた松本伊代が、切羽詰まって「いいじゃん!」と半ば開き直っていたところも逆に面白かった。

■放送禁止用語を口にしたアイドル

これなどはまだ可愛いほうで、松本明子の場合は笑ってすませられないものだった。

その日の『オールナイトフジ』はニッポン放送の『オールナイトニッポン』とのコラボ企画で、『オールナイトフジ』のスタジオに『オールナイトニッポン』のブースが設置され、両方で生放送がおこなわれていた。

DJは笑福亭鶴光。鶴光と言えば下ネタが持ち味だが、出演していた松本明子は鶴光や片岡鶴太郎にそそのかされて女性器を意味する4文字の単語をはっきりと発してしまった。当然、放送禁止用語である。その後松本明子は、結果的に2年弱に及ぶ芸能活動の謹慎を余儀なくされた。

極め付きは、とんねるずの有名な「テレビカメラ破壊事件」だろう。

まだ20代前半だったとんねるずの2人は、この『オールナイトフジ』がブレークのきっかけだった。まさに「なんでもあり」を体現したような破天荒そのものの自由な振る舞いは、若者の圧倒的な支持を受ける。彼らは若者のカリスマ的存在となった。

とんねるずの最初のヒット曲が、「一気!」(1984年発売)である。大学生の宴会ソング的なノリのいい曲で、とんねるずは応援団風の学ラン姿で歌っていた。

その「一気!」を『オールナイトフジ』で生披露したときのこと。スタジオ内の盛り上がりでテンションも上がったのか、石橋貴明が自分たちを撮っていたテレビカメラをつかんで突然引っ張り始めた。

テレビカメラ
写真=iStock.com/freie-kreation
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/freie-kreation

そしてとうとうテレビカメラを歌の最中に倒してしまい、レンズなどを破損させてしまったのである。呆然とする石橋、そして「オレ知らねー」と言いながら立ち尽くす木梨憲武。カメラはおよそ1500万円するものだったという。

■それまでの深夜番組との違い

こうした『オールナイトフジ』の「なんでもあり」感は、深夜番組が若者向けにシフトした時代の変化が生んだものである。

それまでテレビの深夜番組は、『11PM』(日本テレビ系、1965年放送開始)のように大人の男性、平たく言えば「お父さん」向けのものだった。

それに対し『オールナイトフジ』は、『11PM』からお色気要素などは受け継いだものの、深夜を“若者の解放区”へとドラスティックに変えた。「放送終了時間未定」も、そうした解放感の表れと言っていい。

■「おニャン子クラブ」誕生のきっかけ

この流れは、深夜以外の時間帯にも波及していく。

その象徴が、1985年にフジテレビで始まった夕方の帯バラエティ『夕やけニャンニャン』である。社会現象を巻き起こしたアイドルグループ「おニャン子クラブ」を生んだことで知られるこの番組は、元々『オールナイトフジ』の特別版『オールナイトフジ女子高生スペシャル』をきっかけに誕生した。

そこには片岡鶴太郎、とんねるず、松本伊代も出演し、今回の『オールナイトフジコ』で総合プロデューサーを務める秋元康も構成作家や企画者として両方の番組にかかわっていた。さらに「おニャン子クラブ」には、オールナイターズであった内海和子と立見里歌がメンバーに加わっていた。

おニャン子クラブもまた、「放課後のクラブ活動」がコンセプトだったことからもわかる通り、オールナイターズと同様にガチの素人感が人気の理由だった。加えて『夕やけニャンニャン』は公開生放送。

スタジオには観覧の多くの若者たちがいて、とんねるずらとともに暴れることもよくあった。つまり『オールナイトフジ』は、『夕やけニャンニャン』、そしておニャン子クラブを生み、テレビにおける「素人の時代」を加速させたのである。

■若者の遊び場

そこには時代背景もある。1980年代前半から中盤、日本社会にはバブル前夜の高揚感があった。

世の中全体が平均して豊かになった結果、大学生などの若者も高級なブランド物の洋服を着るようになるなど消費文化が大きく花開こうとしていた。そのことを批判して「大学のレジャーランド化」が指摘されもしたが、若者が遊び志向を強める妨げにはならなかった。

そしてテレビは、そうした若者にとって最も楽しめる遊び場となった。『オールナイトフジ』から『夕やけニャンニャン』へと至る流れは、そのような時代のなかでこそ生まれ得たものだっただろう。

『オールナイトフジ』には、ある名物ディレクターがいた。とんねるずなどに「みなとっち」と呼ばれていた彼こそが、現・フジテレビ社長の港浩一である。今回の復活も、当然港浩一の肝いりということになる。

だが時代は変わった。いまは1980年代のように経済が右肩上がりの時代ではない。むしろ経済の長期停滞が続くなかで、先行きの不安が社会全体を覆っていると言ってもいいだろう。そうしたなかで、『オールナイトフジ』の復活に成算はあるのだろうか?

■なぜ元テレビ東京社員がMCに抜擢されたのか

おそらくかつてのフォーマットをそのまま持ち込んだのでは難しいだろう。むろんそのあたりは制作陣も心得ているに違いない。なにか時代に応じた部分が必要だ。

テレビプロデューサーの佐久間宣行さん
Netflixのドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界4」の配信記念イベントに出席したテレビプロデューサーの佐久間宣行さん(2022年7月5日、東京都渋谷区)(写真=時事通信フォト)

その意味で、今回オズワルド・伊藤俊介、さらば青春の光・森田哲矢とともに佐久間宣行がMCに加わるのは興味深い。

ご存じの通り、佐久間は2年前まではテレビ東京の社員。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』などの演出家・プロデューサーとして名を馳せた。

そしてテレビ東京在籍時代から『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めて話題を呼び、フリーになった現在はさらに活躍の場を広げている。

お祭り騒ぎの時代が落ち着き、非日常から日常へと回帰したのが1990年代以降のテレビである。そこで台頭したのが、テレビ東京だった。『モヤモヤさまぁ~ず2』(2007年放送開始。この番組も最初は深夜だった)などに代表される「ユルさ」を武器にテレビの新たな流れをつくった。そこには、街中に潜む個性的な素人の存在が欠かせなかった。

報道によると、今回の『オールナイトフジコ』に出演する素人は女子大生に限らないという(「日刊スポーツ」2023年3月6日付記事)。

言い換えれば、広く魅力的な素人を募るということと受け取れる。深夜からどのような新しい「素人の時代」を生み出せるのか? そこに番組の行く末を占うひとつのポイントがあるように思える。

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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)

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