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大谷翔平は右肘の手術後に「より速く、より強く、より正確」に進化…最新データが裏付ける「投手・大谷」のすごさ

プレジデントオンライン / 2023年4月10日 10時15分

アスレチックス戦に先発し、力投するエンゼルスの大谷翔平=2023年3月30日、アメリカ・オークランド - 写真=時事通信フォト

投手としての大谷翔平はどれだけすごいのか。MLBジャーナリストのAKI猪瀬さんは「2018年にトミー・ジョン手術を受けた大谷は変化球の球速が大幅にアップした。その結果、あらゆるデータが可視化されるMLBにおいても抜群の成績を残している」という――。

※本稿は、AKI猪瀬『大谷翔平とベーブ・ルース』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■2018年、21年はスプリットを最大の武器に奮闘

投手としてさらなる進化を遂げた2022年の大谷翔平。

MLB1年目の2018年は10先発で、19年は右肘腱(けん)移植手術の影響で登板なしだった。20年は2先発、21年は23先発。そして、22年は28先発を記録した。

2018年の球種の割合と平均球速は、ストレート46.4%、155.7キロ。スライダー24.6%、131.2キロ。スプリット22.4%、140.6キロ。カーブ6.6%、119キロとなる。1年目の最大の武器は、被打率0割3分6厘、空振り率は驚異の56.4%を記録したスプリットだった。

右肘腱移植手術から完全復活となった2021年は、ストレート44.1%、153.9キロ。スライダー22%、132.3キロ。スプリット18.3%、142キロ。カットボール12.1%、139.9キロ。カーブ3.6%、120.3キロだった。このシーズンでも最大の武器は、被打率0割8分7厘、空振り率48.5%を記録したスプリットだったが、シーズン中盤以降に使用頻度が増したカットボールがよいスパイスとなり、効果を発揮した。

■トミー・ジョン手術を受けた大谷に起こった変化

1974年にドジャースのチームドクターを務めていた、フランク・ジョーブ医学博士によって考案された靱帯(じんたい)移植手術。最初に手術を受けた左腕投手トミー・ジョンの名前から、この手術は通称「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになった。トミー・ジョンが手術を受けた当時は、再び投球できるまでに回復する確率は1%程度とされていたが、医学の発展と術後のリハビリ方法が飛躍的に進歩を遂げたことにより、現在では97%近い成功率と言われている。

手術を受けた選手は、リハビリを経て、約15カ月後には実戦復帰できるとされているが、実際に万全の状態に戻るまでには、18カ月以上の日数が必要とされている。

大谷は、2018年10月1日にロサンゼルス市内の病院で、エラトロッシュ医師の執刀によるトミー・ジョン手術を受けた。

■変化球の球速が大幅にアップ

リハビリを消化した大谷は、2020年7月26日のオークランド・アスレチックス戦で、18年9月2日以来、693日ぶりの復帰登板を果たしたが、1アウトも取れずに降板する。

続く8月2日のヒューストン・アストロズ戦では、2回中盤から急速にスピードが落ちてしまい緊急降板。その後の検査で右肘の故障が発覚した。トミー・ジョン手術の経験者であるダルビッシュ有は常々、「術後、完全に戻るのに24カ月はかかる」と語っている。その言葉どおりに大谷は、2021年に完全復活を果たし、22年をむかえた。

2022年は、スライダー39.1%、137.2キロ。ストレート27.6%、156.5キロ。スプリット12%、143.7キロ。カットボール9.1%、145.6キロ。カーブ8.6%、125キロ。シンカー3.7%、156.4キロという内訳だった。

2018年とは大きく球種の割合が変化しているが、特筆すべきは、各球種の平均速度である。

18年と比較すると、ストレートは155.7キロから156.5キロ。スライダーは131.2キロから137.2キロ。スプリットは140.6キロから143.7キロ。カーブは119キロから125キロへと大きく向上している。この平均球速のアップが、トミー・ジョン手術を受け、復活を果たした21年を経て、22年にさらなる進化を遂げた証しである。

■「より速く、より強く、より正確」に進化

球速が増した大谷は、アメリカンリーグ1位となる9回平均11.873奪三振を記録。219奪三振はリーグ3位だった。制球力も安定して、2021年は130回1/3を投げて54与死四球、9回平均与四球率3.0。22年は166回を投げて、46与死四球、9回平均与四球率2.4を誇った。

200奪三振以上を記録したアメリカンリーグの投手で、与四球率で大谷を上回ったのは、与四球率2.2を叩き出したヤンキースの奪三振王ゲリット・コールしかいない。22年の大谷は、「より速く、より強く、より正確」に進化を遂げたことになる。

■MLBは選手のすべてが可視化されている

MLBは、2015年から全球場に、選手やボールの動きを瞬時に分析できる解析ツール「スタットキャスト」を導入した。このスタットキャストは、移動速度や変化が計測できるドップラー・レーダーを利用した弾道解析システム「トラックマン」、画像解析システム「トラキャブ」を使い、フィールド上で行なわれているすべてをデータ化して、可視化することを可能にした。現在のMLBは「スタットキャスト時代」と称されている。

例えば、2018年に大谷が投げたスライダーの平均回転数は2319回転だったのに対して、22年のスライダーは2492回転だった。また、強い打球を打たれる確率を示すハードヒット率は、21年が39.9%だったのに対して22年は33.2%だったことなど、すべての事柄が可視化されている。

■打者を追い込んだ大谷はスライダーを投げる傾向にある

そのスタットキャストに「セイバーメトリクス」と呼ばれる統計学データ分析を加え、選手は膨大な情報の中でプレーしている。投手大谷が相手打者を2ストライクに追い込んだ場合、次の球種は、セイバーメトリクスが統計学データによりスライダーを示唆して、スタットキャストがアウトコースに逃げていく2300回転のスライダーを予想する。そんなデータを打者が準備して、大谷と対戦している。もちろん、投手大谷も相手打者のデータを学習して投球に反映している。

フィットネスモーション
写真=iStock.com/Myvector
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Myvector

一方、ベーブ・ルースの時代は、スタットキャストもなければ、1970年代に提唱されたセイバーメトリクスもない。投手は、ただ投げ、打者は、ただ打つだけの時代だった。

大谷は、ストレート、シンカー、スライダー、カーブ、カットボール、スプリットなど、多種多彩な変化球を武器にしているが、ルースが投手だった時代は、ストレート、カーブ、スライダーの3球種が中心で、他の変化球も存在していたが、現在の精度とは比較にならないレベルだった。

その他に、球種と呼ぶに相応しいかはわからないが、唾や噛みタバコのヤニや泥などをボールに塗る「スピットボール」や、隠し持ったヤスリや爪でボールに傷を付ける「エメリーボール」などがあった。

■変化球はどのようにして生まれたか

変化球の歴史は、カーブから始まったと言われている。

1863年、当時14歳だったキャンディ・カミングスは、海岸で友達とアサリや蛤の貝殻を海に投げて遊んでいた。するとカミングスは、自分が投げた貝殻が空中で大きく曲がることを発見。その後、1時間近く貝殻を投げて、大きく曲がる方法を探し出したカミングスは友人に「これを野球のボールでできたら、面白いことになるぞ」と語った。

17歳になったカミングスは、アンダースローから投げるカーブを武器にブルックリンのアマチュアチームで37勝2敗の好成績を残した。「ハーバード大学と対戦したときにボールを曲げて、空振りを何度も奪えた。試行錯誤のすえ、新しいボールが完成したと感じた」と振り返る。その後、プロ野球選手となったカミングスは通算145勝を記録した。

カーブボールの開発者については別の説もある。1870年8月16日にフレッド・ゴールドスミスが、ブルックリンのカビトリーノ・グラウンズで大きく曲がるボールを投げるデモンストレーションを行ったときが、初めてカーブを投げた瞬間とする説が有力視されていたのだが、カミングスは1939年に「初めてカーブを投げた投手」として野球殿堂入りを果たしている。

■スライダー、チェンジアップの起源

カーブの次に市民権を得た変化球はスライダーである。こちらも諸説あるが、1903年にフィラデルフィア・アスレチックスでMLBデビューを飾った、チーフ・ベンダーが投げていた「ニッケル・カーブ」が現在のスライダーの元祖と言われている。

ルースと同時代に速く横に曲がる変化球を武器に活躍したクリーブランド・インディアンスの投手ジョージ・ウーレが「スライダー」の名称を考案したとされ、ルースは「ジョージが最もタフな投手だった」と回顧している。

チェンジアップの起源は、1880年代から90年代にプレーしていたティム・キーフが投げていた「スローボール」とされている。キーフは引退後、ハーバード大学の投手コーチや、ナショナルリーグの審判などを務め、1964年に殿堂入りを果たしている。殿堂に飾られているキーフのレリーフには、「史上初めてチェンジ・オブ・ペースを投げた投手」と書かれている。

■ナックルボーラーは絶滅危惧種

ナックルボールは、MLB通算208勝を記録したものの、「ブラックソックス事件」で永久追放処分を受けたエディ・シーコットが1908年に開発した。「ふらふらと蝶のように動き、バットから逃げて行く」とルースは語っている。

シーコットが開発して以降、各年代に優秀なナックルボーラーを輩出してきたMLBだが、全投球の90%をナックルボールが占める真のナックルボーラーは、2019年までボストン・レッドソックスでプレーしたスティーブン・ライトが最後とされ、ナックルボーラーは絶滅危惧種となっている。

フォークボールは、1916年8月26日にノーヒット・ノーランを達成した、アスレチックス所属のバレット・ジョー・ブッシュが開発したとされている。また、同時代にボールを浅く挟むスプリットも誕生した。フォークボールはその後、69年にセーブが公式記録に認定される以前からクローザーとして大活躍を見せていた、ロイ・フェイスの決め球として広く認知された。

AKI猪瀬『大谷翔平とベーブ・ルース』(KADOKAWA)
AKI猪瀬『大谷翔平とベーブ・ルース』(KADOKAWA)

フェイスは、シーズン20セーブを2度記録したMLB史上初のリリーフ投手で、リリーフ登板での通算96勝は、現在もナショナルリーグの記録として残っている。

一方、スプリットは、現役時代に使い手として有名だったロジャー・クレイグが、1970年代後半から90年代前半にかけて監督を務めた、サンディエゴ・パドレスとサンフランシスコ・ジャイアンツ時代に、積極的に自軍の投手陣に教えたことが市民権獲得につながった。

現在では、カーブの派生で「パワーカーブ」「ナックルカーブ」、チェンジアップの派生で「サークルチェンジ」「バルカンチェンジ」「パームボール」など、各球種で様々なバリエーションが存在している。

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AKI猪瀬(あきいのせ)
MLBジャーナリスト
1970年生まれ。栃木県出身。89年にアメリカへ留学。MLBについての研究をはじめ「パンチョ伊東」こと伊東一雄に師事。現在はMLBジャーナリストとしてJ SPORTS、ABEMA等に解説者として出演。流暢な英語を交えた独自の解説スタイルには定評があり、出演本数は年間150試合におよぶ。東京中日スポーツで20年以上コラムを執筆するなどスポーツライターとしても活動中。著書に『メジャーリーグスタジアム巡礼』がある。

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(MLBジャーナリスト AKI猪瀬)

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