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50年間自分を支配し続けた…"プロフェッショナル毒母"の死の前に娘が枕元でささやいた衝撃の言葉

プレジデントオンライン / 2023年4月8日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MichikoDesign

34歳で結婚した女性の夫はひどいモラハラ男で、結婚生活は幸せのかけらもない。ほどなく離婚したものの、まだ気を抜けない。毒母のせいだ。父親が82歳で他界した後、要介護の状態になった母親を献身的にケアする女性。亡くなる1週間前に、母親の枕元で女性がささやくと、何もしゃべれなくなっていた母親は顔を背けた――。
【前編のあらすじ】東北在住の柴田真帆さん(仮名・50代・バツイチ)には11歳上の兄がいる。障害があり食事や排泄、着替えが自分でできない。兄が最優先の家庭の中で、母親は柴田さんに兄の支援を強制し、柴田さんの服や交際相手にも細かく口出しした。社会人になった柴田さんの交際男性を母親は認めなかったが、5番目に紹介した柴田さんより7つ下の男性のことはなぜか気に入った。しかし、この男性は共働きにもかかわらず家事を一切せず、お金に細かく、すぐに怒鳴る……完全なハズレだった――。

■父親の死

結婚から7年経った2014年。夫は以前と変わらず、家事を何もしない。機嫌が悪いと、怒鳴る。お金にうるさく、家計費を出すこともしぶる。それにもかかわらず、パチンコで浪費する。

そんな夫に41歳になった柴田真帆さん(仮名・50代・バツイチ)は辟易していた。夫が家にいるときは機嫌を損ねないよう言葉にも行動に細心の注意を払って生活していた結果、夕食時に大好きなビールを飲んでも全く酔えず、常に緊張状態。かといって、あからさまにビクビクしていても反感を買う。

「私は本能的に、“全然気にしていないふうを装いつつ細心の注意を払う”というテクニックを子どもの頃から身につけていました。しかしそれが、ある日突然できなくなりました。何がきっかけなのかわかりませんが、今までのようにソツなく振る舞えなくなったのです」

そんなときだった。近くの実家に住む72歳の母親から電話がかかってきた。「お父さんが倒れた!」という。

母親はその日、朝から病院に出かけていた。帰宅した母親は救急車を呼んだが、82歳の父親はすでに死亡。警察が呼ばれ、事情聴取が行われる。父親の死亡推定時刻は朝の9時ごろ。母親は警察に、「帰宅してすぐに救急車を呼んだ」と話していたが、柴田さんは「絶対に違う」と訝しんでいた。

帰宅したのは夕方だという母親だが、飼っていた2匹の犬を溺愛していた母親は食事を朝昼晩の3食与えていたのだ。そのため遅くとも昼すぎには帰宅し、そのとき父親に用意した朝食が手つかずだったことに気づいたはずだが、「犬たちに昼ご飯も与えずにまだ寝てるのか!」と激怒し、犬たちの昼ご飯を優先。夕方になり、さすがにおかしいと思い、2階の部屋を覗いたら、父親が倒れていた……というのが真実だろうと柴田さんは考えている。もっと早く異変に気付けば、父は命を落とさずにすんだかもしれない。

この日以降、柴田さんはもともと理解不能だった母親のことが、ますますわからなくなった。

自営業だった父親は、80歳まで働いていた。母は生前の父親に対して散々悪態をつき、冷たくし、邪険に扱ってきたのに、亡くなった途端、「あんなにいいお父さんはいない」「お父さんのおかげで夫婦仲が保ったんだ」と持ち上げ、ひどく落ち込み、ろくに食事も摂らなくなってしまう。

柴田さんが結婚した後も、母親は事あるごとに父親の悪口を吹き込んだ。「あんたが(結婚して)出ていってから、お父さんは旅行にも外食にも連れて行ってくれない」と言っていたため、柴田さんは夫の機嫌をとって時間を作り、母親を買い物やランチに連れて行っていた。ところが父親が亡くなった途端、手のひらを返したように、「日帰り温泉も1泊旅行もした。おいしいものも食べに連れて行ってくれた」と思い出話しを始めたのだ。

柴田さんは母親に対する不信感が深まるのを感じていた。

■歓喜の離婚

柴田さんの父親の死後、夫は何を思ったか、父親の死によって動揺している柴田さんに代わり、葬儀などさまざまな手続きを買って出てくれた。

しかし柴田さんは喜ばなかった。むしろ「大黒柱を失った妻の実家が弱っているところで、恩を売って私の頭が上がらない状況をつくり、自分の天下にしようって腹だ」と身構えていた。

「最も尊敬する最愛の父を、“毒母の夫”でも、“モラハラ夫の義父”でもなく、“私の父”として見送りたかったのです」

柴田さんは、でしゃばる夫をうまくいなしながら、喪主として葬儀を手配。家族葬とし、夫側の親族を一人も入れなかった。葬儀後も実家に残り、うなだれて仏間に座り込んでいるだけの母親を尻目に、役所手続きに奔走し、障害があり施設に入っている兄の面会にも行き、家事もこなした。

一方夫は、父親の死後から柴田さんの実家に泊まっていた。しかし妻をおもんぱかる言葉など一切かけず、2人きりになると父親の預金残高を何度も訊ねてきた。

しばらく柴田さんの実家から通勤していた夫だが、慣れない環境で、義母に気を使って過ごしていたせいか、1週間ほど経ったある日、仕事でミスをしてしまう。その日、夫は柴田さんに電話をよこし、「もうそっちには帰らない。俺の荷物をアパートに運んでおけ!」と怒鳴り散らした。

父親の葬儀直後に気が抜けたのか、インフルエンザにかかってダウンしていた柴田さんは、絶句した。

「父を亡くして弱っていた私は内心、夫は、多少は優しくしてくれるんじゃないかと期待していたんです。ところが逆に強く出てきた。しかも、母にはわからないように陰で私に圧をかけてくるんです。さらに、父が亡くなって10日も経たないうちに、父の預金残高を取って付けたような優しい言い回しで一生懸命探ってくる。吐き気がしました。この先、私は母と兄を見送らなくてはいけないのに、コイツの面倒なんか見ていられない。どうせ1人で全部やらなくてはいけないなら、夫なんか要らないと思いました」

母親も夫も、周囲から自分が最優先にされないと怒り狂う。同類の人間だ。

だが、「この先、兄の具合が悪くなって私が身動きとれなくなったらどうなるんだろう」と考えたとき、おそらく夫は、柴田さんが普段通りに仕事と家事をこなした上で、兄の世話をするなら納得するかもしれない。だが少しでもミスしたり、家事がおそろかだったりしたら、容赦なく怒鳴りつけてくるだろう。兄のことを悪く言うかもしれない。逆に、母親にとって兄はかけがえのない息子だ。多少の我慢や妥協はできるはずだろう。

柴田さんの腹は決まった。

それから柴田さんは一切自宅へは帰らず、意図的に実家に寝泊まりした。今、柴田さんから離婚を切り出せば、夫は何か理由を探して、慰謝料を請求してきかねない。だから夫から離婚を切り出すよう仕向けたのだ。

1年半後、夫から離婚届けが郵送されてきたとき、43歳になっていた柴田さんは、飛び上がって喜んだ。

■毒母との暮らし

離婚成立後も柴田さんは実家で暮らし、パートから正社員に戻った。夫からは完全に解放された柴田さんだが、母親からは解放されなかった。

父親が82歳で亡くなったとき、母親は72歳。まだ足腰が丈夫だった頃は、「あんたの世話になんかならない」「あんたの手を借りるほど落ちぶれていない」と悪態をつくが、見ないフリをすれば、「あんたは冷たい」「あったかみがない」と言い、先回りして片付けていけば、「あんたがそばにいると急かされているようだ」と言い放つ。

よかれと思い、母親の犬たちの世話をすれば、「あんたに動物を飼う資格はない」と言われ、母親の体調が悪いときに兄の面会に一人で行って帰ってくれば、感謝もなく開口一番「クソの役にも立たないな」と吐き捨てられる。

父親が兄のために遺したお金と、柴田さんが夫から死守した実家の蓄えは、母親が言い出した実家のリフォーム代に消えた。

柴田さんは、そうした母親からの言葉や態度が自分の心と体をむしばみ続けていることに気付いていなかった。

不安から、無意識にセーターの袖を触っている女性
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

2015年。42歳になった柴田さんは、自分が保てない感覚に襲われ、心療内科を受診すると「うつ状態」と言われた。医師は、突然父親が亡くなったショックと、元夫から7年間受けてきたモラハラの後遺症により、離婚後も続く不安感や恐怖感、父親を亡くした不安から柴田さんを頼ってくる母親によるプレッシャーなどが原因だと説明した。

柴田さんは、母親から言われたことをいくつか話したところ、「そんなひどいことを……!」と医師は驚愕。

母親はよく、「あんたは人の親になったことがないからだ」と言った。これには死産のつらい経験がある柴田さんもさすがに、「子どもに死なれている娘によくそんなことを言えるね」と言い返す。すると母親はこう言い放ったのだ。

「子どもが死んだのはあんたのせいだ」

このあと柴田さんに記憶はなかった。気づいたら朝食の片付けをして、自分の部屋にいた。

また別のとき、「もう死んでもいいかな?」と言ったことがある。すると母親は平然と言った。「ああいいよ、散々男のケツあさったんだからもういいだろ」。言葉を失った。

同居がつらくなった柴田さんが実家を出ようとすると、「どうせ男を連れ込むんだろう?」「育て方が悪かった」「あんたは自分の都合の良いようにばかりする」とまくし立てる。

「『違うんだよお母さん! 私はそんなことしてない』『私はそんなこと思ってない』『見て見てお母さん! 私はこんなに考えてこういうことしてるんだよ』『お母さん! 私のことちゃんとわかって』……子どもの頃から母に分かってもらいたくてずいぶんいろいろとやってきましたが、全部ムダでした。何を言っても『減らず口ばっかり叩いて!』でおしまいでしたから。もしもあの頃の私に会えるなら言ってやりたいです。『どんなに頑張ったって通じないんだから、ちゃんと自分のこと考えな』って」

父親の死から8年ほど経ったこの日、ようやく柴田さんは母親に対する気持ちに区切りがついた。

■毒母の死

2014年に72歳になった母親は、要介護1と認定され、デイサービスに通い始めていた。

しかし2021年4月、79歳になる頃、それまで定期的に行っていたデイサービスを、「調子が悪い」などと言って休みがちになる。

同じ頃、柴田さんは、楽に死ぬ方法ばかり考えるようになっていた。自分が出勤中、一人で家にいる母親が心配なことと、主治医にうつ病が悪化したと言われたことから、柴田さんは休職を決めた。

5月、母親は「だるい」と言って横になっている時間が増え、6月には腎機能の悪化を疑い、泌尿器科を受診。屋外での自立歩行が難しくなり、車椅子を使うように。

7月には食欲低下による脱水症状で入院するも、暴れて1泊で強制退院。医師から認知症の症状があると説明を受ける。

11月、入浴介助開始。食欲低下による栄養不足のため、度々入退院を繰り返す。

12月、トイレ介助開始。

2022年1月、母親は、透析のための血管を作る手術を受け、透析も含め、2週間入院。

2月、週3回透析を開始。

3月、透析を拒否して暴れる。病院と相談し、透析中止を決定。

4月、椅子に座っていられなくなる。痰が絡み、呼吸がしづらい様子。病院へ連れて行くと、酸素濃度が低く、肺に水がたまっていた。心不全の兆候も見られたため、入院。入院中の透析も希望せず、体調の急変時は自然に任せる旨を病院と確認。

入院が始まると看護師さんに手を上げることがあり四肢拘束。2週間後、退院し、在宅介護・訪問診療がスタート。

5月、家の中でも自力で歩けなくなる。オムツでの全介助開始。

固形物を受け付けなくなり、プリン・ゼリー・アイス・粉飴でカロリー摂取。

この時期、施設に預けている兄も嚥下(えんげ)機能が低下し経口摂取が困難に。鼻から管を直接胃に入れて栄養補給をするようになるが、兄の気管が他の人より狭く、事故の懸念もあり、胃ろうへの転換を勧められる。

兄の入院・手術に際し付き添いが必要だったが、母親が在宅で全介護状態のため柴田さんは身動きが取れず、兄の施設の職員に代わりに付き添ってもらう。身内でないと決められないことが多く、たびたび兄の施設から電話があり、母親の介護で手が離せないときはすぐに折り返した。

中旬、母親にせん妄が始まる。ずっと畳を爪でひっかいていたり、父親がいると言ったり、四六時中柴田さんを呼んだりと、混沌とした状態が続く。

5月末、自宅にて逝去。80歳だった。

■柴田家のタブー

2022年に母親を看取ってから約1年が経過する。

現在も柴田さんは不眠や悪夢、不安感や恐怖感に悩まされ、うつ病は回復していない。そのため柴田さんは、休職期間満了後、退社することを決めている。

61歳になった兄は、6〜7年前、アンジェルマン症候群と診断。これは、重度の精神発達の遅れ、てんかん、失調性運動障害、容易に引き起こされる笑いなどの行動を特徴とする疾患で、2015年に難病指定された。

柴田さんは兄の面会を怠らず、母親が遺した犬たちもかわいがっている。

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。柴田家にもそれは当てはまる。

「短絡的思考」は、柴田さんの両親にあった。母親は何不自由なく甘やかされて育ち、ほぼ社会経験もなく結婚。ところが第1子に障害のある息子が生まれた。苦労したことは想像に難くないが、2人目をもうけるにあたり、もし自分たち親が他界した場合、息子をどうするのかという想定を一切せず、2人目の子ども=柴田さんの人生をしっかりと考えたようとした形跡はない。

柴田さんは、兄や母親を優先し自己犠牲を払い続けてきたため、精神を病んで社会生活が送れなくなってしまった。これは自己中心的で息子優先の母親はもとより、その母親を制御できなかった父親の対応にも問題があったように思う。親による暴挙から幼い子どもを守ることができるのは、もう一方の親しかいないのだ。

また、柴田さんが子どもの頃、障害のある兄に対する世間の冷たさを味わっていた母親は口癖のように言っていた。

「人とは付き合わない。他人に悪口を言えばすぐに広まる。言った言わないでもめるなら初めから付き合わないのが得策だ」

そのため母親には友達がいなかった。そして障害のある兄が騒ぐたびに引っ越しを余儀なくされていた柴田家は、世間から孤立していた。

着る服も、交際相手も、母親にコントロールされていた柴田さんだが、40代になるまで母親が毒親だと気付かなかった。母親からひどいことを言われるのは自分が悪いからだと思っていたからだった。

「自分はできていない=恥ずかしいこと」と考えていた柴田さんは、自分に対する羞恥心から、家庭でのことを誰にも相談することはなかった。母親により情報統制されていたから、気付けなかったのだ。

■毒母による後遺症

父方の祖母は父親にとっては継母で、父親は子どもの頃、継母に虐待されていたらしい。

「機能不全家族で育った父は、傷つけられることにはすっかり慣れてしまっていたのでしょう。おそらく、私がいないところで父が母をたしなめることもあったと思いますが、母がどんな反応をしたかもだいたい想像できます」

誰かがたしなめたところで、反省したり行いを改めたりするような人間ではなかったということだ。父親は、柴田さんの元夫の本性を見抜くほどの洞察力を持ち合わせていたように見受けられる(結婚に反対した)。それでも、娘の精神を守るために、父親は母親と距離を置くこともできたはずだが、それをしなかった。

「母は、暴言で相手を追い詰めるくせに、相手が死んだ途端に後悔の念に苛まれる人でした。でも私は、相手が死んだときに後悔は絶対にしたくありませんでした。だから父のときも母のときも、“してあげたいこと”はやっていきました。これ以上無理というくらいまでやってあげてサヨナラしたいと思ったからです」

母親は柴田さんに介護をされるようになってから、機嫌がいいときは「助かる」「悪いなあ」と口にすることもあったという。

柴田さんは母親を“かわいそう”と思い、反面教師にしていた。母親は、息子に対しては確かに母親だったのかもしれないが、娘の柴田さんに対しては、違った。夫に対しても娘に対しても、子どものように甘えていたように感じる。

「やるだけやった、やり切ったという自信があったので、おかげで、母を看取った後も寂しくて泣くようなこともありません」

亡くなる1週間くらい前、柴田さんは母親の耳元で、今まで自分がどれだけ耐えて我慢して頑張ってきたかを訴えた。すると、もう話すことができない母親は、それでも布団をかぶろうとしたり顔をそむけたりした。「ああ耳が痛いんだ」と思った柴田さんは、亡くなる前日の夜、こう言ったという。

「お母さん、ありがとね。お疲れさま。お兄さんとわんこたちのことは大丈夫だから任せてね。お父さんによろしく」

これは「あんたに兄くんのことは任せられない」「あんたに動物を飼う資格はない」と言われ続けてきた柴田さんなりの嫌味だった。「結局、私に任せる羽目になって残念だったね」という意味を込めたのだ。

かわいらしい2匹の犬がこちらを見上げている
写真=iStock.com/ChrisBoswell
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ChrisBoswell

「ただ、常に母を中心に生活していたので、これからは自分の好きなように生きていいとなっても、なんだか落ち着きません。『ああこれも母の影響か』と気付いて、四十九日を過ぎたあたりからふつふつと怒りが湧いてきました。ギリギリの精神ラインで普通っぽく振舞っていた私の限界に、そばにいてまったく気づかなかった毒母もモラハラの元夫も、ろくなもんではありませんよね」

柴田さんは現在、母親が吐き散らした毒の解毒と、自分の中にある感情の地雷の撤去作業に努めている。それはおそらく、激しい痛みを伴う作業になるだろう。柴田さんが「自分」を生きられるようになることを願う。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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