中国政府が頭を下げるしかなかった…海外移住していたアリババ創業者が、わざわざ中国に戻った理由
プレジデントオンライン / 2023年4月7日 18時15分
■なぜリスクがあるのに帰国したのか
3月27日、ジャック・マーが中国に戻った。自らが設立した浙江省内の学校を訪れ、その様子が学校のSNSに掲載されたのだ。
中国のEC最大手アリババグループ(以下、アリババと略称)を創業したジャック・マーは、2020年末から姿を消していた。当時、中国共産党はアリババ関連のフィンテック企業アントグループのIPO(新規株式公開)を前日に差し止め、さらにアリババを独占禁止法違反の疑いで捜査していた。
一時は当局に身柄を拘束され、起訴を待つばかりとの噂が広がっていた。その後、欧州や日本などに滞在している姿が目撃され拘束説は否定されたが、今度は「もう中国に戻ることはないのでは」と言われるようになった。帰国すれば今度こそ拘束されかねない。そのリスクを冒すことはないだろう、という見方だ。
中国富裕層が危険を逃れるため海外に移住するのは珍しい話ではない。たとえば、大手動画配信サイト・楽視網の創業者である賈躍亭(ジャー・ユエティン)は、2017年に突然中国国内の役職をすべて辞任し、米国を訪問。その後、現在にいたるまで帰国していない。楽視網が破綻したこともあり、中国当局は帰国命令を出したが、「来週には帰国する」と繰り返すばかりで現在まで帰国していない。
ジャック・マーは役職上では引退している。リスクのある帰国は本来ならば不要だ。ならば、なぜこのタイミングで帰国したのか?
■ジャック・マーの失踪は悪夢の始まりだった
「さすがはジャック・マーだ。自らの帰国をカードに、中国政府から好条件を引き出す取引に成功したのだろう」
中国のあるVC投資家は、匿名を条件に、筆者にこんな評価を打ち明けている。なぜ「取引に成功した」といえるのだろうか。読み解きのカギは、中国政府がジャック・マーの帰国を必要としていた、という事実だ。
そもそもジャック・マーの失踪は中国IT業界にとっての悪夢の始まりだった。
当初、中国共産党が事実上、ジャック・マーの引退を求めたのは、アリババが一企業の域を超えたコングロマリット化したことが原因だと考えられていた。ところが2021年に入って、こうした理解が間違っていたことがわかった。アリババ以外のIT企業についても独禁法違反などでの調査が始まったのだ。
独占禁止法違反、学習塾規制、サイバーセキュリティー審査、オンラインゲーム規制といった動きが矢継ぎ早に導入されていった。さらには共同富裕の提唱もあり、儲けすぎのIT企業はまるでパブリックエネミーであるかのように肩身の狭い思いをすることとなった。
■規制の嵐にIT企業の時価総額はガタ落ち
無制限に広がる規制の嵐に資本市場も敏感に反応した。
現在、アリババの株価はピークだった2020年10月から約70%のマイナスとなっている。また同じIT大手であるテンセントも40%の下落。「TikTok(ティックトック)」を運営する非上場企業のバイトダンスも、評価額がガタ落ちしているといわれている。
さらに新しい企業も出てこなくなった。2010年代に中国ITが目覚ましい成長を遂げ、携帯電話で買い物ができるモバイル決済や、TikTokに代表されるスマホ動画など、世界で模倣されるイノベーションを作り出してきた。
この原動力となったのは、政府の規制をかいくぐって新たなビジネスを生み出してやろうという野蛮な冒険精神だった。ところが、少しでも目立てばとんでもなく厳しい制裁を加えられかねないとの不安が中国ビジネス界を覆っている。革新的なサービスを生み出しづらい雰囲気が生まれているのだ。
■ビジネス作家のブログは政府によって消去
こうした変化について、2022年5月、中国を代表するビジネス作家・呉暁波(ウー・シャオボー)は、ブログ記事「俺たちの国はいったいどうなっちまったんだ?」で、こう書いた。
この記事は、馬雲(ジャック・マー)氏を連想させる資産家「馬某」のエピソードとして、間接的に書かれていたが、あまりに爆発的に読まれたためか削除されてしまった。「政府の怒りに触れた」といわれているが、それだけIT業界の空気は重苦しくなり、不満が溜まっているということだろう。
■IT企業への規制は国内経済の停滞を招いた
中国政府の規制は、わが世の春を謳歌していた中国IT企業の鼻っ柱をへし折ることに成功した。だが、その結果、想定以上にIT業界が勢いを失ってしまった。コロナ禍による景気後退もあいまって、IT業界ではリストラも始まった。中国経済の立て直しが求められるなか、高成長産業の代表であるIT業界がボロボロでは回復は容易ではない。
習近平総書記は2021年8月に「共同富裕を着実に推進する」と題した講話を行ったが(雑誌『求是』2021年20期に掲載)、「資本の無秩序な拡張には断固反対する。敏感な領域については(企業の参入を禁止する)ネガティブリストを作成する。独占禁止の管理監督を強化する」と、IT企業規制の方針を示しつつも一方で、「同時に企業家の積極性を引き出し、各種資本(国有資本と民間資本)の秩序立った健康的発展を促進しなければならない」とも話していた。残念ながら後半の配慮は失敗に終わった。前述の呉暁波が描いたような停滞が訪れてしまったのだ。
ゼロコロナ対策が破綻したこともあって、2022年の経済成長率は前年比3%増にまで落ち込んだ。2023年に復活するためには民間企業家の積極性を復活させることが必要不可欠だ。
■急激な方針転換にはシンボルが必要だった
中国共産党は毎年12月、中央経済工作会議を開催する。経済分野における、もっとも重要な会議だ。会議後に発表されたコミュニケには次の一節がある。
「法に基づく民営企業の権益と企業家の権益を保護する。各地方政府のトップ・幹部は民営企業の難題を解決し、支援し、汚職はないながらも親しみのある政府と企業の関係を築かねばならない」
これは昨年までのコミュニケにはなかった一節だ。「企業家の権益の保護」を打ち出すことで、苛烈な規制の嵐が終了したとのメッセージを送っている。
このメッセージをさらに強く打ち出すために必要だったのがジャック・マーの帰国だった。民間企業家のシンボルであり、また規制の発端ともなったジャック・マーが戻る意義は大きい。
■ジャック・マーの帰国は反転攻勢の狼煙になるか
責められる立場から一転して求められる立場に変わったジャック・マーだが、どうやら自分の価値を安売りしていなかったようだ。
ブルームバーグは3月27日、ジャック・マーが中国政府のたびかさなる帰国要請を固辞していると報じた。実際はまさにその日に中国で姿を現したため大誤報となってしまったのだが、あながち飛ばし記事ではなかったとささやかれている。ジャック・マーは帰国直前、香港に滞在していた。その後、日本に向かう予定をキャンセルして電撃帰国したという。
前述のVC投資家は「中央経済工作会議から3カ月、中国共産党は一刻も早い帰国を望んでいたはず。それをここまで焦らしたのは好条件を引き出すための交渉術だ。つまり、アリババの安全を勝ち得たことを意味している」と話す。
安全が保障されるまで、アリババは目立つビジネス展開を控える必要があり、ライバル企業の攻勢にさらされても反撃することはできなかった。アリババのEC売り上げがマイナスに落ち込むなか、業界2位のJDドットコム、3位の拼多多(ピンドゥオドゥオ)はプラス成長を続けており、シェアは下がっていた。新たな成長分野であるクラウド部門も成長率が大きく鈍化している。
政府との取引を終えたアリババは、今後大々的な反転攻勢に転じるだろう。その起爆剤となるのが組織再編だ。ジャック・マー帰国の翌日となる3月28日、アリババは事業ごとに分社化する構想を発表した。過去1年にわたる事業再編で、クラウド、中国国内EC、ローカルサービス(マップアプリ・口コミ・旅行予約)、物流、グローバルEC、デジタルメディアの六大事業部に再編されていたが、今後は事業部ごとに分社化し、それぞれIPO(新規株式公開)することを目指している。
この分社化構想は巨大企業による独占禁止という政府方針に花を持たせるものでもあるが、それ以上に小回りの利く体制を築き、アグレッシブな成長を目指す意味合いが強い。ジャック・マーは自らの帰国というカードを切ることで、反転攻勢の条件を整えたといえる。一代で中国最強のEC帝国を作り上げた男はやはりただ者ではない。
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ジャーナリスト/千葉大学客員准教授
1976年生まれ。千葉県出身。千葉大学人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。中国経済、中国企業、在日中国人社会を中心に『週刊ダイヤモンド』『Wedge』『ニューズウィーク日本版』「NewsPicks」などのメディアに寄稿している。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)、編著に『中国S級B級論』(さくら舎)、共著に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA)などがある。
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(ジャーナリスト/千葉大学客員准教授 高口 康太)
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