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最盛期は江戸市中に100カ所以上もあった…吉原より人気だった幕府非公認の遊里「岡場所」の遊び方

プレジデントオンライン / 2023年4月22日 14時15分

香蝶楼国貞 岡場所錦絵「辰巳八景ノ内」、蔦屋吉蔵(出典=国立国会図書館デジタルコレクション)

かつての江戸には幕府非公認の売春地域「岡場所」が100カ所以上もあったといわれる。立教大学名誉教授の渡辺憲司さんは「岡場所は単なる売春街ではなく、独自の庶民文化が生まれるエリアだった」という――。

※本稿は、渡辺憲司『江戸の岡場所』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

■江戸時代の裏面史・岡場所とはどんなところか

江戸文化の爛熟期とでもいうべき文化文政時代を支えたのは、階層下落に陥った武士たちに代わった庶民であった。

管理売春総帥の名を権力に与えられた吉原は、江戸文化の発信源とよばれ、小説・物語、浮世絵や歌舞伎の世界で華やかなスポットを浴び続けた。甘美な情緒や独特の文化に人々は幻惑された。

ことに太夫とよばれた高位の遊女との交際は、高級社交場として多くの人の憧憬の対象となった。

一方で、江戸の盛り場の至るところに根を張り庶民の支持を受け、独特の文化土壌を育んだのが、吉原以外の買売春地域〈岡場所〉である。

岡場所は、庶民ことに町人階級の法に背(そむ)く自立的覚悟の上に成り立っていた。その岡場所に対し、権力者と同調する者たちは蔑みの視線を向けた。岡場所の歴史は闇の遊里裏面史といっていいかもしれない。しかしそこに吉原を凌駕するかのごとき文化的土壌が醸成されたことも事実である。

■幕府公認だった吉原との違い

岡場所は、幕府公認、官許の吉原に対して吉原以外の非公認・黙認の遊里のすべてをいう。

品川・千住・内藤新宿・板橋の四宿は、準官許で飯盛女を置くことが許されたので、岡場所から除くといった考え方もあるが、そこにいた遊女の多くは、黙認の形が多く生活実態も岡場所と同様であったと考える場合が多い。

江戸の吉原以外、つまり吉原の外(ほか)・他(ほか)場所、岡目八目の岡と同じく局外の意である。

上方では大坂新町・京島原を廓(くるわ)とよび、それ以外の遊里を「島」(江戸の岡場所)とよぶ。傍(おか)、わきの意味から転じたという説もある。「かくれざと」「かくしまち」などといった言い方もある。

川柳などでは、語調を合わせ「岡場」ともいう。「岡」と略しても使う。「外場所」といった表記もある。

本稿では、遊女という呼称を、岡場所の女性たちにも用いているが、〈岡場所女郎〉といった言い方もよく使われる。幕府の公文書で常用されるのは、〈隠売女〉あるいは〈売女〉である。密娼という言い方もある。

遊女を吉原に限って用い、岡場所は売女という表現を使うべきだという主張もある。吉原の遊女を公娼といい、岡場所の女性たちを私娼とよぶ。

■岡場所の女性は「自由」だった

『深川新話』(安永8年刊1779)には、「岡場所の公界しらず」といった表現がある。岡場所の女性は世間の習慣を知らないというのだが、ここには〈公〉の世界を知らないという意味も含み、公的世界が岡場所を見下しているニュアンスがある。

渡辺憲司『江戸の岡場所』(星海社新書)
渡辺憲司『江戸の岡場所』(星海社新書)

岡場所の遊女は、客から見ると吉原育ちの遊女のように、〈公界〉のしきたりをわきまえていない、つまり「世間知らず」などと呼ばれているのである。

『醒睡笑(せいすいしょう)』巻二(元和9年序1623)には老父が息子に、「汝がやうなる公界知らずには、ちと仕付(しつ)けを教へん」などといった語例もある。ここは世間知らずといった解釈で間違いはないのであるが、あらたまった「公的」な場所といったニュアンスも感じられる。

同じく、『醒睡笑』巻一には、舅が婿に語る言葉で、「今までは公界むきのよし、この後は随(ずい)をいだいてあそばれ候へ」とある。この場合は、かたぐるしい生活からもっと気まま「気随に」生活してよいという語例だ。

公界の反意は、気まま、勝手にということにもなるようだ。気まま、勝手は〈自由〉と言い換えられるかもしれない。もちろん、江戸時代に人権に対する思想的意識はない。明治以降の自由とはまったく異なった用語であることはいうまでもない。

しかし〈自由〉の語は、江戸時代から使われていた言葉である。『色道大鏡』巻十三(貞享5年以降成1688)では、下関の遊女町稲荷町の動向に触れ、「公儀前傾城の数七十人とさだむ」として、天神らの遊女の値段付けを記した後で「寛文年中までは、傾城の町へ出る事自由にして、問屋方にも宿せり。延宝より己来、是を制し給ひて、門外へ出さず」と記している。

明暦3年(1657)における新吉原の成立が地方遊里にまでおよんだ一例であるが、ここでは「公儀」の制約によって彼女たちの外出の「自由」が失われたということに着目しておきたい。

江戸の町
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

■江戸時代に娼婦はどれだけいたのか

遊里研究に詳しい岡田甫が、「江戸娼婦雑話」と題するエッセイを書いている。

「江戸時代に、売笑婦はどのくらいいただろうか――と質問されたことがある」と書き出し、吉原の3000を筆頭に、岡場所約60カ所で約3000人、夜鷹など4000人と概算して、「それらを概算すると、大よそ一万前後の娼婦が江戸にいたかと思われる」と記し、夜鷹4000人は『当世武野俗談(ぶやぞくだん)』(宝暦六年自序一七五六)の馬場文耕のあげた数で少し大げさかと思われるがもちろん実態がわかろうはずはない、また岡場所も約60カ所としているが、その数も本当のところはわからない、最盛期には100カ所を超えたというからもっと多いのではないか、一つの岡場所に、5人計算であるが、これも品川、新宿などの宿場や大手の深川、本所、浅草周辺を考えても低い見積もりであると述べている。

■岡場所で行われていたこと

吉原の投げ込み寺として有名な浄閑寺には、安政の大地震の時に亡くなった遊女の過去帳が残されている。また、過去帳の死者数から東京大学地震研究所が、当時の被害状況や吉原の人口を割り出す試みを行ったということを浄閑寺の住職から聞いた。細見から人数を割り出すことも可能だが、細見に掲載されない切見世の下級遊女もいるのでその数ははっきりしないといっていいであろう。

もちろん、時代によっても異なっているが、あくまで概算すれば、120万ほどの人口の1パーセント、少なくとも1万人以上の売春婦が江戸にいた計算になるという岡田の指摘はあながち的を外れた数ではない。

岡場所の多くは切見世とよばれる長屋の一間で、小半時(こはんとき)(1時の4分の1、約30分)百文(約1000円)時間売りの形態(チョンの間)であったが、もちろんそれがすべてではない。

岡場所を一概に低い位置と見下すことは当たっていない。吉原顔負けの部屋持ちの遊女もいた、立派な2階家の店構えもあったのだ。

■芸能人ほど率先して向かった

『役者女房評判記』を精査した武井協三氏は、吉原から深川へと役者の付き合いも親密度を変えたといい、

『役者女房評判記』に登場する女性に、吉原より深川出身の者が多いことは、こういった江戸の遊里の盛衰を背景にしているのである。『役者女房評判記』が書かれた宝暦9年といえば、ようやく深川に客の流れが、大きく向きはじめた頃であろう。

流行の先端を走る芸能人が新しい遊び場に率先して通ったであろうことは、想像に難くない。そしてそのことが、深川の隆盛にまた拍車をかけたのではないだろうか。

と指摘する。

■江戸市民に欠かせない存在

岡場所は、その名称が定まる宝暦期(1751〜63)からその位置を定め、安永期(1772〜80)・天明期(1781〜88)で全盛期を迎え、松平定信の寛政の改革で各地の岡場所が廃され一頓挫の状況になるが、それは一時的であり、文化期(1804〜17)・文政期(1818〜29)になりまた流行することになった。

しかし、天保12年(1841)の水野忠邦による改革で、各地の岡場所はほとんど廃絶湮滅(いんめつ)状態になる。

しかし、上層の遊里深川の一部は芸妓を中心とした町に変わりながら柳橋で流れを絶やすことなく続き、下層の夜鷹はしぶとくたくましく客を集め、幕末を迎えることになる。

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渡辺 憲司(わたなべ・けんじ)
教育者
立教大学名誉教授、自由学園最高学部学部長、元立教新座中学校・高等学校校長の渡辺憲司は、2011年3月、立教新座高等学校の卒業式が中止となり、卒業生へのメッセージをインターネット上に公開した。TwitterをはじめネットやSNSで話題となり、3月16日の一日だけで30万ページビュー、合計で80万回以上の接続数を記録。その力強く優しいメッセージに老若男女が感動した。2020年3月、自由学園最高学部長ブログ146回「今本当のやさしさが問われている コロナ対策に向けて」が再び話題になった。新著『生きるために本当に大切なこと』(角川文庫)は、ブログの内容と当時のメッセージ、書下ろしを加えて再編成したもの。混迷の時代に、生きることの意味を問う、多くの気づきと自信を与えてくれる。

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(教育者 渡辺 憲司)

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