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武田信玄を描いた肖像画はどれも武田信玄とはいえない…最新研究でわかった「戦国最強武将」の本当の姿

プレジデントオンライン / 2023年4月16日 12時15分

伝武田信玄像模本、ただし現在は能登畠山家の肖像とされる(画像=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

戦国時代の武将・武田信玄はどのような姿をしていたのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「多くの人が思い浮かべる信玄の肖像画は別人であったと考えられている。信玄を描いた肖像画は他にもあるが、どれも確証が得られていない」という――。

■「武田信玄はヒゲを生やした太った武将」は本当か

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、主人公・徳川家康(松本潤)の宿敵となる戦国大名・武田信玄を俳優の阿部寛さんが演じています。阿部さん演じる信玄は、豊かなヒゲを生やし、泰然自若として、風格抜群。今後、家康とどのようなバトルをしていくかが注目されます。

これまで多くの役者が信玄を演じてきましたが、私のなかで、特に印象に残っているのが、1988年放送の大河ドラマ「武田信玄」です。信玄役を、当時、27歳の中井貴一さんが見事に演じられ(私はリアルタイムではなく再放送を毎週楽しみに見ていました)ました。

当初、中井さんは、信玄の宿敵・上杉謙信役のオファーをもらっていたそうです。

「清潔感があってしゅっとしている」。中井さんは、謙信のイメージに合致すると思われたのが理由とのこと。

ところがその話があった翌日に、いきなり電話がかかってきて、主役の信玄を演じて欲しいとの依頼が。あまりに急な話の変わりように、中井さんは驚いたようですが、中井さんは、即答せずに、友人ほかさまざまな人に「信玄やれそうかな」と聞いて回ったようです。

その時の周りの反応は「柄が違う」「信玄はもっとでっぷりしている」というものだったそうです。中井さん曰く「僕はあまのじゃく」な性格とのことで、周りの反応から逆に闘志に火が点いたのか「(信玄を)やります」と最終的に返答されたそうです。

(サンケイスポーツ電子版2018年7月1日11時配信【大河のころ 中井貴一(1)】)

■信玄の肖像画は信玄を描いていない

信玄役に合うかどうか中井さんに聞かれた時の周りの反応は、明らかに、高野山成慶院所蔵の肖像画のイメージを基にしたものでしょう。

でっぷりと肥えて、丸顔、頬と口まわりにヒゲを生やし、グッとこちらを睨みつけているかのように感じる肖像画です。信玄というと、この画像を想起する人が多いのではないでしょうか。

今回の阿部さん演じる信玄も、おそらく、高野山成慶院の肖像画を基に造形されたと推測されます(この肖像画の人物は太っている、そして阿部さんの信玄は痩せているという差はありますが)。

お馴染みの「信玄像」は、かつて教科書にも掲載されて、われわれの信玄イメージをこれまで培ってきました。ところが、高野山成慶院の肖像画は信玄ではないという説が今では有力視されているのです。

■そもそも家紋が違う

この肖像画は、桃山時代の画家・長谷川等伯(1539〜1610)が描いたとされます。信玄が生きている間に描かれ、没後に、後継者の武田勝頼(信玄四男)により寄進されたと言われてきました。

ところが、歴史研究者の藤本正行氏から、この肖像画は信玄ではないとの疑義が提出されます(「武田信玄の肖像 成慶院本への疑問」『月刊百科』308号、1988年)。

その理由は次のようなものでした。成慶院の肖像画を信玄とする説は、文献的な根拠・裏付けがないということ。画家・長谷川等伯がこの肖像画を描いたのは、永禄7年(1564)から天正年間(1573〜1592)の初期であり、その頃に、等伯が信玄と会う機会はなかったであろうこと。

肖像画の人物が腰に差している腰刀の目貫(柄の中央付近に付けられた刀装具)や笄(こうがい)(刀の鞘の付属品)に描かれた家紋(二引両紋)にも注目しています。武田家の家紋は、二引両紋ではなく、花菱であることも、この画像の主が、信玄ではないとの根拠とされたのです。

■では、この武将は誰なのか

この画は一体、誰を描いたものなのか?

二引両紋を用いる家であり、長谷川等伯とも縁があると想定される能登畠山氏ではないかとされています(畠山義続を描いたものとも説があるが、畠山氏の誰を描いたものなのか、いまだ結論は出ていません)。

等伯は能登国(石川県)に生まれ、その父は畠山氏の家臣でありました。そうしたことを考えた時、藤本氏の見解は納得できるものでしょう。

信州大学教授などを務められた笹本正治氏も、藤本氏の主張に「納得」している歴史学者の1人です(笹本正治『武田信玄』中央公論社、1997年)。

■3つの肖像画に共通する特徴

笹本氏は、1986年に山梨県立美術館で開催された特別展「甲斐につちかわれた美とこころ 山梨の文学と美術」を観覧しました。

そこには、武田氏に関係する肖像画が勢揃いしていたそうです。笹本氏がそこで注目したのは、信玄の父・「武田信虎」像(甲府市大泉寺所蔵)、武田晴信(信玄)像(高野山持明院所蔵)、本稿で問題にしている長谷川信春(等伯)が描いた「武田信玄」画(高野山成慶院所蔵)、武田勝頼・同夫人・信勝像(高野山持明院蔵)でした。

高野山持明院所蔵の「武田晴信」像は、高野山成慶院所蔵の「武田信玄」と比べると、全然、顔立ちや体型が異なります。

武田晴信(信玄)像
武田晴信(信玄)像(画像=『風林火山 信玄・謙信、そして伝説の軍師』/高野山持明院所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

高野山成慶院所蔵の「武田信玄」は、でっぷりとした顔立ち、堂々とした体格、頬ヒゲ、太い口ヒゲが特徴的です。しかし、高野山持明院所蔵の「武田晴信」像は、それと比べて痩せていますし、口ヒゲ・顎ヒゲは生えているものの、成慶院所蔵の「武田信玄」と比べると、濃くはない。頬ヒゲも生えていません。

それこそ、中井貴一さんが演じても違和感がないと思えるしゅっとした「信玄」像です。

笹本氏は、持明院所蔵の「武田晴信」像と、父の「武田信虎」像、子の「武田勝頼」像などを見比べて「顔の形や目、全体の体つきなどに共通する点があった」と述べられています(前掲書)。

■年代も作者も不明

ちなみに「武田信虎」像は、信玄の弟である武田信廉が描いたものです。最晩年の信虎を描いたものとされ、痩せた体躯と坊主頭、鋭い眼光が特徴的です。

私も「武田信虎」像・「武田勝頼」像と「武田晴信」像を見比べてみて「体躯や顔立ちに似ている点があるな」と感じました。そして、成慶院所蔵の「武田信玄」は、それら「信虎」、「勝頼」と顔立ちなどが似ていないと思います。

絹本著色武田信虎像
絹本著色武田信虎像(画像=武田信廉筆/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
武田勝頼
武田勝頼(画像=高野山持明院蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons)

とはいえ、持明院所蔵の「武田晴信」画にも謎があるのは事実。画讃(絵の余白に書かれた文章)、落款(書画に作者が署名・捺印すること)もなく、画像を描いた画家も誰か分かっていません。

この画像は「恐らくは、甲斐守護になった後、4、5年の間の寿像であろう」(【原色】『武田遺宝集』武田信玄公宝物保存会)とされますが、その文言から分かるように、描かれた年代も定かではありません。

■かなり有力な候補だが…

信玄が父・信虎を追放し、甲斐守護となったのが、天文10年(1541)。その4、5年後と言えば、天文14年(1545)か天文15年(1546)ということになり、信玄は大永元年(1521)生まれですので、24歳~25歳頃の肖像ということになります。

しかし、本像は、口ヒゲ・顎ヒゲを生やし、頭頂も薄くなっており、もう少し後年の肖像ではないかなどと感じてしまいます。

高野山には武田氏の菩提所があり、その宿坊は成慶院と持明院でした。かつて持明院は引導院と呼ばれ、そこに、武田家滅亡(1582年)後、武田勝頼の遺品が奉納されます。

その中にあったのが「武田信虎像」「武田晴信像」「武田勝頼、同夫人、信勝像」の肖像画だったのです。持明院所蔵「武田晴信像」は『武田勝頼遺物目録』に「武田信玄公寿像」とありますし、直垂には武田家の定紋「花菱」が複数描かれていますので、おそらく信玄の肖像とは思われますが、断定することはできません。

■「痩せているから信玄じゃない」は間違い

ちなみに、信玄の肖像画は、他にもあります。江戸時代初期の絵師・土佐光起(1617〜1691)が17世紀後半に描いた「武田信玄像」(山梨県立博物館)。もちろん、これは信玄死後、かなりたってから描かれたものなので、信玄の「実像」を表したものとはいえません。

岐阜県瑞浪市の明白寺には、正面を向いた「武田信玄の肖像画」を所蔵していますが、製作年代や作者は不明です。

信玄を描いた肖像画は多くありますが、どれが信玄の「実像」を描いたものかという確かな根拠がないのが現状です。

われわれが抱いてきた「太った信玄」というイメージには、再考が迫られているように思います。中井貴一さんや阿部寛さんが演じている「痩せた信玄」の方が信玄の「実像」に近いのかもしれません。

「痩せているから信玄じゃない」「太っているのが信玄だ」と、かつては人々に思われてきたわけです。そうした風潮は、今後研究が進むことにより、大きく変わってくるかもしれません。

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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。

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(作家 濱田 浩一郎)

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