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きっかけは外国人版「地域おこし協力隊」…徳島県の山奥に外国人観光客が泊まりに来るワケ

プレジデントオンライン / 2023年4月21日 18時15分

タイラー・ワキ氏、妻と一緒にヨット上で - 写真提供=KITO DESIGN HOLDINGS

あまりに山奥なので「四国のチベット」といわれる徳島県那賀町の木頭地区で、外国人映像クリエイターによる民間主導の「地域おこし」が始まっている。地元の自然や文化を紹介する動画を発信しながら、ゲストハウスを運営しているのだ。狙いはなにか。ジャーナリストの牧野洋さんがリポートする――。(第14回)

■アメリカ人の太平洋横断を支援するのは…

タイラー・ワキ、39歳。アウトドアライフが大好きで日本語を流ちょうに話すアメリカ人映像クリエイターだ。

現在、ヨットによる太平洋横断の準備で大わらわ。2024年1月にカリフォルニアを出港し、1年かけてニュージーランド経由で日本へ向かう。スポンサーは徳島出身の起業家でメディアドゥ社長の藤田恭嗣(49)だ。

言うまでもなく太平洋横断プロジェクトには多額の費用が掛かる。スポンサーとして藤田が拠出するのは、地方に立派な家を1軒建てられるくらいの金額である。

藤田は広告効果を期待してスポンサーになったわけではない。そもそもタイラーは広告塔になれるほどの有名人ではない。

■「木頭を気に入り、長く住んでくれればいい」

「タイラーには感謝しかない」と藤田は言う。「僕が愛する木頭(きとう)にわざわざやって来て、映像作品を残してくれる。これまでそんなことをしてくれる人は一人もいなかった」

藤田が生まれ育った古里が旧木頭村だ。現在は徳島県那賀町(なかちょう)木頭地区であり、県最奥に位置する人口1000人をきる過疎高齢化が進む山村である。

「タイラーは結婚して奥さんを連れてきたうえ、友人のアルリックにも声を掛けてくれた。本当にうれしかったですね」

アルリックとは、タイラーに誘われて木頭に移住したノルウェー人音楽クリエイター、アルリック・ファレット(32)のことだ。

「僕の人生計画の中にタイラーとアルリックの2人が常に存在します。僕は彼らを縛り付けているわけではありません。夢がかなうよう支援してあげているだけです。結果として彼らが木頭を気に入り、長く住んでくれればいいんです」

■民間・外国人版「地域おこし協力隊」

英語も通じない限界集落の木頭。ここにタイラーとアルリックという2人のクリエイターがやって来た。前者はフィアンセ――現在の妻――と一緒、後者はガールフレンドと一緒であり、これから何年も「木頭住民」であり続けるつもりだ。

タイラー・ワキ氏(左)とアルリック・ファレット氏
写真提供=KITO DESIGN HOLDINGS
タイラー・ワキ氏(左)とアルリック・ファレット氏 - 写真提供=KITO DESIGN HOLDINGS

2人に興味を持ってスカウトしたのが藤田だ。彼の頭の中には「地域活性化の決定打はモノではなくヒト」という信念がある。

地域コミュニティーに変化をもたらす呼び水として2人は不可欠の人材、と藤田は考えている。そのためにヨットによる太平洋横断が必要ならば、そこに多額の支援金を投じることに何のためらいもない。

「木頭の活性化には多様性が不可欠で、多様性確保のためには外国人の存在が絶対に必要。だからすてきな2人にはぜひとも来てもらいたいと思ったんです」

藤田はIT(情報技術)業界の寵児であると同時に地方創生に全力をそそぐルーラル(田舎)起業家だ。木頭再生のため2017年に「木頭デザインホールディングス(KDH)」を設立している。タイラーとアルリックはKDHの社員になった(現在はKDH傘下のクリエイティブ会社「Kito Creatives」の社員)。

域外人材の流入によって地域活性化を狙うプログラムとしては、政府が2009年に創設した「地域おこし協力隊」がある。だが、藤田のビジョンは少し異なる。KDHは100%民間であるし、タイラーとアルリックは外国人なのだ。

メディアドゥ創業者が異文化とのつながりに価値を見いだしているのは、1987年にアメリカで発足した世界的な起業家ネットワーク「EO(起業家機構)」で知見を広めたからなのかもしれない。彼はEOの東京支部である「EO Tokyo」会長を務めたことがある。

■新婚旅行中に「偶然の産物」が起きた

最初に藤田とつながったのはタイラーだった。偶然に偶然が重なり、セレンディピティが起きた。

時計の針を2018年12月に戻そう。新婚の藤田は雄大な自然を見たいと思い、ハネムーン先としてニュージーランドを選んだ。

同国屈指のリゾート地クイーンズタウンを旅していたときのことだ。無性に日本食を食べたくなり、地元の日本食レストランに入った。なぜか日本人店員とウマが合い、いつの間にか木頭のことを熱く語り始めた。メディアドゥ社長であることには一切触れずに。

店員は思い出したように言った。「そういえば、以前ここで働いていたアメリカ人も徳島に住んでいるはずです」

■「徳島に住むアメリカ人」にラブコール

藤田は驚いた。ニュージーランド旅行中に徳島に住む外国人の話を聞くとは思いも寄らなかった。そもそも、木頭に外国人を呼び込みたいとかねて考えていながらも、コネクションがないためになかなか前へ進めていなかった。チャンスを逃すわけにはいかなかった。

「その人は今何をしているのですか?」
「アメリカに一時帰国中です」
「ぜひつないでくれませんか?」
「いいですよ」

その後、藤田はフェイスブック経由でアメリカ人とつながり、メッセージを送った。「徳島に戻った際にはぜひお会いしたいです」

藤田からメッセージを受け取ったアメリカ人がタイラーだった。当時、徳島の山奥にある祖谷(いや)でジップラインの仕事をしていた。ジップラインとは、渓谷に掛けられたワイヤーロープに人がぶら下がり、空中を滑り降りるアドベンチャーだ。

■アウトドア愛好家を魅了した日本3大秘境

大自然が大好きでパラグライダーを趣味にするタイラーにとって祖谷はぴったりだった。何しろ「日本3大秘境の一つ」と言われているのだ。西日本で2番目に高い剣山(つるぎさん)の山麓に位置している点で木頭と同じだ(木頭が南麓であるのに対して祖谷は西麓)。

深い山々
写真=iStock.com/rustyfox
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rustyfox

祖谷に住み着く前にはタイラーは2年間ニュージーランドに住んでいた。いわゆる「ギリホリ」で同国へ行き、パラグライダーを満喫していたのだ。ギリホリとは、年齢制限に引っ掛かる30歳ぎりぎりでワーキングホリデー制度を使って海外生活するということだ。

ニュージーランド生活2年目に入り、仕事を探していたときのことだ。街中を歩いていると、ふと日本語の看板が目に飛び込んできた。そこには「スタッフ募集中」と書いてあった。

日本絡みだからチャンスがあるかもしれない! すぐに店内に足を踏み入れ、日本語で「すみませーん」と声を上げた。

「外に募集中と書いてあるので……レストランで働いた経験はありませんが、何か仕事がありますか?」

「日本語を話せるんだね」と店長は言った。「いいよ。あしたから来て」

日本食レストランで数カ月働いたタイラー。「すごく楽しかった」と振り返る。これが藤田との接点になるとは夢想だにしていなかった。

■メディアドゥ社長のメッセージに無反応

さて、藤田のメッセージに対してタイラーはどう反応したのか。何もしなかった。1カ月間にわたって。「どこの誰だか分からなかったので、放っておいたんです。でも、徳島に戻ったときにちゃんと返事しましたよ」

ミーティング場所は徳島市内。不思議な組み合わせだった。片や半袖・短パン姿で自転車に乗って現れたアウトドア愛好家のタイラー、片やピシっとしたスーツで身を包んだ藤田らビジネスマン3人だったのだから。

「こんにちは! タイラーです。すぐに返事をしなくてごめんなさい」

大学生時代から日本語を勉強し、長く日本に住んでいたタイラーは日本語であいさつした。カリフォルニア出身らしく、陽気であか抜けている。

「徳島ではどんな仕事をしているのですか?」と藤田は聞いた。

「祖谷でジップラインの会社に勤めています。もともとは映像クリエイターです。今も徳島でいくつかプロジェクトを進めています」

タイラーはこれまでに徳島で制作した作品を数点見せた。父親の仕事の関係で若い頃からハリウッドの映画製作現場で経験を積んでいたということも説明した(2005年公開のディズニー映画『スカイ・ハイ』で特殊効果を手掛けたこともあった)。

■「木頭の藤田」と一緒なら面白いかもしれない

すると、藤田からは間髪入れずに提案があった。「すごいですね。木頭に来て私の会社で一緒に働いてみませんか?」

タイラーはあまりの急展開に面食らってしまった。スーツとネクタイは嫌だし、大企業は性に合わない。どうしよう……。

だが、話を聞いていくうちに、藤田には二つの顔があるということが分かった。一つは急成長するメディアドゥを率いる経営者の顔、もう一つは木頭を愛するルーラル起業家の顔。「メディアドウの藤田」ではなく「木頭の藤田」と一緒に仕事をするなら面白いかもしれない!

ただし、タイラーは条件を一つ付けた。

「外国人が私一人ではちょっと寂しくなりそうです。アルリックと一緒なら安心なのですが……」
「どんな人ですか?」
「祖谷で知り合ったノルウェー人です。日本人のガールフレンドと一緒ですし、私と共同で動画も制作しています」

祖谷でタイラーがジップラインの仕事をしていたとき、すぐ隣でアルリックはガールフレンドと共にゲストハウス「YOKIゲストハウス」を運営していた。徳島のへき地で2人の外国人が隣同士で働いている――。仲良くならないわけがなかった。

その後、タイラーが映像を担当、アルリックが音楽を担当する形で、祖谷を舞台にして共同プロジェクトがスタートした。

■日本の米軍基地で水泳インストラクター

藤田とタイラーが徳島市内で初ミーティングに臨んだ段階ではアルリックはもう日本にいなかった。ワーキングホリデービザの期限が切れ、ノルウェーへ戻っていたのだ。

それでも藤田は気にせず、「アルリックも支援します」と確約した。何としてでもタイラーに木頭に来てもらいたかったのだ。

4カ月後、タイラーはKDHの社員になった。アルリックのKDH入りも決まったからだ。

タイラーにとって日本との接点は大学生時代にまでさかのぼる。彼がカリフォルニア州立大学ノースリッジ校(CSUN)で学んでいた2006年のことだ。映画『ダ・ヴィンチ・コード』を見るために映画館の外で並んでいると、列の前に立つ男性の会話が聞こえてきた。

「近いうちにドイツに行く。米軍基地で水泳を教えるんだ」

面白そうな仕事だから自分でも応募してみたいな、とタイラーは思った。すぐに男性の肩をたたいて尋ねた。

「突然すみません。今の話をもっと詳しく教えてくれませんか?」

その後、とんとん拍子で話が進んだ。採用担当者から「ドイツがいい? それともイタリア?」と聞かれると、タイラーは「全く違う文化圏に行ってみたい」と回答。それで日本行きが決まった。日本についての知識はほとんどゼロだったのに。

以後、タイラーはCSUNに籍を置いたまま夏休みになると日本へ飛び立ち、米軍基地や大使館で水泳インストラクターとして働いた。2007~10年の4年間で大の日本ファンになり、CSUN卒業後には外国青年招致事業「JETプログラム」の英語教師として徳島に移り住んだ。勤務地は剣山の北麓・つるぎ町(旧貞光町)だった。

■古い日本旅館をリノベーションしたゲストハウス

徳島県の山奥にひっそりとたたずむ2階建てゲストハウスがある。「ネクストチャプター(Next Chapter)」だ。

ゲストハウス「ネクストチャプター」
写真提供=筆者
ゲストハウス「ネクストチャプター」 - 写真提供=筆者

2階の壁には大きな円形ガラス窓が設けられており、インパクトがある。1階正面玄関のドアも庭の芝生も同じ円形をモチーフにしており、ユニークだ。それでありながら昔ながらの旅館の雰囲気も漂わせている。

正面玄関のドアを開けると、ポニーテールで長身の若者が出迎えてくれた。アルリックだ。

■ノルウェーの山村と木頭は似ている

「ここはキッチン兼ダイニングで、あちらはリビング。伝統的な日本旅館におとぎ話のようなイメージを取り込んだつもりでデザインしました」

アルリック・ファレット氏、「ネクストチャプター」内のキッチン前で
写真提供=筆者
アルリック・ファレット氏、「ネクストチャプター」内のキッチン前で - 写真提供=筆者

もともとは古い日本旅館だったネクストチャプター。全面リノベーションによって生まれ変わり、2022年8月にオープンした。地元大工と共にリノベーションを担当したのがアルリックだった。

「タイラーもいろいろ手伝ってくれました。今はヨットの準備でカリフォルニアに戻っていますけれどもね」

昔から大自然好きで日本ファンという点でアルリックはタイラーと同じだ。

生まれ故郷はノルウェーの山村フォルダル。人口2000人であり、大自然に囲まれている。農場経営の両親の下、アルリックは当たり前のようにハイキングやスキー、釣りを楽しみながら育った。「大自然の中の小村……木頭との類似点は多いですね」

■10代前半で『ドラゴンボール』に刺激を受ける

アウトドアライフにどっぷり漬かりながらもクリエイティブな活動にも取り組んでいた。グラフィックデザイン、写真、動画――。農場の古いピアノで遊んでいたことから音楽にも興味を抱き、20代半前半に音楽テクノロジーの学位を取得。その後、ノルウェーのドキュメンタリー番組向けの音楽を担当する機会も得ている。

日本にもかねて関心を寄せていた。10代前半に漫画『ドラゴンボール』を読み、刺激を受けたためだ。

木頭に移り住んで当初は戸惑いもあった。同じ外国であってもイギリス――ウェールズの首都カーディフに1年間住んだことがあった――とは全然違っていたからだ。それでも1年後には木頭にすっかり溶け込んでいた。日本人のガールフレンドと一緒だったことも幸いしたのかもしれない。

「最初に旅行者として日本に来たときにはびっくりしました。何もかも違っていたから。でも、実際に住んでみて分かりました。日本人もノルウェー人も同じ人間で、大して変わらないのです」

■山奥に建つゲストハウスの本当の目的

繰り返しになるが、藤田はタイラーとアルリックの2人にはできるだけ長く木頭に住んでもらいたいと思っている。その延長線上で出てきたのがゲストハウスのネクストチャプター構想だ。

「彼らには何よりも刺激が必要です。解決先の一つがゲストハウスです」と藤田は言う。「彼らは理想のゲストハウスを自由にデザインし、呼びたい人をどんどん呼べばいい。そうすれば山奥にいてもいろんな人に出会えて刺激を得られる。彼らにとってのホームを用意してあげたいと考え、ゲストハウスプロジェクトを任せたのです」

ネクストチャプターにはアフターコロナのインバウンド需要に応えるという目的がある。今年に入ってアジアやヨーロッパなど海外からの宿泊客がどっと増えている。とはいえ1日に宿泊できる人数は最大で16人。現在はアルリックが一人でやりくりしており、「1日7~8人の宿泊でも結構忙しい」という。

地元への経済効果は限定的だが、藤田にしてみればそれでも構わないのだろう。タイラーとアルリックのためという意味合いが込められているからにほかならない。

実際、宿泊客には2人の友人もいれば地元の家族連れもいる。これならばゲストハウスを拠点にして彼らは交友関係を深めたり、地元との接点をつくったりして孤立しないで済む。だからこそデザインから運営や接客まですべてが彼らに任されているのだろう。

■2人を起点に、外国人が続々と訪れる地に

タイラーとアルリックの2人はさまざまなルートを通じて発信中だ。動画共有サイトの「Vimeo」に木頭の自然や文化などを紹介する作品をアップしているほか、四国放送でも月1回のコーナーを担当している。

長期的には2人が起点となって外国人が木頭に続々とやって来れば、いわば外国人版「地域おこし協力隊」が立ち上がる格好になる。そうなれば藤田が期待するように地域の多様化が進展する。

多様性はイノベーションに直結する。シリコンバレーを見れば一目瞭然だ。ハイテク系スタートアップ創業者の大半は移民といわれている。米グーグルの共同創業者セルゲイ・ブリンはロシア生まれだし、米テスラの創業者イーロン・マスクは南アフリカ生まれだ。

外国から新進気鋭のクリエイターチームが山奥に移り住み、映像や音楽を通じて地域情報を発信する――こんなケースは日本にどれだけあるだろうか。事の始まりはハネムーン中のセレンディピティ、チャンスを生かしたのはルーラル起業家の熱い思いだ。(文中敬称略)

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牧野 洋(まきの・よう)
ジャーナリスト兼翻訳家
1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(河出文庫)、訳書に『トラブルメーカーズ(TROUBLE MAKERS)』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『マインドハッキング』(クリストファー・ワイリー著、新潮社)などがある。

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(ジャーナリスト兼翻訳家 牧野 洋)

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