胃袋からは人間の髪の毛や耳が…4人死亡、4人重軽傷「本州最悪の殺人熊」はなぜ人を襲ったのか【2022下半期BEST5】
プレジデントオンライン / 2023年4月14日 13時15分
※本稿は、米田一彦『人狩り熊』(つり人社)の一部を再編集したものです。
■「十和利山熊襲撃事件」の概要
2016(平成28年)5月下旬から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯の十和利山山麓で発生したツキノワグマによる獣害事件。タケノコや山菜採りで入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った。
記録に残るものでは本州史上最悪、日本史上でも3番目の被害を出した獣害事件と言われる。人を襲った熊、食害した熊が複数存在する非常に稀な事例である。
・5月21日 第1犠牲者
鹿角市十和田大湯字熊取平(くまとりたい)の竹藪でタケノコを採集していた男性(79)が前日行方不明となり、この日の朝、遺体で発見される。遺体は食害されていた。
・5月22日 第2犠牲者
朝、第1犠牲者発見現場から北西500mの地点でタケノコ採りをしていた夫婦が熊に襲われる。妻(77)は逃げて無事だったが、夫(78)は午後、遺体で発見される。遺体は咬み傷等で激しく損傷していた。
・5月30日 第3犠牲者
タケノコを採りに田代平(たしろたい)を訪れ25日から行方不明になっていた男性(65)が、この日の朝、遺体で発見される。遺体は複数の熊に食害されていたと推測される。
・6月10日 第4犠牲者
6月7日から行方不明になっていた女性(74)が、朝、遺体で発見される。遺体は広範囲にわたって食害されていたと推測される。同日午後、付近にいた熊が1頭射殺される。
■「未曾有の獣害事件」防ぐことはできたのか
私は多くの熊問題に係わってきて、いくらかは「見通せる」という自負はあった。
3人目の犠牲者が出ることも強く予想し、もし私が指揮官だったら阻止できたと思っているが、現場にいながら4人目の犠牲を阻止できなかったことで、熊追い人生を殴り倒されたような思いがした。
阻止法を執行者に助言できる立場ではないので、HPで発言するしかなかった苛立たしさと、発言していた研究者にはもどかしさ、時に怒りを感じた。獣害というものについてあまりに無知で楽観的だった。
私は第2事故までは単独の熊による連続事故と見ていた。しかし第3犠牲者が行方不明になっていると知った時から、第1犠牲者が食害を受けて事故が拡大しつつあり、しかも、それとは別に食害に参加する熊が現れたと思っていた。
しかし7月になると第2事故には「大きな熊が係わっている」という情報がじわじわと入るようになり、日夜「殺人熊X」の虚像に振り回され続けた。
情報が積み重なるにつれて、私の見方は徐々に、「殺人熊は1頭か2頭、他に食害熊が数頭」へと変わっていった。
つまり、地域にいた多くの熊が、事件に参加していたという、未曾有の事件だった可能性が高まっていたのである。
そして、私はあの地域にどんな熊がいたのかを、追い続けることになる。
(編注:次ページ以降、刺激の強いイラストが含まれます。閲覧の際にはご注意ください)
■人を餌と認識すれば躊躇せず食べる
過去の死亡事故でも、「十和利山熊襲撃事件」の第1、第2事故と似た例がある。
「46年5月17日、山形県南置賜郡三沢村の山林でワラビ採り中の男性(65)が行方不明、翌日捜索隊が全身を咬まれたり引っ掻かれて死亡している遺体を発見、そばに子熊2頭を連れた母熊がいたので撤退した。同日には別の女性2人も同所で襲われて下山していた。射殺許可は駐留米軍だったので遅れた。19日、体重15貫のオス熊を射殺して遺体を収容した」
事件は山形新聞に「夫婦熊」に襲われてと報道された。この死亡事故は消耗したメス熊に殺害され、捜索の騒動の中で母子熊は離脱、オス熊が遺体に蟠踞(ばんきょ)して住民に夫婦として目撃されたようだ。
■射殺された熊の胃から「髪の毛と耳」
十和利山熊襲撃事件では、私は公的な情報が一切入手できなかった。
まだ事件の過熱期に入っていなかった第1、第2事故の情報を特に渇望した。だが、こういうことは組織内部、関係者の周辺から滲むように漏れてくるものだ。
不確実な情報だが第1、第2事故が起きた熊取平で犠牲者を襲った熊は「黒くなかった」というメールが、6月上旬には知人を介して現地から入った。
7月になると「襲った熊は大きかった」という噂が現地では広がっていたようで、当方にも伝わってくるようになった。
8月7日に接触した人物からは「第2事故現場に赤ん坊熊が2頭いたそうだ。射殺されたメス熊の胃内からは髪の毛と耳が出た」と聞いた。
入山者を殺害するような熊は早急に除去しなければならず、第2事故の段階で気がつき、第1事故まで遡って、県庁は個体の特定に着手するべきだった。
この思いには「無罪な熊の射殺は避けたい」という私の活動の原点も含まれている。往々にして、こういう事件の後、地元の人たちは熊に過剰な対応を取りやすいことを私は見てきたからだ。
この事件には解決とか収束点を目指す視点が最初から欠けていた。
メス熊を駆除した直後に鹿角連合猟友会の黒澤信雄会長(74)は6月11日付け読売新聞で、「猟友会は生命の危険と隣り合わせで熊と対峙(たいじ)している。5人目の犠牲者を出さず、熊を無駄に殺さないためにも、タケノコ採りで現場付近に入るのは絶対にやめてほしい」と話している。
豁如(かつじょ)たる談話に私は感銘を受けた。私も力の限り、その言葉に答えたい。
■「4人死亡、4人重軽傷」殺人熊Xを追う
今回の事件の周辺に現われた熊を全部挙げて、その可能性を検討してみる。しかし「主犯の熊はこれだ」という絶対的な終点には辿り着けない。
どんな歯車を組み合わせても、時針は、あの日を指さなかった。
今となっては十和田の湖面にぱらぱらと撒かれた紙片を寄せ集めるようなもので、最初の濃い原拠が決定的に欠けていた。
山間にひっそりとたたずむ鄙(ひな)の住民たちが、ある日、突然に、その親兄弟を巻き込んで凄惨(せいさん)な争いをしたような、思い返しても救いようのない事件だった。
探ろうとするほど、苦汁が咽喉にせり上がる。
第4犠牲者の遺体収容直後に近くでメス熊が射殺され、「これで事件は収束する」という論調が流れた。
この熊は公式発表では「体重70kg、体長130cm、6~7歳」とされた。
報道された画像で目立つ点としては、右鼻腔(びこう)下に長い古傷がある。右鼻翼上部にも切り傷があり、右眼上額にV字の古傷がある。
鼻の脇、額の傷は新しく、月の輪にある傷は古い。右鎖骨付近にナガサで切ったような鋭く新しい傷がある。
また、このメス熊は月の輪の形状に明瞭な特徴があり、通常の長さの60%ほどしかなく、右半分が欠けている。
痩せているがこれは初夏から夏季の草食によるものだ。
両眼のまぶたに付いているダニの数は計10匹ほどだが多くはない。疾病熊ほど停滞するのでダニを拾いやすく、その点でも普通の健康体だろう。
猟友会幹部は「牙の白さから、この熊は4歳。それに乳を絞ったら出なかった」と私に証言した。
射殺直後の現場で、年齢を判断したのも猟友会員だったろうが、4歳と6歳では出産状況が異なる。歯の色、沈着した歯垢の黒さでその熊の「老若」は分かる。
ここは大事な視点だ。また泌乳していなかったことは、この2月に出産していなかったことになる。
・4歳だと2歳子がいることは無理。
・5歳だと2歳子がいることは辛うじて可能。
・6歳だと歯が白すぎる。
歯の白さと同時に顔の古傷の多さから考えると私は5歳と思う。この熊の小さな臼歯を抜いて薬品処理を行なえば簡単に年齢を査定できるのだが、それがなされていない。
5歳だと14年2月に生まれた2年子(90cm)熊を帯同していることと整合し、第2から第4犠牲者の遺体収容時に2頭の熊がいたことも成立する。
鼻腔内部を左右に仕切る壁である鼻中隔に直径1cm強の真円の穿孔があり、鼻翼部の内側なので、右口唇から右鼻翼へ向けて「くの字」に大きな傷跡があるが、その闘争によって開孔したとするのも無理そうだ。
それに孔の位置は傷の方向とは異なるので病変も考えておくべきだろう。
あるいは穿孔の縁は乱れていないのでライフル銃で撃たれたのかもしれない。レザーパンチャーで開けたような真円に見えるので自信はない。
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NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長
1948年青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課勤務。86年に退職し、フリーの熊研究家となる。多数の助成により国内外で熊に関わる研究・活動を行う。島根、山口、鳥取県からの委託によりツキノワグマの生息状況調査(00~04年)のほか、環境省の下でも調査を行ってきた。十和田市民文化賞受賞(98年)。日本・毎日新聞社/韓国・朝鮮日報社共催「第14回日韓国際環境賞」受賞(08年)。主な著作に『熊が人を襲うとき』(つり人社)、『山でクマに会う方法』(ヤマケイ文庫)、『クマ追い犬 タロ』(小峰書店)、『クマを追う』(丸善出版)、『絵本 おいだらやまの くま』(福音館書店)ほか多数。◎日本ツキノワグマ研究所
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(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長 米田 一彦)
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