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そこには「宮殿」ではなく「モール」がある…ウクライナの首都キーウの写真を、私が展覧会の冒頭に配した理由

プレジデントオンライン / 2023年4月20日 9時15分

「新石棺」に覆われる前のチョルノービリ原発4号機(2016年撮影) - 撮影=大山顕

ウクライナでは2014年に首都キーウで大規模デモが起き、親ロシアの大統領が追放された。そのデモが行われた独立広場の地下はショッピングモールになっている。モールとはどんな場所なのか。日本橋高島屋の企画展「モールの想像力」を監修した大山顕さんの寄稿をお届けしよう――。

■キーウから北に100kmほどの「チョルノービリ原発」

ウクライナに行ったことがある。ロシアが侵攻する前、2016年のこと。あのときは、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。目的はチョルノービリ原発を見るためだった。

建造物を専門に撮る写真家であるぼくにとって、1986年に事故を起こし、今なおその後始末が続けられているチョルノービリ原発4号機はどうしても見ておかなければならないものだった。それが、2016年の年末を最後に二度と見られなくなるというではないか。「新石棺」と呼ばれる、高さ100メートル超の巨大ドーム型シェルターに覆われてしまうのだ。

あわてて訪れたのが同年の秋。キーウから北に100kmほど。滞在中はずっと雨。バスを降りて、煙った視界の先にぬっとあらわれたその威容にしばし言葉を失い、カメラを構え、ぬぐってもぬぐってもレンズに落ち貼り付く雨粒に悩まされながら、夢中で撮った。

多くの土木構造物を見て撮ってきたぼくだが、4号機は今まで見たどれにも似ていなかった。事故直後から、とりあえず応急措置としてコンクリートなどで覆った結果、その外観は「石棺」と呼ばれるようになった。4号機が何にも似ていないのは当然だ。普通の構造物のような「設計」によるシルエットではないのだから。この形は、いわば人間の「慌てぶり」の物体化である。

大友克洋のマンガ『AKIRA』には、人体実験の末生み出してしまった危険極まりない超能力者を冷凍睡眠させる装置が登場する。その異様な装置を目の前にした登場人物がこう言う。「見てみろ……この慌てぶりを……怖いのだ……怖くてたまらずに覆い隠したのだ……自ら開けた恐怖の穴を慌てて塞いだのだ……」。これはまさに石棺のことだ。原発事故はこの作品の連載中に起こっている。

■ここには生活があり、愛着を感じるに足る町がある

たった一度訪れただけだが、かの地に対する愛着ができた。大事故を起こした原発のある場所に愛着、というのは奇妙に感じられるかもしれない。しかし、ここには生活があって、愛着を感じるに足る町ができている。世界中からたくさんの技術者が集まり廃炉作業が行われていて、ということは人びとが食事をし、談笑し、休む、といったことが行われているわけだ。未曾有の事故の落とし前を付けるために、多くの人の日常が必要とされる。作業現場では犬も飼われていた。

作業員のみなさんが食事をする食堂でお昼ごはんを食べる、という経験もした。カウンターの中で配膳をするおばちゃんは目が合うとにこりと微笑んだ。地元の人なのだろう。おそらく、朝ここへ出勤し、仕事をして夕方には家に帰るという毎日。彼女にとってはこれが日常なのだ。そう気づいて、おかしいような泣きたいような、なんだかへんな気持ちがした。だから、ロシアの戦車が、チョルノービリ原発の前、まさに食堂が入っている建物付近に侵入した映像を見てショックを受けた。あの日常はどうなっただろう。

チョルノービリ原発の全景。左にみえるのが建設途中の「新石棺」(2016年撮影)
撮影=大山顕
チョルノービリ原発の全景。左にみえるのが建設途中の「新石棺」(2016年撮影) - 撮影=大山顕

キーウ市内の散策も思い出深い。世界一地表から深い地下鉄駅など忘れがたい光景がいくつもあるが、中でも印象深いのは中心部にある独立広場だ。この広場はユーロマイダンと呼ばれる、2013年から2014年にかけてのデモの舞台となった場所だ。このデモによって親ロシアのヤヌコーヴィチ大統領が追放された。

多くの国で、中心となる広場は宮殿や聖堂、政治的な施設に面している。ところがこの独立広場の場合、その横にあるのはモールだ。宮殿ではなくモール。ウクライナが目指しているものを象徴しているようでおもしろい。

■キーウ中心部にある「GLOBUS」というモール

現在、日本橋髙島屋の高島屋史料館TOKYOで「モールの想像力」と題した展覧会が開催中だ(8月27日まで)。ぼくが監修を務めた。この展覧会はすこし変わっている。フロアの奥まった場所にある小さな展示室に入ると、まず脇に置かれたカゴ台車がお出迎えする。たいていの人がここでちょっと戸惑う。もしかしてトラブル? これはほんらい荷下ろしされた商品や資材、あるいはゴミを運ぶためのもので、展示するようなものではない。

すぐに、これは演出なのだとわかって、ではどこから見始めればいいのだろう、と見回すと、正面に大きな写真があることに気がつくだろう。ショッピングモールの吹き抜けを撮ったものだ。下には「第一章」とある。ここがスタートだ。

キーウ中心部にあるショッピングモールの写真。「モールの想像力」展の冒頭に配されている。
撮影=大山顕
キーウ中心部にあるショッピングモールの写真。「モールの想像力」展の冒頭に配されている。 - 撮影=大山顕

この写真に小さく添えられたキャプションをちゃんと読む人はそう多くないかもしれない。そこにはこうある。「GLOBUS,Kyiv,2016」。2016年に撮影した、キーウ中心部にある「GLOBUS」というモールの写真である。ぼくが撮ったものだ。

「モールの想像力」のタイトルの通り、この展覧会はモールをテーマにしている。いまや生活に欠かせない、ある種「公共施設」ともいえるモール。この展覧会では、モールに関連する映画や漫画、小説、絵画、音楽といった作品から、「モール文化」とでも呼ぶべきものをあぶり出し、同時にモールを通じて「都市とは何か」という大きなテーマについて考えている。ひととおり展示を見てもらえば、なぜ表舞台には出てこないはずのカゴ台車がこのように置かれているかがわかるはず。先回りして言えば、モール、ひいては都市の「バックヤード」について考えようとしている。

■モールと百貨店の違いはどこにあるのか

それにしても、髙島屋といえば百貨店の老舗中の老舗。そこでモールの展覧会をやるとはどういうことだろう、と思うだろう。監修にたずさわったぼくも、はじめはそう思った。ただ、二子玉川の玉川髙島屋ショッピングセンターは、日本で最初の本格的なモールと言われている(1969年オープン)。この点で、髙島屋はモールに関する展示を行う場所としてうってつけなのである。

いま、何気なく「百貨店とモールは異なる」という前提で話をしたが、実際、モールと百貨店の違いはどこにあるのだろうか。事業の形態で区別するなら、デパートは小売り業者で、モールは不動産賃貸業者とでもいうべきだ。モールはテナントに場所を貸すことを商売にしている。そのほか、両者はさまざまな観点から区別できるが、ぼくが定義するとしたら、モールが「道」でできているのに対し、百貨店は「敷地」でできている、というものになる。まずはその話をしよう。

キーウの独立広場。この地下にモール「GLOBUS」はある(2016年撮影)
撮影=大山顕
キーウの独立広場。この地下にモール「GLOBUS」はある(2016年撮影) - 撮影=大山顕

■なぜ「ヴィーナスフォート」には夕暮れがあったのか

典型的なモールの動線は基本的に大きな一本の通路で作られている。しばしば「ストリート」と名付けられるその通路の両脇に店舗が並ぶ。これは商店街に似ている。かつて、古き良き商店街と大規模商業施設は対立するものとして語られたりもしたが、ぶらぶら歩きを可能にする、という形式からみればモールは商店街の後継者だと思う。

この「道」によって、モールはその内部に街をつくっている。モール内はいわゆる単純な「屋内」ではない。そこにぼくは興味を覚える。その証拠に、モールの名称にはしばしば「シティ」が含まれる。吹き抜け空間には「空」や「風」「水」といったネーミングがほどこされ、前述したように広い通路は「ストリート」だ。

先頃閉業してしまったお台場のモール「ヴィーナスフォート」はその好例だった。ヨーロッパ風の街並みを再現し、吹き抜けにはイタリア風の広場と噴水。天井には空が描かれて、時間によって夕暮れの色に変化するなど、まるで外部かのように見せていた。

モールまでの道のりを想像してみよう。家を出て車に乗り、バイパス道路を走った先に巨大な駐車場に囲まれたモールがある。自分の脚で歩くのはモールに到着してからだ。車という居間の延長を介して、家のドアはモールの入口につながっている。モールの入口は「外」への「出口」だ。

東京や大阪の中心部といった大都市を例外として、日本のほとんどの地方都市・郊外において、人びとにぶらぶらと散策できる街路を提供しているのはモールだ。実際、広い工場跡地が再開発される際、自治体によってその敷地に都市計画道路が敷かれて車が行き来するようになるより、まるごとモールになったほうが歩行者にとって理想的な街路になる、ということがありうる。

■ただの通路ではなく、主役としての「ストリート」

モータリゼーションが進行した現代、世界中で同様の現象が起きている。例えばタイ・バンコクの中心市街はその典型だ。この街の幹線道路沿いは絶望的なほどに歩きにくい。自動車の交通量がすさまじく、歩道は悪路といっていい状態で、それも寸断されている。ここを快適に歩くためには、モール内とモール間をつなぐデッキを移動するのがよい。バンコクの中心部には驚くほどたくさんの巨大モールが建設されている。つまり、都市計画の不備をモールが補っている。

興味深いのは、世界中のモールが同じように「ストリート」でできていることだ。おそらくぶらぶら歩く楽しみというのは人間にとって根源的なもので、モールはそれを可能にすることで滞在時間を長くし結果として購買を促進する、という戦略をとっている。だからモールは世界中どこでも似ている。このこともたいへんぼくの興味をそそる。同じような気温と湿度。入っている店舗も「ZARA」「MUJI」「Apple Store」といったおなじみの顔ぶれ。人びとの服装も似ている。トイレの位置もだいたい同じだ。世界中にモールがあるのではなく、「モール共和国」が世界中に少しずつ小さな領土を持っているのだ。現代のぼくらは「モール共和国」のパートタイムの市民なのである。

ショッピングモールのイメージ画像。主役は「ストリート」になっている
写真=iStock.com/IGphotography
ショッピングモールのイメージ画像。主役は「ストリート」になっている - 写真=iStock.com/IGphotography

モールが「ストリート」中心である一方、百貨店は「フロア」でできている。フロア平面に店舗が四方に配置され、その周囲に通路がくまなく巡らされている。モールが「ストリート」という往来を中心にできているのと対照的に、百貨店は店の「敷地」が主役だ。百貨店において通路は敷地にアクセスするためのいわばユーティリティである。売上をもたらす「生産地」としての敷地が先行する、という図式は田んぼに似ている。通路はさしずめ「あぜ道」である。モールが街だとしたら、百貨店は田んぼだ。

■「内と外が反転した空間」になっている

モールが「ストリート」によって内部に「街」を作っているのだとしたら、その外側はどうなっているのだろう。さきほど、モールへの道すじを思い浮かべてみた。そこで通過するバイパスは人が快適に歩くようにはできていない。バイパスとは、ある地点からある地点へ効率よく移動するためのもので、車内の人びとは車窓の風景を気に留めない。モールに到着すると、そこは広大な駐車場だ。そこはバイパスの延長のようなもので、人が滞在するための場所ではない。そそくさとエントランスをくぐると、もう外は見えない。モールには窓がない。モール内部が街なのだから、その「外」など存在しないのだ。つまりモールは内と外が反転した空間だ。

いわゆる駅ナカはこの点でモールに似ている。列車を降り、コンコースを歩くとそのまま店舗群に到着する。用事が済めば、また列車に乗る。「外」には出ない。駅ナカの外観をじっくり眺める人はいないだろう。そもそも外観と呼べるものが存在するのだろうか。実際、昨今の駅ナカの内装やテナントはモールに似ている。

空港も同じだ。車なり鉄道でアクセスし、一度も外に出ないまま搭乗口から飛行機に乗り込む。成田空港や羽田空港の周辺の街を歩いたことがある人はどれほどいるだろうか。大きな空港には買い物エリアがあるが、その雰囲気はモールと区別が付かない。滑走路は駐車場だ。搭乗口まで基本的に一本のストリートで構成されているという点も、とても似ている。

■どこを撮影すれば「モール」を表現できるのか

目的地の空港では出発と逆のプロセスをたどり、やはり一度も外に出ない。空港にはそれが立地する街の名前が付いているが、利用者にとってその名称はただの記号で土地との関連は意識されない。モールと同様、どの国の空港も似ている。「モール共和国」にならって言えば「ターミナル共和国」だ。入国審査前のエリアは文字通り独立国と見ることができる。

工場や団地などを撮ってきたぼくは、このようにしてモールに興味を持つようになって撮り始めた。しかしまったく思ったように撮れない。なぜ撮れなかったのか。工場や団地と同じように、外観を撮ろうとしていたからだ。モールに「外部」はないのだから撮れなくて当然だ。

では、モールはどこを撮ればよいのだろう。吹き抜けだ、と気付くのに少し時間がかかった。吹き抜けは反転した構造物だ。モールという街の「ストリート」の突き当たりに建っている空隙の「建築物」。それが吹き抜けである。かくして世界各地で撮ったモールの吹き抜け写真が、本展覧会の冒頭を飾ることになった。

展覧会の冒頭を飾っている世界各地で撮ったモールの吹き抜け写真
撮影=大山顕
展覧会の冒頭を飾っている世界各地で撮ったモールの吹き抜け写真 - 撮影=大山顕

■なぜモールや百貨店には窓がないのか

外部が存在せず、箱庭のような街が内部にある、という形式はユートピアに似ている。トマス・モアが描いたユートピアは海と川で二重に守られた馬蹄形の島で、もともとは大陸の一部だったものが切り離されたという設定だ。「モールの想像力」展では、モールのユートピア性を、さまざまな作品を通じてあぶり出している。

ここで注意しておかねばならないのは、ユートピアは単純な桃源郷ではないという点だ。トマス・モアもユートピアを理想都市としては描いていない。一見、外部が存在せず、純粋な「理想の街」として存在しているかのように見えるモールだが、当然そんなことはない。一般的に、モールは他の建築、たとえばオフィスや住宅などに比較すると極端に窓が少ない。百貨店にもない。なぜか。建物の外周にバックヤードがあるからだ。バックヤードを見えなくすることによって「理想の街」を維持しているわけだ。

これはモールだけの話ではない。あらゆる都市が見えないバックヤードによって支えられている。都市の大きさはそのバックヤードがどれだけ遠くに追いやられるかで測ることができる。このことを12年前にぼくらはあらためて実感した。東京の電力を支える「バックヤード」のひとつは200km以上離れた地に置かれている。水源も石油もガスも、インフラは中心から遠く離れた場所から調達されている。それらとの間に線を引き、見えなくすること。それが「理想の街」の作り方である。

従業員以外立ち入り禁止のバックヤードに通じるドアをモールで見かけるたびに、こういうやり方はもうおしまいにすべきなのではないか、とぼくは思う。「モールの想像力」展で最も言いたかったのは「バックヤードに窓をあけよう」ということだった。

チョルノービリ原発の指令所(2016年撮影)
撮影=大山顕
チョルノービリ原発の指令所(2016年撮影) - 撮影=大山顕

■バックヤードは入れ子状になっている

中心から見えなくなっているバックヤード。そのもうひとつの例は軍事だ。首都圏を見ると、自衛隊や米軍の基地は国道16号線沿いに集中している。ここが都市のエッジというわけだ。同時にこの道沿いにはモールが多い。内部にバックヤードを抱えた「理想の街」であるモールは、それ自体が都市市民の生活を支えるインフラでもある。バックヤードは入れ子状になっているのだ。

「モールの想像力」展が始まったのは2023年の3月4日。一週間後に東日本大震災から12年目をひかえ、同時にロシアによるウクライナ侵攻から一年が経過したタイミングだった。当初冒頭に掲示する吹き抜けの写真はべつのものだったが、オープン直前でキーウのモール「GLOBUS」に差し替えた。地下鉄を降りて坂を下り、独立広場まで歩いた7年前を思い出した。チョルノービリ原発はソ連の電力をまかなうバックヤードだったのだ、といまさらながら気がつく。

「GLOBUS」の写真をよく見るとカフェでお茶をしている人などが写っている。彼らは今どうしているだろうか。「GLOBUS」は「地球」の意味である。

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大山 顕(おおやま・けん)
写真家、ライター
1972年生まれ。千葉大学工学部卒業後、松下電器株式会社(現Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。出版、イベント主催なども行っている。著書に『工場萌え』(石井哲との共著、2007年)、『団地の見究』(2008年)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、2016年)、『立体交差』(2019年)などがある。

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(写真家、ライター 大山 顕)

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