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一塁走者をワザと転ばせて、三塁走者をツッコませる…少年野球で野村監督が指導した「禁断のテクニック」

プレジデントオンライン / 2023年4月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/barr5557

2020年に亡くなった元プロ野球選手の野村克也さんは、1988年に「港東ムース」という少年野球チームを創設している。そこでは全国大会での優勝を目指して、さまざまなテクニックを少年たちに教えていた。当時の「野村ノート」にはなにが書いてあったのか。長谷川晶一さんの著書『名将前夜』(KADOKAWA)より一部を紹介しよう――。(第3回)

■実践に即した名将・野村克也の教え

全国大会での優勝を目指して臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を期していた野村は、この頃、さまざまなことを少年たちに教えている。

ある日の神宮室内練習場でのことだ。このとき野村が指導していたのは「無死一、二塁の場面。バントシフトの際に確実に三塁でアウトにする方法」だった。相手が確実に送りバントをしてくるという場面、守備側としては何としてでもサードで封殺したい。

その際に野村が指導したのはこんなことだ。

入団後すぐに、野村の自著である『野球は頭でするもんだ』(朝日新聞出版)を入手して熟読していた平井祐二の説明を聞こう。

「ノーアウトで、相手走者が一塁と二塁にいるとします。ピッチャーがセットポジションに入ると同時に、ファーストとサードが、“(バントを)やらせろー!”と、バッターに向かってダッシュをします。セカンドは一塁ベースにカバーに走ります。このときのポイントはピッチャーがカバーに入ったショートを目がけて逆ターンで二塁に牽制球を投げることです。これが《第一弾》です……」

一塁手と三塁手がホーム方向に猛然とダッシュしてくる。一方で二塁手は定石通りにがら空きとなったファーストベースのカバーに入る。平井の言う「第一弾」の続き、すなわち「第二弾」を聞こう。

■「無死一、二塁」でランナーをアウトにするには

「……この牽制では別に走者をアウトにするつもりはなくて、単なる《エサ撒き》です。あわよくばアウトになればいいけど、別にアウトにならなくても構わない。で、次にポイントとなるのが、2球目も同様に牽制のそぶりを見せて、今度は打者に向かってバントをしやすいど真ん中に絶好球を投げること。これが《第二弾》です……」

「第一弾」では、実際に牽制球を投げた。しかし、「第二弾」では打者に投じる。ここで重要となるのは「ショートの動き」だった。

「最初の牽制ではショートはセカンドベースに入りました。でも、《第二弾》では、ショートはセカンドカバーには行かずに、サードベースのカバーに走ります。で、ピッチャーは《第一弾》同様にちょっと回転を入れつつ、セカンドに牽制するふりをしてホームに投げるんです。こうすれば、二塁走者は確実にスタートが遅れます。そこに、打者にとってバントのしやすい甘いボールが来る。走者のスタートが遅れているのに、打者としては絶好球だから“しめた!”と思ってバントをする。かなりの確率で二塁走者は三塁でアウトになりました」

■「ワザと転ぶサインプレー」もあった

平井はさらに実例を挙げる。

「相手が左ピッチャーで、こちらが一塁、三塁のチャンスでどうしても1点がほしいときには、一塁ランナーが途中でワザと転んで一、二塁間で挟まれて相手内野陣をかく乱している間に、三塁ランナーがホームを目指すというサインプレーもありました。後に、ヤクルトの選手たちがこのプレーをしているのを見たときには、“あっ、自分たちと同じことをやってる”と思ったことを覚えています」

これは、策としてはシンプルなものだった。

攻撃をしているケースで、例えば二死一、三塁だとしよう。九番打者が打席に入り、得点の見込みは薄い。そんな場面で野村が試みたのは、「一塁走者の偽走」だった。

「ここでのポイントは相手が左ピッチャーであるということです。基本はダブルスチールなんですけど、少しだけ一塁ランナーが早めにスタートを切ります。そこでワザと転ぶんです。完全な芝居です。このとき、三塁ランナーはすぐにホームにダッシュを切れる態勢を整えておきます。ピッチャーとしては、自分の目の前でランナーがコケてしまっているから、本能的に一塁に投げます。その瞬間に、三塁ランナーはすぐにスタートを切る。そして、一塁ランナーが一、二塁間で挟まれている間に得点を奪うという作戦でした」

野球の戦略
写真=iStock.com/Lisa-Blue
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Lisa-Blue

■野村監督が真剣なまなざしで行った「転ぶ演技指導」

一塁走者がランダウンプレーで時間を稼いでいる間に、何とか得点を奪うという苦肉の策でもあった。

「面白かったのは、あの野村監督が真剣な表情で転ぶ演技を実演してくれたことです(笑)。練習中は、“こんなので相手をだませるの?”と思うんですけど、意外にも試合では結構、決まりました。これも忘れられないサインプレーでした」

真剣な表情で野村が「演技指導」をしている。すぐに少年たちも実践する。野村が言う。

「いいか、すぐに転んじゃダメだぞ。少しスタートを切ってから転ぶんだ」

少年たちは和気あいあいと転ぶ練習に興じている。すると、傍らで見ていた沙知代オーナーからの叱咤(しった)激励が飛んでくる。

「洋平、ワザとらしいんだよ! もっと自然に転べ!」

名指しされた洋平は照れた笑いを浮かべている。和やかなムードでありながら、「1点でも多く点を奪うには?」という貪欲な姿勢は、少しずつチームに浸透していった。

■野村監督が常に球児に説いた「適材適所」の考え

さらに野村は「適材適所」についても、少年たちに説いていた。

バットコントロールにすぐれ、バットに当てることで持ち前の俊足を存分に生かしていた稲坂匠は、常に「一番打者は塁に出ろ」と指導されていた。

「野村監督からは、“とにかく何でもいいからお前は塁に出ろ”と言われていました。第1打席に入る前に、監督から“相手はここを攻めてくるから、きちんと張っておくんだぞ”と言われました。そして、実際にその通りのボールがきました。ムースに入ってすぐにキャッチャーをやったことで、僕自身もかなり配球を読めるようになっていたので、読みで打ったヒットもたくさんあったと思います」

後に二番打者を任されることになる平井祐二は言う。

「本当に匠はよく打ちました。今となっては正確な数字はわからないけど、出塁率は7割、いや8割ぐらいあったような気がします。気がつけばいつも一塁にいる。そして、すぐに盗塁をしました。試合が始まってすぐにノーアウト二塁です。この場面では、野村監督はバントのサインは出しません。右打ちの指示が出ます。だから、僕はずっと右打ちの練習をしていたし、セカンドゴロとなっても匠が三塁に進むことができれば、監督からは褒められました」

■「二番打者だからといって、小技ばかりじゃダメだ」

さらに、当時の「実感」について平井は語る。

長谷川晶一『名将前夜』(KADOKAWA)
長谷川晶一『名将前夜』(KADOKAWA)

「僕らの代では、匠が塁に出て、すぐに盗塁する。僕が進塁打を打って一死三塁。その後、三番の(田中)洋平、四番の紀田(彰一)のどちらかが打って先取点を挙げる。なんか、“1点を取るのはすごく簡単だな”という実感がありましたね」

このとき、平井は野村にこんな注意を受けている。

「二番打者だからといって、小技ばかりじゃダメなんだぞ」

この言葉の意味を平井に解説してもらおう。

「さっきも言ったように、二番バッターって、どうしても犠牲バントや進塁打など、《小技》というイメージが強いんですけど、野村監督には“それだけじゃダメなんだ”と言われました。ときにはきちんと長打も打てる。そんな意識も必要だと教わりました。そして、今でも強く覚えているのは、“《打点》じゃダメなんだ、大切なのは《打線》なんだ”という言葉です」

■「適材適所は、才能集団にまさる」

一人一人の打者が個別に存在する「打点」ではなく、全員がそれぞれの役割をまっとうして有機的なつながりを持つ「打線」であることの重要性を野村は説いていた。

リードオフマンを託されていた稲坂も口をそろえる。

「僕のような一番打者だけではなく、“各打者にそれぞれの役割がある”と、監督はいつも言っていたし、それは特に徹底されていました」

第2回でも紹介した『野村克也全語録』には、こんな一節がある。

適材適所は、才能集団にまさる

野球の打順には意味がある。単にレギュラー選手を調子のいい順番や長打力のある順番に並べているわけではない。

より得点能力が高まるように、前後の打者とのつながりを考えて並べているのだ。だから「打線」といわれる。線になることで、より相手バッテリーにプレッシャーをかけることになる。

まさに、港東ムース時代に少年たちに説いていたことである。

■教え子に遺した「野村ノート」の中身

ヤクルト監督に就任後、選手たちを前にして野村はこんな考えを披瀝(ひれき)している。当時の選手から入手した「野村ノート」より抜粋してご紹介したい。

【打順の適性と打順の考え方】

一番打者……出塁率が高い。ミートがうまく三振が少ない。バントがうまい。緻密で自制心がある。
二番打者……バントがうまい。バットコントロールがよく右方向に打てる。追い込まれても苦にしない。足も速い方がよい。自己犠牲を努めてできる。
三番打者……長打力があり、高打率を安定して残せる。責任感も強い。
四番打者……チームで極めて信頼がある。長打力があり、必要に応じて単打も打て、勝負強い。自己顕示欲が強く、責任感も強い。
五番打者……四番打者を生かせる好打者。長打力があり、勝負強い。
六番・七番打者……意外性。型破り。走者を置いて打席に立つことが多いから小型の四番打者。
八番・九番打者……九番に投手が入るケースが多いから次打者に代打が出るかどうか確認する習慣を持つ。二死走者なしでも出塁する努力をせよ。

改めて見ると、「一番・稲坂匠、二番・平井祐二、三番・田中洋平」と並ぶ同級生トリオは、まさに野村の考える理想の「打線」だったということがよく理解できる。

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長谷川 晶一(はせがわ・しょういち)
ノンフィクションライター
1970年、東京都に生まれる。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、2003年からノンフィクションライターとして、主に野球をテーマとして活動を開始。主な著書として、1992年、翌1993年の日本シリーズの死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『プロ野球語辞典シリーズ』(誠文堂新光社)、『プロ野球ヒストリー大事典』(朝日新聞出版)などがある。また、生前の野村克也氏の最晩年の肉声を記録した『弱い男』(星海社新書)の構成、『野村克也全語録』(プレジデント社)の解説も担当する。

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(ノンフィクションライター 長谷川 晶一)

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