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「幸せになれる人」と「なれない人」の違いはココにある…芸能人の不倫に怒る人に伝えたいブッダの教え

プレジデントオンライン / 2023年4月22日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Marco_Piunti

幸せになれる人となれない人の違いはどこにあるのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「幸せになれない人は、相手が自分よりも下であると見下したり、バカにしたりする。たとえば芸能人の不倫に怒る人は、落ち着いて自分を見つめ直したほうがいい」という――。

※本稿は、大愚元勝『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)の一部を再編集したものです。

■自己肯定感を無理やり高めることはできない

同じ言葉でも受け止め方によって、救われることもあれば、逆にストレスを感じてしまうこともあります。例えば、「自尊心(自己肯定感)」という言葉は、どちらかといえばプラスのイメージでとらえられることが多いでしょう。

最近は「自己肯定感を高めよう」ということがブームのようになり、逆に「自己肯定感が低い人は生きづらい」という風潮にもなっていました。書店には自己肯定感を高めるための本がたくさん並び、セミナーなどもあちこちで開かれていましたよね。

心理学の研究によると、自己肯定感には潜在的なものと顕在的なものがあるのだそうです。

「無意識のうちにある自己肯定感」
「自分が意識している自己肯定感」

ひと口に自己肯定感といっても、その性質には大きな違いがあったのです。

潜在的な自己肯定感と、顕在的、つまり表向きの自己肯定感の両方がつねに高い人は、仏教的にいえば心が非常に安定している状態です。

一方で、潜在的な自己肯定感が低いにもかかわらず、「自己肯定感を高く保とう!」と表向きの自己肯定感を強引に引き上げている人は自惚れやすく、俗にいうナルシストになりやすい傾向が見受けられます。

これ見よがしに「自分は自己肯定感が高い人間です」という振る舞いをするわけです。

■自分に自信がないままではボロが出る

そのような人は、もし自分が傷つけられそうな出来事に遭遇したり、自分の評価が下がったりしそうになると、「私はすごいんだ!」「あの人よりも自分のほうが上なんだ!」という自己暗示のようなポジティブシンキングで、必死で自己肯定感を高く保とうとします。

要するに、自己肯定感が下がってしまうことを極端に恐れているため、意識的に表向きの自己肯定感を高めようとしており、無理をしてその努力をし続けている状態といえるでしょう。

これはかなり病的な行為といっても差し支えなく、どうしても自己防衛的になってしまいますので、やはり心身の健康が崩れやすくなります。

自己肯定感を高めようとする気持ちや努力は悪いことではありませんが、「人は無意識が9割」ともいわれるように簡単に人間の根底は変えられません。

つまり、いくら表向きに「自分はすごい!」「自分大好き!」と取り繕っても、潜在的な自己肯定感が低い、本当の意味で自分に自信がないままではボロが出てしまうということです。

例えば、表面的にはすごく明るくて、とにかく前向きなイメージがある著名人の方などが、メンタルを病んでドラッグに溺れてしまったり、最悪の場合には自ら命を絶ってしまったりする。

昨今では、そういった悲しいニュースも珍しくありませんが、おそらくテレビなどを通して私たちに見せている姿と本質的な自分の姿に大きな違いがあるのでしょう。

■「自分をよく見せたい」というやっかいな自惚れ

顕在的な自己肯定感だけでは、どうにもならないことがあるのです。よく、不祥事を起こした方が反省の色を見せながらなにかを成し遂げ、メディアを通じて再起を誓われたりしますが、私からいわせれば、そんなことで自分の心を変えられるのなら苦労はしません。

「反省するために座禅をさせてください!」
「間違いを犯した私を大愚和尚のところで修行させてください!」

そのような建前で福厳寺にいらっしゃる芸能人やスポーツ選手、企業の社長さんなどもたくさんおられますが、私は一貫してお断りしています。

全員がそうだとはいいませんが、大半の方々は「私は修行しました!」と得意げにカメラに収め、もう一度社会からの信用を取り戻したい――そういった算段で動いているからです。それこそ、最初からカメラマンを同行させている方もいらしたりします。

「その人の言っていることではなく、行動を見よ」とは、まさにこのこと。

そのようなうわべだけの修行をしたところでその人の人格は変わりませんし、「そんなことのためにお寺を利用しないでください!」とお引き取り願うことが日常茶飯事です。

本当に自分の行いを見直したいと思うのであれば、黙ってやればいいのです。それをメディアやSNSを通じてアピールしている時点で、「自分を良く見せたい」という欲でしかありません。謙虚なように見せて、じつは自惚れているという人が、とても多いのです。

男性のスーツとマスク
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■自惚れが「慢」であることに気づき、謙虚であることが大切

仏教だけではなく、心理学的にもいわれていることですが、本当に潜在的な意識の部分から自分に対して自信を持っている方は、そもそも自惚れません。

どこかに不安定な要素を持っている――例えば自分のどこかにコンプレックスを抱えているからこそ、それを克服しようと謙虚に努力するのでしょう。

みなさんにぜひ覚えておいていただきたいのは、自己肯定感は高めようと思って高められるものではないということ。アファメーション(なりたい自分になるために肯定的な言葉で宣言をすること)的なものは一時的な効果こそありますが、あくまでも誰かとの比較によって成り立つ「慢」(煩悩の一つで他人と比べたくなる欲求のこと)になりますので、つねに他人との優劣を考えているようでは一向に救われません。

別に自分のことを肯定されようが、否定されようが、決して動じない。これが本当の意味での心の安定になります。無理やりポジティブシンキングをしている時点で、あなたの心は揺らいでしまっている証拠なのです。

まず、自惚れが「慢」であることに気づき、他人との比較にエネルギーを割かないことが大切。それに気づくことができれば、自ずと謙虚になっていきます。

■一流は自分ができること、できないことを自覚する

この謙虚というのは「いやいや、私なんか……」と卑下することではなく、自分ができることと自分ができないこと――これをきちんと分析して理解している状況。自分自身のことを客観的に見えている状態のことです。

世の中で“一流”と呼ばれる人たちは、自分のできないことがわかっているからこそ、決して今の自分自身に満足することがないのでしょう。

自分自身で「俺はすごい!」と豪語する一流はいませんよね。飽くなき探求心があるからこそ、プロフェッショナルと呼ばれる存在になれるわけです。客観的に自分の強みも弱みも冷静に判断できる人は、成長します。

自惚れている時点で三流であることに、まずは気づくべき。これを肝に銘じていただきたいと思います。

■「あの人よりマシ」というちっぽけな優越感は幸せを遠ざける

先ほど紹介した「慢」とは、他人のことを、自分より上か、下か、同じくらいかで判断したくなる衝動のことです。

この「慢」が原因で生まれる負の感情が「軽蔑」です。

相手は自分よりも下であると見下したり、バカにしたりする際に生じる感情だからです。これは人間が本能的に持つものではなく、きわめて“社会的な感情”と位置づけることができます。

軽蔑は、私たちが生きるうえでまったく必要のない感情です。無意味で無価値。そう断じてしまっても構いません。

自分が誰かのことを蔑んだとします。

「あいつは俺よりも学歴が低いから、たいしたことないな」
「あの子、たいしてかわいくもないのに無理して厚化粧しちゃって」

このように思うと、一瞬は優越感に浸れるかもしれません。

でも、状況はなにも変わらないのです。誰かを軽蔑しても、仮にそれが客観的な事実であったとしても、あなた自身の能力が格段に上がるわけでも、容姿が良くなるわけでもありません。著名人のスキャンダルに対してもそうです。

■相手を軽蔑したところで、自分のレベルが上がるわけではない

ルックスも、経済力も、社会的知名度も、なにもかも自分とは別次元で勝てないと思っていたアイドルや俳優が、不祥事を起こしたり、異性関係のトラブルに巻き込まれたりすると、ここぞとばかりにバッシングを始める人がいます。

著名人を「そんなことをする人だとは思わなかった」と軽蔑して叩いて、不倫をしない自分、ドラッグなどに走らない自分のほうがマシだ、上だと思う。自分は正しく相手は間違っているのだ、自分のほうが優れているのだと思いたいわけです。

しかし、それになんの意味があるのでしょうか?

どんなに対抗意識を燃やしたところで、あなた自身にも、あなたを取り巻く環境にも、いっさい変化が生じることはありません。

また、仮に純粋な気持ちで「相手に反省をしてほしい」と思ったとしても、直接の知り合いでもなんでもないあなたの言葉が相手の心に届いたり、「心を入れ替えよう」などと思ったりするはずもありません。

影響があるとしたら、昨今社会問題になっているような誹謗(ひぼう)中傷の一環ととらえられ、相手の心身を追い込み、最悪な結果をまねくことに加担してしまうだけでしょう。

軽蔑をしても、なんの戒めにも救いにもならない。しかも、イライラした感情はあなたの心身に悪い影響を与え、自分が損をするだけで、決して幸せにはなれない。まずはこれを認識していただきたいと思います。

■バカにするのではなく相手に寄り添う

誰かに対して軽蔑の念を抱いている自分に気づいたら、まずはその軽蔑の感情が、どんなタイプのものであるかを冷静に分析してみましょう。

「残念だな」「かわいそうだな」という哀れみに近い感情であれば、「軽蔑」を「同情」に置き換えられるように働きかけてください。

同情とて、問題解決の決定打にはなりませんが、軽蔑よりははるかにまし。相手の気持ちを理解し、寄り添っていくことができるようになるからです。相手の行動の裏側や真意を想像しようとしないことは、無知なる行為、すなわち「痴」になります。

例えば、食事のマナーが著しく悪かったり、言葉遣いが乱暴だったりする人がいたとしましょう。それを目の当たりにして軽蔑したくなったとき、「最悪だな。どうしようもない。こうはなりたくない」ととらえるのではなく、「育ってきた環境があまり良くなかったのかな」「おそらくご両親の躾の問題であって、この人の責任ではないはず」「なにか精神的につらいことを抱えているのかな」などと考えるようにするのです。

ブッダは「人間は等しく愚かであり、誰もが病気を患っているようなもの」という見方をしています。パーフェクトな人間なんて、存在しません。蔑んでいる暇があったら同情してあげてください。

そうなってしまったのは仕方がない。
その人だけが悪いわけではない。

このように考えれば、ネガティブな感情を心の中で育てなくて済むようになります。

あなたの精神状態は、今よりもいっそうおだやかなものになるでしょう。

僧侶
写真=iStock.com/nattrass
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nattrass

■「軽蔑」の多くは「怒り」に発展する

軽蔑には、蔑みではなく怒りに近いタイプの感情もあります。

「なんであの人はこんな簡単なこともできないんだ。ありえない」
「めちゃくちゃ狭い道なのに、横に広がって歩くなんて非常識で迷惑だ」

このように、自分が簡単にできることをできない人、場の空気を読めない人、社会的ルールを守れない人に対して生じる軽蔑は、たいていの場合、怒りに発展するものです。

芸能人のスキャンダルに対するバッシングも「清純派だと思っていたのに、ルールを破って不倫するなんて許せない」などと、怒りの感情で叩いている人もいるでしょう。

相手をバカにする気持ちが怒りに変わってしまっているな……。そんな自分の気持ちに気づくことがまず第一歩。

怒りの感情への詳しい対処法はまた別の機会にお伝えしたいと思いますが、怒りとは自分の心の中で起こる火事のようなものなので、火事を起こさないようにする予防策と起こってしまったときの素早い初期消火が大切です。

どうしても怒りの感情が湧いてしまったときは、怒りの対象から離れて冷静になること、そして怒りの炎に燃料(自分の心の中の妄想や思い込みなど)を投下しないことが、怒りで心を消耗させない秘訣です。

■日本人にありがちな「嫌味」

そこに気づけずにいると、さらに怒りを募らせて、自ら面倒なシチュエーションを生み出してしまうこともあります。とくに日本人に多いのは、あえて相手に聞こえるようにぼそっと嫌味を言うケースです。

「あ~あ、ここは公共の場なんだけどなぁ」
「そんなことをするなんて、どういう神経をしているんだろう」

根底に軽蔑の念がありますから、言い方にはとかくいやらしさが伴います。

言われたほうは当然、カチンときますよね。自分は確かに良くないことをしていると思っていても、嫌味を言ってきた相手に対する怒りが生まれます。そのまま口論になってもなんら不思議ではありません。

社会的ルールを守らない人に対して軽蔑の感情が生まれ、それが怒りに転じようとしていたら、ひとつ深呼吸をして、冷静に指摘してあげたほうがよほどお互いのためになるのではないでしょうか。

嫌味口調や喧嘩腰ではなく、丁寧に、理路整然と正論を向けられたら、言われたほうはけっこう素直に従うものです。

ただし最近は物騒な世の中になり、マナーの悪い人に注意をしたら突然ナイフで刺されたなんて事件を聞くこともありますので、指摘を躊躇う場合は、その場(怒りの対象)から離れることが最善だと思います。

■感情をストレートに表現する外国人から学んだこと

私は学生時代にこんな経験をしたことがあります。

ある日、空手の道着や防具などが入った大きなカバンなど、たくさんの荷物を持って満員電車に乗り、その荷物を自分の足元に置きました。当然のごとく、ほかの乗客からは「邪魔だな」という白い目で見られました。

その自覚はありましたが、あまりに荷物が多かったので、しょうがないよな……と思っていたのです。

すると、あとから私の近くに乗車してきた外国人男性が「きみの荷物が邪魔になっているから網棚に載せてくれ」と言ってきたのです。

私は突然話しかけられたことに驚き、一瞬警戒してしまいました。

しかし彼には怒っているとか嫌味な感じは、まったくありませんでした。ただ単に、そうしたほうがいい、そのほうがお互いにとって良いだろう、ということを伝えてきている様子でした。そして、重たい荷物を網棚に載せるのを手伝ってくれたのです。

もし、誰かから「邪魔なんだよ」「非常識だろ」といったような言葉をブツブツと言われたら、若かった当時の私はムッとしていたかもしれません。

大愚元勝『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)
大愚元勝『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)

でも、淡々と指摘して手伝ってくれた外国人男性に対しては、「どうもありがとう」という感謝の気持ちがこみ上げてきました。

このように、同じ感情を抱いた場合でも、接し方ひとつで相手への伝わり方は大きく変わるものなのです。

私たち日本人は比較的シャイで、他人に対してこのような指摘をしたり、はっきりと物を言うことが苦手だったりする傾向にありますが、余計な含みを持たせずにストレートに行動する外国人のみなさんから、こういう姿勢を学ばないといけないかもしれませんね。

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大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、最新刊としてYouTube「大愚和尚の一問一答」のベスト版として書籍化した『人生が確実に変わる 大愚和尚の答え 一問一答公式』(飛鳥新社)がある。

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(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)

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