ビール事業に手を出し赤字2億円…「逆境が獺祭を作ってくれた」旭酒造・桜井博志が語る"人生最大の失敗"
プレジデントオンライン / 2023年4月23日 12時15分
■「獺祭」から「DASSAI BLUE」へ
いよいよ獺祭のアメリカ生産が現実のものとなりました。ニューヨーク州のハイドパークで純米大吟醸を造り始めたのです。
アメリカで造られる酒は、「DASSAI BLUE」(獺祭ブルー)と名付けます。なぜBlue(青)という言葉を付けるのか?
「青は藍より出でて藍よりも青し」という言葉があります。青の染料は藍色の染料から生まれたのですが、藍よりも青かった。それが転じて、子が親を抜くなどの意味で使われます。アメリカで造られる「DASSAI BLUE」が、日本の獺祭を美味しさで抜いてほしい。その願いを込めて命名しました。
獺祭の出荷数量は1ランク落として純米吟醸として見ても、日本全体の11%程度を占め、1位です。統計がないので必ずしも正確とはいえませんが、純米大吟醸だけで見れば、全体の3割以上を占めるのは確実だと思います。幸い、海外でも高い評価を受けております。
2022年度、獺祭の売り上げ165億円のうち43%を占める70億円が、実は海外輸出によるものです。22年の日本酒全体の輸出額は約475億円ですから、獺祭はその15%を占めているわけです。
■三重苦からの挑戦
いまでこそこうした評価を受ける酒を造っておりますが、私が旭酒造を継いで3代目の社長になった1984年当時、私たちの蔵では、地域のマーケットを対象に何の特徴もない安酒を売っていました。
山口県岩国市という人口10万足らずの小さな地方都市の中でさえ、酒蔵としての売り上げ順位は4番目に過ぎませんでした。販売競争に負けて過去10年間で売り上げが3分の1になってしまっていたのです。技術もない、売り上げもない、しかも所在地は猛烈な過疎にあえぐ山間の僻地(へきち)にある、という三重苦にあえいでいたのです。
そんな中で従来の地元対応の安いだけの酒を造っていたのでは、先が見えません。そこで純米大吟醸を開発して、地元に見切りをつけて東京市場に進出することにしたのです。
■「負け組」蔵元が躍進した秘密
当時の日本酒業界には、純米大吟醸の市場も安定的な生産技術もありませんでした。だからこそ、獺祭が新しい高価な酒の市場と生産技術を確立できたのです。なぜ、それが地方の負け組酒蔵でしかなかった旭酒造に可能だったかといいますと、時代の背景が大きかったと思います。
日本経済が発展することにより個人の平均所得は上がりましたが、それに対し、酒の価格そのものは機械化や合理化により反対に低下しました。つまり、質さえ問わなければいくらでも飲めるようになった、ということです。業界内ではあえて目をつぶっていましたが、社会全体で見たとき、アルコール疾患の患者の増加などといった問題が起きてきました。
そこで私は、大量に飲んで酔っ払う快感から、良い酒を少量飲むことによる心理的充足への脱皮を求めて、純米大吟醸専業の酒蔵へと舵(かじ)を切ったのです。これにより大きな意味で社会からの好感も得ることができ、獺祭が若者や女性を中心に受け入れられるようになったのです。
しかしこれは、いまになって思うと「負け組」の酒蔵であったがゆえにできたことでした。勝ち組であれば、それまでの自分の酒を否定できなかったのではないかと考えます。
加えて、物流とコンピューターの発展が後押ししてくれました。宅配業界の発達による個人への小口物流の簡易化と低価格化が、東京市場に進出しようとする旭酒造にとって大きなプラスになりました。
またコンピューターの普及浸透が、直接エンドユーザーに私たちの情報を伝えることを可能にしてくれたのです。それらは大いに都市型市場の開発に役に立ちました。
■最大のピンチこそ自己変革のチャンス
一方で私は、純米大吟醸しか造らない酒蔵に変えるにあたって、それまで酒を造ってくれていた杜氏(とうじ)たちとの関係に苦慮します。
伝統的酒造習慣では、冬場しか酒を造らず、杜氏の年間継続雇用には難がありました。それを補うため、夏場の雇用対策としてビールのマイクロブルワリーを造ります。しかしその事業に失敗してしまい、なんと2億円近い借金を抱えてしまったのです。
これでは給料をもらえそうにない、と感じた杜氏は、部下を全員引き連れて他社に移ってしまいました。
困った私は、逆にそれを奇貨として、自分と社員4人だけで酒造りを始めます。
結果としてそれは、「美味しい純米大吟醸を造りたい」という私の意志を社内に一気通貫で行き渡らせることになりました。そのうえ、それまで頑固で高齢な杜氏の下ではできなかった、美味しい純米大吟醸の実現に向けての数限りないトライアル・アンド・エラーを繰り返すことを可能にしました。
参考にしたのは、秋田醸造試験場の田口隆信場長が出した、大吟醸造りにおける米や麹(こうじ)の分量、発酵のタイミングなどを事細かに記した研究レポートです。レポートに記されていることを生真面目に守り、すべての段階をデータ化していきました。
■逆境に「救われた」
農業との兼業で冬場にしか来ない杜氏の雇用をやめ、社員だけの酒造りになった旭酒造は、「寒造り」という伝統的酒造方式を止めました。
酒蔵を空調することにより、通年醸造方式を採用します。しかも、大手の酒蔵でよくやられていた大型化や機械化ではなく、小さな作業単位で細かなコントロールを可能にする方式を編み出しました。
米についても、同様に逆境のおかげで救ってもらえたといえます。
地元である山口県には、良い酒造好適米がなかったのです。私たちは地元で良い酒造好適米を作ってもらいたいと望んでいました。しかし山口県の農協は、新たな米を作ることに消極的でした。というより、「良い米が欲しい」という私たちに愚弄(ぐろう)的でさえありました。
あるとき、とうとう我慢できなくなって私は農協との縁切りを決断。農協の助けを求めず、自社で取引する農家を開拓していったのです。やるなら最高の米と狙いを定め、最も高価な山田錦に的を絞りました。
■「ない」ことは、新たに「得る」機会
その後、旭酒造の成功を見て、山口県農林水産部が酒米に目を向け始め、農協と手を組んで自分たちで新しい酒米品種を作ろうとします。
しかし、その新品種はあまり優れているとはいえませんでした。そのため私たちが山田錦の代わりにそちらを使おうとしなかったところ、様々な嫌がらせを受けました。
経済合理性から申しますと、地方自治体の言うことを聞かないということは得策ではないかもしれません。しかし私は、お客様の顔を思い浮かべたとき、獺祭に適していない米で獺祭を造ることはできなかったのです。
現在、私たちは年間9000tの山田錦を使用しています。この数量は、日本全体の山田錦の生産数量(2万6000t)の34%を占めます。この大きな数量の購入ルートは、自分自身で開拓していったからこそできあがったのです。
「地元山口県に良い米がなかった。だからこそ良い米を全国から手に入れるルートができた」といえます。
■逆境こそ「獺祭」の母
こうやって私どもの歴史を振り返ってみますと、結局、逆境が獺祭を生み出してくれた、という感慨を持ちます。
1990年に生まれた獺祭。初年度の売り上げは5000万円ほどでした。その美味しさが評価され、とくに2010年代に入ってから売り上げは大きく上昇曲線を描くようになりましたが、国内の日本酒市場の将来を考えれば、少子高齢化のために縮小していくのは間違いないことです。
そこで海外進出はかなり早い段階から考えていました。ニューヨークへの輸出を始めたのは、2002年からです。問屋に任せることはせずに、息子の一宏(現在は4代目社長)と二人三脚で、ニューヨーク、パリ、ミラノの名の知れたレストランや酒販店に、直接飛び込み営業をかけました。
もちろん相手にされないような態度を取られたこともたくさんありましたが、じわじわと「美味しい」「他の日本酒とは違う」という評価を得ていただくことが増えました。
ほかよりも精米歩合の高い獺祭は、米の雑味が少なく、フルーティーですっきりとした味わいがあります。やはり飲んでいただければ、その違いを感じ取っていただけるのです。
■世界への扉が開いた瞬間
そしてある日、私はパリで、最高の褒め言葉をかけていただきました。
「恋に落ちたという表現が最も適切だろう。獺祭は私がこれまで出合った最良の日本酒だ」
フランス料理界の巨匠、今は亡きジョエル・ロブションさんの一言です。世界への扉が開いた瞬間です。
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旭酒造会長
1950年、山口県に生まれる。1973年に松山商科大学(現松山大学)を卒業後、西宮酒造(現日本盛)での修業を経て76年に旭酒造に入社したが、当時の社長である父親と対立して退社。84年、父親の急逝を受けて実家に戻り、純米大吟醸「獺祭」の開発を軸に経営再建を果たす。2016年から現職。杜氏を設けず社員による四季醸造をはじめとした革新的な造りでおいしさを追求し、業界の常識を破り成長を遂げている。2023年4月、NY蔵をオープンし、米国生産の「DASSAI BLUE」(獺祭ブルー)の完成を目指し現地で陣頭指揮を執っている。
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(旭酒造会長 桜井 博志 構成=菊地武顕)
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