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獺祭・桜井博志会長72歳がアメリカに乗り込み、NY蔵を建てて"打倒獺祭"に挑むワケ

プレジデントオンライン / 2023年4月23日 12時30分

「私が先頭に立って“失敗”するべきだと考えたのです」。NY蔵での新たな酒造りへの思いを語る桜井博志さん - 写真提供=旭酒造

最も成功した純米大吟醸酒の獺祭。世界進出を加速させるべく、今年4月、アメリカ・ニューヨークに「NY蔵」をオープンし、酒造りを開始した。同社会長の桜井博志さんは72歳で現地に乗り込み、長期滞在で陣頭指揮を執る。“自分へのご褒美”として購入したフォード・マスタングを駆って、蔵に通う毎日を送る桜井さんは「シニア世代こそ挑戦をしないといけない。失敗を恐れて挑戦しないことは、敵前逃亡だ」という――。(後編/全2回)

■ホワイトハウス公式晩餐会のサプライズ

獺祭をアメリカに輸出販売するようになったのは、2002年のことです。それから20年余。いよいよニューヨークの酒蔵(NY蔵)で「SAKE(日本酒)」のアメリカ生産がスタートしました。

この間、私たちにとって思い出深い栄誉な出来事がありました。

2015年に故・安倍晋三首相(当時)がアメリカを訪問し、ホワイトハウスで開催された公式晩餐会に出席されたときのことです。乾杯に、獺祭が採用されたのです。

実はアメリカ政府から、このことは乾杯の寸前まで秘密にするようにと要請がありました。ですからオバマ大統領(当時)が乾杯のあいさつで、「この酒は山口県の獺祭です」と話すまで、安倍首相も知らなかったのです。

ニュースの映像には、びっくりして振り返る首相の姿が映っていました。史上初めてホワイトハウスの公式晩餐会で日本酒が使われ、それがわが獺祭であったという栄誉はいつまでも私どもの歴史に残るでしょう。

2023年4月、アメリカ・ニューヨーク州に完成した酒蔵(写真は2月時点)
写真提供=旭酒造
2023年4月、アメリカ・ニューヨーク州に完成した酒蔵(写真は2月時点) - 写真提供=旭酒造

■フランス料理界の巨匠との邂逅、そしてNYへ

獺祭はフランス・パリでも高い評価を得ることができました。息子である現社長の一宏と2人で、主だったレストランに飛び込み営業をかけ続けた甲斐もあって、やがて故・ジョエル・ロブションさん、アラン・デュカスさん、ミッシェル・トロワグロさんといったフランス料理の巨匠たちが、扱ってくれるようになったのです。

とくに嬉しかったのは、ロブションさんからの提案でした。コラボして、パリ8区に「Dassaï Joël Robuchon(ダッサイ・ジョエル・ロブション)」を開店することができました。

こうして海外での認知を高めたことで、2022年度には、獺祭の売り上げのなんと43%が海外市場になりました。でも輸出を増やすだけでは、当面は簡単に結果が出ますが、5年先、10年先の発展は見込めないでしょう。世界で生き残るためには、現地で生産をしないといけません。

だからこそ、今回ニューヨークに建てた酒蔵が、日本酒の美味しさを世界に発信する拠点になることを強く願っています。

■完成した「NY蔵」でスタートした酒造り

NY蔵は、マンハッタンから車で2時間ほど北に向かったハイドパークという地にあります。

酒造りは、まだ麹(こうじ)作業が始まったばかりです。麹の試験製造は終え、本番用の麹を3月下旬に仕込み、この4月1日に仕上がったばかりです。これならいいだろうという質のものが、一発でできあがりました。

実際に酒を仕込み始めるのは、5月半ば以降になります。このまま順調に進めば、9月にはお披露目会ができるでしょう。

水はニューヨークの水を使います。米は将来的にはアメリカ南部のアーカンソー州で生産する山田錦を使いますが、当面は日本からアメリカに送ることになります。すでにアーカンソーで生産された山田錦については分析しており、かなりいいものになったと思っています。

とはいえ、質と生産量の安定についてはまだわからない部分があります。米の生産はまだ挑戦中です。

■異国でのゼロからのスタート

空気も水も違う土地で日本酒を造るわけです。そのうえ蔵の設備も日本とは微妙に異なります。基本的には同じ概念の設備を入れているわけですが、配置が微妙に違うのです。

向こうの法令にしたがって、通路は非常に広く取らないといけません。ここに戸が1枚あるかないかとか、動線が10m長いといったちょっとした違いが、最終的には酒の品質に影響することが多いのです。造ってみないことには何ともわからない――という感じですね。

私自身は3月20日に日本を出立し、現地入りしました。そして現在直面している、最も大きな課題は、アメリカ人スタッフとの意思疎通です。

アメリカで就労ビザを取得するためには、現地の雇用創出に貢献することが必要です。そこで、6人のアメリカ人を現地採用することにしました。年齢は22歳から30代半ばまでとばらけていて、多様なバックグラウンドの、やる気に満ちたメンバーが集まってくれました。

求人に際しては、仕事内容など求人情報をウェブなどに出して、応募してきた人の中でフィーリングの合う人を選びました。なんとなくこの人が良さそうだなと、正直なところ、感覚で採用した面もあります。

そして全員、日本酒を造ることはもちろん、日本酒を飲んだ経験もあまりないようです。文字通りゼロから1つずつ覚えていってもらいます。

■「手間」を大事にする日本流をアメリカ人に伝えていく

今回、日本からは蔵人として、獺祭の初期からの歴史を知る3人のベテランが渡米しています。蔵長、元蔵長、瓶詰めなどの工程のスペシャリストと、この3人がそろえば間違いなく美味しい酒が造れるというメンバーです。現地採用の6人と一緒になって手探りで酒造りのスタートです。

日本とはまったく異なるバックボーンのスタッフに、作業の本質を理解してもらいながら進めています。当面は、右手を上げて左手を上げて、足を下ろして、というように逐一作業マニュアルを教えることになりますが、それがいつまでも続いているようではいけません。

酒造りには「手間」が大切です。実際、日本の獺祭も非常に手間をかけて造っています。

まず、欧米の人たちに日本酒とは何かというところから理解してもらわなければいけません。日本文化をアメリカに持ち込んで、植え付けて行かないといけないのだろうと思います。

私たちが日本でかけてきた手間、繊細なまでの技術がいかに大切であるかを、彼らに理解してもらわないといけない。美味しい日本酒を造るためにはこの作業がどうして必要なのか、それをきちんと理解してもらわないと、おそらく彼らはいずれ離れていくことでしょう。

幸いなことに今のところ心配したほどのことはなく、彼らアメリカ人のスタッフの吸収力も早くて安心しています。まだまだたくさんの壁が待っていると思いますが、1つずつ突破していく覚悟です。

日本の酒蔵での製麹の様子。こうした「手間」を大事にする日本の精神をアメリカに届けていく
写真提供=旭酒造
日本の酒蔵での製麹の様子。こうした「手間」を大事にする日本の精神をアメリカに届けていく - 写真提供=旭酒造

■失敗の責任を取る覚悟

私は今回1年ほど現地に滞在する予定ですが、酒造りの3人の精鋭がいるのなら、72歳の私がアメリカにいる必要はないじゃないか――そう思う人もいるようです。

私がアメリカにいる理由は、失敗したときの責任を取るためです。

アメリカ生産については、コロナ禍の影響や現地の環境規制への対応などがあって、当初予定より4年ほどずれ込みましたし、費用も当初予定の30億円の計画が80億円にまで膨らんでしまいました。となると、派遣された3人は、「決して失敗をしてはいけない」と思うことでしょう。

失敗しないのは、簡単なのです。挑戦しなければいい。高い水準を狙えば狙うほど失敗する確率は高くなります。逆に挑戦しなければ、失敗の確率は格段に下がります。でもそれではアメリカに進出した意味がない。

■「外に外に」の精神で

近年入社してくる若い社員を見ていて思うのです。おかげさまで、優秀な若い人材が旭酒造に入ってくれるようになりました。その一方で、獺祭が生まれて30年ほど経つため、「獺祭は売れる酒だ」という認識を持つ人も多くなっています。

酒造りにゴールはありませんが、そういう意識になる社員が増えていけばしだいに大企業病に陥(おちい)り、保守的になっていってしまいかねません。

旭酒造は地方から東京へ、海外へと、「外に外に」「壁の先に成功がある」という意識でここまできました。挑戦し続けることが大切だ、という意味でも、ニューヨークという新しいステージを機能させたいと思っています。

私はかつて、ビール事業に手を出して2億円もの借金をこさえてしまった経営者です。挑戦したうえでの失敗は決して責めるつもりはありません。挑戦に挑戦を続け、「DASSAI BLUE」が獺祭としのぎを削る日、あるいは獺祭を超える日がやってきたらと願っています。

■酒造りにゴールはない

とはいえ、私にとって「DASSAI BLUE」がゴールではありません。

今、日本国内でさらにもう1つ新しい酒を造ろうとしておりまして、これは2026年くらいの完成を目指しています。そうした超高級品の獺祭の酒蔵を建てようとしています。

アメリカで造る「DASSAI BLUE」は90ドルから100ドルくらいの値段を考えていますが、次に日本で、それをはるかに上回る1本1000ドルくらいのお酒を造る。

「獺祭」という酒そのものも、まだ全然完成形だと思っていません。

さらにその先に何が待っているかはわかりませんが……寿命が尽きるまで前向きに進んでいきたいし、挑戦していきたいですよね。

■シニアこそ挑戦して、失敗せよ

私はいま、72歳になります。人によっては、60歳を過ぎたからとか70歳を過ぎたからと言って、仕事を辞めていきます。趣味に生きたい、という人もいます。でも趣味は趣味ですから。仕事でしか得られない充実感というものがあると思うのです。

若いころと違って僕らくらいの年になりますと、生きていくという観点ではそんなにお金がかからない生活になっていきます。だからこそ仕事において、「まあ、当面7割でいいんだ」とでもいうんでしょうか、そんな感じでゆっくり挑戦していけます。すると逆に成功しやすくなるんです。

よく「若い人に譲る」という言い方をしますが、それはちょっと「かっこいい言い訳」に過ぎないような気がするのです。本当のところは、失敗する姿を見せるのがかっこ悪いから、表に出ないよ、ということではないでしょうか。

そんな“敵前逃亡”をしてはダメですよ。シニアこそ挑戦して、ある意味失敗する姿を若い人たちに見せることが大切だと思います。

■フォード・マスタングを駆って夢を追う日々

この年になると、若いころのように美味しいものをたくさん食べたいという欲求もなくなって、普段の食事はカレーとハンバーグがあれば十分。炊飯器でご飯を炊き、スーパーで安い食材を買ってきて調理しています。

そんな日常ですが、でもひとつだけ贅沢をしました。アメリカ生産に挑戦する自分に“ニンジン”を与えたいと思って、フォード・マスタングを買ったのです。

桜井博志さんは、今日もマスタングを駆ってNY蔵に通う
写真提供=旭酒造
桜井博志さんは、今日もマスタングを駆ってNY蔵に通う - 写真提供=旭酒造

半世紀以上前、ニキビ面だった中学時代の私は、ゴージャスなアメ車に憧れていたものです。その夢がやっと叶いました。エンジンをかけると、ヴォンヴォンとすさまじい音がしますし、パワーはなんと475馬力。

この車を駆ると、蔵に行くのが楽しみに思えるのです。今日もまた新しい挑戦だ! そんなふうに自分の中にエネルギーが充塡(じゅうてん)されるのを実感します。

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桜井 博志(さくらい・ひろし)
旭酒造会長
1950年、山口県に生まれる。1973年に松山商科大学(現松山大学)を卒業後、西宮酒造(現日本盛)での修業を経て76年に旭酒造に入社したが、当時の社長である父親と対立して退社。84年、父親の急逝を受けて実家に戻り、純米大吟醸「獺祭」の開発を軸に経営再建を果たす。2016年から現職。杜氏を設けず社員による四季醸造をはじめとした革新的な造りでおいしさを追求し、業界の常識を破り成長を遂げている。2023年4月、NY蔵をオープンし、米国生産の「DASSAI BLUE」(獺祭ブルー)の完成を目指し現地で陣頭指揮を執っている。

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(旭酒造会長 桜井 博志 構成=菊地武顕)

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