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「死んだあとのことは知ったことではない」養老孟司さんが"終活"は無意味ではた迷惑な行為だと断言するワケ

プレジデントオンライン / 2023年4月29日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mikkelwilliam

死ぬ前に物などを整理する「終活」が流行っている。自分の死後のことを考えて迷惑がかからないように準備をすることは本当に必要なのか。解剖学者の養老孟司さんは「僕は終活は意味がないと思っています。死という自分ではどうにもできないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健全です」という──。(第3回/全3回)

※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、再び病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

■「終活」は無意味…

死ぬ前に物などを処分して整理する「終活」が流行っていますが、僕はこれも意味がないと思っています。死という自分ではどうにもできないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健全です。

生まれたときも、気付いたら生まれていたわけです。予定も予想もしていなかったことです。死も「気が付いたら死んでいる」でよいのではないでしょうか。しかも死んでいることに自分が気付くことはありません。

僕もこれだけ虫の標本を持っていますから、「死んだらどうするんだ?」と訊かれます。そんなことは知ったことではありません。

今は箱根の別荘に保管していますが、ここも富士山が噴火したら一発で終わりです。コレクションなど、一生懸命貯め込んでも、何かのきっかけで無に帰してしまうこともあるわけです。すべては諸行無常です。

■世の習いは何事も順送り

いろんな物を貯めこんで死ぬのは、残された家族に迷惑をかけるなどと言われます。でも僕はまったく問題ないと思います。

何事も順送りです。残された者は大変だけど、そういうことが順送りに繰り返されます。それが人生というものでしょう。

逆に物を整理して死に際をきちんとしようとするのは、僕ははた迷惑な行為だと思います。「死んだ後も自分の思うとおりに世界を動かすつもりなのか?」と。しかも、その世界は自分では見ることができないのです。

人が亡くなって、残された家族とか親族がいろいろもめるのは、後の人の教育だと思っていればよいのです。

■虫の標本づくりが一段落するまでは生きていよう

長生きはしようと思っていませんが、「今やっている虫の標本づくりが一段落するまでは生きていよう」とぼんやり思っています。といっても、いつ片付くかわかりませんが。

標本づくりに終わりはありませんが、ある分野については終わりにするとか、そういうことをやっておかないと申し訳ないという気持ちはあるのです。

例えば人からいろんな標本をいただいているので、それだけは片付けておきたいと2〜3年前から思っています。

それでも虫の標本はどんどん増えるので整理しきれません。頭の中で自分なりの整理はついていますが、それを実際に行うとなると、時間がぜんぜん足りません。それこそ死んでいる暇がないのです。

■「虫の日」に虫の法要を行う

6月4日は「虫の日」です。数年前から、この日に鎌倉の建長寺で虫の法要を行うようになりました。

僕は虫の標本をつくっていますから、これまでに何万匹もの虫を殺しています。その供養という意味合いで始めました。

ほとんどの人は自分が虫を殺しているという意識はないでしょう。でもゴキブリやハエを見つけたら、殺虫剤をシューッて平気でやっています。8畳間の部屋に1回シューッとやると、24時間虫がゼロになるという強力な殺虫剤もありますし、最近、新聞を見たら、1年間は大丈夫という殺虫剤の広告も出ていました。

高速道路を走る車に虫がぶつかると、その虫は死んでしまいます。それでどのくらいの虫が死ぬのか計算した人がいますが、車1台が廃車になるまでに何千万匹もの虫が殺されているそうです。

誰でも、アリのような小さい虫を年中踏みつけていますし、それをもって生命尊重とか言われても、僕は聞くつもりはありません。

■東大の解剖体慰霊祭

虫の法要を行っているのは、そんな理由ではなく、なんとなく自分で勝手に考えてやっているだけのことです。

法要を始めたら、東大医学部で解剖体の慰霊祭というのを毎年ずっとやっていたことを思い出しました。解剖されるのは亡くなった人ですが、解剖するということは、必ず解剖される人がいます。

病院では病理解剖を行いますし、法理の解剖もあります。亡くなった人を解剖するというのは、医学部ではごく普通に行われていることです。僕も長年、解剖をやってきました。

解剖というのは、亡くなった人の体にメスを入れてバラバラにします。つまり人の体に何らかの危害を加えているわけです。その気持ちは解剖している僕らにも残ります。東大医学部の解剖学教室に勤務していたときは、「僕らはよくないことをしているのではないか?」と、勝手に思っていました。

そんな、ちょっと申し訳ないという気持ちから、年に1度、解剖体の慰霊祭が行われていたのだと思います。

ビーチに置かれたバラ
写真=iStock.com/Lisay
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Lisay

■「供養」をする日本人の精神性

解剖する人は、わかりやすく言うと加害者です。それに対して、解剖されている人は被害者です。慰霊祭は僕たち加害者たちの気持ちを和らげるために行われているのだと思います。

ただ、こうした行為が、世界中の人に通じるかどうかはわかりません。ケンタッキー・フライド・チキンは世界中に店舗がある多国籍企業ですが、その中で年に1回、鶏の供養を行っているのは、日本のケンタッキー・フライド・チキンだけだそうです。

他の国の人も鶏を殺して食べているわけですが、別に鶏を殺したとは考えていません。日本人だけが鶏を殺すということについて、どこか気持ちが悼んでいるのでしょう。文化の違いといえばそれまでですが、日本人は鶏を供養することでバランスがとれているのだと思います。

日本人でも「そんなの迷信じゃないか?」とか、「なんかバカなことをしているんじゃないか?」と思う人もいるでしょう。だから誰でも理解できるように、気持ちのバランスをとるのは相当難しいと思います。

■医者は間違えると患者を殺す

僕が医学生の頃、インターンで臨床を経験しました。当時は今よりもずっと乱暴な医療だったので、亡くなる患者さんをしょっちゅう診ていました。

そこで学んだことは、医者は間違えると患者を殺すということです。僕はそういうことが非常に嫌だったので、自分が臨床医になることも嫌になってしまいました。

でも僕のように人が死ぬのが嫌な人間ばかりだと、医者がいなくなってしまいます。だから患者さんが死ぬのは仕方がないことだと、どこかで吹っ切らないといけません。

そういう気持ちのバランスを保つ装置の1つとして、慰霊祭があるのではないかと思っています。

■虫塚を自分の墓にすることはできなかった

2015年、虫の法要を行っている鎌倉の建長寺のご厚意で、虫塚というものを建てさせていただきました。

日本はおもしろい国で、筆塚のような塚をつくる風習があります。筆塚は長い間使って古くなった筆を供養する塚です。こういうことを世界の他の国の人に言っても、ほとんど理解してもらえません。

建長寺の虫塚は、僕の後輩でもある建築家の隈研吾さんに頼んで設計してもらいました。普通は石の塔のようものを建てると思いますが、隈さんはジャングルジムみたいなユニークな形をした虫塚にしてくれました。

■虫塚に自分自身が入ろうと思ったが…

『まる ありがとう』という本にも書きましたが、虫塚のような供養塔は、普通は自分が殺したものを慰霊することが目的です。

だからこの虫塚には僕自身も入るつもりでした。また虫と関わりのある人なら誰でも入っていいことにしようと思っていました。その理由として、1947年に家制度が廃止されて、墓守りしない人が増えたことがあります。

戦後、都市への一極集中が進んだために、田舎に放置された無縁墓が増えています。建長寺は創建から760年以上の歴史があるので、これから先もお寺が続いていれば、虫塚も続くと思ったのです。

■墓は勝手につくってはいけない

ところが、後でわかったことですが、墓を勝手につくってはいけないようです。墓地は墓地として管理しないと、後で動かしたりするときにもめるというのです。結論を言うと、虫塚を墓地にすることはできないということでした。

養老孟司、中川恵一『養老先生、再び病院へ行く』(エクスナレッジ)
養老孟司、中川恵一『養老先生、再び病院へ行く』(エクスナレッジ)

僕の母は実家があった相模原に自分で墓を建てて、母方の祖父や祖母もそこに入っています。父は京都の知恩院と、実家のある福井県の墓地にそれぞれ分骨しています。もしかしたら、虫塚に少しだけ分骨するのはできるかもしれません。

でも虫塚だけを墓にすることはできないので、どうするかはまだ考えていません。おそらく妻が決めるでしょう。何事も順送りですから。

猫のまるを亡くして2年。その骨壺もまだ自宅に置いてあるのですが、どうするか決めていません。中川恵一さんから、「骨壺を見て毎日涙するのか?」と聞かれましたが、そんなことはありません。何事も諸行無常ですから。

まるの骨を庭に撒いちゃおうかとも思いましたが、この家もいつまで続くかわかりませんからね。

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養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)など多数。

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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司)

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