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「民家でジジババを縛るだけ、安全だよ」広域強盗の手配師と2週間やりとりしたTBS記者がみた闇バイトの真実

プレジデントオンライン / 2023年4月21日 11時15分

社会学者の宮台真司さん - 撮影=門間新弥

日本各地で被害が出た広域強盗事件では、実行犯の多くがインターネットの「闇バイト」の応募者だとみられている。なぜ凶悪犯罪にバイト感覚で手を染めてしまうのか。実際に募集サイトに潜入し、リクルーターとやりとりしたTBS調査報道ユニットの塩田アダムさんと、社会学者の宮台真司さんの対談をお届けする――。

■なぜリスクを省みずに参入するのか

――塩田さんは取材のため闇バイトに応募し、2週間におよぶリクルーターとのやりとりを通じて得た詳細を〈闇バイト潜入取材2週間…TBS記者だと打ち明けると「さらわれて殺されますよ」〉というリポートにまとめています。お二人は、リスクを省みずに闇バイトに手を染める人たちの行動をどのようにお考えですか。

【宮台】僕が捜査一課から、塩田君が別ルートから得た情報が符合するので話します。

フィリピンから送還されて逮捕された指示役たちは首謀者でなく「真ん中」。「上」には暴力団が存在します。でも情報やカネの流れが把捉できないテックが使われて、突き上げ(命令系統を上に辿る)ができません。突き上げには囮捜査を越えた潜入調査が必要ですが、むろん非合法です。指示役・リクルーター・実行犯は使い捨ての駒です。

広域詐欺の歩留まり低下で一部が広域強盗にシフトしましたが、詐欺と違って強盗は大半が捕まります。でも送金後に捕まるので「上」にとっては一向に構わない。今のところ実行犯は容易にリクルートできるのでカネの流れは止まらない。でも「下」の実行犯にとっては構わないどころじゃないはず。強盗殺人なら死刑か無期。強盗でも6年以上の懲役。なのに広域強盗の実行犯を高回転でリクルートできたのはなぜなのか。

■ケツモチがないまま暴走する集団少年犯罪が増えた

まず前史から。捕まらない工夫をした跡が見えない犯罪が1992年の暴力団対策法の施行から増えます。暴力団は、共同体からこぼれる人を三下として引き受け、運転手や電話番をさせて暴走を防ぐ裏共同体でしたが、暴対法によるビジネスヤクザ化で三下が切られて紐が付かなくなった。裏共同体にさえ居場所がない者はシャバもムショも大差ないので捕まらない工夫をしない。僕が暴対法に反対した理由です。

昔はケツモチするヤクザが地元の不良たちのやりすぎを止めました。ところが80年代の新住民化(転入者増加)で、地元がどう回ってきたのか知らない新住民が組事務所排斥運動を始めます。それが暴対法に繋がったんですね。地域空洞化による組と地元の分断で、ケツモチされずに暴走する集団少年犯罪が増えました。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件が代表的です。ここまでが前史、つまり第1段階ですね。

■団地化、コンビニ化、スマホ化という社会背景

【宮台】90年代後半、酒鬼薔薇事件のような凶悪な単独少年犯罪が増えます。裏どころか表にさえ紐付かない少年が生まれ始めたからです。60~70年代の「団地化」で地域が空洞化したのに続き、80~90年代の「コンビニ化」で家族が空洞化したのが背景です。これが第2段階です。ちなみに警察用語では「少年」は男女を含むけど、実際大半が男性です。対人スキルが女性より乏しいからです。ゲノム的要因と文化的要因があります。

さらに2000年代以降の「スマホ化」で、KYを恐れてキャラを演じる、当人が友達と称しても知り合い以上ではない、友達がいない若者だらけになります。どこにも紐付かない若者が少数派どころか大多数になり、女性にも珍しくなくなりました。それが普通の男女学生が闇バイトに気軽に応募する背景です。受け子と掛け子は犯罪の全体像を知らないから罪悪感が薄いのは事実ですが、相談できる友達がいれば止めてもらえます。

シノギもあります。92年の暴対法で、組員がビジネスを偽装したシノギを始めます。ところが2006年から全国に拡がる暴力団排除条例で、ビジネスを偽装するか否かにかかわらず組員への支払いが禁じられ、糧を得られなくなります。2点でまずい。第1は、生活権の侵害。実際、国会を通らないので各地の条例になった。第2に、一般人の弱みを握って使い始める。2010年以降話題になった、半グレ集団を使うのが最初です。

■「検挙率99.3%」でも強盗はなくならない

【宮台】やがて半グレではない市民を犯罪の実行部隊として使い始めます。広域詐欺とそこから派生した広域強盗です。歴史を振り返ると、釈尊の「ソレありてコレあり、ソレなくしてコレなし」の言葉通り、組員を社会からより遠くへと切り離す40年の歴史と、地域から、家族から、やがて友達からも切り離された市民の感情的劣化が、広域詐欺や広域強盗の2つの背景です。もともと問題を指摘してきた僕には不思議さはありません。

【塩田】警視庁が昨年1年間に特殊詐欺で検挙した受け子と掛け子、620人に取り調べをしたところ、約半数にツイッター上での闇バイトの検索歴がありました。宮台さんが言うように、詐欺の現場では素人がリクルートされて駒として使われる実態が広がっています。広域強盗も同様で、私の取材でも実行犯が一般人にスライドしていることが明らかになりました。

TBS調査報道ユニットの塩田アダムさん
撮影=門間新弥
TBS調査報道ユニットの塩田アダムさん - 撮影=門間新弥

検察庁が公表している「令和3年の刑法犯に関する統計資料」によると、強盗事件の検挙率は99.3%で、実行犯はほぼ確実に捕まるというのが統計的な事実です。それでも多くの若者が凶悪犯罪の実行犯としてリクルートされていく。その理由を真剣に考える必要があると思います。

■「捕まったら捕まったでいい」という感覚

【宮台】なぜ杜撰な犯罪に手を染めるか。思い浮かべるのは、ねこぢるの漫画『ぢるぢる旅行記』(青林堂)のネパール編。「死んでいるのか生きているのかわからないような感じ」という名セリフがあります。同じ90年代末、ネットで集まった人が練炭自殺をする事件が頻発する。実際は、集まって場所を探しつつ移動する間に気分が変わり、未達に終わりがち。数回に一度しか「実行」に到(いた)れない。それを皆がわきまえていました。

そこには強い自殺念慮がないのです。「死んだら死んだでいい」という感じ。杜撰な犯罪の「捕まったら捕まったでいい」という感じに似ます。そんな感覚の拡がりの背景は何か。一口で、社会のどこでも「汝 you」として眼差されず、「ソレ it」として眼差されるということ。実はマルティン・ブーバー『我と汝』(1922年)の図式です。彼は20歳年長のフッサールを踏まえ、フッサールはフランス革命期=産業革命初期のカントを踏まえていました。

カントは二世界を区別します。体験の外にある物理世界と、体験の内にある人倫世界。人にとって世界は体験された世界。科学の観測装置と概念枠組みで得た認識も、所詮は認識=体験。体験を与える物理世界は確実に存在しても、人に与えられるのは、物理世界xを社会システムと心的システムが関数的に変換した体験世界y=f(x)です。ところがそれはもっぱら人倫世界(私やあなたや彼が織り成す人称世界)として現れます。

■相手を“ソレ”として扱い、自分も“ソレ”として扱われる

【宮台】物理世界は決定論的。人倫世界は人の自由意思次第で非決定論的。フランス革命期、物理学は決定論のニュートン力学でした。この枠組みを展開したのが戦間期にかけて活動したフッサール。人称的に与えられる体験世界を生活世界と呼びます。体験された非人称的な物理世界が自然世界。生活世界外の非人称世界は自然世界のほかに市場や行政の世界を含みます。人間らしく生きようとするのは生活世界でのことです。

これをブーバーが噛み砕く。人称世界の核は「我と汝」関係。汝として眼差した相手から汝として眼差される。人は汝として眼差されて初めて輪郭と重みを与えられます。汝として見られてちゃんとする自分。汝として見られずにぼんやりしたままの自分。どっちが本当の自分か。答えは前者です。なのに相手を汝ならぬソレとして扱い、自分も汝ならぬソレとして扱われる界隈が拡がる。そんな人の生は実りがない=つまらない。

ソレとは入替可能な道具のこと。この点フッサールの同世代ウェーバーの認識が重なる。マルクスによれば資本主義的市場では誰もが入替可能な道具になるけど、ウェーバーによれば行政官僚制では手続き通り役割をこなせば誰でもいいという具合に人が没人格化します。ブーバーのソレとはウェーバーの没人格です。一連の思考は、産業革命以降の都市化で、人をソレとして扱う界隈が拡大する流れを背景にします。

対談の様子
撮影=門間新弥

■まるで飲食店バイトの面接のようだった

【塩田】闇バイトのリクルーターと何度もやりとりして驚いたのは、リクルーターが強盗の手順を淡々と説明することでした。例えば「うちは“シバリ”はあんまりないから」と笑いながら言うんです。「シバリって何ですか」と聞いたら、「民家に入ったときにたまにジジババがいるけど、やかましくて仕方ないでしょ。だからダクトテープで口をぐるぐる巻きにして縛る。塩田くんは安全だよ」と、まるで飲食店バイトの面接をするような口ぶりでした。

向こうは僕がそれを聞いても何とも思わない前提で話していた。裏を返すと、闇バイトに応募する人の多くは、他者の痛みに対する想像力が著しく欠けているのだなと思いました。

【宮台】僕は感情的劣化と呼びます。60~70年代に精神障害とは別に人格障害概念が生まれた背景に関連します。刑法39条に「心神喪失者の行為は、罰しない」とあるのは、「悪いのは人よりも病だから、罰せずに治療せよ」という精神障害の扱いゆえです。他方、人格障害は病でなく、古くは性格異常と呼ばれたもの。標準を外れた感情プログラムを指します。60~70年代から目立ち始めた。背景は成育環境の激変です。

■感情の交流がない「郊外化」が進んでいる

【宮台】正確には、60年代の英国で生まれた行為障害概念をヒントに、70年代の米国で人格障害概念が生まれ、80年代から日本でもポピュラーになります。感情プログラムの偏りを定義する物差しは文化的なものです。僕の子供時代は蛙の尻穴に爆竹を挿して爆破させる遊びが普通でしたが、今なら人格障害です。なので、人々の生活形式がばらけて共通感覚が失われたことも、人格障害が問題化した社会学的背景です。

宮台真司さん
撮影=門間新弥

普通の人にできない残虐行為が平気なのはどんな子かと興味を持ち、90年代後半に少年犯罪を取材しました。すでに各種人格障害と鑑定される被疑者が多くいました。発達障害がある子の扱いを含めて成育環境に問題を抱える子が増えたからです。昔も育ちが悪くて不良化した子はいたけど、映画が描くような不良界隈があってその作法を学んだだけで理解可能なテンプレでした。凶悪な単独少年犯罪とは質が違います。

成育環境の問題を説明するのが「3段階の郊外化」です。第1段階は60年代の団地化=地域空洞化。第2段階は80年代のコンビニ化=家族空洞化。第3段階は00年代以降のスマホ化=個人空洞化。KYを恐れてキャラ&テンプレを反復する営みが全域化します。年齢や性別のカテゴリーを超えてフュージョンする営みが子供から奪われ、教室でも家族でも上辺を繕(つくろ)う不毛さが支配。感情的能力を育む機会が失われました。

■なぜ電車内で化粧をする人があらわれたのか

【塩田】昔は犯罪に走る若者にも感情能力があったのでしょうか。先日、萩原健一主演の『傷だらけの天使』(日本テレビ系)の第1話を見ました。ショーケンは高級時計屋で強盗して逃げる途中、小さな男の子にぶつかって倒してしまう。後日、ショーケンは指名手配中にもかかわらず男の子が住む団地を訪れ、「大丈夫だったか」と声をかけます。あくまでドラマですが、強盗犯なのに他者の痛みに対して感受性が働くという描写は、時代性を反映したものなのでしょうか。

【宮台】90年代半ばにクローズアップ現代で「電車内での化粧やウンコ座り」について話したことだけど、「旅の恥はかき捨て」の言葉通り、「仲間以外はみな風景」という感覚は日本では昔から変わらない。欧米みたいな市民的公共性がなく、所属集団でのポジション取りだけがあるからです。空気を読むのは内輪だけで、外には鈍感。昔と違うのは、かつて内輪が世間大だったのが、縮みに縮んで3人ほどになったことです。

当時は、酒鬼薔薇事件など凶悪な単独少年犯罪が連続する前でした。その後の展開を見ると、「仲間以外はみな風景」の仲間が縮小して、とうとう仲間がいなくなって「すべてが風景」になった。僕のリサーチでは若者の関係性をキャラ&テンプレが覆い始めたのは96年からで、凶悪な単独少年犯罪が連続し始めた時期に被る。要は若者たちが互いを入替不能な汝としてよりも、入替可能なソレとして扱うようになったのです。

■入替可能だと感じると人は孤独になる

【宮台】学校でも、学校のデミセとなった家庭でも、「成績が良けりゃ誰でもいいんだろ」的な扱いをされることに関係します。条件付き承認と言います。条件付き承認は無条件的承認と違って承認対象を入替可能にします。入替可能だと感じると孤独になります。無条件的承認だけが自分も社会もOKだという基礎的信頼を与えます。条件付き承認を求めて良い子を演じ続けてきた人は、他人を無条件で承認する力を失います。

実際、今の子たちは友達がいない。親や教員の前で良い子を演じる営みが、キャラ&テンプレの関係に引き継がれたのです。彼らの友達は知り合い以上ではない。僕が小中高時代、友達と悩みを話し合い、深い感情を理解し合い、お前は歪んでいるぞと介入もしました。今は恋愛においてすら心に入られるのを避ける。無条件的承認で自己信頼を構築していないので、自分に価値がないことがバレるのを恐れるからです。

この変化は援交取材で気付きました。96年までの援交第1世代は援交を友達に話しました。96年秋以降の援交第2世代は「友達だから変に思われたくなくて言えない」となりました。『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社、1997年)で書いたけど、「それって友達じゃなく、単なる知り合いじゃん」と返したものです。そこにも無条件的承認がない。4年前のクローズアップ現代が「つながり孤独」と表現しました。塩田くんは24歳だけど、同世代はどう?

■リクルーターとの雑談で抱いた違和感

【塩田】リポートには出していない話ですが、リクルーターとの会話で印象的なシーンがありました。リクルーターは関係構築のために犯罪の勧誘以外にも雑談の電話をかけてきます。あるとき電話越しにウータン・クランの「C.R.E.A.M.(Cash Rules Everything Around Me)」が流れてきたのでその話を振ったら、彼は「『金がすべて』というテーマで、俺の応援歌みたいでテンション上がるんだよね」という。

塩田アダムさん
撮影=門間新弥

しかしこの曲は、薬物取引や強盗が横行するゲットーの窮状を歌ったものです。生きるためにさまざまな犯罪行為をしても「人生は決して良くならなかった(My life got no better)」、「若者がこんな目に遭うのは間違ってる(Life as a shorty shouldn't be so rough)」という歌詞が続きます。カネがすべての環境でも、犯罪ではなく音楽で人生を変えようとする者たちの言葉です。

リーダーのRZAも「俺の周りではカネがすべてを支配する(Cash Rules Everything Around Me)、でもカネは俺を支配できない(but cash don't rule me)」と語っている。そんな曲の背景について話してみても、彼はまったく興味がなさそうでした。

映画や音楽は、自分とは違う境遇にいる他者の人生に感情移入することに醍醐味(だいごみ)があるじゃないですか。しかし、リクルーターには他者の文脈はどうでもよくて、スラングを記号的に都合よく自分のほうに引き寄せているように感じました。

■だれもが知っているものでないとシラけてしまう

ただ、これはリクルーターの男に限った話ではないと思います。おそらく僕がウータン・クランの話を会社の同期にしたら、知識でマウントを取っていると思われて、敬遠されるでしょう。知識とか記号的なものじゃなくて感情体験を共有したいんだけど、そうは受け取ってもらえない現実があります。

【宮台】そうして表現者や時代の文脈に言及して「おまえの聞き方は間違っているぜ」というコミュニケーションは92年まで普通でした。ところがこの年にカラオケボックスがブームになって音楽の聞き方が変わります。カラオケは社交の場だから、皆が知っていて盛り上がれる曲なら何でもいい。だからCMやドラマのタイアップ曲だらけになり、「歌えば拍手」の繰り返し。皆が知らない曲を耽(ふけ)って歌うと座がシラけるようになります。

さらにインターネットが加速装置になり、96年から政治・恋愛・趣味の話が「友人」関係で御法度になる。仲良しごっこにヒビを入れるからです。政治の話は価値観が表に出る。恋愛の話は奥手が乗れない。真に好きなものの話は好き嫌いが分かれる。その頃から過剰さがイタイと言われ始めます。援交もイタイ。オタクのマウンティングもイタイ。かくて96年以降、空気を読んで盛り上がれる話だけを喋るようになります。

■簡単に犯罪に手を染めるのは、感情が劣化しているから

【宮台】同時に起きたのが多重オタク化。複数の引き出しを持ち、相手が音楽を好きなら音楽の話をします。マウンティングから社交ツールへの変化でオタクが市民権を得て、00年代にはオタクの恋愛話「電車男」が流行。メイド喫茶で秋葉原が観光地化します。といっても相手に合わせるだけ。本当に好きなものの話はすべて裏垢。「友達」とは空気を読んでテンプレで戯れるだけで、「自分でなくていいんじゃね?」と寂しくなります。

――かつては犯罪に簡単に引き込まれるツールはありませんでした。若者たちの感情の劣化がツールと結びついて、簡単にタタキ(強盗)に参加する人が増えた側面はあるのでしょうか。

【宮台】はい。闇バイトがやばいのは誰もが知っていても、全体像を知らないのが言い訳になる。ましてタタキはやばいけど、全体像を知らずに指示に従うだけなのが言い訳になる。でも、それで敷居が下がるのは、塩田くんが言う通り、自分にだけ意識が向かい、他者への想像力が働かないからです。募集や指示がなされるSNSこそまさに、自分にだけ意識が向かい、他者への想像力が働かない感情的劣化の加速媒体です。

■特殊詐欺をした10代の半数が遊興費目的

【塩田】取材をしていると、もともと半グレやヤクザと交流があった人たちが、その関係性をベースにして犯罪行為に手を染めていくケースと、これまで犯罪に交わらなかった人たちがツールを介して実行犯になっていくケースがありました。フィリピンを拠点にする「箱」と呼ばれる犯罪グループの一味には多摩美術大学でミスコンに出ていた女もいましたが、彼女のような若者が犯罪に手を染めていく実態に社会が困惑しているように思います。

塩田アダムさん
撮影=門間新弥

ワイドショーのコメンテーターなどは、よく後者のケースを指して「純粋無垢(むく)な若者が『闇バイト』というトラップにひっかかって、身分証を押さえられたから、犯罪行為に手を染めざるを得なかった」というまとめ方をしています。しかし、SNSや掲示板を媒介にして闇バイトに応募する若者は極めて自発性が高く、何の強制も受けていません。

警視庁が発表したデータでも、特殊詐欺の受け子や掛け子をやった10代の200人のうち、約50%が犯行動機として遊興費をあげました。飲食店のバイトのような感覚で自発的に参入してくる実態を見ると、やはり宮台さんの言う「感情の劣化」を前提に考える必要があると思います。

■リクルーターにとって実行犯は「ゲームの駒」

――タタキには犯罪ゲーム的な印象もあります。簡単に参加してしまうのはゲーム感覚なのでしょうか。

【塩田】ゲーム感覚については、リクルーターと実行犯で異なるリアリティが広がっています。リクルーターは、タタキの手順をかなり事細かに説明します。「自分は素人だからできない」と答えると、「電話で指示を出すから大丈夫」という。

実際、被害に遭った店舗や民家の防犯カメラ映像を見ると、携帯電話を片手に金品を物色する実行犯の姿が映っています。リクルーターや指示役にとって、実行犯はゲームの駒と同じで、操作するもの。現場にいないから身体性もない。彼らにとってタタキはバーチャルなゲームに近しい感覚だと思います。

一方、実行犯に情報として知らされるのは集合時間と集合場所だけ。僕もリクルーターからタタキを紹介されたとき、粘って民家に押し入ることは聞きだしましたが、何人家族なのかも教えてもらえませんでした。

宮台さんは「仲間以外はみな風景」と言いましたが、リクルーターは実行犯に風景すら見せようとしないのです。情報が何もないから、実行犯にはおそらくゲーム性を持ってドライブしていくような感覚はありません。現場で生身の人間を前にして、縛ったり殴ったりして初めて風景が立ち上がっていくんじゃないかと思います。

■自分がよければ他人を傷つけても構わない心理

【宮台】印象深い観察です。89年の宮崎勉・幼女誘拐殺人事件から「現実と虚構の区別がつかないオタクが犯罪をする」と言われるようになります。でも、フィールドリサーチすれば分かるけど、区別できない人などいない。現実と虚構の区別がつかないのではなく、虚構より現実を尊重するべき理由がないだけ。そんな感覚で捉えられた現実を「ゲーム感覚」と呼びます。現実をゲーム感覚で捉える人に欠けるものは何か?

宮台真司さん
撮影=門間新弥

本来の現実には、人に大切にされたり人を大切にしたりする喜びがある。通信ゲームでNPC(ノンプレイヤーキャラクター)を助けたり助けられたりしても、さしてうれしくない。ゲームは楽しくても、現実でしか感じられないものがある。ゲーム感覚で捉えられた現実は、現実の枝葉に過ぎません。昔はそれをわきまえられるように育ったのに、今そうでなくなったのも、第3段階の郊外化=個人空洞化の帰結で、現実が空っぽだからです。

――遊興費のためにタタキをするという話がありました。自分がよければ他人を傷つけても構わないという自己正当化の心理についてはどうでしょうか。

【塩田】狛江市で別の実行犯グループが90歳女性を殺害したとき、やりとりしていたリクルーターにすぐに電話をかけました。彼は明らかに動揺した様子で、「自分たちのグループがついに人命まで奪ってしまったことに、さすがに心を痛めているのだな」と思ったんです。

■リクルーターが放った衝撃の一言

【塩田】ところが、その直後、「だって無期(懲役)だぞ。80万円のために無期なんてやってられない」と言った。この期に及んで、まだコスパで物事を捉えているのかと衝撃を受けました。

さらに驚いたことに、彼は「タタキは割に合わないと思うなら、覚醒剤の案件がある」と持ちかけてきました。私がのちに記者であることを明かして「良心の呵責(かしゃく)はないのか」と質問すると、「悪いことしている人にそんなことを聞くのは愚問ですよ」と返ってきました。自己正当化なのか防衛機制なのか、犯罪を続けるために何らかの心理的作用が働いていると感じました。

【宮台】意識とは「反応に対する反応」です。何かをしているだけでは動物と同じで意識がなく、何かをしている自分に「これでいい」「なんか嫌だ」と反応している時に意識があります。タタキの現場ではリクルーターが情報を制限して実行犯に意識する間を与えないから躊躇がない。他方、リクルーターは意識がある。「愚問です」と答えたのは、葛藤や躊躇した時期を一度通過して、ある種免疫化したうえで出てくるセリフでしょう。

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塩田 アダム(しおだ・あだむ)
TBS記者
1998年生まれ。2021年にTBS入社。現在はTBS調査報道ユニットとして、news23や報道特集などに出演している。趣味は音楽・映画鑑賞で、TBS入社前はダンサーとして活動していた。

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宮台 真司(みやだい・しんじ)
社会学者
1959年生まれ。東京都立大学教授。東京大学文学部卒。東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。社会学博士。著書に『終わりなき日常を生きろ』『日本の難点』『正義から享楽へ』など多数。

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(TBS記者 塩田 アダム、社会学者 宮台 真司 構成=村上敬)

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