インボイス制度は「稼げる者しか生き残れない世界」をもたらす…年収860万円のライターが導入に反対する理由
プレジデントオンライン / 2023年4月22日 11時15分
■「課税事業者にならなければ10%分を差し引きます」
今年のはじめ、ある出版社から次のような文書を受け取った。
インボイスとは商品やサービスの売り手が発行する「適格請求書」のこと。インボイスを発行するには制度に登録し、消費税を納める課税事業者になる必要がある。
これを踏まえて出版社からの文書を読み解くと、「あなたが課税事業者になって消費税を納めなければ、私たち(出版社)は規定の原稿料から10%を差し引きますよ」ということだ。私がすべての取引先の出版社からこのような措置を受けた場合、年間80万円以上の収入減になる。
インボイス制度について、特に会社員の人は「無関係だから、よくわからない」と思われるかもしれない。けれども、最終的には物価の上昇を招く恐れがあり、日本の産業を破壊するという点で無関係の人はいない。
■この制度がどれだけ国を貧しくするか
一言でいうなら、インボイス制度は「稼げる者しか生き残れない世界」をもたらすものだ。各業界の主役だけが存在し、脇役が消えていくようなものだと思う。飲食業界であれば、大規模チェーン店は生き残り、路地裏にあるような個人店はつぶれるかもしれない。出版業界であれば、大物作家は生き残れるが、私のようなフリーランスは続けられないかもしれない。
皆で同じようなタッチのものを見聞きして、同じような味を食べることが豊かな世界だろうか。大して売れないけどニッチな映画や作家が存在できる、独特の味を展開する店がある、そういう世界のほうが楽しい。
インボイス制度はフリーランスのほか、小売店や個人タクシーなどさまざまな業種の個人事業主に関係するが、この記事ではフリーの執筆業という自身が置かれている状況をまじえて書く。それによりこの制度がどれだけ国を貧しくするか、知ってほしいと思う。
■年収860万円では40万円程度の納税が必要に
昨年の私の事業売り上げ(年収)は860万円。収入源は主に原稿料だ。
これまで私のように売り上げが年間1000万円以下の小規模事業者は、消費税の納税を免除されてきた。支払う力がないとみなされ、支払い義務がなかったのだ。それが一転、今年10月からは「課税事業者」になるか、これまで通り「免税事業者」のままでいるかの選択を迫られている。
課税事業者になると、昨年度の年収860万円に対し、簡易課税を選択したとして40万円程度の消費税を納税しなければならない(緩和措置あり)。
インボイス制度実施に反対する声優有志チーム「VOICTION」は、免税事業者が課税事業者になった場合の収入に応じた消費税負担を試算している。それによれば、年収300万円で消費税13.6万円、500万円で22.7万円、800万円で36.3万円だ(VOICTION作成YouTube「インボイス制度で生活苦に⁈」より。各数字は概算)。当たり前だが、そのぶん手元に残るお金が減る。
しかし、こういった主張をすると、「(免税事業者は)これまで買い手から消費税を預かって、そのぶん利益を得てきたのだから、当然納税すべき」と指摘されることが多い。近年、「益税」(消費税の一部が免税事業者の手元に残ること)という言葉も出てきた。
![インボイス制度実施に反対する声優有志チーム「VOICTION」共同代表の一人で、声優の咲野俊介さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/8/1200wm/img_988cd6c1617174c7db739b2d2b0de9dc433805.jpg)
■「益税という言葉は、消費税法上はどこにもない」
VOICTION共同代表の一人、声優の咲野俊介氏は「益税という言葉は、消費税法上はどこにもない」と説明する。
「消費税は預かり金じゃなく対価の一部と国が主張し、勝訴した判決があります。また同じお菓子を大型スーパーで買った時と個人商店で買った時に値段が違うことがよくありますよね。その場合、“店ごとに納税額が違う”というおかしなことになりませんか」
たしかに小規模な個人商店では、菓子類に限らず手頃な価格設定であることが少なくない。この背景には、免税事業者で納税義務がなかったことと、消費税相当分を価格に転嫁しなかったことがあるのだろう。
「我々声優は波のある商売で、僕自身も課税事業者だった年もあれば、免税事業者だった年もあります。それで『課税事業者になって損した』と思ったことは一度もありません。課税事業者、つまり年収1000万円を超えていればその年分を納税するのは当然だと思っています。インボイス導入に反対している人たちも、納めたくないから言っているのではなく、長年の商習慣の影響で納められないんです」(咲野氏)
■大企業には甘く、フリーランスには厳しい課税
社会保障の制度に詳しい佛教大学社会福祉学部准教授の長友薫輝氏もこう憤る。
「インボイス制度は、本来税負担が難しい人たちからも、根こそぎもぎ取ろうという悪どい仕組みだと思います。芸術文化の担い手の方々や地域経済を支えている小規模事業者には徴収が厳しく、一方で大企業に有利な法人税上の措置はたくさんある。富を手にしている人がますます豊かになり、大多数の庶民はどんどん厳しくなる状況です。インボイスはそれを加速させる制度ですね」
先日、『週刊新潮』(2023年4月6日号)では「『大増税ニッポン』の税金は不公平」という巻頭特集が組まれていた。そこで「不公平な税制をただす会」共同代表の税理士、浦野広明氏が優遇税制により大企業がどれだけ減税されているかを試算している。同記事で浦野氏は<20年度の法人税の優遇措置で約5兆2000億円、租税特別措置(税金の軽減で大企業への適用が多い)で約1兆1000億円、計約6兆3000億円となりました>と述べている。
対して、財務省はインボイスの導入により「最大で2000億円程度の増収になる可能性がある」と試算している。大企業への優遇措置で減税額が「6兆3000億円」、かたや私を含め支払い能力の低いフリーランスの消費税をかき集めて「2000億円」なのだ。改めてその差に驚くとともに、週刊新潮の記事ではないが、これで「公平な課税」といえるのだろうか。
「しかもその2000億円の徴収も、1~2年くらいでしょう」と咲野氏。
■免税事業者との間で取引すると負担が増えてしまう
「税率が上がれば廃業者・失業者が確実に増えます。廃業者・失業者が増えれば税収も減るわけですから、最終的には税収増の制度ではなくなるのです。VOICTIONの活動を通して、これまで知らなかった、さまざまな業界の人の話を聞きました。例えば漫画家さん。漫画を書くためにアシスタントを雇っている方の場合、アシスタントの消費税を負担しなければいけなくなるので事業継続ができなくなるのです」
今後は商品の流通過程に「免税事業者」がいれば、次にその商品を請け負う人の税負担が増してしまう。
例えば出版社が、二つの特集企画を10万円(+税)で2人のフリーランスにそれぞれ取材執筆を依頼したとする。
出版社依頼「特集企画の取材執筆・10万円+1万円=11万円(税込)」→A執筆者(課税事業者)
出版社依頼「特集企画の取材執筆・10万円+1万円=11万円(税込)」→B執筆者(免税事業者)
出版社は、これまでAさんにお願いしても、Bさんにお願いしても、売り上げにかかる消費税から仕入れ税額(この場合では1万円)を控除できた。それがインボイス導入以降は、課税事業者であるAさんの分しか控除ができない。となると、出版社が執筆者に「これまでと同じ原稿料と消費税」を支払っても、免税事業者との間で取引すると、出版社側の負担が増えてしまうのだ。
上記の例では1万円なのでそれほど負担感がないかもしれない。しかし、100万円の取引になれば、B執筆者との間では消費税が控除されないのだから、出版社は実質10万円も余分に支払っていることになる。私も年間にして100万円以上の取引をしている会社が複数あるので、取引先の負担を考えると「知らん顔」というわけにはいかない。
■「廃業するしかない」という個人事業主が少なくない
冒頭述べた「強い者、稼げる者しか生き残れない世界になる」という意味がわかると思う。仕事を頼む側(出版社)からすれば、支払い消費税額が増える執筆者Bさん(免税事業者)より、増えない執筆者Aさん(課税事業者)に仕事を依頼したほうが損しない。もしくは冒頭、出版社から私にきた文書のように「あらかじめ原稿料から10%引く」という相談をもちかけられる可能性もある。
かといって、細々と仕事をする個人事業主は課税事業者への転換に迷う。納税の負担が重いからだ。私の周囲でも、インボイス制度導入により「廃業するしかない……」と暗い目をする個人事業主が少なくない。咲野氏が指摘する通り、制度導入により失業者は確実に増えるに違いない。
そして自分が課税事業者に転換して生き残る場合も、「仕事の質」が低下する恐れがある。
私は2018年にフリーランスになってから、毎年800万円前後の年収を維持している。高年収だと思う人がいるかもしれないが、実は大きな弱点がある。収入の9割以上が原稿料のため、これ以上の収入増は見込めないということだ。「取材執筆の仕事」は肉体労働と通じる部分があって、物理的な限界がある。実際一年間、一日も休まず働いた年も、900万円を超えることはなかった。さらに収入を増やすには、徹夜で原稿を書き続けるとか、自分の書いた本が爆発的にヒットする、あるいは出版以外の講演などの仕事を増やさない限り難しい。
■だからフリーランスの年収は「会社員の年収の半分程度」になる
また、人によってやり方は違うと思うが、私は取材執筆に関わる経費は原則として自己負担にしている。経費で大きく占めるのは取材交通費、資料(書籍)代、交際費。記事にするための取材は常日頃から欠かせず、特に書籍執筆の際などは徹底的に取材を重ねるのでそれなりの額になる。取材を受けてくれた方への気遣いも必要で、忙しいなか時間をさいてもらうのだから、専門家はもちろん一般の方に対しても、お礼をする(金銭とは限らない)。これが交際費だ。「自営業はなんでも経費にする」といわれることもあるが、私自身は個人的に欲しくて買った本や、取材先以外との飲食代などは経費に含めず、徹底して公私のラインを引く。それでも経費の総額は約210万円なのだ。
(年収)860万円-(経費)270万円(仕事場家賃60万円含む)=所得約590万円。さらにここから以前プレジデントオンラインで記事にしたように(※)、国民健康保険料を収入の約10%(年間88万円)徴収され、年金、住民税も引かれる。個人事業主は良質なものを生み出そうとするほど経費の負担が重くなり、一般的には会社員の年収の半分程度ともいわれる。つまり個人事業主の年収1000万円は、会社員の年収500万円と同等ということだ。ここに「消費税の納税」が入ってくるとすれば、取材にかける費用をしぼらざるを得ない。すると当然、記事の質が落ちる。
※<健保変更で保険料は年88万円から年45万円の半額に…加入者を経済的に追い込む「国保」に入ってはいけない>(2022年8月5日公開)
![インボイス制度実施に反対する声優有志チーム「VOICTION」共同代表の一人で、声優の咲野俊介さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/2/1200wm/img_322652ca650465c5ba9f1cf9d0c653d2437859.jpg)
私はこれからも時間と費用をかけて足で取材し、確かな記事を発信していきたい。売れっ子ではないが、リアルな現場の話が好きと言ってくれる数少ない読者がいるからだ。同じように声優業界も、食べものを作る製造業の人も、自分が良質と信じる作品を世に出しているのだと思う。お互いをつぶしあうのではなく、お互いが生み出す作品を求め、経済をまわしていく世界にしたい。
だからやっぱりインボイス制度導入に私は反対だ。
最後に、咲野氏の言葉を紹介したい。
「インボイス反対の活動をしていて、打てば響くんだなって感じました。大勢が応援してくれ、一緒に声をあげてくれ、活動に参加してくれています。僕たちは何のコネもない、ただの国民です。でもただの国民が声をあげても、世の中は変わるんだって成果がほしい。あらゆる分野で懸命に声をあげている人たちが、結局変わらないんだ、失敗したなって思わない世の中になってほしいです」
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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