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コンビニおにぎりと温水トイレに外国人が感激…そんな「日本すごいニュース」に飛びつくのはあまりに情けない

プレジデントオンライン / 2023年4月21日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ronniechua

諸外国と比べて日本は「いい国」なのだろうか。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「そんなことを気にする必要はないのに、日本人が自信を喪失しているので、『日本はすごい』というニュースが注目を集めてしまう。評価軸はあくまで自分のなかに置くべきだ」という──。

■WBCで続出した「日本アゲアゲ」記事とは

少し前の話になるが、2023年3月21日、野球の世界一決定戦・WBCにおいて、日本代表は見事優勝を果たした。非常に喜ばしいことだし、関係者には心から「おめでとうございます!」と伝えたい。私は2006年、2009年のWBCでも生中継で日本が優勝した瞬間を見ていたので、実に感慨深いものがある。

しかしWBCに関連して、どうしても気になる日本の報道、そして空気感があった。それは「海外の人々が日本を絶賛!」式の記事がネットに頻出したことだ。スポーツ紙のウェブ版、スポーツ専門サイト、ウェブ限定メディアなどがこぞって「これはアクセス数が稼げるチャンス!」とばかりに、すさまじい量の「日本アゲアゲ記事」を掲載したのである。

予選である東京ラウンドが行われていた際、海外の選手やその家族、そして海外記者らが、日本で体験したことをツイッターやインスタグラムなどSNSを通じていろいろと発信した。日本のメディアは、それを基に記事を量産したのだ。正直、それらの大半はSNSを眺めているだけで作成できてしまうようなお手軽記事ながら、これが多数のアクセスを稼ぎ出してしまう。もちろん「Yahoo!ニュース」といったポータルサイトなどにも配信され、アクセスランキングで上位に来る。メディアからすれば、ラクをして数字が稼げるのだからウハウハである。

■他国の選手をダシにして日本を上に置こうとする醜悪さ

そうした記事は基本的に「日本人のおもてなしと親切さに外国人感激」「日本の食のレベルとコスパに外国人感激」「日本人選手の紳士っぷりに外国人選手感激」「日本の観光地と娯楽を外国人絶賛」といった内容で、展開も類型的だ。

今回のWBCに関係した日本礼賛記事のなかでも、特に話題にされたのがチェコ代表である。同国のメンバーは野球が本業ではない選手が多いこともあってか、「チェコ代表、ロッテ・佐々木朗希からお菓子をもらって感激」などの記事が乱発された。「日本の一流プロ野球選手から親切にしてもらい、格下であるチェコのアマチュア選手がこんなに喜んじゃってますよ」という“上から目線”のニュアンスが行間からにじむようで、私はたいへんイラついた。

完全にチェコを見下した論調で日本をアゲようとする姿勢は、たとえるなら、1988年の冬季五輪(カルガリー大会)に出場したボブスレーのジャマイカ代表に対し、強豪国がとったような態度と同じである。相手を値踏みしつつ、「どうです? 日本の野球ってすごいでしょ? 日本の先進国ぶりにほれぼれするでしょ?」といったアピールをチラチラ出してくる。

そんな自意識過剰の視点で切り取られた記事が、チェコ代表まわりで数多く見受けられた。1993年公開の映画『クールランニング』で描かれた、「所詮は素人」と小バカするような、あの見下し感だ。同作は、カルガリー五輪に出場した雪のない国・ジャマイカ代表のボブスレーチームの珍道中をコミカルに描いたものだ。作中のジャマイカ代表は要するに寄せ集め集団であり、それまでウインタースポーツに縁もゆかりもなかった素人ばかりがそろっている。そんな弱小チームが、どんなに強豪国からバカにされても誇りだけは失わず、大活躍する。その姿が痛快であり、感動的だったわけだ。

■さもしくアクセスを稼ごうとする姿勢が日本礼賛記事を生む

チェコ代表は「日本アゲ」のムードづくりのためにテイよく利用されたようなもの。それらの記事を具体的に紹介するのもバカらしいし、コタツ記事のアクセス稼ぎに手を貸すのも腹立たしいので、あくまでサンプルとして、架空の記事タイトルを3つ作成してみた。ここからニュアンスを感じ取っていただきたい。

【1】WBCチェコ代表選手、日本代表と対戦し「グレート過ぎる体験だ。日本ありがとう」
【2】WBC取材の米国記者、「日本は完璧な主催国である。感服した」 コンビニおにぎりと高級焼肉店の弁当、トイレにも感激
【3】日本のファンは「世界一偉大だ」 WBC取材の米記者とチェコ代表が謝意を示す

ネットの記事づくり、とりわけ時事ネタや瞬間的なトレンドを扱うニュース記事は、“空気をつぶさに読んで、好機と見たら即実行”の姿勢が不可欠になる。そのため「この傾向、論調のコンテンツがPVを稼げる」と編集者やライターが判断したら、一気にその方向に突っ走り、各メディアがわれ先に記事を掲載していく。合わせて、いかに早く関連ネタを見つけて記事を量産するかも勝敗をわけるポイントになる。

日本をホメる外国人記者をひとたび把握しようものなら、その人物のSNSを逐一チェック。弁当やトイレをホメたらすぐに記事化していく(実際は「記事」というのもはばかられるような、お粗末な内容のものも多いが)。これを「Yahoo!ニュース」をはじめとしたポータルサイトにも配信し、アクセス増を目指すのだ。要するに「日本礼賛記事のような、読者が気持ちよくなるコンテンツをどれだけ早く、量産できるか」が勝負の肝なのである。

■日本は過ごしやすい、よい国。それは否定しないが…

まぁ、こうした日本礼賛記事が横行してしまうのも、わからなくはない。結局は「読者がそれを求めている」ということなのだから。

たしかに、日本はすごい国である。人々はそれなりに穏やかだし、「おもてなし」の精神を備えた人も少なくない。困っている様子の人を見かけたら「どうしましたか?」と声をかけ、助けようとする場面もわりと多い。エレベーターでは「開」ボタンを押して他人がスムーズに出入りできるようにする。駅のホームでも整然と並んで、できる限り“押し合いへし合い”状況に陥らないよう皆が心がける。

大したものだ。店は総じて清潔に保たれているし、観光地やテーマパーク、レジ待ちの行列などで割り込みをするような人もほぼいない。電車は定刻どおりに到着して、1分でも遅れようものなら車掌が謝罪をする。スーパーに並べられた商品は見事なまでに品質が保たれており、不格好な野菜などはまず見つからない。肉や魚介類の下処理も丁寧だし、総菜は多種多様で選ぶのが大変なほど。ガソリンスタンドでは丁寧に窓を拭いてもらえるし、カーディーラーへ行こうものならば、従業員は客の姿が見えなくなるまでずっとお辞儀をしてくれたりもする。

■「外国様からホメてもらえないと不安」では、あまりに卑屈

日本ほど丁寧な国は、おそらく他に存在しない。だから、日本人はもっと自信を持っていい。別の表現をするなら「外国人から折に触れてホメてもらわないと、自分たちがちゃんと認めてもらえるか、嫌われていないか、不安になってくる」みたいな卑屈さは持つべきではない、ということだ。外国人様から称賛されないと、自我が保てないとでもいうのか?

そもそも、それなりの常識を持った人間、発言権のある人間、公的な立場の人間であれば、外国に行ったらその国、そして人々、文化、食べ物などをホメたりするのが当たり前の作法である。基本的には本心からの発言であることが多いと思うが、少なからずリップサービスもあるだろうし、ちょっと感心した程度でも「たいへん感銘を受けた」と話を盛ることもあるだろう。別に斜に構えて「本当にそう思ってる?」「お世辞でしょ」などと猜疑心を持つ必要はないが、過剰に反応をうかがったりする姿勢も不要である。「そりゃどうも」「ありがとうね」くらいでちょうどいい。

それなのに近年の日本人、そして日本のメディアは外国様から少しでもホメられると、やたらと反応してしまう。その最たるものが前述したようなタイトルであり、サッカーW杯のたびに登場する「日本サポーターが観客席のゴミを片付け、世界が賞賛」「『日本代表のロッカールームとベンチにはゴミがひとつも残されていない!』日本人の配慮に世界が感動」的な記事である。

ごみ1つ落ちていないスタジアムの観客席
写真=iStock.com/10255185_880
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/10255185_880

■テレビにも「日本礼賛コンテンツ」が溢れる

朝の情報番組や夕方のニュース番組などでも「外国人が日本の素晴らしさに感動」「日本人にとっては当たり前のアレに、外国人が大注目」といった企画をつくっては、日本のよさを発信し続けている。番組内のコーナーだけでなく「YOUは何しに日本へ?」「世界!ニッポン行きたい人応援団」(どちらもテレビ東京系)、「世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ‼視察団」(テレビ朝日系)など、番組1本がまるまる、日本人の自尊心を満たすための内容でまとめられている番組すら存在する。

「実は、日本の100円ショップのことを外国の皆さんが絶賛しているそうなんです!」などと司会者やリポーターが大袈裟にネタ振りし、出演者やガヤ連中が「えーっ!」と反応したところでCMへ……。そんな演出がお約束であるこの手の番組、私は大嫌いだ。なぜかといえば、まるで日本人が「ソト」からホメられ続けていないとプライドが持てない、卑屈で情けない民族のように思えてくるからである。

■「アメリカ人の愛国心と自信」を痛感した記憶

私は1987年から1992年までアメリカに住んでいたが、もうウンザリするくらいアメリカ人の愛国心と自信を見せつけられてきた。

スポーツの試合で相手選手が優勢になると、途端に割れんばかりの「U.S.A.!」コールが巻き起こる──そんな光景を試合中継などで見たことがある人もいるだろう。「何事においても、アメリカが最強で、最高!」と信じて疑わないのがアメリカ人なのだ。

私が日本に帰国することを高校の同級生に伝えた際には「ハァ~⁉ なんでアメリカみたいな素晴らしい国から出ていくの? あなたはアメリカにいるべきよ!」「アメリカにはピザがあるのよ! 日本にはないでしょ!」などとまくし立てられたものだ。

また、パスポートを保有するアメリカ人が10%台であることに疑問を呈したときには(現在の日本も10%台)、「あのさ、お前ら日本人みたいにわざわざ外国に行かなくても、オレらにはフロリダ、カリフォルニア、ニューヨーク、テキサス、ニューオーリンズ、ラスベガス、コロラドスプリングス、ナイアガラの滝などサイコーの観光地がいくらでもあるんだよ。なぜ海外に出なくちゃいけねぇんだよ。しかもカナダとメキシコにはパスポートなしで行けるんだぜ(当時)」と強く反論された。

アメリカ人の愛国心はたしかに鼻に付くが、「外国からどう見られようが気にしない。俺たちの国が一番だ」という揺るぎない自信は、日本人も多少見習うほうがいい。

星条旗を掲げて持つ男性
写真=iStock.com/AlxeyPnferov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlxeyPnferov

■「日本礼賛本を書いて小遣い稼ぎ」という外国人ジョーク

そうしたアメリカ生活の記憶も含め、「外国人の“日本礼賛発言”を欲しがる、日本人の気持ち悪さ」について、旧知の編集者A氏と語り合ったのだが、彼は私の意見に賛同しながら、こんなことを言っていた。

「日本礼賛番組で紹介される『外国人がウォシュレットに感動』とか『温かい便座に感激』なんて話、初めて聞いた時は面白いと思いましたけど、いいかげん、飽きましたよ。誰だって自国のことを海外の人からホメてもらえれば悪い気はしないだろうし、事実、日本は安全で暮らしやすい国だと思う。でも、他国からどう評価されるかを自分の愛国心の支えにしたり、外国人のリップサービスを真に受けたりする日本人が増えているのだとしたら、なんだか惨めな話ですよね」

さらにA氏は、著名な経営者であるX氏の書籍を制作していた際に聞いた話も教えてくれた。

「Xさんが話していたのですが、日本で暮らす外国のビジネスパーソンたちの間では『テキトーに日本のことをホメそやして、〈日本最高!〉みたいな本でも出せば、ちょっとした小遣い稼ぎが簡単にできるぜ』なんてジョークが酒飲み話などで語られているのだとか。『日本人は、外国人から日本のことを褒めてもらえると、尻尾を振る犬のごとく喜ぶ』と感じている外国人は多いらしい。Xさんは『対等に扱われていないことに気づくべき』「外国人のお世辞を真に受けて、満足しているようでは、足をすくわれる』と指摘されていました」私もまったくもって同感である。現在の日本という国、そして日本人はどこかナメられているのだ。

■バブル期の日本人はゴーマンだった

ちょっと目端の利く外国人であれば、日本がもはや凋落国であることを把握しつつも、まだ多少のカネは持っていて、文化度もそれなりに高く、アジア唯一のG7国としてささやかな影響力も残していることを理解している。「ま、当座は日本のことをホメておくか。そうすれば、まだまだカネが搾り取れるだろうし、何かしらのリターンだって得られる可能性はあるかも」──そう考えて、要領よく立ち回っている外国人も多いに違いない。

とはいえ、成長力や勢いといった点では、日本はいまや完全にシンガポールやマレーシアに抜かれている。GDPの順位も中国に負けて、3位だ。2023年はドイツにも抜かれて4位に落ちる可能性もあるという。こと電子産業やIT分野では、中国、韓国、台湾といった東アジアの国々に追い越され、挽回の気配すらない。世界における競争力も、存在感も衰えるばかりの斜陽国家──それが現在の日本なのだ。「衰退途上国」とも評される状況だというのに、外国人からおだてられて「よかった、まだ日本は“いい国”だと思ってもらえているようだ」と安堵(あんど)している場合ではない。

バブル期の日本は、よくも悪くもゴーマンだった。当時アメリカにいた私は、日本人駐在員が「アメリカ人は仕事が終わってないのに定時に帰るし、仕事ぶりも雑だ」と見下しているさまを不快に思ったものだ。また、ソニーの盛田昭夫氏と石原慎太郎氏の共著『「NO」と言える日本』という本を読んで「もう少し謙虚になれよ、ジイさん……」と呆れたことを、ハッキリ記憶している。

■凋落国に成り下がった日本の情けなさ

しかし時は過ぎて、日本の立ち位置は変わった。日本という国、そして日本人は、実に卑屈になってしまった。極論を承知で述べるが、日本人はバブル期のゴーマンさを思い出さなければならない。当時の盛田氏や石原氏のようなゴーマンさの半分でもいいから、日本人は持つべきなのだ。

超少子高齢化社会となった日本において、コロナ対策では完膚なきまでに若者が潰され、老人ばかりが優遇された。2022年には、年間の出生数が80万人を割り込み、過去最低の79万9728人を記録(厚労省が今年2月末に発表した、人口動態統計の速報値)。いまの日本には、明るい未来を予見できるような材料がなかなか見つけられない。

だが、世界有数の交通・エネルギーインフラは整っているわけで、まだまだ負けるだけの弱小国ではないはずだ。

それなのに、この3年間のコロナバカ騒動で日本は完全に世界の潮流から立ち遅れた。他国に比べて被害が軽微だったにもかかわらず、他人の目や世間の空気ばかり気にする臆病で愚かな国民性がアダになったのだ。マスクの常時着用を半ば強制し、あらゆることを自粛し、世界一のワクチンブースター接種国にもなった。

新型コロナウイルスワクチン
写真=iStock.com/Mirela Gherban
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mirela Gherban

振り返ってみれば、政府が最初の緊急事態宣言を発出した2020年4月7日、東京の新規陽性者数は87人だった。その程度でも、人々はツイッターで「#緊急事態宣言を発出してください」と懇願した。いまとなっては“セルフ経済制裁”としか思えない。そして現在に至っても、世界が脱ワクチンの動きを加速させるなか、高齢者などに対して6回目、7回目のワクチン接種を推進しようとしている。

挙げ句の果てには、新興製薬会社モデルナの工場を日本に建設しようとする動きすら見せている。建設にあたり、政府はワクチン購入の最低ラインをモデルナに約束したうえで、計画を進めることになるのだという。GHQに好き放題やらせ、自虐史観が日本人に徹底的に植え付けられた戦後。それがいまだに続いているかよ! 情けないこと、このうえない。

■海外に出ると日本の衰退を肌で感じる

1960年代以降の高度経済成長を経た後に生まれた日本人は、「日本は安全」「日本は技術大国」「日本は民度が高い」「日本は治安がよい」「日本は一流国家」といった意識づけをされながら暮らしてきた。しかし、1992年以降、給料はほぼ上がっていない衰退国であるというのが実態だ。

バブル崩壊以降の経済の低迷は「失われた30年」とも評され、それはいまも継続中であるといわれている。しかしながら、1990年代後半~2000年代初頭あたりまでは「まだ日本は世界経済において、それなりの権勢を誇っている」と信じる空気はあったように思う。

それはテレビ番組「ここがヘンだよ日本人」(1998年~2002年・TBS系)や、コミックエッセイ『ダーリンは外国人』シリーズ(2002年~)といったヒットコンテンツにおいて、日本という国への違和感が表現されていたことからも読み取れる。この頃はまだ「外国人の視点から見る、日本の奇異な点」を、当の日本人がネタとして笑い飛ばせるような余裕があったのだ。だが、そうした空気は次第に薄れていき、2010年代を迎えるころには「『ソト』の目を介して日本のよさを再確認する」コンテンツが注目されるようになった。

実際、今年2月からタイやラオスで過ごしている私も、日本の凋落を肌で感じている。日本食のチェーン店はいまでも数多くあるものの、かつてドンムアン空港やスワンナプーム空港から市街へ向かう際に多数見られた日本企業の看板は激減した。客引きからも「アンニョンハセヨー」や「ニイハオ!」と声をかけられるようになった。それだけ中国や韓国、台湾の存在感が日本より増しているということだろう。日本人の駐在員は相変わらず日本人相手のキャバクラなどでガハハハ! と自信満々の様子だが、円建ての給料は大したことないらしい。

バンコクの夜の繫華街
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/undefined undefined

■ビジネスの「ゲームチェンジ」に対応が遅れっぱなしの日本

いまこそわれわれ日本人は、自分自身を見直さなければならない。正直、日本が戦後発展した理由は「【1】朝鮮戦争特需」「【2】欧米様が生み出した家電や自動車の性能・機能を向上させた」という2点に集約されると、私は考える。いわば「ラッキー」と「パクリ」が日本を発展させたのだ。

1990年代中盤以降、インターネットが人々の暮らしにおいて重要な位置を占めるようになり、ゲームチェンジが起きた。いまやビジネスの要点は「新たな仕組みを生み出す発想力や技術力」「すべてをかっさらえるプラットフォームで先行者利益に浴する」といったあたりにシフトしている。

だが、哀れかな、日本には新しい仕組みを生み出す能力が壊滅的になかったのだ。せいぜいスマホゲームを開発し、ユーザーの課金をアテにする程度のことしかできなかった。

「スマホが次の携帯端末の主流になる」という気運が生じつつあった頃も、「機能を増やせば、まだまだ評価されるはず」と日本はガラケーの強化に勤しんだ。発想の方向性が「あるものをいかに活用するか」に偏りがちで、「これまでこの世に存在していなかった、まったく新しいものを生み出す」という思考が苦手……という日本人の弱点が浮き彫りになってしまったわけだ。

もはや、戦後日本の“繁栄の残滓”のような「野球が強い」「サービスの質が高い」くらいしか、日本人はすがれないのかもしれない。であれば、冒頭で紹介したようなWBCの「ニッポン、すごいですねー!」報道ばかりになるのも、まあ道理だろう。

■評価軸は「ソト」ではなく、自分のなかに持て

繰り返すが、日本人はもっとゴーマンになっていい。そこで重要なのが、自分たちの弱点を正しく認識し、それを克服するためにはどういう意識を持つべきなのか、必死に考える姿勢だ。他者の目を過度に意識し、空気を読んでばかりでは、日本の将来は危うい。

些細なことかもしれないが、まずは「『ソト』から日本をホメてほしい」といった、評価軸を自分の外部に置くような意識を捨てよう。そのためにも「外国人による日本礼賛」から一定の距離を置いてみてはどうだろう。こうした意識は「他者からどう見られるかが人生の一大事で、いちいち空気を読んでいないと落ち着かない」といった日本人に根付く負け犬根性から脱却することにもつながってくる。

加えて、「ソト」からの評価を気にしてばかりいると、結果としてモノの見方が偏狭になり、「最大の関心事は、自分(たち)が『ソト』からホメられるかどうか。それ以外はどうでもいい」という歪んだ自意識を育んでしまうことがあるから、ますますタチが悪い。弱点と向き合わず、耳当たりのよい言葉だけ探してしまう状態だ。

1995年に野茂英雄がMLBに移籍して以降、MLB、海外サッカー、NBAなどに日本人選手は続々と参戦したが、日本の報道の多くは「その日本人選手がどんな成績を収めたか」だけにフォーカスしがちだ。それは最近の「なおエ」報道にも表れている。

ちなみに「なおエ」とは、大谷翔平のその日の様子ばかりに文字数を割き、最後の一文で「なお、エンゼルスは1-4で負けた」とそっけなく締める報道のことである。試合結果はどうでもよく、海外で日本人選手がいかに活躍したかだけが大事。なんとも視野が狭くて、甘っちょろいではないか。

結局、自分と真摯(しんし)に向き合い、自分を軸にして物事を捉えること。その上で、何事も自ら判断を下し、行動を起こしていくことでしか、活路は開けないのだ。「他者(他国)と協調して」といえば聞こえはいいが、それで自分を見失ってしまっては元も子もない。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

・メディアに溢れる日本礼賛コンテンツは、自信を失った日本人が「海外の視点で見る日本の素晴らしさ」を触れて、脆弱(ぜいじゃく)な自尊心を保つために消費されている。
・日本人はもっとゴーマンになるべき。日本礼賛コンテンツにすがる必要はない。「海外からホメてもらいたい」といった卑屈な姿勢はとっとと捨ててしまおう。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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