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製薬会社と医者はグルになっているわけではない…「高齢者への過剰投薬」が起きる本当の理由

プレジデントオンライン / 2023年4月27日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nadzeya Haroshka

■お腹いっぱいになりそうなほど処方されている

高齢者への過剰投薬が社会問題となっている。降圧薬、血糖降下薬やコレステロールの薬、利尿剤、骨粗鬆症の治療薬などなど、薬だけで「お腹いっぱい」になってしまうのではないかと思うくらいの処方をされている人も珍しくない。高齢者医療・在宅医療に主として携っている私にとっても、日夜頭を悩ませている問題であることは間違いない。

人は加齢とともに老化し、身体のさまざまな機能が低下する。それによって生活への支障、さらには生命を維持することが徐々に困難となって、最終的には死に至る。これは生物である以上、誰一人避けては通ることのできない宿命だ。

ただその経過の中で、たとえ「不老長寿」は不可能といえども、最期のときまで少しでも生活の質を保ちつつありたい、少しでも苦しまない状態で生命を維持したいと考える人は決して少なくないであろう。

そしてわれわれ医療者も、その希望に可能なかぎり寄り添って医療を提供しているつもりなのだが、その希望を、ややもするとわれわれの医療が邪魔してしまっているのではなかろうか、「良かれ」と思って行っている医療が、かえって患者さんの生活の質を損なってしまっているのではなかろうかと、私自身、自問自答する日々であるといっても言い過ぎではない。

そうした状況の中で生じてきた現象のひとつが、冒頭に掲げた「高齢者に対する過剰投薬」ではなかろうかと私は考えている。

■「メタボ健診」の普及で薬を飲む機会は増えたが…

過剰投薬が生まれた背景には、「メタボ健診」が広く普及したことがある。血圧、血糖値、コレステロール値などを気にする人が増え、職場ではこれらに異常が見られた人には受診と治療が勧奨される。そしてこれらの異常値を記したレポートを携えた人にたいして、医療機関では必要に応じて追加の精密検査や指導さらには投薬が行われ、以後、定期的な通院加療すなわち投薬治療がはじまっていくケースは確かに多い。

もちろんこれらには意義がある。個々の患者さんの病態、生活背景を考慮した上で、指導や治療へとつなげていって、将来起こりうる有害事象、リスクをいかに減らすかを、医療者の独断でなく患者さんとの相談で決定していくのが常道であるから、異常値が出た人すべてに片っ端から画一的な投薬がされるわけでもない。

しかし、実際に薬が多すぎると感じている人がいるからか、巷の週刊誌などには「医者にもらった薬は危険、飲んではいけない」であるとか「あなたに処方されている薬は、医者は絶対に飲まない」などといった、センセーショナルな見出しで現代の医療やエビデンスを一方的に否定する記事が溢(あふ)れており、これらの影響で混乱と不安に陥ってしまっている患者さんに外来で相談されることも少なくない。

■なぜ処方薬はどんどん増えてしまうのか?

なかには「製薬会社と医者がグルになって過剰投薬をおこない暴利を貪っている」といった記事さえあるが、私が医師になりたての30年ほど前ならいざ知らず、今のご時世、製薬会社の医師への過剰接待など、もはや「都市伝説」の類いだ。

このような記事は、読者すなわち患者さんの医師への不信感を面白半分に煽るものに他ならず、「ためになる情報」どころか読者に不安と疑念を植えつけ、医師ー患者関係をいたずらに破壊し、むしろ読者を不幸に導くものであるとさえ言えよう。

そもそもこのような記事は、個々の患者さんの病態や生活背景を一切無視して書かれたものゆえに、当然ながらすべての人に当てはまらないにもかかわらず、その表現や論理展開はあまりにも断定的かつ短絡的、画一的である。

だからこそ一般読者からすれば「わかりやすい」と思われてしまうのだろうし、それゆえ「売れる」のかもしれないが、日々臨床現場で実際にこれらの記事の影響で困惑している患者さんと応対している身からすれば、非常に由々しき記事であると思わざるをえない。

では過剰投薬が起きる理由は何だろうか。過剰投薬になっている人のお薬手帳を見てみると、腰痛や膝痛といった痛みにたいする鎮痛剤、不眠や不安にたいする睡眠薬や安定剤が複数種類出ていることがある。そして鎮痛剤は痛いときに飲むのではなく、朝昼晩と定時で処方されていたり、睡眠薬や安定剤も毎日決まって眠る前に飲むよう促処方されたりしているのである。

■そのくせ、飲まないリスクについては書かれていない

「少しでも苦しまない状態」を維持するために医療者が「良かれ」と思って処方したものであることは間違いないが、これらは主治医が変わったあともそのまま漫然と引き継がれることも少なくない。痛みや不眠というつらい症状にたいする薬剤を、新しく引き継いだ医師がカットするのはなかなか難しい。患者さんの中には薬剤の作用にたいする依存ではなく、薬を飲んでいるという安心感に依存している人も少なくないからだ。

こういう方の減薬はなかなか困難だが、薬剤の作用と副作用・デメリットを十分に説明した上で、定時でなく必要なときに服用するやり方に変えることを提案してみると、案外減薬に成功することも少なくない。また意思疎通が困難な方に漫然と処方されているケースでは、試しにプラセボ(偽薬)を使ってみることで減薬可能と判明することもある。

もちろん薬など飲まずに何事も起こらなければ、それに越したことはない。しかしこれらの記事には治療しないことが引き起こすデメリットについては、まったくといって良いほど書かれていない。そのような記事に影響されて混乱してしまっている患者さんに相談された場合、私は、現在内服中の薬の意味や意義、メリットとデメリットを十分に説明し、どのようになれば減薬できるか、逆に薬を止めるとどのようなリスクが生じうるかは、私の拙い知識の範囲内で極力伝えるようにしている。

■減薬することは決して不可能ではない

そして「これらの記事を書いた人は、実際にあなたの診察をしてはいないし、今後もしてくれることはなく、記事の影響であなたが服薬を止め、その影響で、もしなんらかの有害事象が発生しても、一切責任など取ってくれないのです」ということも付け加えて説明している。おそらく記事の筆者たちは、患者さんが混乱に陥って、診察室内で医師とこのような会話がかわされていることすらご存じないであろう。

降圧薬や血糖降下薬など、止めることで生命にかかわる薬以外にかんして言えば、優先順位をつけつつ可能なかぎり患者さん本人と対話を重ねて減薬していくことは、時間もかかり必ずしも簡単なケースばかりではないものの、決して不可能なことではないと言えよう。

ただ、現役世代で「メタボ」とされて投薬が開始された人が、その後、人生最期まで同じように投薬され続けて良いのかという問題は当然ながら存在する。検査の異常値も、現役世代と高齢者ではその解釈に違いがあるのは当然だ。採血データを基準値内に収めておけば、患者さんの「最期のときまで少しでも生活の質を保ちつつありたい、少しでも苦しまない状態で生命を維持したい」との希望が必ずしも叶えられるわけでもない。

医師または医師は、男性の患者病院と医学の概念に薬の医療処方を推奨します
写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM

■高齢者の健康診断は本当に必要ない?

食べたいものを我慢してまで、血糖値やコレステロール値や血圧を基準値内に収めたところで、寿命はもちろん苦痛をもたらす疾患の発症にほぼ影響がないのであれば、過剰な食事制限や投薬はむしろその人の生活の質を落とすだけなのだから、中止もしくは緩和すべきであろう。だがそれも、やはり個々人を診て、本人と十分に話し合って決められるべきことであって、「○○歳以上は内服不要」といった画一的な線引きをするのは、「わかりやすい」かもしれないが、かなり乱暴な意見である。

健康診断についても同様だ。「○○歳以上の高齢者にはもう必要ない」との意見もあるようだが、私は高齢者の健康診断は決して無駄ではないと考えている。確かに高齢者の多くはすでに何らかの疾患を抱えており、70歳以上の人の8割超は、いわゆる「かかりつけ医」を持っているという。このような何でも相談に乗ってくれる医師が身近にいる人であれば、健康診断をあえて受けに行く必要はないだろう。

しかし問題は、残りの2割弱の「かかりつけ医」を持たない高齢者の健康だ。もちろん「かかりつけ医」がいないのは、特に疾病も抱えておらず何ら健康不安もないということなのかもしれないが、冒頭でも述べたように加齢で身体機能が低下し、生命を維持することが徐々に困難となって、最終的に死に至る宿命からは、そういう人でも逃れることはできない。

■どちらも「使い方しだい」ということ

そもそも健康診断とはどういうものだろうか。一般的には「採血による異常値の発見」と思われがちかもしれないが、私たち医療者は、健康診断とくに高齢者の健康診断の意味を異常データの抽出だけなどとは考えていない。

介助なく、杖などの歩行補助具を使わずに、独歩で診察室に入って来ることができるのか、言語コミュニケーションがスムーズに行えるのか、退室時にイスからスッと立ち上がれるのかなどの身体・認知機能、そして食事、排泄、睡眠、入浴など日常生活をどの程度自力で行えているのか、さらには独居なのか老老介護の状況に置かれているのか、いざとなったときに相談できる身内は近くにいるのかといった家族構成まで聴取することさえある。

データや身体診察での異常発見だけでなく、疾病とまではいかなくとも、まだ要介護には至らない状態であっても、徐々に身体機能が低下する「フレイル」や加齢によって筋肉量・筋力が低下する「サルコペニア」という状態に自分がなりつつあることを自覚せぬままでいる人を早めに発見することができるのも、健康診断の重要な機能のひとつなのだ。「かかりつけ医」を持たない高齢者にとっては、こうした健康診断は貴重な機会といえるのである。

すなわち薬も健康診断も「使い方しだい」ということなのだ。

■高齢者の医療費用を削減する風潮はあまりに危険

昨今、社会保障費の増大とくに高齢者への医療や介護にかかるコスト増を「危険視」する風潮と相まって、いかに高齢者にかかる費用を削減すべきかという議論がかまびすしい。むろん過剰投薬や無意味な検査は“百害あって一利なし”だが、その一方で、「高齢者には投薬不要」などと画一的に語られる言説の端々に「医療資源の適正配分」を主張する文脈を垣間見るとき、私は違和感以上の恐怖を覚えてしまうのである。

「高齢者への医療はほどほどで構わない」との言説の中に見え隠れする「高齢者の医療費は将来世代へのツケ」「高齢者に費やす医療資源は若者や現役世代へ回すべき」との主張と、「高齢者は集団自決すべき」との言葉に象徴される社会保障費抑制論、そして「命の選別」を肯定する生産性や経済効率至上主義の思想とが、極めて親和性が高いところに存在するというのがその理由だ。

「○○歳以上の人には薬も健康診断も必要ない」というような、一見わかりやすい記述でこれまでの医療の常識を「一刀両断」する記事を読めば目から鱗が落ちるような気にもさせられ、つい影響されてしまうのも無理からぬことではあるが、断定的かつ画一的な表現が散りばめられている「わかりやすい」記事については、鵜呑みにすることなく、軽く眉に唾をつけて読み流すことも大切ではなかろうか。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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