「愛国主義とは『他人の愛国主義』を理解すること」エリザベス女王が70年前の戴冠式で行った伝説のスピーチ
プレジデントオンライン / 2023年5月3日 10時15分
※本稿は、多賀幹子『英国女王が伝授する 70歳からの品格』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■10歳で君主に決まったときは「弟を生んで」と母に頼んだ
イギリスの女王エリザベス2世は、2022年9月8日にスコットランドのバルモラル城で逝去された。9月19日に執り行われた国葬は厳粛ながら壮麗で、イギリスの底力を見せたといわれる。女王の70年という在位期間は英王室最長で、享年96も英国君主最高齢だった。
女王は当初、君主に就く立場にはなかった。伯父エドワード8世がシンプソン夫人との結婚を望んで退位したため、弟にあたる女王の父がジョージ6世として戴冠した。この時点で長女エリザベス王女の「君主」が決定した。利発で聡明だがまだあどけない10歳の少女の運命が定まったのだ。
責任の重さから母に「弟を生んで」と頼んだというが、いったん女王になると見事な君主ぶりだった。国民に全身全霊を捧げると誓い、それを70年間守り通した。国民を愛し国民への奉仕をすべてに優先させ、国民も女王からの愛に応えた。外交分野では120か国以上を公式訪問したが、テーマはいつも和平と和解だった。「君臨すれども統治せず」を守り、政治に口をはさむことなく、平和への道筋を拓いた。
■イギリス国民の3人に1人が女王に会ったことがある
名君主として献身的に働くと同時に、家庭を大切にした。初恋の人であるフィリップ殿下と結ばれ3男1女に恵まれた。しかし、4人のうち3人が離婚(2人が再婚)し、次男アンドルー王子が未成年者の性的虐待疑惑で訴えられる。女王は忙しさのあまり子どもたちに十分な愛情を注ぐ時間がなかったためかと、自分を責めることもあった。
子どもばかりでなく、孫のヘンリー王子はメーガン妃と結婚後、王室離脱してアメリカに住む選択をした。高位王族としての責任と義務から逃亡したばかりでなく、アメリカの媒体を使って王室批判を繰り返す。それは二人に多額の収入をもたらした。女王は晩年に子や孫の起こしたトラブルに苦しめられる場面が多かった。
それでも女王の国民と共にありたい、との意思はゆるがなかった。「信じてもらうためには見てもらわないといけない」と考え、年齢に関係なく服装は鮮やかな色彩を選んだ。赤やオレンジ、黄色などのワントーンカラーだった。前から後ろから横からもすぐに見つけてもらうためだった。明るい色で「女王にお会いできてよかった」と思ってほしかった。
BBCのアンケート調査によると、国民の3人に一人が女王に会ったという。「会う」といっても、勲章授与の際に親しく話すレベルから、テープカットに町を訪問した女王を一瞬見かけたレベルまで、程度は様々でも見たことに間違いない。「開かれた王室」を目指した女王は、国民との触れ合いを最も大切にした。
![バッキンガム宮殿](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/d/1200wm/img_9d7268929e51bef8f9404624238924121155708.jpg)
■ラジオを通じた「君主宣言」で国民の心をつかむ
「私の全生涯を通じ、真心を込めて、皆様の信頼に応えられるよう努力します」
1953年6月2日、ロンドンのウエストミンスター寺院で戴冠式を終えると、国民にラジオで話しかけた。父の崩御時25歳だった2児の母に「君主」が務まるのか、女性リーダー不在の時代、危ぶむ声がなかったわけではない。その不安や危惧を女王の力強い宣言は吹き飛ばし、女王がただものではないことを知らしめた。
イギリスは「女王の時代」に栄える。エリザベス一世、ビクトリア女王に続いて登場したエリザベス二世。シンプルながら誠意がにじむ「君主宣言」で、国民の心をわしづかみにした。
「私の戴冠式は、未来への希望の宣言です」
これも女王の戴冠式でのスピーチ。第二次世界大戦では、イギリスは連合国軍と共にナチス・ドイツと戦い、勝利はしたものの、甚大な被害を受けた。ロンドンなども無数の建物を爆撃により破壊され、死傷者も多かった。国民の苦しみと悲しみは大きかったのだ。戦後の女王の戴冠は新しい時代を予感させ、希望の光となった。女王もまた、そうした国民の期待を感じ取り、それに応えたいと抱負を述べたのだった。
■称賛を浴びた「愛国主義」をめぐる女王の哲学
「本当の愛国主義とは、他人の愛国主義を理解することです」
愛国主義についての本質を突いたと称賛される言葉。愛国主義は、とかく自分の愛する国以外の国を愛することを許さない、狭い考えに陥りがちだ。自分の国を愛することは、他人の国を愛する気持ちを理解することであると語りかける。その深い哲学に思わず胸をつかれる。
私たちは、自分の愛する国だけを尊び、他の人にもまた愛する国があることまで思いをめぐらせないもの。自分の考えや行動を思わず振り返りたくなる。
■メンタルの安定を支えた「秘密の日記」
「エンバンクメント、ピカデリー、ペル・メル……。ただひたすら何マイルも歩いた。午前(深夜)0時半にバルコニーに入る両親を見て、食事をして、パーティーをして、午前3時に寝た!」
![多賀幹子『英国女王が伝授する 70歳からの品格』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/7/1200wm/img_c76f2a4ba6287457e496998fb9ad6c43208645.jpg)
これはエリザベス女王が、第二次世界大戦でイギリスが勝利した日のことを綴った日記の中の一文だ。当時19歳のエリザベス女王は、妹マーガレット王女と共にロンドンの町に繰り出した。人々が楽しそうに歓声を上げダンスをしてパーティーを繰り広げているのを見て、加わりたかったのだろう。これは、史実に基づいた映画『ロイヤル・ナイト――英国王女の秘密の外出』(2015年)として公開された。
女王は幼い時から日記をつけていた。それは、「君主」としての重責に対応する大事なすべでもあった。君主としての日々はいつもうまく行くわけではなく、失敗も少なくなかったから、自己嫌悪に陥ることもあっただろう。
女王が心の内を明かすのは、母親のエリザベス皇太后と妹だった。長女アン王女が成長すると、王女にも打ち明け話をした。母と妹が続けて亡くなったあとは、4人の子どものうち、ただ一人の女の子であったアン王女によく話をした。
国葬の際に、亡くなったスコットランドのバルモラル城からエディンバラ、そしてロンドンのバッキンガム宮殿から棺の一般公開場、葬儀が行われたウエストミンスター寺院、埋葬地ウィンザー城まで、片時も棺を離れることなく付き添ったのがアン王女で、これは女王の希望だった。
「君主」をやっていくために家族の支えを求め、同時に忙しい時間をやりくりしてほぼ毎晩日記をつけた。そこには出来事を振り返っての感想や、会った人たちの名前や印象などを書きつけた。記憶の確認のためでもあり、誰にも言えない感情を吐き出すためでもあった。今後のための貴重な覚え書きでもあっただろう。英王室最長の在位70年を全うするため、女王が重視したのは精神的安定だった。
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ジャーナリスト
東京都生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒業。企業広報誌の編集長を経てフリーのジャーナリストに。元・お茶の水女子大学講師。1995年よりロンドンに6年ほど住む。女性、教育、社会問題、異文化、王室をテーマに取材。著書に、『孤独は社会問題』(光文社新書)、『ソニーな女たち』(柏書房)、『親たちの暴走』『うまくいく婚活、いかない婚活』(以上、朝日新書)などがある。
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(ジャーナリスト 多賀 幹子)
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