受診者の半数は「大人の発達障害」ではない…専門外来を開いた東大名誉教授が恐れる「発達障害ブーム」の問題点
プレジデントオンライン / 2023年4月29日 13時15分
■子どもだけでなく親も障害を抱えていた
――なぜ「大人の発達障害」に関心を持たれるようになったのですか。
【加藤進昌 東京大学名誉教授】さまざまなきっかけがありましたが、そのひとつにASD(自閉スペクトラム症)の子どもを持つ母親との出会いがありました。その方は、自分の子どもがASDと診断された後、病気に関する本を読んで「自分自身もASDだと思う」と話してくれました。診察室での振る舞いにも一見して変わったところはありませんでしたが、本人としては生きづらさを感じていたようです。
とても「筆まめ」な方で、自分の感じていることや悩みを詳細に書いて、私に渡してくれました。その分厚い手記に書かれていることは、専門書でASDについて記載してあることそのものだったんです。
私は小児科を卒業した「自閉症だった大人たち」を診察していたこともあったので、それらの患者たちとの関連性も見えてきました。そうした経験を積み重ねるなかで、成人であっても発達障害の症状を抱えているのに、別の診断名がついている方が一定数いることに気づき始めたのです。
■本を出版した翌週に11人の患者が来院
――2008年には、昭和大学附属烏山病院で成人を対象とした発達障害の専門外来を始められています。
【加藤】このときには「大人の発達障害」が深刻な問題であると社会でも認知されつつありました。大々的に告知はせず、病院のホームページに小さく掲示した程度でしたが、案内を出した翌週には11人もの新患がやってきました。
当時は私一人で診察をしていましたから到底対応しきれないと判断し、診察をすぐに完全予約制に変更しました。しかし、その予約もあっという間に埋まり、何カ月も先まで待つ患者がどんどん増えていったのです。中日新聞と朝日新聞に取り上げられた2010年には、1カ月で350件の予約問い合わせがありました。言葉は不適当ですが、「ブレイク」としか言いようがない状況でした。
――現在はどんな状況なのでしょうか。
【加藤】「ブレイク」は現在も続いています。メディアでの露出に応じて上下がありますが、いまでも多くの問い合わせがあります。特に2012年にNHKの「あさイチ」で取り上げられてから、新患が大きく増えました。毎月25日から29日のどこかで翌々月分の予約を受け付けていますが、現在でも予約開始日の1日だけで1カ月分の予約が埋まってしまいます。
■なぜ注目されるのに時間がかかったのか
――なぜ「大人の発達障害」は見過ごされてきたのでしょうか。
【加藤】それには精神医学の歴史が深く関わっています。
発達障害に関わる精神医学史を簡単に振り返ると、自閉症に関する症例が最初に報告されたのは1943年のことでした。症例を報告したのはレオ・カナーという精神科医で、彼は「早期乳幼児自閉症(early infantile autism)」という病名をつけています。カナーの論文では「生まれ持った性質である」ことが強調されているほか、原因は「冷たい家族」、とりわけ「母親」にある、とされていました。
これを受けて、ブルーノ・ベッテンハイム(ベッテルハイム)という研究者が、自閉症は母親に原因があるとして「母原(ぼげん)病」という名前をつけています。
――いまとなっては考えられない病名ですね……。
■自閉症研究の裏側にあった「政治的な背景」
【加藤】その翌年に、ハンス・アスペルガーが知的障害を伴う「古典的自閉症」とは異なる、高い知能を持った4人の子どもの症例を報告しています。これは後にアスペルガー症候群と呼ばれますが、第2次世界大戦で枢軸国側だったドイツ周辺国(オーストリア)で活動していたことなどが原因で、当時は彼の研究は埋もれてしまいました。
自閉症の原因を母親の育児の失敗に求めるのではなく、脳の機能障害であると考えるようになったのは1960年代のことです。マイケル・ラターと、彼の共同研究者だったジョン・ウィング、そしてジョンの妻のローナ・ウィングらによる研究グループが、自閉症は母原病ではなく、脳の機能障害であることをイギリスでの地道な疫学的研究によって証明しました。
さらに、ローナ・ウィングが、アスペルガーの先駆的研究を発見して「アスペルガー症候群」と呼ぶことを提唱しました(1981)。研究に触れつつ、「知能が高く、かつ、自閉症の症状を抱えている人」について論文で言及しました。古典的自閉症を母原病の軛(くびき)から解放して世界的名声を得た彼女の提唱によって、アスペルガー症候群という概念は世界中に拡散しました。
――「大人の発達障害」が見過ごされてきた背景には、政治的な理由も関係していたのですね。
【加藤】はい。日本では1960年代後半に盛り上がった学生運動のなかで、自閉症の原因を精神病理などの観点から分析するグループと、生物学的精神医学の観点から分析するグループとのあいだで対立がありました。
私が若手の精神科医だったころにカナーやアスペルガーの文献を読みあさっていましたが、学生のころは上記のような対立に巻き込まれていたので、彼らの研究はとても刺激的でした。自閉症研究の歴史を語るうえで、政治は切っても切り離せない問題だったと言えます。
■受診者の半数以上が発達障害ではない
――著書で「外来患者の半数以上が実際には発達障害ではない」と書かれています。どういうことなのでしょうか。
【加藤】たとえば、患者本人から「自分は発達障害ではないか?」という訴えがある場合、その多くは発達障害ではありません。というのも、発達障害の当事者のほとんどは「自分に病気がある」という認識がないからです。
――それではなぜ「自分は発達障害ではないか?」と訴える患者が増えているのでしょうか。
【加藤】私は2018年頃から話題になった「発達障害グレーゾーン」という言葉の影響が大きいのではないかと考えています。発達障害グレーゾーンとは、発達障害ではないけれど、その傾向や特徴を持っている人を指す「俗称」です。
しかも、この言葉には「知的で天才肌の変わっている人」というニュアンスがあります。たとえば、「モーツァルトはアスペルガー症候群だった」といった言説が広がったことで、「グレーゾーンがカッコいい」と受け止める人が増えているのではないでしょうか。私はこうした風潮には問題があると考えています。
■生きづらさを助長してしまう「過剰診断」
――受診する人が増えると、どんな問題があるのでしょうか。
【加藤】それは生きづらさを抱えた人が「生きづらいのは発達障害のせいだ」と思い込んでしまう危険性があるからです。
そもそも、発達障害の診断基準は、特定の症状があることと、その症状によって社会生活を送る上で「重篤な困難さ」を引き起こしていることの2つがあります。「自分は発達障害ではないか?」と疑う人のなかには、不注意による仕事での失敗や、対人コミュニケーションに問題を抱えて悩んでいる人たちが一定数含まれています。その際、発達障害が原因というケースもありますが、先述のように私の診療所に来る方の半数以上は発達障害ではありません。
そういった人たちは、生きづらさの原因について、自分の社会的知識や社会経験の不足、コミュニケーションスキルのつたなさにあることを認めたくなくて、「発達障害という病気が原因であってほしい」と考えているように見えます。
その結果、「自分は発達障害だから仕方がない」と社会的知識や経験を積むことをあきらめてしまうことで、より生きづらくなる恐れがあります。だから私は発達障害ではない人を発達障害だと診断してしまうことを「過剰診断」と呼んで批判しています。
いまでも「発達障害グレーゾーン」という言葉が流行していますが、それを受けて精神科を受診する人が増えることを、私は非常に問題視しているのです。(後編に続く)
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東京大学名誉教授、医師
1947年、愛知県に生まれる。東京大学医学部卒業。帝京大学精神科、国立精神衛生研究所、カナダ・マニトバ大学生理学教室留学、国立精神・神経センター神経研究所室長、滋賀医科大学教授などを経て、東京大学大学院医学系研究科精神医学分野教授、東京大学医学部附属病院長、昭和大学医学部精神医学教室主任教授、昭和大学附属烏山病院長を歴任する。東京大学名誉教授、昭和大学名誉教授、公益財団法人神経研究所理事長。医師、医学博士。専門は精神医学、発達障害。2008年、昭和大学附属烏山病院に大人の発達障害専門外来を開設し、併せてASDを対象としたデイケアを開始。2013年からは神経研究所附属晴和病院(現在は新築中につき小石川東京病院で診療中)でもリワークプログラムと組み合わせた発達障害デイケアを開設した。2014年には昭和大学発達障害医療研究所を開設し、初代所長に。脳科学研究戦略推進プログラムに参画するなど、一貫して発達障害の科学的理解と治療、研究に取り組んでいる。2023年より東京都発達障害者支援センター成人部門(おとなTOSCA)が神経研究所(小石川東京病院)に開設され、成人発達障害の相談を広く受け付けている。
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(東京大学名誉教授、医師 加藤 進昌 構成=佐々木ののか)
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