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「え、残債4500万円?」夫は52歳でリストラに遭い60代で認知症…くも膜下出血後に全身麻痺の妻が働かせた機転

プレジデントオンライン / 2023年4月29日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rike

夫が52歳の時にリストラされ、47歳の妻は窮地を脱しようと貯金をはたいて起業し、洋品店とエステサロンを開店。61歳でくも膜下出血になったものの、つえをつけば歩けるまでに回復。ところが、夫はアルツハイマー型認知症に。夫を施設に入れようにも、自分も危ういため、決断できない。人生100年時代の「老老介護」のあまりにも厳しい現実を紹介しよう――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■紳士服のデザイナーだった夫

関東在住の華岡桜子さん(仮名・73歳・既婚)は現在、78歳の夫と50歳の長男と3人暮らしをしている。北海道出身の夫は商社に勤務し、紳士服のデザイナーをしていた。華岡さんが大学生の頃、よく行く飲食店で夫の同僚と仲良くなり、その後、同僚から紹介されたのが、5歳年上の夫だった。2人は26歳と21歳で結婚。約1年後に長男、その3年後に次男を出産。当時の男性の多くがそうであったように、華岡さんの夫も仕事が忙しく、子育てには協力的ではなかった。

大学卒業後、すぐに結婚した華岡さんは、次男が中学生になった頃から働きに出るようになり、40歳の頃からは夫が勤めている商社の系列会社で契約社員として働いていた。

長男は大学を出て配送関係の会社を立ち上げ、次男は高校を出て高圧ガスを取り扱う会社に就職。長男が小学校に入る頃に購入した分譲マンションで暮らしていた華岡さんファミリーは、十数年後、長男が24歳で結婚して家を出て行くと、いずれ長男と2世帯で暮らそうと、大きめの新居を購入。その頃、夫52歳、華岡さん47歳だった。

ところが、まもなく夫はリストラされてしまう。家を購入したばかりで、貯金は家を購入する頭金として使ってしまったうえに、住宅ローンがまだ3500万円も残っている。紳士服のデザイナーだった夫は、長年契約社員扱いだったため、退職金は正社員の3分の1以下の1000万円ほど。

この先、夫の転職先が決まるのはいつになるかわからないため、安定した収入が得られるようになるまでは、退職金は当面の生活費に充てる必要がある。どちらにしても、ローンはもう払っていくことができない。華岡さん夫婦が窮地に陥っていたところ、独立していた長男が小さいながらも立派な、駅近の中古一戸建てをプレゼントしてくれた。大きめの新居は売却せざるを得なかったが、これがのちに大変な重荷になってしまう。

■夫のリストラとくも膜下出血

夫のリストラは生活を一変させた。それまでは家族で年1回は国内外に旅行に行ったり、たびたび外食を楽しんだりしていたが、そんな余裕はなくなった。

華岡さんは賭けに出た。なけなしの貯金をはたき、衣料品店を起業したのだ。幸い、近くに競合店がなかったことから2〜3カ月ほどで軌道に乗り、衣料品店の一角にエステサロンも併設。こちらもすぐに固定客が付き、従業員を4人雇うほどになり、生活にも少し余裕ができた。

一方、リストラされた夫はろくに就職活動もせず、友人知人に「何か仕事はないか?」と声をかけるだけ。職業安定所には行くが、パソコンの講習を受けても何一つ身につかず、友人知人に紹介された仕事も、「合わない」と言って数日で辞めてしまい、無職状態が続いた。

見かねた息子たちが、話し合いの場を設けて、「どういうつもりなのか」と問いただそうとするも、夫は逃げてばかり。やっとのことで警備の仕事を見つけてきて、無事、就職が決まったとき、リストラされてから3年も経過していた。

次男は30歳になると、結婚して家を出て、実家から車で15分くらいのところに新居を構える。衣料品店とエステサロンを経営する華岡さんは60歳を超えると、そろそろやめてゆっくりしようかと考え始めていた。

ある年の夏の午後。華岡さんは家でブログを書くためにパソコンの前に座っていた。すると後頭部に激痛が走り、いつもの頭痛とは違う痛みに不安を覚える。そうこうするうちに吐き気をもよおし始め、痛みに耐えながら自力で病状をパソコンに打ち込んで検索したところ、くも膜下出血と確信。

脳のイメージ図
写真=iStock.com/PALMIHELP
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PALMIHELP

すぐさま夫に電話をかけると、「今は(警備の)仕事場から離れられないから、19時すぎまで待ってろ」と言われる。「もう待てない」と思った華岡さんは、夫の電話を切ってすぐ、自分で救急車を呼んだ。

華岡さんの家から、今まさに救急車が走り出そうとするタイミングで、夫が帰宅。すぐさま夫が救急車に同乗する。最初に運ばれた病院では、「手に負えない」と言われ、大学病院に再搬送された。華岡さんは意識を失っており、気付いたときには大学病院のICU。「明朝8時から手術します」と声をかけられた。

翌朝8時、8時間に及ぶ手術を受けると、華岡さんは一命を取り留めた。

■全身麻痺と夫の異変

くも膜下出血の手術後、約1カ月入院した華岡さんは、リハビリを経て、元通り生活できるまでに回復。そこまでは幸運だったが、その後が芳しくなかった。

退院から1カ月ほどすると、くも膜下出血の手術時に使用した薬の副作用で全身麻痺を起こし、3カ月の入院を強いられたのだ。しかもその影響で、一時は寝たきり生活になってしまい、約半年間のリハビリ生活となった。それでも、つえで歩けるまでになったが、長時間立っていることは難しく、大好きな料理が思うようにできなくなってしまう。

一方、夫はしばらく入退院を繰り返した華岡さんが入院に必要なものを「家から持ってきてほしい」とか、「買ってきてほしい」と頼んでも、頼んだものを忘れてしまうことがしばしば。また、華岡さんの症状や治療方針について、主治医から一緒に説明を聞いたはずなのに、全く覚えていない。うっかり忘れにもほどがある、と華岡さんは不審に思った。

さらに当時、66歳でまだ警備の仕事をしていた夫は、会社からの電話を受け、翌日の仕事が入ったはずなのに、当日仕事に行かないことが頻発。華岡さんが電話を受けて取り次いだため、電話があったことは間違いないのに、会社から注意を受けても、「電話なんかもらってない!」と言い張って譲らない。「このままではまずい」と思った華岡さんは、その後はFAXを送ってもらうように対策した。

それだけではない。夫は車の運転をしていて、道をよく間違えるようになった。カーナビが付いているのに、ナビの言う通りに運転できないのだ。華岡さんが同乗していても、信号無視はするわ、スーパーで駐車するときにアクセルとブレーキを間違えて店に突っ込みそうになるわで、生きた心地がしない。そのうえ、スーパーの中では、通路の真ん中に仁王立ちになったまま動かないことがしばしばで、他の客の迷惑になる。買い物した帰りには、自分の車まで戻れず、他人の車の鍵を開けようとするため慌てて止めなければならない。

赤信号
写真=iStock.com/sato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sato

華岡さんは、「もう運転はやめてほしい。病院に行ってほしい」と頼んだが、夫は一向に聞く耳を持たない。

70歳になると夫は、「背中が痛い」と言って病院に行った。すると医師は、「背骨の圧迫骨折か、もしかしたらガンかもしれない」と言い、大学病院に入院することに。

夫の背中の痛みはガンではなく、圧迫骨折であることが判明し、手術を受け、2週間ほど入院が決まる。その病院の看護師長が、華岡さんがくも膜下出血で入院したときの人だったため、「夫の認知症も調べてほしい」と頼んでみると、主治医が簡易検査をしてくれた。

結果は、「認知症なので、退院時に物忘れ外来を予約してください」。すぐに予約するも、混んでいたため、診察を受けるまで3カ月待ち。その間も夫は、「行かない」と言い張って華岡さんを困らせた。

結局、華岡さんの家から車で15分くらいのところに住んでいる次男に説得してもらうと、夫はようやく物忘れ外来を受診した。

■アルツハイマー型認知症

物忘れ外来を受診し、認知症検査を受けた夫は、「アルツハイマー型認知症」と診断。中でも空間認識がゼロに近かったため、自分の居場所や方角がわからなくなるという。華岡さんは、ここ数年の夫の異変は、これですべて説明がつくと思った。

「夫は圧迫骨折の手術が終わった後、勝手に退院しようとして、『まだ抜糸が終わっていませんから戻ってください!』と慌てて駆けつけた看護師に引き止められていて、もう、あきれ果てました……」

アルツハイマー型認知症と診断されると、夫は警備の仕事を退職。華岡さんは車の免許を返納してほしかったが、夫は免許更新を問題なくクリアしてしまう。

華岡さんが物忘れ外来の主治医に相談すると、「不思議なことに、認知症でも問題なく更新できてしまうのです。同乗するときは死んでもしょうがないと思って乗ってください」と真顔で言う。

ハンドルを握るシニア
写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

これを聞いた華岡さんは、「他人を巻き添えにしたら大変!」と、夫を説得。しかし何度説得しても、夫は応じようとしない。再び次男に説得してもらって、夫は免許を返納。華岡さんいわく、「次男は反論ができないように外堀を埋めて、手際良く説得してくれる」から、次男に頼むのだという。

アルツハイマー型認知症と診断され、仕事を辞めた夫は、要介護1と判定され、週2回機能訓練型の半日のデイサービスに通い始めた。華岡さんは、本当は1日型のデイサービスに行ってほしいのだが、夫は「ジジババばかりだから行きたくない!」と言う。

では、家で何をするのかといえば、食事以外の時間は、自分の部屋でずっとテレビを見ているだけ。しかも“見ている”と言っても、内容は全く覚えていないようだ。

「話したことは、ものの数十秒で忘れてしまうので、意思疎通ができないことがつらいです。足腰が丈夫なので、私が留守の間、用もないのに外に出てうろつくことがあるのですが、今は自分で家に戻ることができても、『徘徊(はいかい)して戻らなくなったら……』と心配です。北海道の義母も、脳梗塞から認知症になり、義弟の妻がメインで介護をしていましたが、私も時々手伝いに行っていました。あまりにもひどい状況を見ているので、最後には同じようになるのではないかと不安になります。義母を看取ってから約10年後、昨年5月には認知症だった義弟まで心不全で亡くなりました。認知症は遺伝性があるとネットで見たので、子どもたちのことも心配です」

以前、購入した大きめの家は手放したものの、残ったローンは夫が支払っていた。夫が認知症になってからは、華岡さんが残債を払い続けていたが、あるとき華岡さんが、「いつまで支払うのだろう?」と思い、夫にたずねたが、「分からない」と言う。

らちが明かないので、家中探したところ、いろいろな書類が出てきて、まだ4500万円も残債があることが判明。華岡さんがすぐに弁護士を依頼したところ、夫の自己破産の手続きをしてもらうことができた。

■要介護1の夫と要支援1の妻

現在、夫は78歳、華岡さんは73歳。華岡さん自身、くも膜下出血の後の全身麻痺の影響で、体が不自由になったため、要支援1の判定が出ている。

「夫と話をすると、かみ合わなくてストレスになるので、あまり関わらないようにしています。私も体が不自由なので、自分の事で精いっぱいなんです。料理は大好きなんですが、長時間台所に立っていられなくなってしまったので、宅配のお弁当でしのいでいます」

テレビばかり見ている夫とは対照的に、華岡さんは不自由な身体でありながらも、趣味のガーデニングに勤しみ、ブログを書くなどして過ごしている。

ガーデニングをしている人
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

「夫の介護にやりがいや喜びは一切ありません。息子たちも、『今までのことを思ったら、面倒を見るつもりはない』と宣言しています」

夫がリストラをされて、家のローンが払えなくなったとき、小さいながらも立派な一戸建てをプレゼントしてくれた長男は、現在50歳。33歳で離婚し、上の子を引き取って華岡さん夫婦と同居していたが、華岡さんにとっての孫は、昨年結婚して家を出た。

「介護の悩みを相談する相手はいませんし、誰も手伝ってはくれません。私の身内はすべて亡くなっていますし、夫の身内も高齢で難しいです。今はまだ、夫は自分のことは自分でできていますが、食事介助やトイレ介助などが必要になったら、施設に入れようと考えています」

華岡さんは、施設についてネットで情報収集し、ケアマネジャーにも相談してみた。

「入居金はある所とない所があり、月の費用は基本部屋代と食事代と諸経費で、平均月15万〜30万くらい。その他にも費用が掛かるようです。費用が月10万円以下の所もありますが、内容がそれなりで、『お勧めできない』と言っていました。認知症の場合の受け入れ先は少なく、特養は要介護3以上でないと入れず、入居待ちの人が多くて、すぐには入れません。夫の場合、足腰がしっかりしているので、徘徊して迷子になりやすくて目を離せないタイプらしく、逆に寝たきりになった方がお世話は楽だと言う方もいますが、どちらにしても介護する方は大変です……」

ケアマネは、「今は半日型のデイサービスに週2回通っていますが、今後は1日型に行き、慣れてきたらショートステイを繰り返して、費用的に入所できそうな老人ホームの空き待ちがいいでしょう」とアドバイスする。

「単純計算すると、施設の費用は年間180万~360万円。月15万円でも年金では足りず、貯金を切り崩すしかありません。10年生きたら1800万~3600万円! お先真っ暗です……」

これは一人あたりの費用だ。夫婦で入るとなれば、この倍近くかかる。預貯金が使い切れないほど潤沢にある人や、自分の余命が分かっている人ならまだしも、ごく一般的な人なら、「年金で賄えない額の施設には、恐ろしくて入れない」と思うのではないだろうか。

老老介護の場合、被介護者を「施設に入る資金が足りない」と分かった時点で、介護者自身も高齢のため、どうすることもできないケースは少なくない。自分に介護が必要になったときのことを考えると、配偶者や親に貯金を使い果たしてしまうことはできない。「人生100年時代」だとか、「誰もが輝ける社会に」などというフレーズばかりが先走って久しいが、老後が不安な社会で、人は何歳まで輝けるだろう。(以下、後編=老老介護の実例2へ)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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