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「毎日お尻を拭いてあげます」要介護4の93歳母をケアする、年金月12万円の69歳独身長女が怯える自分の老後

プレジデントオンライン / 2023年4月29日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

69歳の女性は32歳の時に離婚して4年間の短い結婚生活を終えた。以後、実家近くで暮らしている。父親が肺がんで亡くなったあと、母親も70代に入ってから腸閉塞を何度も繰り返すように。女性は以後、20年以上介護している。母親は現在93歳で要介護4。日々身の回りのケアをしている女性も今年70歳で、いずれは介護される側になる――。
【前編:老老介護の実例1のまとめ】現在73歳の妻は61歳の時くも膜下出血になり、その直後、現在78歳の夫はアルツハイマー型認知症になった。夫は要介護1、妻も要支援1と判定された。妻は、「夫が食事介助やトイレ介助などが必要になったら、施設に入れようと考えていますが、費用のことを考えると、お先真っ暗です……」と語る。自分に介護が必要になったときのことを考えると、配偶者や親に貯金を使い果たしてしまうことはできない厳しい現実があった。

後編=老老介護の実例2は、現在69歳の女性の事例だ。

■がんによる父親の死

東北在住の犬山奈美子さん(仮名・69歳・バツイチ)の父親は金融系の会社員だった。24歳の頃に、知人の紹介で看護師をしていた1歳年下の母親と見合いをして結婚。母親は1年後に犬山さんを出産し、その4年後に妹が生まれ、その2年後に弟が生まれた。

酒や煙草、新しいもの好きの父親は、テレビや車を他の家庭より早く購入。現在の上皇の結婚パレードや大相撲が放送される日は、テレビを目当てに近所の人が大勢集まり、休みの日は家族を車で遊園地やお祭りなどに連れて行ってくれた。

当時としては珍しく、父親は女性が働き続けることに理解があったため、母親は産後すぐに看護師の仕事に復帰。父方の祖父は戦争で亡くなっており、父方の祖母と同居していたが、母親は祖母との折り合いが悪く、祖母を頼ろうとはせず、仕事をしながらも家事や育児を一人でこなした。両親は末っ子の弟ばかりをかわいがったが、犬山さんは「男の子だから期待されているのだな」と思っていたし、同居していた祖母にかわいがられていたため、きょうだい仲は悪くなかった。

やがて、犬山さんは高校卒業後、東京都内の食品系の会社に就職。しかし、都会の生活が合わないという気持ちが年々大きくなっていき、4年ほどして地元に戻り就職。28歳の時に、友人の紹介で飲食業をしている4歳年上の男性と知り合い、結婚した。同じ年、大好きだった父方の祖母が老衰で亡くなった。90歳だった。

ところがその4年後。夫の浮気が発覚して離婚すると、実家から車で30分ほどのマンションの4階に引っ越した。

それから数年後、犬山さんが40歳の時に、65歳の父親に肺がんが見つかる。父親は、定年退職する60歳目前の頃に仕事を辞め、自分で不動産会社を立ち上げて、まだ現役で働いていた。幸い初期のがんだったため、抗がん剤治療を行い寛解するも、67歳の頃に再発。当時66歳の看護師の母親は保健師として市役所から依頼された仕事を続けていたが、父親が「仕事を続けていいよ」と言うため、仕事を継続しながら、がんが再発した父親を懸命に看病した。それでも約2年半後、父親は亡くなった。

■2011年3月、遺された母親を襲った津波

父親を失った母親は、しばらくは寂しそうな様子で落ち込んでいたが、1週間ほどすると、再び保健師の仕事に復帰。

70歳の頃、母親は右下腹部に痛みがあり、病院を受診すると、盲腸だった。ところが、もともと頑張りすぎてしまうきらいのある母親は、盲腸の痛みも我慢しすぎてしまったのだろうか。医師が言うには、手術を受けるのが少し遅かったらしく、以降、大腸の不調に悩まされることになる。73歳の頃には大腸破裂になり、一時的に人工肛門に。この後、何度も母親は、腸閉塞を繰り返す。

手術後、半年ほど母親は、犬山さんの家で過ごした。

この頃、犬山さんの4歳下の妹は、高校卒業後、一度は地元を離れて暮らしていたが戻ってきて、自分で飲食店を営み、犬山さんの家から歩いて5分ほどのところで暮らしていた。6歳下の弟は地元で運送業に就き、結婚して2児の父になっていた。

犬山さんと妹は、ときおり母親の様子を見に行っては、実家の片付けや掃除を手伝い、母親は定期的に犬山さんの家に泊まりに来ていた。

そして2011年3月11日。この日、81歳の母親は、朝からなじみの商店に買い物に行っていた。そのときあの巨大地震に襲われた。帰りを心配した商店の店主に車で自宅まで送ってもらい、家の前で降ろされたところで、近所の人に「一緒に避難しよう」と誘われ、車で避難所に向かったため助かった。

「震災後、実家は跡形もなくなっていました。もしも母が実家に一人でいたら、家具などが倒れて外に出られず、津波に流されて助からなかったでしょう」

東日本大震災の津波で破壊された街
写真=iStock.com/enase
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/enase

このとき58歳の犬山さん自身は仕事中だったため、社員と共に高台に避難。途中で妹と会い、無事を確認。母親とは5日後に、弟とは1週間後に連絡が取れた。犬山さんのマンションは4階だったため、津波の被害は免れた。

■母親と同居に

実家を失った母親は、犬山さんの家で同居することになった。妹のアパートは、震災の影響で住める状態ではなかったからだ。

震災と同じ年、母親は腸閉塞を起こし入院。2カ月のリハビリを経て、犬山さんの家に戻ってきた。この頃の母親は、要介護2。デイサービスに週1で通い始め、ヘルパーには掃除や料理を頼んでいた。

8年後、89歳になった母親は、部屋で転んで大腿骨を骨折し、4カ月の入院。これをきっかけに要介護4に介護度が上がり、家の中でも手引きで歩く状態に。

大腿骨骨折治療中のレントゲン写真
写真=iStock.com/ChooChin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ChooChin

その後も手術するほどではないが、年に1回くらいの頻度で腸閉塞になり、1週間ほどの入院を繰り返す。

2022年は、腸閉塞と誤嚥(ごえん)性肺炎で3カ月入院し、退院した2カ月後にまた腸閉塞に。このときは救急病院に入院したため、本来なら1週間で帰されるところが、院内で2度も濃厚接触者になってしまい、1カ月間入院して転院。

ところが、この転院先の医師に犬山さんは驚かされる。娘である犬山さんの話などろくに聞かず、「(母親は)年だし、大往生でいいんじゃない?」と発言したからだ。しかも、その病院でも2度もコロナ感染者の濃厚接触者になり、退院が延びる。

その後、信頼できない医師を見限った犬山さんは、母親を自宅に連れ帰ることを決意。

「濃厚接触者になると隔離されてしまい、面会もできないし、リハビリが停止になるため、気をもんだ。こんなことなら家で看取ろうと思い、ケアマネさんや妹と相談し、例の医師に話して、母を家に連れて帰りました。医師は、『どうせ連れて帰ることなどできないだろうに……』という態度でした」

■在宅介護

毎日訪問看護師が来て、週2回は訪問入浴とリハビリ。月2回は訪問医師と訪問歯科、薬剤師まで来る慌ただしい毎日がスタートした。このとき犬山さんは、母親を自宅で介護するため、長年勤めてきた会社を辞職。妹は仕事に行く前と帰宅時に犬山さん宅に寄り、母親の身体を拭いたり、ベッドの上での運動を手伝ってくれたりした。

毎朝、犬山さんが母親の点滴を交換し、看護師が浣腸。その後点滴を外し、入浴。昼食を食べさせ、合間に掃除や買物。夕方にリハビリを行い、17時ごろに夕食を食べさせて、就寝という毎日。

車椅子とシニア
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

「母は年相応のもの忘れ以外、頭はしっかりしています。会話もでき、食事も問題ないですが、着替えやトイレは全介助です。仲は悪くなく、特に口論することもないですが、かといって感謝されることもありません。生活費は母の年金から1カ月1万円もらっていますが、光熱費に消えていきます。妹とはたまに口論になりますが、その時は『じゃあ、あんたが面倒見ろ!』と言うと黙ります。弟は無関心ですね」

母親の入院費やリハビリ代、薬や服、食べたいものなど、母親に使うお金は母親の年金から出しているが、生活費は1万円以外、犬山さんが負担している。

「私は10年前(59歳)まで約40年間働いてきたので、貯金はある程度あります。年金も月12万円もらっていて、母の介護で自由な時間がないのでそれで生活していけます。母は認知症ではないのでまだよかったです。認知症の人を介護する場合、家族が精神的に参ってしまうケースは少なくないと思います。母も認知症なら施設にお願いしましたが、おそらくこのまま家で最後まで看ることになるでしょう」

信頼できない医師を見限って、点滴をつけたままの母親を家に連れて来たあと、母親は1週間高熱が続き、グッタリしてしまった。救急病院に連絡して連れて行ったところ、点滴のところからばい菌が入ったと言われ、処置を受け、薬を出してもらい、帰宅する。幸い、点滴が外れると熱は下がり、食事が取れるようになり、車椅子で出かけられるほどに回復した。

「あのときは本当に安心しました。母は現在も、パーマやカラーもして、コンビニやスーパーに車椅子で出かけています。オムツ交換・排泄後も、最後はお湯で流し、お尻を拭いてあげています。クリームも塗って、お肌もピカピカです。このまま最後まで、家で穏やかに過ごしてほしいと思います」

93歳になった母親がときどき腸閉塞で入院すると、犬山さんは、ここぞとばかりに出かけ、外でランチをして息抜きをしている。

「重症ではないし、たまにはこんな日もないと、疲れるので……。私自身、健康だからできるのかもしれません。今は母のことで精いっぱいで、自分のことを考える余裕がありませんが、もしも自分が要介護状態になったら、介護付き有料老人ホームに入るのかなと思います」

被介護者が認知症であってもなくても、介護する側の家族の多くは「自分のことを考える余裕がない」と口にする。犬山さんも、今年70歳。いつ自分が介護を受ける側になってもおかしくない年齢だ。自身の年金は12万円というが、ひと月12万円で入れる有料老人ホームは多くはなく、おそらく貯金を切り崩して生活することになるだろう。

親のために自分の生活を犠牲にしてまで介護することは、果たして正しいことなのだろうか。筆者としては、ただ安心して歳を重ねられる社会を願ってやまない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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