佐藤優「アメリカのウクライナへの支援が"ロシアを叩きのめさない程度"に抑えられているワケ」【2022編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2023年5月3日 15時15分
■なぜ日本は勝てない戦争に突入したのか
日本は、勝算の乏しい太平洋戦争になぜ突入したのか。これは、京都大学法学部教授を長く務めた国際政治学者の故・高坂正堯さんが唱えた「国際政治は3つの体系から成り立っている」という説を基に考えると、わかりやすいでしょう。ロングセラーになっている著書『国際政治 恐怖と希望』(中公新書)にくわしく書かれています。
3つの体系とは、価値の体系、利益の体系、力の体系。国際関係は、この3つの体系が複雑に絡み合っているのです。高坂さんは、〈国家間の平和の問題を困難なものとしているのは、それがこの三つのレベルの複合物だということなのである。しかし、昔から平和について論ずるとき、人びとはその一つのレベルだけに目をそそいできた〉と書いています。
古今の戦争も、この3つの体系のバランスから読み解くことができます。
太平洋戦争は、力の体系から見れば、完全に無謀でした。利益の体系からすれば、日本に益があるのか、冷静な分析は行われませんでした。ところが、価値の体系が肥大してしまいました。欧米の白色人種の支配からアジアを開放するという理念だけが肥大し、アメリカ、イギリス、中国、オランダによる「ABCD包囲網」を突破しようとして、暴発に至ったのです。
力の体系と利益の体系という視点が、戦前の日本には欠けていました。必勝の信念さえあれば、物量を凌駕できると考えたのです。理念や信念は価値の体系ですから、力にも利益にも反します。価値の体系だけが肥大して、勝てない戦争に突っ込んでいき、壊滅的な被害を招いてしまいました。
■相手を殲滅するか、自分が玉砕するか
私が以前から価値観外交に冷ややかなのは、価値が肥大すると、ろくなことが起こらないからです。価値は観念でありイデオロギーだから、肥大化しやすいのです。
人間は、観念や思想で死ぬことができます。日本軍がなぜ玉砕を好んだかというと、殲滅の思想しかなかったためです。退却や撤退を価値の外に置いたせいで、相手を殲滅できない状況になれば、被殲滅すなわち玉砕戦術しか取りえません。これは、必ずしも軍部のエリートが望んだわけでなく、国民も望んだ相互作用の結果だと思います。
しかし価値の体系が肥大化しやすいのは、日本人の独特な思考法ではありません。マリウポリのアゾフスタリ製鉄所に長く立てこもっていたウクライナのアゾフ連隊なども、それに近い。地下にこもって住民を巻き込んだところなど、沖縄戦によく似ています。
日本軍は、最終的に退却を余儀なくされると、「初期の任務を達成したために転進する」と説明しました。ウクライナも、このフレーズを好んで使います。マリウポリでもセベロドネツクでも、「新たな反撃体制を構築するための目的を達成したので、移動する」。よく似ています。
■ウクライナが「戦力の逐次投入」しかできない理由
前回の記事でも述べましたが、私はこの戦争をアメリカによって「管理された戦争」と名付けました。ウクライナがロシアに勝てないのは、ウクライナのせいではありません。アメリカが本気で後押しをしないからです。
ゼレンスキー大統領が望むだけの種類と量とタイミングで兵器が供給されれば、ウクライナは勝てるでしょう。アメリカは今年2月の開戦以来、ウクライナに91億ドル(約1兆2000億円)の支援を行っています。しかしアメリカは、逐次投入しか行いません。
7月20日、アメリカのオースティン国防長官は、アメリカがウクライナに、4基のハイマース(高機動ロケット砲システム)と弾薬を追加提供すると明らかにしています。
これまでアメリカが提供していたうち4基はロシアに壊されてしまったため(ウクライナは否定)、その補充だと私は見ています。
![1942年8月7日、D-デイにガダルカナルの砂浜を横切って上陸する米第一師団海兵隊](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/3/1200wm/img_e39e95d167a874c29025a44f67a08e00178417.jpg)
戦力の逐次投入といえば、日本軍の得意技でした。ガダルカナル島へ数次に及ぶ補給を行い、結果として勝てなかった状況と、よく似ています。
ガダルカナル島は南太平洋のソロモン諸島にある島です。アメリカのハワイとオーストラリアを結ぶ線上にあり、この制空権を得ることで、連合国を分断できると考えて、飛行場の建設を進めていましたが、アメリカ軍はいち早く上陸して滑走路ができたばかりの飛行場を占領してしまうんです。それを奪還しようとして、1942年8月以降に行われたのがガダルカナル戦です。しかし、近代兵器を装備したアメリカ軍に対して、日本軍は3度にわたる伝統的な白兵突撃作戦を繰り返し、殲滅されてしまいました。
■アメリカは米ロ戦争に発展することを恐れている
軍事上有効な作戦を考えるならば、ウクライナは、ロシア本土とクリミア半島の間のケルチ海峡にかかっている長さ18キロメートルのクリミア大橋を破壊するのが合理的です。ロシア軍の補給線は大混乱して、圧倒的な優勢に立てます。そのままクリミア半島へ攻め込んで、奪還することもできるでしょう。
ウクライナがそれをしないのは、アメリカが抑えているためです。ハイマースの供与についても、ロシア領土を攻撃しないという縛りがつけられています。その理由は、ロシアが警告を出しているからです。クリミア半島を含むロシアの領土に、アメリカが提供した兵器で攻撃されたら、アメリカを交戦国とみなし、直ちに徹底的な反撃をするという内容です。
この警告が効かなかった場合、ロシアは、シリアのクルド人地区にあるアメリカ軍基地を攻撃するでしょう。ここはシリア政府の了承を得ずに作られた基地なので、いわば非合法です。
そうなれば、クルド人勢力を敵視しているトルコのエルドアン大統領が大喜びします。結果として、NATO加盟国であるアメリカとトルコの間に、深刻な亀裂が入ります。それは、新たな分断の端緒となります。
アメリカは、この戦争がウクライナ国土の外へ広がり、米ロ戦争に発展することを恐れています。ウクライナへの支援も、この制約の下に行われています。アメリカによる「管理された戦争」の枠組みで戦っている限り、ウクライナは勝てないのです。
■価値の体系だけで論じてしまう危うさ
日本の世論の危うさは、この戦争を価値の体系だけで論じがちなことです。報道や一部の政治家や有識者の発言を見ても、価値の体系のインフレーションを感じます。すなわち、ロシアは絶対的な悪。ウクライナは完全なる善。太平洋戦争の時と同じ危うさです。
一方で日本政府の立場は、価値の体系においては、西側の一員としてロシアを厳しく非難しています。「正義は必ず勝つ」という観点、被害者であるウクライナが勝たなくてはならないという立場に寄りすぎ、反対側の情報を遮断しがちです。力の体系に関しては、防衛装備移転三原則があるので自衛隊の武器を紛争地域であるウクライナに送ることができません。
■実はアメリカ追随ではなく、独自路線を取っている日本
しかし利益の体系から見ると、立場が異なります。G7諸国で、ロシアの民間機に領空を解放しているのは日本だけです。石油と天然ガスの採掘プロジェクト「サハリン1」と「サハリン2」からも撤退していません。入漁料を払ってロシアの領海でサケ、マス漁をする仕組みも、従来通り維持しています。
帝国データバンクの7月26日の発表によると、〈米エール経営大学院の集計をもとに、各国の「ロシア事業撤退(Withdrawal)」の割合を分析したところ、全世界の主要企業約1300社のうち22%に当たる300社がロシア事業撤退を表明したことが分かった。〉
〈一方、日本企業の事業撤退割合は帝国データバンクの調査で3%、エール大の調査でも5%と、依然として先進主要7カ国中で最低レベルにある。〉
日本の対ロ政策が実はアメリカ追随ではなく、独自の路線を取っていることは評価していいと思います。
3つの体系の話は、経営者やビジネスパーソンの働き方に通じます。経営理念が中心になりすぎると、危うい。利益さえ上がれば何でもありという姿勢は、通用しない。自社の力を客観的に見ずに事業計画を拡大し過ぎると、大変なことになる。
ひとつの体系に引きずられることなく、バランスよく見なければいけません。この連載のひとつのテーマは、「損をしないために」ということなのです。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優 構成=石井謙一郎)
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