TBSラジオやニッポン放送との確執もネタになる…伊集院光が「ラジオの帝王」と呼ばれる本当の理由
プレジデントオンライン / 2023年5月6日 15時15分
■なぜ伊集院光は芸能界で異色のタレントになったのか
いまの時代、これだけ活躍していながら伊集院光というタレントの真価は見えづらい。彼の主戦場は、テレビでもネットでもなくラジオだからだ。だがそれゆえにタレントとして唯一無二の存在感を放ってもいる。
いまや「ラジオの帝王」とまで呼ばれるようになった伊集院光の魅力と本質はどこにあるのか? これまでを振り返りつつ考えてみたい。
伊集院光が落語家だったことは、知る人ぞ知るところだろう。
1967年東京出身の伊集院が三遊亭楽太郎(のちに六代目・三遊亭円楽)に弟子入りしたのは、1984年7月のこと。本人曰く、「学校にも行かずふらふらしていた」頃のことだった(「スポニチ Sponichi Annex」2022年10月1日付記事)。
三遊亭楽大と名乗った伊集院は、1988年には二ツ目に昇進する。
■駆け出しの落語家がラジオパーソナリティになった
だがその間に転機となる出来事があった。1987年、かつての兄弟子からの頼みでニッポン放送のお笑いオーディション番組「激突!あごはずしショー」に軽い気持ちで出演。「伊集院光」という芸名は、このとき落語家という素性を隠すために付けたものだった。
ところが、そこで優勝し、同じニッポン放送の土曜朝の番組にリポーターとして出演するようになる。さらに「激突!あごはずしショー」のディレクターだった寺内たけしの「オールナイトニッポン」に笑い屋として出演。そして1988年10月、「オールナイトニッポン」水曜2部(のちに金曜2部)のパーソナリティに就任した。
当時の伊集院光は「オペラの怪人」を自称し、漫談をしながら替え歌をオペラ風に歌う「ギャグオペラ」が持ちネタだった。「都立足立新田高校声楽科中退」のように虚実入り交じった経歴を語るなど、どこまでが本当なのかわからない正体不明の存在でもあった。
むろんそれは落語家であることがバレないようにするためでもあった。ただ、番組が次第に人気を集めるようになるとともに師匠である楽太郎の耳にも話が伝わり、結局落語のほうは自主廃業し、タレントとして活動していくことになった。1990年頃のことである。
■社会現象になったバーチャルアイドル
「オールナイトニッポン」の人気コーナーのひとつに「おべんとつけてどこいくの」があった。リスナーが妄想する恋愛シーンを書いて送るというコーナー。要するに男子が理想の女の子を語り合うものだが、その発展形とも言えるのが同じく番組から生まれたバーチャルアイドル「芳賀ゆい」である。
きっかけは何気ないところから始まった。番組で映画監督・大島渚の名前がアイドルっぽいという話題になり、そこから「歯痒い」(はがゆい)もそうだという話になった。
リスナーもこのネタに反応し、デビュー曲のタイトルやビジュアルなどをあれこれと提案するハガキが殺到するようになる。その結果、「芳賀ゆい」という架空のアイドルをどう売り出すかというコーナーが誕生した。
ポニーテールがトレードマークというところから始まり、本名「樋口麻紀子」、生年月日や出身地、家族構成など事細かなプロフィールがリスナーとのやり取りのなかでつくられていった。
伊集院光とリスナーが一緒に面白がる遊びといえば遊びにすぎない。だがこの遊びは、番組という枠を越えた盛り上がりを見せるようになる。「芳賀ゆい」は握手会を開き、「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務め、写真集も発売。1990年7月には奥田民生の作詞による「星空のパスポート」で歌手デビューも果たした。
それぞれの活動は、仕事の内容に合わせて別々の女性が担当した。全部で「芳賀ゆい」は50人以上いたとされる。
■日本で初めてのバーチャルアイドル
基本的に顔は見せない。握手会であれば、手だけが見えていてファンと握手をする。もし姿を見せる必要があるならば、イメージを固定させないように複数の人間が用意された。「星空のパスポート」の発売記念イベントにはツーショット写真が撮れるという特典があったが、「アイドルっぽい可愛い子」「普通の子」「外国人」という3人の女性が登場してファンの側が選べるようになっていた。
テレビや雑誌などメディアでも大きく取り上げられた。「初音ミク」などがいるいまの時代と違い、「バーチャルアイドル」をここまで徹底して作り出すのは当時画期的なことだったからである(「バーチャルアイドル」という言葉もこの時点ではまだ存在しなかった)。「芳賀ゆい」は、一種の社会現象になった。
最終的にこのプロジェクトは、伊集院の「オールナイトニッポン」の終了に伴い、幕を引くことになった。その際、「芳賀ゆい」は台湾に留学するとされた。彼女が乗っているとされる飛行機を見送るため、羽田空港には数十人のファンが集まった。
こう見ても、ラジオ、しかも深夜放送ならではのパーソナリティとリスナーのあいだの密度の濃い一体感があってこその「芳賀ゆい」だったことがわかる。
■リスナーとの共犯関係
親しい友人同士のような関係性のもと、その場のノリで始まった遊びが思わぬ展開から世間を巻き込む一大イベントになった。「芳賀ゆい」現象は、純粋な遊び心が秘めたパワーを証明するものであった。
そこには、機を見るに敏な伊集院光の臨機応変さがある。
ラジオの深夜放送の成否は、いかにしてリスナーが楽しめるコミュニティを作り出すかにかかっている。そのためには、パーソナリティの側は常にアンテナを張っていなければならず、またプロデューサーとしての能力を有している必要がある。
アイドルの“プロデュースごっこ”だった「芳賀ゆいプロジェクト」は、まさに伊集院光のプロデュース力を証明したものでもあった。
![音楽ミキサー](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/6/1200wm/img_760a6e395830700becb0c62fb3e27516398892.jpg)
■番組開始から聴取率トップを継続
「オールナイトニッポン」終了後、伊集院光は1991年3月同じニッポン放送「伊集院光のOh!デカナイト」のパーソナリティに就任する。こちらは月曜から木曜の夜10時から3時間の生放送である。
リスナー参加のクイズコーナー「ザ・ベースボールクイズ」など数々の人気コーナーがあったが、「さよなら!尾行マン」もそのひとつである。
街中の一般人を駅で見つけて尾行し、その様子をプロのアナウンサーが実況する。そして家に着いたところなどでインタビューをして終了というコーナーである(いまのご時世では難しいだろうが、むろん本人の了承を得てから放送し、個人情報は特定されないようにするなど配慮していた)。テレビで人気の「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京系、2014年放送開始)に先駆けたような斬新な企画だった。
1995年10月からは、TBSラジオに拠点を移す。そのとき始まったのが、「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」だった。
現在も続くこの番組は、個人パーソナリティによる深夜ラジオ番組の最長年数を記録している。聴取率でも長年同時間帯トップを守り続け、伊集院光は名実ともにラジオの世界をけん引する存在になった。
自ら番組に届くリスナーからのハガキやメールすべてに必ず目を通すという熱心さも知られるところだ。この間、2016年4月から2022年3月までは同じTBSラジオで「伊集院光とらじおと」という午前中の帯ワイド番組のパーソナリティも同時に務める多忙ぶりだった。
■「確執」が起きる原因
深夜放送などは特にそうだが、ラジオの魅力はやはりフリートークに尽きるだろう。とりわけ伊集院光に関して感じるのは、構成力と観察力のすごさだ。
たとえば、「深夜の馬鹿力」などのエピソードトークは、往々にして長尺のものになる。しかし、話の軸がブレない。むろんブースには笑い役のスタッフがいたりもするのでその反応を見たりしながら適度に脱線もするのだが、そうしたこともありつつ話の本筋がスッと入ってくる。その意味で、構成がしっかりとしていて洗練されている。
また人間への観察眼の鋭さも感じられる。ゲストに対してもそうだし、フリートークに登場する人物の描写についても同じだ。それは、ラジオでの伊集院光の持ち味のひとつである“毒舌”の土台にあるものだろう。
テレビ出演の際の伊集院光は、どちらかというときっちりとした進行役やフォロー役のイメージが強いが、ラジオではさらっと毒を吐く。言い換えれば、反骨精神がある。そんな硬派な部分も長年リスナーを惹きつけるポイントだろう。
過去これまでニッポン放送やTBSラジオとのあいだに確執が報じられ、本人もネタなどにしつつ一部番組で示唆していたりするが、それも反骨精神の帰結のようなところがある。
そうしたことすべての基盤には、彼の原点である落語があるように思われる。トークの肉付けに必須な臨場感あふれる会話の再現などには落語的な技が感じられるし、“毒舌”の源には落語に通じる江戸っ子的な庶民感覚があると思える。
■「ラジオの帝王」と呼ばれて
伊集院光は、決してテレビを拒んでいるわけではない。いまも数々のテレビ番組に出演しているように、テレビタレントとしても人並み以上の活躍だ。だが多くのタレントと違うのは、ラジオをテレビ進出のためのステップにしていないということだ。その点、現在の芸能界においてはかなり異色である。
そんな伊集院光をいつしか世間は「ラジオの帝王」と呼ぶようになった。どうやら名付け親は、テレビの演出家・プロデューサーで現在自ら「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務める佐久間宣行らしい。佐久間自身が長年に及ぶ伊集院のラジオのファンだったという。
ただ、伊集院光本人にもちろんその自覚はない。インタビュー取材などでそう言って持ち上げられたり、フワちゃんなどがその称号をいじってきたりするのでどうにも困ってしまう。だから冗談交じりにではあるが、「深夜の馬鹿力」のなかで「いいことはなにもない」と佐久間宣行に苦情を言ったこともあった。
とはいえ、現在の「芸人ラジオ」全盛時代の礎を築いたひとりが伊集院光であることは間違いない。この4月からは、ラジオの新番組がさらに2本始まった。
先日ゲスト出演したラジオ番組でも「ラジオには忠誠を誓うことにした」と明言していた伊集院光。これからもラジオの魅力を堪能させてくれる第一人者であり続けることだろう。
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社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)
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