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安倍首相は「それで結構です」と即断した…防大卒業式で学生が「帽子を投げてから猛ダッシュする」納得の理由【2022編集部セレクション】

プレジデントオンライン / 2023年5月7日 15時15分

防大と言えば、卒業式の帽子投げ(出所=『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』)

2022年下半期(7月~12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年8月9日)
防衛大学校の卒業式は首相が必ず臨席する。元防衛大学校長の國分良成さんは「小泉首相以降は臨席時間を短くするため、自衛官任命・宣誓式を学生服で行っていたが、防大としては不満だった。このため安倍首相に着替えを願い出たところ、『それで結構です』と応じてもらえた。この結果、学生たちは猛ダッシュで会場を出て、着替えて戻ることになった」という――。

※本稿は、國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■在任中経験した卒業式は8回が安倍元首相だった

防大の卒業式は全国的に知られる。全国の教育機関で唯一総理大臣が必ず臨席することと、そして最後の帽子投げが有名だ。私の在任中、8回は安倍晋三総理、最後の1回は菅義偉総理だった。

帽子投げの帽子はその後どうなるのか。投げたあとに下級生たちが拾い集めて本人に渡していたのは過去の話で、学生服も帽子も国から支給された官品なのですべて回収となるとのこと。卒業生たちが実費で買い取っていた時期もあるらしいが、オークションにでも出ることを警戒したのか、今では一律に回収している。

普通とは大きく異なる青春を送った若者たちの、その後のとてつもなく厳しく重要な任務を考えるとき、どうせ処分するのであれば手元に残してあげるのが人情だとは思うのだが。

防大卒業式には、もう一つ大きな見せ場がある。それは、卒業式の最後に学生たちが帽子を投げて勢いよく出口に向かって走り出したあとのことだ。

なぜに走るのか。それは急いで真新しい陸・海・空の制服に着替えて、再び会場に戻って整列し、今度は一般幹部候補生の自衛官としての任命・宣誓式が待っているのだ。壇上で学生服から制服に着替えた卒業生たちを見て、一つの仕事が終わったとの感慨で、私も胸が熱くなる瞬間だ。

■学生服のままの任命・宣誓式は“美学”に反するが…

今ではこのスタイルで卒業式と自衛官任命・宣誓式が進むことになるが、私の時代に一つの変化が起きている。

外から見ていただけではわからないが、私はこの改革に特に思い入れを持っていた。小泉純一郎総理以前、卒業式は総理が臨席するが、目の前での帽子投げは失礼だとのことでそれ以前に総理は会場を離れ、帰路についていた。そのあとの自衛官任命・宣誓式は防衛大臣が臨席していた。

ところが、それまでの前例を排して小泉総理自身も自衛官任命・宣誓式に参列する意向を示した。となると、官邸サイドとしては総理の拘束時間が問題となり、結局、卒業式のあと学生たちは着替えることなく、学生服のままで自衛官任命・宣誓式に臨んでいた。帽子投げも、従来通り、総理が退席してからであった。

小泉総理退任後、日本の政局は流動化し、民主党政権も誕生するが、その前後は毎年総理が変わるような状態であった。私が学校長となってからも、数年は小泉総理以来のスタイルで卒業式と自衛官任命・宣誓式を続けていたが、こうした手順に不満をもつ卒業生も多かった。

■「自衛官服に着替えたい」安倍元総理に直接お願いをした

学生服のままで自衛官任命・宣誓式を行うことが、防大卒業式の美学に反するというのだ。ところが、短命政権だと、総理にお願いするのも気がひける。

そこで安倍政権が長期となることが確実となると、総理に直接に改善をお願いした。卒業式のあとに学生たちは帽子投げをして、いったん学生舎に戻り、新装の自衛官服に着替えてから会場に戻り整列する。総理が任命・宣誓式も参列されるとなると、この間、最低でも30~40分の延長となる。総理大臣にとって時間は命だ。

しかし、安倍総理に直接お願いしたところ、即決、「それで結構です。自衛隊最高指揮官として最後までいます。帽子投げも壇上で見たい」とのことで、卒業式と任命・宣誓式は、防大美学に沿った現在のものに改善された。

ちなみに、学生たちが戻るまでの間、総理と私たちは昼食懇談となる。小さな変化かもしれないが、一生を国家・国民に捧げる覚悟を決めた若き自衛官の大事な門出、彼らにとっては一生の重みをもつにちがいない。

スピーチをする安倍晋三首相(当時)
写真=AFP/時事通信フォト
2013年3月17日、神奈川県横須賀市の防衛大学校で行われた卒業式で、スピーチをする安倍晋三首相(当時)。 - 写真=AFP/時事通信フォト

■500人の証書授与のために2週間前から“しこ”で特訓

卒業式当日の流れを簡単に説明したい。基本的には入校式や開校記念祭と同様だ。ただ、総理や防衛大臣、それに各界からの賓客が多数来られるため、当日の接遇は大変に複雑なことになる。が、準備にかなりの時間をかけ、また学生たちもそれぞれの役割分担できっちりと働いてくれるため、こうしたときの流れはさすがに防衛省・自衛隊だと思うことがしばしばであった。

卒業式の式次第は、総理入場、栄誉礼、開式の辞、国歌斉唱と続き、このあとが約1時間かけて卒業証書の授与となる。卒業生の数によって授与の時間は毎年異なるが、ここに研究科(大学院相当)も入るので、平均500人前後の証書を総理が真後ろで見守るなか、私が一人一人に手渡していく。私は毎年、一人一人に大きな声で「おめでとう」と言い続けたが、コロナ禍のなかではさすがにマスクをつけたままで、小声で囁かざるをえなかった。

1時間、勢いよく声を出して授与していると、腕が疲れるのではないかとしばしば聞かれた。腕は意外と大丈夫で、問題は太ももからお尻にかけての筋肉だ。パンパンに張ってきてかなり辛いことになるが、手渡ししながら微妙に足をずらして気を紛らわせるようにした。

卒業式の2週間ほど前から、毎年腕立てと腹筋で鍛えていたが、それに加えてしこを踏むようにしたら、だいぶ改善された。退任数年前から2週間漬けではなく、毎日腕立てと腹筋を日課として習慣づけた。そのおかげで、退任後の現在も毎日欠かさずに続けている。

■手渡す瞬間に親指を立てる行動にも理由があった

もう一つ注目してもらいたいのは、学校長が卒業証書を手渡す瞬間だ。学生は腕を伸ばして証書を受け取ると、そのまま証書を少し立たせるようにする。そのとき、校長も証書を手放す瞬間に両手の親指を上に立てて、いわばOK(いいね)サインを出すことになる。

当初、これは伝統的なスタイルなのかと思ったが、理由はそうではなかった。学校長が証書を手放す瞬間に証書の紙が大きいので指を切ることがあり、下手をするとそのあとの卒業証書に学校長の血糊が付いてしまうことがあるというのだ。

それを聞いたとき、「なるほど」と思った次第で、おかげさまで9年間、本科・研究科合わせて5000枚くらい手渡した計算になるが、一度として指を切ることはなかった。校長の「血判」の付着した卒業証書もなかなかの価値だとは思うが。自衛隊では、すべての動作には一定の理由があるのだ。

卒業証書授与の瞬間
卒業証書授与の瞬間。指に注目(出所=『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』)

■「名前が違うじゃないか」本番のヒヤリ体験

また、卒業証書が毎年500枚もあると、途中で2枚渡してしまうことがありえる。そこで余分に名前のない証書が最後に多めにはさんであるのだが、そういう経験は幸いになかった。

ただ一度、授与し始めて50枚目ほどだったか、学生と証書の名前が違うという事態が発生した。学生は顔色変えず、私も何事もないかのように平然とふるまい、授与を続けた。途中から正常軌道に戻ったのでよかったが、順番が狂った部分については、学生舎に戻ってから交換したそうだ。

なんでこんなことになったのか。真横で手渡してくれた若い自衛官も何度も練習したらしいが、練習しすぎて最後におかしなことになったらしい。とはいえ、何事も臨機応変が大事だということだ。

■いよいよ始まるもう一つの重要な儀式

卒業証書授与のあとは、学校長式辞、総理訓示、防衛大臣訓示、来賓代表祝辞、卒業生代表答辞、学生歌斉唱(防大に校歌はない)、閉式の辞、そして最後に学生解散で帽子投げとなる。

國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)
國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)

このときの代表学生の決め台詞が聞かせるのだ。毎年代表学生によって異なるが、前口上があって、最後に「さらば同期、部隊でまた会おう。学生解散!」といった調子だ。以前は学位授与機構長による学士号授与の儀式があったが、総理の滞在時間が延びたので、節約のため「独立行政法人大学改革支援・学位授与機構より認定されている」旨のアナウンスのみとなっている。

そして時間を置いてから卒業生たちが会場に戻り、もう一つの重要な儀式である自衛官任命・宣誓式が始まる。総理が再入場し、一般幹部候補生の任命・宣誓となる。陸・海・空の各幕僚長が卒業したばかりの学生たちを曹長に任命し、これに対して陸・海・空の新曹長たちを中心に、全員で「……事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」と宣誓する。

新装の各自衛隊制服姿での宣誓式
新装の各自衛隊制服姿での宣誓式(出所=『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』)

■「教師としての幸せの瞬間」

このあと総理は帰られるが、場所を移して在校生たちによる歓送の観閲式となる。観閲官は防衛大臣、学校長は執行者となる。真新しい自衛官の制服を着て整列した卒業生たちの前を在校生たちが行進し、観閲官に拝謁する。その準備の間、いつものように陸・海・空の回転翼と固定翼の航空機が列を組んで防大上空を祝賀飛行で通過する。

それが終わると、午餐会となる。卒業生とその家族、学校教職員と来賓などとともに食事をつまみながらの歓談の機会だ。一連の儀礼の式典が終わり、全身の力が抜ける瞬間だ。卒業生がご両親などと一緒に次々と挨拶にやってきて、記念撮影や握手やハグ、教師としての幸せを感じる瞬間でもある。

午餐会のあとも行事は続く。卒業生を教職員と在校生で見送るための行事があるのだ。このときはすでに学校関係者以外は皆さん離校しており、最後に仲間内で感傷的になる瞬間だ。学生舎から正門まで学生と教職員で花道をつくり、陸・海・空に分かれてその間を歩いていく。

■本来ならば感動的な別れのシーンだが…

涙でくしゃくしゃになった卒業生たちと握手やハグで別れを告げることになる。新型コロナの時は、残念だが、みなでそれを我慢していた。そして正門のところに整列した卒業生に対して応援団リーダー部のエールがあったあとに、「帽振れ」の合図で最後の別れとなる(写真)。毎年のことだが、感動的なシーンだ。

感動的な離校行事
感動的な離校行事(出所=『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』)

なお、一律ではないが、卒業の100日前には百日祭と呼ばれる行事が学生の間で実施される。卒業する4学年を囲んで大隊ごとなどで行われ、基本的には4学年に感謝する催しで、いろいろな出し物があるが、特に人気なのは動画放映で、4学年の誰かがドッキリカメラにはまったようなシーンでは皆が爆笑する。

また、卒業式の前日、今は静かに過ごすように指導されているが、かつてはもう処罰はないと思った4学年が暴れ散らかし、下級生は卒業リンチと称して4学年に襲いかかるなど、「無法地帯」と化していた時期もあったという。

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國分 良成(こくぶん・りょうせい)
元防衛大学校長
1953年生。81年慶應義塾大学大学院博士課程修了後、同大学法学部専任講師、85年助教授、92年教授、99年から2007年まで同大学東アジア研究所長(旧地域研究センター)、07年から11年まで法学部長。12年4月から21年3月まで防衛大学校長。法学博士、慶應義塾大学名誉教授。この間、ハーバード大、ミシガン大、復旦大、北京大、台湾大の客員研究員を歴任。専門は中国政治・外交、東アジア国際関係。元日本国際政治学会理事長、元アジア政経学会理事長。著書に『中国政治からみた日中関係』(2017年樫山純三賞)、『現代中国の政治と官僚制』(2004年度サントリー学芸賞)、『アジア時代の検証 中国の視点から』(1997年度アジア・太平洋賞特別賞)などがある。

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(元防衛大学校長 國分 良成)

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