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「私は運がよかっただけ」4人死亡、4人重軽傷の"本州最悪の殺人熊"と戦って生還した58歳男性がやったこと【2022編集部セレクション】

プレジデントオンライン / 2023年5月7日 8時15分

出典=『人狩り熊』

2022年下半期(7月~12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年8月14日)
もし山でクマと遭遇したら、どうすればいいのか。NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦さんは「遭遇しないことが最優先で、クマと絶対に戦ってはいけない。しかし、どうしても避けられない場合は、『死んだふり』ではなく、熊を直視して対応してほしい」という――。

※本稿は、米田一彦『人狩り熊』(つり人社)の一部を再編集したものです。

■本州最悪となった「十和利山熊襲撃事件」

2016(平成28年)5月下旬から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯の十和利山山麓で発生したツキノワグマによる獣害事件。タケノコや山菜採りで入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った。

記録に残るものでは本州史上最悪、日本史上でも3番目の被害を出した獣害事件と言われる。人を襲った熊、食害した熊が複数存在する非常に稀な事例である。

・5月21日 第1犠牲者
鹿角市十和田大湯字熊取平(くまとりたい)の竹藪でタケノコを採集していた男性(79)が前日行方不明となり、この日の朝、遺体で発見される。遺体は食害されていた。

・5月22日 第2犠牲者
朝、第1犠牲者発見現場から北西500mの地点でタケノコ採りをしていた夫婦が熊に襲われる。妻(77)は逃げて無事だったが、夫(78)は午後、遺体で発見される。遺体は咬み傷等で激しく損傷していた。

・5月30日 第3犠牲者
タケノコを採りに田代平(たしろたい)を訪れ25日から行方不明になっていた男性(65)が、この日の朝、遺体で発見される。遺体は複数の熊に食害されていたと推測される。

・6月10日 第4犠牲者
6月7日から行方不明になっていた女性(74)が、朝、遺体で発見される。遺体は広範囲にわたって食害されていたと推測される。同日午後、付近にいた熊が1頭射殺される。

■悔やまれる事件対応と「真犯人」

関係者は、この事件の対応に失敗し、加害グマの特定も行なわず、また完全なる収束も見ず、騒動に幕を降ろしてしまった。

このままにしてはおかれない。

端から科学が敗北し、誰もが早々と背を向けてしまった事件を掘り起こし、後世に伝えたい。

人を4人も殺した熊は、どれだ。

もはや真犯人を挙げることはできないが、北辺の森に隠れているはずの「殺人熊」を、私は追い続けた。

公的資料が得られない私は現地で熊たちを追跡し、関係者の証言を基に、自分の経験から推理し、この事件を読み解いてみた。

【図表1】十和利山熊襲撃事件図
出典=『人狩り熊』

■貴重な「熊遭遇体験」を収集

第3犠牲者が入山して死亡したと思われる日の翌日、同じ場所にそうとは知らずに入り、若い熊に襲われたが、闘って生還した男性がいた。

Aさん(58)、青森県おいらせ町に住む会社員だ。この遭遇戦は今にいたるまでマスコミを賑わせている。

私は過去100年間ほどの全国紙と、熊が生息する県の地元紙を繰ってきている。Aさんのような報道を賑わせる熊遭遇体験は、時間を経るにつれて、風化するどころか、「超絶体験」に祭り上げられていくものだ。

例えば、襲って来た熊に巴投げをかけたある登山者の場合、「クマは500m落ちて空中に消えた」と報道され、22年後には週刊誌で「1700mも落ち、下の集落は大騒ぎになった」に変わっていた。

私は事件直後の7月13日夜、十和田市において、Aさんから直接話を聞いた。

直接面談したいという私の依頼に、Aさんは当初難色を示していたが、私が十和田市出身ということもあって、軽トラで指定の場所に駆けつけてくれた。

Aさんの話に誇張は全く感じられなかった。熊の状況を聞けば、話の真偽のほどは鮮明に分かるものだ。

■笹藪に入った途端、猛烈な「獣臭」

「自分はタケノコ採り歴は5~6年ほどだ。

タケノコの買取り業者が25日から来るとの情報があり、下見のため5月17、18日に有給休暇を取って、田代平(たしろたい)の、第3犠牲者が行方不明になった地点の笹藪(ささやぶ)に入った。途端に熊臭かった」

「26日も同じ場所に入ろうと思って、朝4時30分に軽トラで自宅を出て、五戸、倉石経由で6時過ぎに着くと今回の(第3事故)現場には既にパトカーが2台いた。

軽トラを入れるスペースがないので県道を少し戻って県道脇に車を置き、大根畑を横切って畑の作業道に入ったら、前に黒いパジェロミニ(注・証言ママ。暗くて黒に見えたか)が停まっていた。ただ、第3犠牲者の車だとは知らなかった」

「笹藪の熊の出入口をトンネルと言って、タケノコ採りの人もそこから入る。

6時45分ころ爆竹やロケット花火を鳴らしてから笹藪に入ると、途端に強烈な獣臭がした。

沢は急な谷になっているが、ところどころ平らな所があってタケノコやワラビがあった。

背中には大きなザックを背負い、腰にも籠を下げて、タケノコを4kgほど採ったらザックに移した。笹が密生していて見通しが全くなかった」

■1.2mほどの距離で、20分も熊とにらみ合う

「7時15分ころ、がさがさ音がして驚いたが、斜面がきつくて動けなかった。

また音がしたが、同業者かと思った。以前、第3犠牲者とこの付近で話をしたことがあったからだ。

斜面の下から見上げた方が確認しやすいので、顔を上げた。すると、笹を透かして黒い影が見えたので、熊取平の方で2人襲われて亡くなっているのを思い出し、震え上がった」

米田一彦『人狩り熊』(つり人社)
米田一彦『人狩り熊』(つり人社)

「熊が自分を狙うように、私から1.2mほどの距離まで来た。

斜面がきつくて、熊もやっと立っている状態だった。

熊はずっと私を見ながら、ふっ、ふっと呻(うな)り続けた。

自分も呻って見せ、足で竹を打つように踏んだ。心臓がばくばくとなった」

「熊はちょうど私に覆いかぶさるような位置になり、そのままにらみ合って15~20分経った。リュックを下ろしたほうが良かったかもしれないが、そこまで気が回らなかった。

煙草に火を付けて熊の足元に投げた。が、雨が降っていたので効果がなかった(注、現地は当日、朝から降雨があった)」

■ちょっとした動きを読まれ、攻撃をかわされる…

「偶然、大型のカッターナイフを胸ポケットに入れていた。刃を長く出すと折れると思って、少しだけ出すことにした。

熊は終始立ち上がらなかった。鼻が目の前1mのところにあったので、カッターで3回、目を狙って切りつけた。

だが、私が肘を引いただけで、動きを読んだらしく、熊は素早くかわした。

しかし3回目は、右の目の下を少し切ったかもしれない」

「滑りそうになって、少し振り向いたら、熊がだーっと襲ってきた。

が、向き直ったら下がった。

熊に背を向けると危険だと思い、目を見ながら、右腕を尻の後ろに伸ばし、長めの笹の根元を切り取って、先を尖らせた。

その尖った笹を、熊の右目めがけて突き出したら、目の下に刺さり、熊は逃げた」

■「鼻先に赤い血糊が貼り付いていた」

「夢中で斜面を上がり、県道に置いた車に戻ると、パジェロの辺りにテントが立ち、10数人の警官や消防団がいた。

県道には警官が2人と婦人が3人いた。婦人たちに熊に遭遇したことを話すと、2人は入山を断念し、1人は笹藪に入って行った。

警官が前日から第3犠牲者がこの付近で行方不明だと言った」

「一旦、皆から離れたが、Uターンして警官に『あの付近に第3犠牲者がいるのではないか』と通報したが、興味を示さなかった。

報道各社の記者5人に取り囲まれ、体験談を話すように言われ、仕方なく応じた」

「遭遇時に既に熊の顔には傷がいくつかあった。左目上の額の傷は古く、毛が抜けて幅が2cmほどの稲妻型のハゲになっていた。

鼻先の右側に赤い血糊が貼り付いていた。切られた傷なのか、動物を食べた血なのか分からなかった。」

ツキノワグマ
筆者提供

■「被害者が出ても山に行く」危機感のなさが事件を拡大

「そのあと熊取平へ行くとタケノコ採りの3人と出会い、一緒にゲートを越えて林道を行くと、子グマの糞があった。先を走っていた犬が吠え、誰かが『熊を見た』と言ったが、冗談だったかもしれない」

「27日に護身用に太さ2cm、長さ160cmほどの鉄パイプを尖らせて槍のようなものを作り、ナタも持参した。が、笹藪の中ではどれも重くてやめた。

28日(土)にまた田代平に入山した。捜索隊が多数入っているがタケノコ採りも多かった。ヘリが見当違いの方で往復していていた」

「体験談がテレビに出たので、妻には『ご先祖様から一回きりもらった命だから自重してケロ』と言われ、娘からは『また行くなんてバカだろ』と言われた。

あの時、勝てるとは思わなかったが、運がよかった。来年のタケノコ取りは、どうしようかと迷っている」

Aさんが襲われた後、笹藪に1人の婦人が入って行った、という話は驚いた。自分は安全だと信じきっているのだろうが、その信念はどこから来ているのだろうか。

Aさんの証言には次のような興味深いポイントがあった。

①笹藪に入った途端に獣臭がした(腐敗臭だったかもしれない、とも)
②熊の右鼻翼部に血糊か、あるいは出血があった
③左目上の額の古傷の存在
④20分間も1~1.2mの距離で対峙(たいじ)した
⑤視線をそらすと襲ってきた
⑥熊取平の規制線の先に子グマの糞があった

規制線の先……それは第2事故現場だ。親子熊がいたわけだ。

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米田 一彦(まいた・かずひこ)
NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長
1948年青森県十和田市生まれ。秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課勤務。86年に退職し、フリーの熊研究家となる。多数の助成により国内外で熊に関わる研究・活動を行う。島根、山口、鳥取県からの委託によりツキノワグマの生息状況調査(00~04年)のほか、環境省の下でも調査を行ってきた。十和田市民文化賞受賞(98年)。日本・毎日新聞社/韓国・朝鮮日報社共催「第14回日韓国際環境賞」受賞(08年)。主な著作に『熊が人を襲うとき』(つり人社)、『山でクマに会う方法』(ヤマケイ文庫)、『クマ追い犬 タロ』(小峰書店)、『クマを追う』(丸善出版)、『絵本 おいだらやまの くま』(福音館書店)ほか多数。◎日本ツキノワグマ研究所

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(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長 米田 一彦)

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