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「正論だけを吐いていても何も動かない」財務次官経験者たちが明かす"官僚の調整能力"の正体

プレジデントオンライン / 2023年5月12日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/uschools

2021年11月号の『文藝春秋』に財務省の矢野康治事務次官(当時)が「財務次官、モノ申す――このままでは国家財政は破綻する」と題した論文を寄稿したことが話題になった。この論文を財務次官経験者たちはどう見ていたのか。経済ジャーナリストの岸宣仁さんが3人の次官経験者に聞いた――。

※本稿は、岸宣仁『事務次官という謎 霞が関の出世と人事』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■異例の寄稿「財務次官、モノ申す」

謎の多い事務方トップの役割について、古今の事例に基づきながら迫ってみたい。まず、最初にご登場いただくのは、財務省の矢野康治前事務次官(85年)である。矢野が現職だった当時、月刊誌『文藝春秋』(2021年11月号)に寄稿した論文が各方面に波紋を広げたことは記憶に新しい。現職次官が雑誌に自らの意見を発表するのは異例中の異例であり、そのタイトルの過激さからして反響をより大きなものにした。

「財務次官、モノ申す―このままでは国家財政は破綻する」

財務次官にいきなり「財政破綻」と言われると返す言葉がないが、10ページにわたる論文は国家財政への危機意識で貫かれている。どんな内容が書かれていたのか、初めに論文の柱を紹介するが、冒頭から息遣いも荒く話が始まる。

「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない。ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います」

■高校までを山口県で過ごした

雑誌が発売されたあと、「バラマキ合戦」という言葉が一人歩きし、とくに政界から激しい批判の声が上がった。ちょうど衆議院選挙の公示を間近かに控え、与野党双方からコロナ対策を名目にした巨額の財政出動を求める声が日増しに高まっていた時期だけに、話題が話題を呼ぶ効果を生んだ。

同じく、この文章にある「大和魂」にも触れておく必要がある。矢野は一橋大学出身の初の財務事務次官として知られるが、高校(下関西)までを山口県で過ごした。山口県出身者には幕末の思想家、吉田松陰を敬愛する人が多く、「大和魂」のフレーズも彼の詠んだ辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂」から採ったもので、世直しに懸ける松陰の激しい情念を素直に表している。

さて、そのバラマキ合戦の結果、いかに財政が深刻な状態にあるかを数字を駆使して訴える。

数十兆円もの大規模な経済対策が打ち出されるとともに、一方で財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。この時点で、すでに国の長期債務は973兆円、地方の債務を合わせると1166兆円にものぼる。わが国の財政赤字(一般政府債務残高/GDP=国内総生産)は256.2%と、第二次大戦直後を超えて過去最悪であり、他のどの先進国よりも劣悪な状態になっている(ちなみにドイツは68.9%、イギリスは103.7%、アメリカは127.1%)。

■「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」

GDPの二倍を優に超える膨大な借金を抱えているのに、さらに財政赤字を膨らませる話ばかりが飛び交う現実を、かつてのタイタニック号事件になぞらえてこう注意を喚起した。

「あえて今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、この山をさらに大きくしながら航海を続けているのです。タイタニック号は衝突直前まで氷山の存在に気づきませんでしたが、日本は債務の山の存在にはずいぶん前から気づいています。ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現われるかわからない。そのため衝突を回避しようとする緊張感が緩んでいるのです」

タイタニック号と氷山と3Dイラスト
写真=iStock.com/MR1805
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MR1805

官僚として、さらに言えば官界最高峰の財務事務次官として、国家財政への危機意識がストレートに伝わってくる。誰かが意を決して言わなければ、ただただ政治に流されてしまう現状に、どこかで歯止めをかけたい必死の思いが行間から滲み出てくる文章でもある。

■官僚の対外的主張はどこまで許容されるか

恐らく清水の舞台から飛び降りる覚悟で発表した論考だと推察するが、この寄稿文には二つの問題が内在している。一つは、政と官の関係において官僚の対外的な主張がどこまで許容されるか。もう一つは、事務次官という立場が発するメッセージへの国民の受け止め方だろう。

前者の政治と官僚の関係については、矢野自身が触れている部分がある。“カミソリ後藤田”の異名を取り、名官房長官と称された後藤田正晴が、内閣官房の職員に訓示した、いわゆる「後藤田五訓」を引き合いに次のような見解を明らかにした。

まず、五訓にある「勇気をもって意見具申せよ」を引きながら、大臣や国会議員に対してただ単に報告や連絡を迅速に上げるだけでなく、それに的確に対処する方途について臆せずに意見すべきであると主張する。ただし、国民の投票によって選ばれる政治家に対し、落選や職を失うリスクのない官僚は、あくまで選択肢の提供者としての立場を守るべきであり、これも五訓にある「決定が下ったらそれに従い、命令は実行せよ」は役人の常道だと受け止める。

■自身を「心あるモノ言う犬」と卑下した意味

そして、先のタイタニック号の喩えを再度持ち出し、「衝突するまでの距離はわからないけれど、日本が氷山に向かって突進していることは確かなのです」と強調する。この破滅的な事態を避けるには、最も賢明なやり方で対処していかなければならず、それを怠れば「将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます」と指摘し、次のように結ぶ。

「今日は、『心あるモノ言う犬』の一人として、日本の財政に関する大きな懸念について私の率直な意見を述べさせていただきました。今後も謙虚にひたむきに、知性と理性を研ぎ澄ませて、財政再建に取り組んでいきたいと思っています」

国家公務員である自身を、「心あるモノ言う犬」と卑下しているのは、政と官の関係を意識してのことだろう。腹の内の本音はともかく、政治に対する官僚の立場をわきまえているという姿勢を明確にする効果を狙ったものだ。

シベリアハスキー
写真=iStock.com/PJPhoto69
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PJPhoto69

そこまで自らを貶めた矢野に対して、政治からの批判は予想以上に厳しいものがあった。自民党の政策責任者である高市早苗政調会長は、「全国会議員をばかにした話で、大変失礼な言い方だ」と真正面から批判。「基礎的な財政収支にこだわって本当に困っている方を助けない。未来を担う子供たちに投資しない。これほどばかげた話はない」と語気を強めた。

ちょうど衆院選の公約が練られる時期と重なり、自民党幹部会でも財務省への批判が相次いだ。結局、内閣のお目付役である松野博一官房長官が「私的な意見を述べたものと承知している」と差し障りのない表現でその場を収めたが、矢野次官の論文はのちのちまで陰に陽に、政官の関係に影響を与え続けたように見えた。

■論文発表は「最悪のタイミングだった」

矢野論文が発表されてほどなくして、財務省の次官経験者三人にどう読んだか、率直な感想を尋ねた。先に結論から言うと、三人が揃って批判的な見方を明らかにした。いや「批判的」と断定してしまうと言葉が過ぎるやも知れず、正確に表現するなら、「効果は期待薄」に近いニュアンスかもしれない。

三人がどのような発言をしたのか、名前を引用しない条件で聞いた話なので、以下では、彼らの見解を三つの視点に分けて強調した部分を紹介してみる。

まず、論文を寄稿した時期について。官僚から見ると「最悪のタイミングだった」と映ったようだ。雑誌の発売が2021年10月8日、その前の10月4日に岸田文雄内閣が発足し、発売から間もない10月19日に総選挙が公示された。出版社からすれば、政治イベントが続く絶妙なタイミングだったのだろうが、官にはむしろ逆風になりかねないとの声が強く出た。

「あの論文の最大の問題は、新内閣発足直後、総選挙直前という微妙な時期に出たことだね。選挙を目前に控えて、財政再建に打って出るとか、消費税増税に打って出るとか、荒唐無稽な理想論は打ち出さないほうがいい。あの論文の趣旨はいつも省内で議論している話をまとめたもので、あの時点で彼が大和魂を鼓舞して叫んだとしても、財政再建が進むということにはならないし、犬の遠吠えで終わってしまうのがオチだと思う」

■「正論だけを吐いていても真の調整にはつながらない」

矢野次官の必死の絶叫に、かなり冷ややかな反応ではないかと感じたが、そう考える根拠のような話が彼らの会話に続いた。三人がいみじくも官僚が政治に対する「補助者」の立場であることを前提とした上で、表現の仕方は違っても、次のような見方でほぼ意見が一致した。

「現実に政治が動く中で、役人はあくまで補助者であって決定権を握っているわけではない。ただ、政治が常に正しい選択をするかといえば決してそうではなく、役人が立場をわきまえながらも諦めずに働きかけを続けてきたのが実態だ。そのたびに何度も何度も手を替え品を替え説得してきた歴史でもあるが、あの論文はそうした我々の調整の能力を使いにくくするのは明らか。もう一歩踏み込んで言うなら、政治との丁々発止のやり取りの中にあって、ギリギリの段階での役人の調整力というか、政治に対する調整能力を放棄することにもなりかねない。ハイハイと御用聞きになってはいけないが、正論だけを吐いていても真の調整にはつながらないと思う」

■奥の深い官僚の「調整能力」

ここで使われた「調整能力」という言葉には、政と官の関係に根差した深い意味合いが込められている。両者は政策の立案・決定に向けて同じ土俵に立ちながらも、官僚があくまで補助者であることを前提に考えると、いざ決定という場面で政治に従わざるをえない現実に追い込まれる。

岸宣仁『事務次官という謎 霞が関の出世と人事』(中公新書ラクレ)
岸宣仁『事務次官という謎 霞が関の出世と人事』(中公新書ラクレ)

実際、衆院選後に編成された補正予算案は、過去最大の総額35兆9895億円に膨らんだ。財源には新たに22兆580億円の新規国債発行、2021年度末の国債残高はついに1000兆円の大台を突破した。コロナ禍への対応でそれまでにも予算の積み増しが常態化していたが、18歳以下の子供への10万円相当の給付をはじめ、バラマキ合戦が行き着くところまで行き着いた補正予算と言っても過言ではなかった。

だとすれば、矢野論文は補正予算にどのような影響を与えたのだろう。

論文発表から2カ月も経たない間の予算編成に、いかなる影響を及ぼしたかを推測するのは無謀のそしりを免れないが、次官経験者が指摘する「調整能力を使いにくくした」ことは確かなようだ。結果として、経済対策の規模を抑えたいと考える財務次官の訴えは、高市政調会長を中心とする与党政策責任者の反発を招き、かえって予算規模を膨張させる反作用を生んだと見る向きが多かった。補正予算案を審議する臨時国会の所信表明演説で、岸田首相がバラマキ批判への反論とも受け取れる答弁にかなりの時間を費やしたのも、後ろめたさの表れと言ったら言いすぎだろうか。

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岸 宣仁(きし・のぶひと)
経済ジャーナリスト
1949年埼玉県生まれ。経済ジャーナリスト。東京外国語大学卒業。読売新聞経済部で大蔵省や日本銀行などを担当。財務省のパワハラ上司を相撲の番付風に並べた内部文書「恐竜番付」を発表したことで知られる。『税の攻防――大蔵官僚 四半世紀の戦争』『財務官僚の出世と人事』『同期の人脈研究』『キャリア官僚 採用・人事のからくり』『財務省の「ワル」』など著書多数。

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(経済ジャーナリスト 岸 宣仁)

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