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憲法改正の先送りはいい加減にやめるべきだ…憲法での自衛隊の明記が必要な3つの理由

プレジデントオンライン / 2023年5月3日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

■政治家と国民に与えられた「2年」の余裕

2023年4月9日および23日の両日に投票が行われた統一地方選の後、私たちは政治的空白の中にいる。現時点で予定されている次の大型の選挙は、2025年7月末に任期満了を迎える参議院議員の選挙、および同年10月下旬に任期満了を迎える衆議院議員の選挙である。つまり衆議院の解散・総選挙がないかぎり、2年以上大きな政治イベントがない見込みだ。

この間私たちは何をすべきか。少子化対策、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で不安定な経済の対策など、政治が取り組むべき課題は山積みだが、それらはいずれも通常政治である。より大きな政治イベントに、政治家や国民が取り組む時間的・エネルギー的余裕はあるというべきである。

今こそ憲法改正を争点とした衆議院の解散・総選挙を行い、憲法改正の方向性を集約すべきではないか。そこで集約された方向性に基づき国会が憲法改正原案を練って、それを国民に対して発議(憲法96条)すべきである。今やらずして、いつやるのであろうか。

憲法に定められた国家のあり方に基づいて行われる通常政治を超えて、国家のあり方そのものを見直す「憲法政治」に取り組むべき季節だ。憲法政治において重要な政治的決定を自ら下すという、主権者たる国民の役割を突きつけられることなく、私たちは、非主権者的態度に甘んじてきた。今こそ、「改憲総選挙」の実施でそこから脱却すべきだ。

■改憲の「論点」はすでに整っている

改憲派の主張も、近年まで押しつけ憲法論(日本国憲法無効論)から全面改正論(2014年の自民党改憲草案)まで、主権者たる国民に現実的な選択肢を提示するというより、自己の考えにこだわりその出来栄えを競うことに終始するものが多く、現実に国民意思を集約する気概が見えない論ばかりであった。

そうした議論状況を突破し、憲法改正を現実的選択肢に近づける努力を行ってきたのが、安倍晋三元総理大臣である。彼は憲法改正国民投票法(平成19年法律第51号)を成立させて、憲法96条の憲法改正手続きを立法として具体化し、さらに自民党内の議論を2018年のいわゆる「改憲四項目」(憲法への自衛隊の明記など)にまとめあげた。

憲法改正国民投票用紙
写真=iStock.com/CreativeJP
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CreativeJP

その後私たちは、その安倍元総理が志半ばにして凶弾に倒れる(2022年7月8日)という、日本憲政史上屈指の大事件に見舞われた。この事件により憲法改正への道のりは不透明性が増したようにも見えるが、そうではない。次項で示すとおり、改憲の論点は憲法9条についてはすでに整っている。自衛隊を何らかの仕方で憲法に明記するという点で、改憲を掲げる各政党間にズレはない。それを今やるのかやらないのか、改憲派の本気が問われている。

■論点は「憲法のどこに自衛隊を明記すべきか」

各政党の努力により、論点は整っている。例えば2023年4月13日の衆院憲法審査会の自由討議では、自民党および日本維新の会が憲法9条に条文を追加して自衛隊を明記するという憲法改正を訴え、他方で公明党は憲法72条ないし73条への自衛隊の明記という主張を、国民民主党は憲法第5章「内閣」の章内での自衛隊の明記という主張をした(「衆院憲法審で9条議論 自民と維新、自衛隊明記を主張」、毎日新聞2023年4月13日)。自衛隊を憲法9条の追加条項に明記すべきか、他の箇所に明記すべきか、ここで改憲派の各党が一致できれば、自衛隊明記のための憲法改正の発議(憲法96条)は可能な状態である。

したがって、自衛隊を憲法9条に明記すべきか、それとも憲法72条ないし73条を含む憲法第5章に明記すべきかを争点に、衆議院の解散・総選挙を行って民意を集約すべきだと筆者は主張する。護憲派は護憲派で、改憲阻止に必要な衆議院の総議員の3分の1以上の議席をめざして、選挙で戦えばいい。

■自衛隊の明記が必要な3つの理由

自衛隊の存在を合憲とする憲法9条解釈が不可能なわけではない。にもかかわらず私が改憲による自衛隊の明記を主張する理由を、この場を借りて述べておきたい。さもないと、改憲総選挙で憲法に関する民意を集約すべきだという本稿のここまでの私の主張の基礎が不明確だからだ。

破壊された、ウクライナ・ブチャの公園
写真=iStock.com/Lydia Sokor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Lydia Sokor
(1)非武装無抵抗の無理

まず筆者は、憲法9条は絶対的平和主義を定めた条文と解釈している。その憲法9条は、「一切の戦力」の放棄を命じることで、他国からの武力攻撃に際して、国民に無抵抗と他国軍隊による暴虐の受け入れを強いる結果となる。あまりに非現実的で非人間的な規定である。

非武装無抵抗の絶対的平和主義を定めた(と解釈するならば)憲法9条は、「『殺されても殺すな』という峻厳な責務、すなわち、侵略者によって同胞・家族が殺され自己も殺されそうな状況に置かれても、対抗的暴力行使によって敵を殺し返すことを禁じ、あくまで平和的手段で抵抗するという、苛烈な自己犠牲を伴う非暴力抵抗の責務を、国民全体に課す」(井上達夫『立憲主義という企て』東京大学出版会、2019年、229ページ)ものであり、通常人に「道徳的英雄(moral hero)に課される責務」(同書)を負担させるものである。

憲法9条を絶対的平和主義と解釈するならば、それはパルチザン戦の遂行または非暴力不服従という「善き生」を人々に強いることになり、立憲主義のプロジェクトと整合性がとれないので同条を「準則」ではなく「原理」と解すべきという、憲法学者の長谷部恭男の所説(『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年、166~172ページ)も、この脈絡で参照されるべきであろう。憲法9条は、通常人からなる国民にはもともと無理なプロジェクトなのである。

(2)政治的マニフェスト説の無理

自衛隊を容認しつつ、憲法改正をせずに済ませる理屈もないわけではない。それは、憲法9条の法規範性を骨抜きにする「政治的マニフェスト説」を採用することである。1953年に英米法学者の高柳賢三が唱えたこの説は、「字句に執着してナショナル・セキュリティを置きざりにするような憲法の解釈は正しい解釈ではない。(中略)社会学的解釈によれば第二項は『平和への意志』を表した修辞的表現でかざられた国際政治的マニフェストにすぎぬのである。従って第二項の一々の字句からはなんら法的効果は発生しない」((高柳賢三「平和・九条・再軍備」ジュリスト25号、1953年、5ページ)とするものだ。

近年、憲法学の泰斗・芦部信喜がその晩年に、必要最小限の自衛力を当分の間認めるため「政治的マニフェスト説の今日的意義を再検討しなければならないのではなかろうか、私はそう考えるようになりました」(『芦部信喜先生記念講演録と日本国憲法』信山社、2017年、31ページ)と述べたことで、この説はふたたび注目を集めている。

■安全保障政策の決定権を裁判所に担わせていていいのか

しかしこの政治的マニフェスト説は、憲法条文の明文改正を避けるための方便としての性格が強く、国内最大の実力組織である自衛隊の存在やその指揮権や権能が、憲法に明記されないまま放置する結果をもたらす。その結果、国家の基本構造を定める法規範という意味での、憲法(Constitution)の意義を没却させてしまう。したがって私はこの解釈を採用できない。

(3)安全保障政策は議会制民主主義に委ねるべき

私が自衛隊の憲法への明記を主張するもっと根本的な理由は、議会制民主主義のプロセスと司法プロセスとの間の役割分担という、民主主義国家の原理的問題に関わる。

国家の存亡に関わる安全保障政策は、憲法規定で厳格にタガをはめて裁判所の判断に委ねるべきではなく、議会制民主主義のプロセスに委ねるべきであると私は考える。たとえ憲法規定のタガが存在するといえども、選挙で選ばれた国民の代表ではない司法機関=裁判所が、国の安全保障政策に責任を持てるはずがない。

裁判所は結局、国家の存亡に関わる高度に政治的な問題については憲法判断を回避するという「統治行為」の法理を採用するほかない。裁判所に判断可能なのは、その能力と役割からして、安全保障政策が議会制民主主義のルールやシビリアンコントロール(文民統制)のルールにのっとって決定および遂行されているかどうか、ということだけである。

一国の安全保障政策をコントロールするのは裁判所であるべきなのか、それとも民主主義プロセスであるべきなのか、という論点は、従来あまり意識されてこなかった。憲法に自衛隊を明記するということは、このような原理的部分での転換を意識することになるだろう。

■今こそ国民が「主権者」としての責任を果たすとき

私たち日本国民は、憲法によって主権者の地位を授けられながら、今日まで重要な政治的決断を先送りするという「非主権者的」な態度を甘受してきた。そして自衛隊に安全を確保してもらいつつ、その存在にふさわしい地位を憲法に書き込むことを避けてきた。

それは主権者として無責任というものだ。今こそ非主権者的態度を脱却し、自衛隊に憲法上の地位を授けるのが、私たち国民の主権者としての責任である。

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石埼 学(いしざき・まなぶ)
龍谷大学法学部教授
1968年生まれ。立命館大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。亜細亜大学法学部専任講師、同准教授を経て現職。専門は憲法学。著書に『人権の変遷』(日本評論社)、『いま日本国憲法は:原点からの検証〔第6版〕』(法律文化社、共著)『国会を、取り戻そう!:議会制民主主義の明日のために』(現代人文社、共著)など。

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(龍谷大学法学部教授 石埼 学)

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