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問題を与えられないと解けない…日本の「受験秀才」が実社会で成功しない根本原因

プレジデントオンライン / 2023年5月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

“受験秀才”だった人物が社会に出て失速してしまうのはなぜか。近著『超「超」勉強法』が話題の野口悠紀雄さんは「受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです」という──。(第7回/全7回)

※本稿は、野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■実社会では「問題」が与えられない

学生時代には、他のことをせずに、勉強だけを思う存分にすることが許されます。そこで勉強した内容は、一生の財産になります。そのような機会を与えられたことに感謝しましょう。

ただし、入学試験に合格できても、勉強の成果をその後の仕事に活用できなければ、意味がありません。

ところが、学校の勉強と社会に出てからの活動とは、同じものではありません。

第1に、学校の勉強には、カリキュラムがあります。何をやればよいかが決まっています。問題が与えられています。そして、(通常はただ1つの)正解が存在します。これは、非常に特殊な状況です。

実際の社会では、問題が与えられていません。問題は、自分で探さなくてはなりません。適切な問題を見出すことこそが、重要です。研究者の場合には、何を研究テーマにするかが最も重要です。それを間違えると、一生を棒に振ってしまいかねません。

■「指示待ち人間」が生まれる原因

ところが、「問題を発見する能力」は、学校教育ではなかなか訓練できません。その結果、受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです。

しかも、問題に答えがあるとは限りません。答えがない問題を捉えてしまう危険があります。

これらについての勘を養うことが重要です。それは、受験に必要な能力とは違うものです。

受験秀才はそれができず、「指示待ち人間」になってしまう危険があります。これが受験秀才の最も大きな問題です。このため、受験で成功しても、人生で成功するとは限りません。

■受験や学校の試験にはバイアスがある

学校の勉強と社会に出てからの活動の違いの第2は、学校の勉強には、バイアスがあることです。

これは、英語でとくに顕著です。日本の学校教育では、日常生活や仕事で使う英語とは違う英語が求められています。

また、試験では、客観的採点の可能性が重要です。このため、問題の出し方に一定のバイアスがかかります。英語や国語では、長文読解が一番出しやすい問題です。ディスカッションをしたり、意見を述べたりすることが本当は重要なのですが、これを採点するのは難しいのです。

英語でも日本語でも、書くことは、実際の仕事の上で重要です。そして、重要性がますます強まっています。それにもかかわらず、書くための教育は学校では十分になされていません。

このように、学校の勉強とその後では、重要な点が違います。学者になりたければ、過去問に答えられるだけではまったく不十分です。過去問的な知識は、いまなら、ウェブを少し検索するだけで簡単に手に入ってしまうでしょう。しかし、それでは学者の仕事を進めることはできません。

他の仕事に関してもそうです。資格試験や英検(実用英語技能検定)などで良い成績を上げられても、それが仕事ができる能力を表すとは限りません。しかし、世の中には、これに関する誤解が根強く残っています。

■「重要なこと」は変化する

現実社会での仕事が学校での勉強と違う第3は、「重要なこと」が固定的とは限らないことです。「重要なこと」は、勉強の場合にはほぼ固定的なのですが、ビジネスの場合には、往々にして、大きく変化します。

受験秀才が実社会で必ずしも成功しない大きな理由の1つは、この点に関して勉強と仕事とが違うことを認識できていないことにあります。

ビジネスでの多くの失敗は、過去の成功体験に基づいて作られたビジネスモデルが固定化されてしまい、そこから脱却できないことから生じます。

日本の多くの企業が、高度成長期の成功体験記憶から抜け出せず、その後に世界経済が大きく変化したことに対応できていません。変化に気づきません。あるいは気づいたとしても、変えられないのです。

もちろん、学生時代に受験秀才であった人が、その後成長して、受験秀才の殻を破って成長する、という場合もあります。しかし、受験秀才の段階で成長を止めてしまった人も数多くいます。そうした人たちが大組織に入り、組織の中で権限を持つようになれば、組織は固定化し、社会は停滞します。

変化を正しく捉え、それに柔軟に対応できるシステムを作り上げることが必要です。

■人間だけが教育で人生を変えられる

人間以外の動物は、生まれたときの地位を、一生超えられません。働き蟻は、死ぬまで働き蟻です(実際には、きわめて低い確率で例外現象があるようですが、事実上、無視できます)。

人間だけが、教育を受けることによって、生まれたときの階級を超えられます。

教育こそが、生まれつきの社会区分を突破できる武器です。貧しい家庭に生まれても、教育の機会を活用することによって能力を高め、多くの可能性を実現することができます。

教育を受ける機会を奪うことは、最も大きな社会悪です。私が留学生だった1960、70年代、アメリカでは人種差別が厳然としてありました。大学には黒人の姿がほとんど見られませんでした。

ところがいま、アメリカ連邦政府などの主要な地位に、黒人が進出しています。彼らは、教育によってその地位を獲得したのです。この点において、アメリカは偉大な社会だと思います。

女子学生の卒業
写真=iStock.com/Rawpixel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawpixel

■貧困から脱出する手段を奪われた子供たち

もう何十年も前のことですが、バングラデシュを訪れたとき、首都ダッカで衝撃的な光景を目にしました。

本来であれば学校で勉強していなければならない時間帯に、子供たちが群がって、路上で物乞いをしていたのです。彼らは初等教育を受ける機会を奪われています。

初等教育さえ受けられない彼らに、未来はありません。彼らは、貧しさから脱却する手段を何も持っていません。

彼らの家族は、鉄道敷地内に不法に建てられたバラックに住んでいます。列車は、警笛を鳴らして人々を線路から追い払いながら、のろのろと進んでいます。

こんな場所に住んでいるのは、盛土であるため、洪水が来ても水没しないからなのでしょう。もちろん、電気も水道もありません。病気になっても、病院には行けないでしょう。

■勉強の機会を奪うのは最大の社会悪

彼らの中には、もし勉学の機会さえ得られれば、社会をリードしたり、画期的な発見をしたり、革新的なビジネスを興したりすることのできる人材がたくさんいるはずです。

しかし、彼らにその機会は与えられず、生まれたときと同じ貧しさの中で一生を過ごすのです。これは、なんと大きな社会悪でしょう。

バングラデシュの初等教育進学率は、いまは向上しました。それでも、2010〜19年の初等教育後期の修了率は、男性76%、女性89%です。後期中等教育になると、同32%、27%でしかありません。

アフリカには、初等教育後期の修了率が50%未満の国がいくつもあります(Unicef「世界子供白書2021」による)。多くの子供たちが、いまだに初等教育さえ受けられない状態に置かれているのです。生まれたときの貧困階級に一生固定されるのです。

■「勉強社会」化が日本再生の最重要手段

いまの日本は、幸いにして、多くの人が教育を受けられる社会になっています。義務教育は、ほとんどすべての国民が受けることができます。大学への進学機会も多くの人に与えられています。

私が学生であった時代、日本の大学進学率は10%程度でした。大学に進学したくとも、家庭の経済的事情でできなかった者が大勢いました。高い能力を持ち、仮に大学に進学できたら、素晴らしい仕事をしたに違いない人たちが、その夢を実現できなかったのです。私は、そういう人たちを何人も知っています。

その後、日本経済の成長に伴って大学進学率が上昇しました。しかし50%程度になると、それ以降は伸び悩んでおり、世界の先進国の動向に遅れています。

つまり、日本人の誰もが望むだけの教育を受けられるかというと、いまでも、そうではないのです。経済的な事情によって大学進学をあきらめざるをえない人は、いまだに少なくありません。

■日本は先進国の中では低学歴国

実際、日本は先進国の中では、低学歴国です。とりわけ、アメリカに比べてそうです。

野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)
野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)

アメリカの場合、能力がある人は、ほとんど経済的な負担なしに高等教育を受けることができます。このような社会を作ることが重要です。

これは、日本で奨学金制度が不十分であることによります。また、大学で学んで能力を高めても、企業がそれを適切に評価せず、大学教育の経済的なリターンが十分でないことにもよります。

経済的に余裕がある家庭の子供しか大学に行けないのは、悪しき社会です。日本は、そこから脱却する必要があります。

勉強したいと思う人間が、経済的な負担なしに、学校で勉学する機会を得られることが重要です。日本が勉強社会になることが、日本を再生させるための最も重要な手段です。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)
一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問を歴任。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)、『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社)ほか多数。

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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)

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