多くの国民が「自民党のほうがマシ」と気づいた…日本人の「民主党アレルギー」が続く根本原因【2022編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2023年5月13日 12時15分
※本稿は、倉山満『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■民主党政権が「ネトウヨ」を生み出した
民主党政権時代に対する批判は数々あります。
いわく、「マニフェスト詐欺」「日本破壊」「政治主導詐欺」などなどです。後に菅直人が164項目のマニフェストのうち、一部実現も含めた約75%を達成したと誇っていますが、目玉政策の「子ども手当」では公約の半額支給がやっと、高速道路無料化は試験実施のみです。
様々な政策で問題となった財源は、事業仕分けで思ったよりも捻出できなかったうえ、必要な予算まで削ったと批判されています。行政改革の天下り禁止は骨抜きとなり、税制改革は増税に舵を切る有様で、未曽有の円高で景気はどん底と、言い出したらキリがありません。
何よりも民主党の罪が重いのは、財務省が経済情勢に関係なく増税をする役所に変質してしまったことと、自民党が公明党だけを見て国民の方を見なくなったことです。財務省や自民党の体質は、民主党政権時代からの新しい話で、ずっと昔からそうだった訳ではありません。
鳩山政権は期待値が高かっただけに、「これでは自民党の方がマシでは」と多くの国民に思わせました。また、鳩山民主党に投票した人の少なからずが、思想的に保守に走り「ネトウヨ」化します。このあたりの悲喜劇は、小著『保守とネトウヨの近現代史』(扶桑社新書、2020年)をどうぞ。その後の日本は、右と左で極端な分断が行われていきますが、端緒は民主党政権です。
■なぜ「公約詐欺」と呼ばれるのか
民主党政権は、普段は政治にさほど注目していない無党派層の支持で誕生したのですが、その人たちを敵に回してしまいました。その無党派層は、地方よりも都市に多くいます。
民主党は都市部の地盤が強い政党です。「一区現象」という言葉があるように、地方でも県庁所在地のような都市部で支持を集めやすい傾向があります。一方、自民党は農漁村といった田舎に強固な地盤を持っています。民主党は自民党の地盤に切り込むことができないので、追い風に乗れば一度は自民党に勝てても、2回連続で総選挙に勝つことは難しいのです。
そうである以上、自民党が政権に復帰することは明らかなのですが、公明党を自民党との連立野党に追いやってしまいます。自民党は、一緒に野党暮らしをしてくれた公明党に逆らえなくなってしまいました。
公約詐欺と呼ばれる現象は、民主党の構造的な要因によるものです。同じ政党に旧社会党左派のような人から、自民党右派のような人まで同居しています。たとえば、元は民社党に所属していた保守系議員の西村眞悟と、社民党出身の左翼活動家として有名な辻元清美が同じ政党にいたこともあるくらいです。
政策をマトリクスにすると、自民党が真ん中から極大までカバーする包括政党であるのに対し、民主党は四隅の極点が一緒になっている政党なのです。このため、どのような政策でも自民党と被ります。予算をいくら組み替えようとしても、従来とは別の分野でバラマキをするだけなので、公約が達成できるわけがないのです。
![【図表1】自民党と民主党政策マトリクス](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/5/1200wm/img_e5f22054bd23b63aab61c8ecb7d37045511851.jpg)
ならば、自民党政治に不満を持つ国民にしてみれば「やっていることが同じなら、下手な賭けをするより自民党でいいや」と消去法で自民党が支持される状況は変わりません。
官僚の振り付けを否定するけれども踊れない民主党よりも、官僚の振り付けで踊るのが上手い自民党を、国民が選ぶのは自然でした。
■まとまりが無さ過ぎて売国する能力すら無かった
民主党は、よく「売国政党」と言われます。正確には、まとまりが無さ過ぎて売国する能力すら無かった政党です。
民主党政権当時、一貫して力を握っていたのは、参議院のドンの輿石東です。元は小学校の教員で、日教組を支持基盤に社会党公認で政界に入った人です。ただし、いわゆるリベラルの中ではノンポリのような人。自民党の青木幹雄と懇意でもありました。
鳩山内閣は、経済で何もできないわ、政権担当能力がないわで、支持率は低下の一途をたどります。平成21(2009)年11月から12月頃が急降下の時期です。鳩山内閣は成立直前からずっとドタバタです。
内閣成立直後の10月21日に日本郵政社長人事で元大蔵事務次官の斎藤次郎の天下りを決めて「改革をする気があるのか」と反感を買ったのにはじまり、失望感を広げます。
11月6日は民主党の山岡賢次国会対策委員長が外国人参政権付与法案を議員立法で提出すると発表し、11日には断念するという右往左往をしています。11月15日には鳩山首相が思い付きのように東アジア共同体構想に言及し、翌年1月15日は陸山会事件で小沢一郎の元秘書から衆院議員となった石川知裕の逮捕もありました。
■参議院の大きな影響力
さらに、鳩山が母親から巨額の資金提供を受けていたにもかかわらず、税申告をしていなかったことが発覚します。7年間で11億円あまりと巨額だったことに加え、鳩山が納付した贈与税の一部が課税時効として1億円あまりの金額が還付されたことは、鳩山首相に対する世間の評価を大いに下げてしまいました。
翌平成22(2010)年は普天間問題での閣内混乱で大荒れです。
小沢一郎としては、これでもイギリス型の近代政党をやりたかったのです。国家戦略室を作り、担当大臣を内閣に入れて民主党の政調会を廃止しました。政府への陳情は党に一元化し、陳情で政策が歪まないようにしようとしました。
すると、すべての権力を小沢が握っているようにしか見えなくなってしまいます。党内で総スカンを食らった形になり、鳩山内閣もろとも引きずり降ろされることとなりました。
鳩山内閣が簡単に潰れたのは、平成22年7月に参院選が迫っていたからです。混乱ばかりで何ひとつ実績は出せないうえに、景気も悪い。景気が良ければ、ある程度は許されたはずなのですが、無為無策のままです。
鳩山・小沢・輿石の3人で協議した結果、総理大臣退陣という流れが出来上がってしまいました。輿石は小沢にも引導を渡します。首相と小沢と輿石の3人が会談すると政権末期。そして、輿石が推した人物が次の首相になります。
■「史上最悪」の総理大臣と呼ばれるワケ
鳩山退陣を受けて、平成22年6月4日、民主党代表選が行われます。副総理兼財務大臣の菅直人と樽床伸二が争い、菅直人がダブルスコアで新代表に選出されました。菅を後押ししたのは反小沢派、樽床を応援したのが小沢派と、党内は分裂含みとなりました。
![平成22年6月11日、菅総理は衆議院・参議院の本会議で所信表明演説を行いました](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/7/1200wm/img_c7acb4ee83c4ccaba65c6cca7804c824417726.jpg)
代表選の後は、菅が小沢を追い落として政権を握り、菅内閣が成立しました。幹事長に枝野幸男を据えた新体制で参院選に臨みます。
菅内閣の発足当初の支持率は、60%に迫る数字でした。ところが選挙直前に菅が突然、消費税の10%への増税に言及したのです。ちなみに、野党自民党の石破茂政調会長は「公約泥棒」呼ばわりしていました。
菅は、令和の現在では「史上最悪」の総理大臣と呼ばれますが、東日本大震災がなければ普通にダメな人です。鳩山内閣で入閣する前は「イラ菅」のあだ名があり、気に食わない相手には容赦なく怒声を浴びせることで知られていました。
その菅が鳩山内閣のときには大人しくしています。財務大臣になったはいいけれども、経済に関する知識がまるでなかったからです。既に述べた経緯で、菅は財務省に頼り切りになったと言われます。
菅は、メディアで消費税増税を言い始めます。7月の参院選直前の増税発言も、財務省の代弁です。民主党は40%台に支持率が急落する中で選挙に臨み、10議席を減らす結果となりました。自民党のねじれ国会は衆議院で3分の2の議席を持っていましたので、参議院が法案を否決しても衆議院で再可決できます。しかし、民主党は「完全ねじれ」です。
![曇天の国会議事堂](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/e/1200wm/img_9e330b68a9a6664e7d56fb61cd013e40477652.jpg)
■参院選で議席を減らし、国会は空転…
参院選の結果にかかわらず、菅は政権に居座ります。平成22(2010)年9月17日、改造内閣が発足しました。党幹事長は枝野幸男から岡田克也に交代します。閣僚人事では小沢グループを干し上げました。
自民党は徹底的に政権の邪魔をします。自民党政権時代に出した法案であっても、民主党が出せば抵抗しました。政権を取り返すためなら手段を選びません。
内閣改造前後では、9月7日に沖縄の尖閣諸島付近で中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件が起こり、この対応をめぐり国会は空転します。
中国側の言い分を諾々と呑む内閣に批判が高まり、政府が秘匿した海上保安庁の記録映像が職員によってインターネットに流出する事件もありました。11月には参議院で官房長官の仙谷由人と国土交通大臣の馬淵澄夫に対する問責決議が可決され、一切の審議が進みません。
■スキャンダルの追及で「西田無双」
菅は年明けの平成23年1月14日、再度の内閣改造を行い、乗り切ろうとしました。官房長官には枝野を就け、小幅の人事で1月24日からの通常国会に臨みます。
こうした中、自民党総裁の谷垣禎一との初の党首討論が2月9日に行われました。谷垣は実に礼儀正しく、いかに政策議論をするかに心を砕いているようでしたが、大真面目に社会保障と税制改革について話しています。
一体、谷垣は民主党政権を倒す気があったのでしょうか。鳩山内閣の迷走に続き、菅首相の増税発言や菅内閣のグダグダぶりに、地方選挙では自民党が連戦連勝です。それでも次の野田佳彦内閣に至るまで、谷垣自民党は3年3カ月もの間、民主党政権を倒せませんでした。
自民党の中で唯一、スキャンダルを通じて政権に有効な攻撃を加え、大臣の首級を上げていたのが西田昌司です。インターネットでは「西田無双」とか「銀狼」などと持て囃されました。
インターネットでこそ保守のイメージが強い西田ですが、西田は野中広務の後継者です。地元では野中の事務所を引き継いで使い、野中の後継者であることをアピールして選挙戦を展開しています。スキャンダルの追及で政権を揺さぶるさまは、野中の再来のようでした。
■辞任ドミノ、中国や韓国絡みのスキャンダルが続々…
スキャンダルの追及により、第2次改造内閣は閣僚の辞任ドミノに見舞われます。
平成23(2011)年3月4日、外務大臣として入閣した前原誠司に在日外国人からの献金が判明します。前原が辞任した3月7日には、専業主婦の年金届出漏れへの対応で厚労省が課長通知で救済策を指示していたことが問題化し、厚労大臣の細川律夫が引責辞任します。
3月9日には、民主党の菅グループ代表だった土肥隆一が日韓キリスト教議員連盟会長として日本の竹島領有権放棄の共同宣言に署名したことが発覚します。さらに菅首相にも在日外国人からの献金疑惑が報道されました。
続発する中国や韓国絡みのスキャンダルで、民主党と菅内閣には「売国政党」「亡国政権」のイメージが強まりますが、菅内閣は意図して亡国政策を行えるほど能力は高くありません。
選挙直前に増税を言い出して負けたので増税ができない、つまり財務省の言いなりになる能力すら、なかったのですから。
■東日本大震災の対応は「現場を混乱させただけ」
外国人献金問題が菅直人首相にまで及び、野党自民党はいよいよ首を取るぞと意気込んで国会質疑に臨みます。平成23年3月11日、まさに国会で野党が疑惑を追及している真っただ中、東日本大震災が起こりました。
誰もが予想だにしなかった、未曽有の大規模災害です。この大災害で菅内閣に対する追及は一時沙汰止みとなりました。
東日本大震災は、地震の規模もさることながら、地震に伴う津波で広範囲にわたり大きな被害が出ました。
そのひとつが福島第一原子力発電所の津波被災です。電源喪失により原子炉が冷却不能となり、菅内閣は地震と津波による被災者の救助・支援と同時に、刻々と深刻度を増す原発の状況にも対処しなければならなくなります。
菅内閣の災害対応への批判は、現在も多く残されています。対策会議の乱立と指揮命令系統の混乱、支援をめぐるアメリカをはじめ諸外国政府との意思疎通の不備、被災者に支援物資を届けるロジスティクスの弱さ、首相自ら原発事故現場へ出向いたことで作業が妨げられたという批判などなどです。
![平成23年4月21日、菅総理は福島県を訪問しました。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/9/1200wm/img_c9af97e9afc61566580610c2e6698fc9495598.jpg)
大災害があったとき、その対応にあたる内閣は危機対応を理由に政権延命できるものですが、あまりの無能ぶりがマスコミを通じて連日流れたこともあり、支持率は下がったままです。菅内閣の災害対応は、国民の間で「やっぱり自民党でなければダメだ」という空気を生んでしまいます。
自民党から見れば、このときに菅内閣を葬り去ることもできたのですが、発災当初に倒閣を言える人は、なかなかいません。震災の被害があまりにも大きかったからです。
総裁の谷垣禎一は、倒閣どころか菅の大連立による災害対応協力という話に乗ろうとまでします。大連立を止めたのは、小泉純一郎です。自民党内でも大連立に賛否両論あったところ、小泉は「健全な野党であるべきだ。協力も批判もできる」と一喝。谷垣に翻意を促し、党内をまとめたのです(日本経済新聞「永田町アンプラグド」2011年4月8日)。
■退陣を求められても粘れるだけ粘る
民主党は、4月に行われた統一地方選に敗北し、5月には民主党から参院議長に就いた西岡武夫が菅の退陣を求める論文を読売新聞に出します。本格的な菅おろしが始まりました。6月1日の党首討論で谷垣が菅退陣に言及し、その日のうちに自民・公明・たちあがれ日本の野党三党が合同で内閣不信任案を提出しました。
不信任案に対し、民主党内の反主流派の小沢グループに賛成の動きがありました。この動きに民主党の創業者である鳩山由紀夫前首相が賛同すると、菅と鳩山の間で会談が持たれます。
![倉山満『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(扶桑社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/4/1200wm/img_f4d010115e3c1100073bb7690fd560f6268839.jpg)
菅は退陣を条件に不信任案否決の協力を取り付けます。不信任案が否決されると、菅は原発事故への対応を理由に続投を宣言し、党内でも反発が広がりました。菅は粘れるだけ粘りましたが、補正予算や特例公債法案など喫緊の法案成立により8月26日に退陣を表明しました。内閣不信任案提出から、およそ3カ月後のことです。
ちなみに、同じ状況に陥った三木武夫は、1年持ち堪えました。菅と三木の違いは、菅のときは参議院がねじれていたことです。特例公債法案を通さなければ予算が執行できないため、菅は法案成立を条件として退陣を約束したのです。
退陣表明の翌日には菅の後継を選ぶ民主党代表選が公示され、8月29日の両院議員総会で新代表の選出が行われます。
5人の立候補者の中から選出されたのは、改造内閣も含めた菅政権で継続して財務大臣を務めた野田佳彦でした。この時の菅後継の代表選挙で馬淵澄夫が勝っていれば、日本の運命は変わったと思いますが。などと言っても詮なきですが。
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憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。
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(憲政史家 倉山 満)
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