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なぜ「神様はいる」と信じられるのか…無宗教のライターが135人のキリスト教信者を取材した結果

プレジデントオンライン / 2023年6月21日 15時15分

ノンフィクションライターの最相葉月氏(右)と宗教学者の島薗進氏 - 撮影=髙須力

なぜ人は宗教を信じることができるのか。ノンフィクションライターの最相葉月さんは、国内のキリスト教信者135人へのインタビューをまとめた『証し 日本のキリスト者』(KADOKAWA)を上梓した。6年におよぶ取材の中で見えたものとは何か。宗教学者・島薗進氏との対談を前後編でお届けする――。(前編/全2回)

■人が信仰を持つ理由は「楽になるから」

【最相】島薗先生とお話ししたいと思ったのには理由があります。昔、私が生命倫理の取材をしていたころ、内閣府の生命倫理専門調査会の委員だった先生にお話をうかがう機会がありました。

最相葉月『証し 日本のキリスト者』(KADOKAWA)
最相葉月『証し 日本のキリスト者』(KADOKAWA)

胚の研究利用について、カトリックをはじめとする宗教界からの反対意見が多かったことが背景にあるのですが、委員会の帰りの駅のホームで、「どうして人は神を信じることができるのでしょうか」と質問しました。私は正月には初詣に行き、クリスマスはお祝いし、葬式は仏教といったごく一般的な日本人ですから、一神教、なぜ唯一神を信じることができるのかがよくわからなかった。今思うと、稚拙な問いかけだったように思います。その時に島薗先生が一言、「楽になるからだといいますね」とおっしゃいました。

そして、私のように無神論者と言われる一般的な日本人であっても、例えば床に本がおいてあれば、その本をまたぐことに抵抗がある。「それもひとつの信仰心と言えるのではないですか?」と。

『証し』ではクリスチャンの方に6年間取材をしましたが、この2つの言葉が、ずっと私の根底に流れていたように思います。本当に神を信じれば楽になるんだろうか? どんな苦難が訪れても、神を信じれば救われるのか? 信仰心とはいったいなんなのか? そうしたことを問う一つのきっかけとなったんです。

■熱心なクリスチャンとの出会い、激しい祈りに圧倒

【島薗】そうでしたか。最相さんがなぜこのテーマを選ばれたのかには興味があります。「おわりに」にも書かれていましたが、最相さんのノンフィクション『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』(岩波新書)の主人公、具恩恵(クウネ)さんとの出会いも大きかったんではないですか?

【最相】そうですね。彼女は中国の朝鮮族で、地下教会を営むお父さんが公安に逮捕されるなど、非常に苦労してきた。そして神様がいない世界を知らない生まれながらのクリスチャンでもあります。私は彼女の身元引受人だったのですが、会う度に「聖書を読め。神を信じないと後悔する」と迫るんです。もう「やめてくれー!」と思うくらいのクリスチャンで。ハルビンにある彼女の実家も行きましたが、カーテンの奥に十字架が隠してあるんですね。弾圧下の信仰の厳しさを知りました。

また、彼女の親戚が韓国へ出稼ぎに行き、その縁で一緒に渡韓した時は、世界最大のメガチャーチである汝矣島(ヨイド)純福音教会で、非常に激しい祈りを見ました。その体験は非常に大きかったですね。ここまで人々が信じる神とは、いったい何かと。

■カウンセリングとキリスト教とのかかわり

【島薗】最相さんはそれまでキリスト教にはそれほど関心がなかったのでしょうか?

【最相】教会の附属幼稚園に通っていましたし、小学生の頃に日曜学校に誘われて何度か行ったことがある程度です。大学は関西学院でしたが、学生時代はチャペルに近づいたこともありませんでした。

【島薗】最相さんの著書『セラピスト』(新潮社、2014年)を読むと、少しずつキリスト教に近づいているようにも思いました。

【最相】あの時は親の介護で限界状態にあったこともあり、人が回復するのかはなぜかを、ノンフィクションとして書こうと思い心理学を学び始めました。そうすると、カウンセリングとキリスト教とのかかわりが見えてきたんです。

【島薗】私もそこは最相さんと似ているなと思いました。同じようにキリスト教系の幼稚園に通っていた。それに私は父が精神科医で、私自身も漠然と医学部に入って同じ精神科医の道へ進むことになるのかなと思っていました。

ですが当時東大の医学部から始まった学園闘争と出会います。その始まりは精神科医の戦いなのですね。後に解放病棟を試みることになるのですが(赤レンガ闘争)、その前に若手医師や学生の運動は抑え込まれます。その時、行動している自分の中になんのしっかりとした信念もないことを非常に頼りなく感じて、宗教に関心を持つきっかけになりました。『「甘え」の構造』(弘文堂)などで知られる土居健郎先生が、東大医学部の保健学科におられて、「フロイトと宗教」という卒論の相談にうかがったとき、「フロイトの精神分析は宗教みたいなもんだ」とおっしゃっていたのも私の心に残りました。

実際に、土居先生の精神医学の基盤にはキリスト教がありました。セラピストであることと、クリスチャンであることが補いあう関係だったと思います。最相さんが『セラピスト』の中で取材していた、精神科医の中井久夫先生も最後クリスチャンになられましたよね。

■精神科医の回答は「おごりがあるから」

【最相】ええ、実は中井先生の洗礼式に立ち会わせていただいたんです。友人の方がなぜ洗礼を受けるのかと聞いたところ、中井先生は「おごりがあるから」と一言お答えになったそうです。全集の解説を書くために、中井先生の人生を取材してきましたので、本当に腹に落ちた気がしました。

最相葉月氏
撮影=髙須力
北海道から沖縄、小笠原など全国の教会を訪ね歩いた最相氏。6年間の取材で出会ったキリスト者は数千人に上るという - 撮影=髙須力

【島薗】中井先生は絵も描けるし、人文系の学者が感心するような文章も書けるし、現代ギリシャの詩人の訳詩集もある。たいへん博学で多彩な才能がきらめいているような方でしたからね。

【最相】高名な精神科医の先生には、どこか宗教の創始者のようなところがありますよね。もちろん科学的なアプローチなのですが、それでも科学だけでは突き詰められないところを、なんとか理解しようとされていた気がします。

■「天国があると信じるほうが楽しいでしょう」

【島薗】土居先生と私の父は同僚関係で、父は自然科学風の精神医学をやっていました。その息子が宗教学を学んだので、土居先生はすごくおもしろがってくださったのです。土居先生に勧められた本がたくさんあって、そのひとつが、上智大学の学長をされていたヘルマン・ホイヴェルス神父の本です。土居先生はプロテスタントからカトリックに変わられたのですが、カトリックの中でもホイヴェルスさんがお好きで、本の編集もされていました。

【最相】ホイヴェルス神父は、日本文化を非常に大切にされた神父だと伺っています。

【島薗】ええ、自分で日本語の戯曲も書いたりね。土居先生からはホイヴェルス先生の『人生の秋に』(『人生の秋に ホイヴェルス随想選集』、春秋社)という本を薦められました。老いと死について書いていた本で、私には少なからず影響を与えていると思います。

あと、劇作家の井上ひさしさんは上智大学なので、ホイヴェルス神父から話を聞いている。彼はホイヴェルス神父に教えを受けたことがあったようで、「本当に天国がありますか」と聞いたらしいです。そうすると「あると信じるほうが楽しいでしょうが」と言う。死んだあとに寂しいところに行くとか、無になると思うよりも、にぎやかな天国に行けるほうが楽しい。だから私は神様を信じてきたんだと。キリスト教の中で通用する言葉とは違う言葉で、日本人の学生に説明しようとすると、このような言い方になったのかもしれない。でも、心に響く言葉です。

日本の宗教研究の第一人者である島薗氏
撮影=髙須力
日本の宗教研究の第一人者である島薗氏 - 撮影=髙須力

■信仰を深めていくプロセスを1冊にまとめた

【島薗】『証し』の中でも、心を動かされたのは、特に後半のパートに多かったです。もっとも強く印象に残ったのは、最後に掲載されている、ハンセン病で子どものころから苦労され、配偶者もなくされ、視力も失いながらも、信仰を持ち続けた方の話です。14の章にわたって135名の語りが並んでいますが、この順番はどうやって決められたのでしょう。

【最相】どう並べるのかは大問題でしたね。テープ起こしを改めて読み直し、この人は何を一番おっしゃりたいのかを、一人ずつ順番に書き出していきました。例えば、この人は神に出会った日のことを、この人は病に直面した時のことを話しているなと分類してみたんです。

そして多くの方の話を聞くなかで見えてきたのが、もし私が信仰を持ったとしたらこんな順番に辿るのではないかと思った道筋で、結果的にその順番に並べてみました。

【島薗】自ら入信し、あるいは家族から受け継ぎ、それから転身したり、社会活動に入っていったり、そして戦争や差別といった問題に出会いながら信仰を深めていく、そういう流れですよね。

【最相】ええ。ですから、一人ひとりの信仰と同時に、一人の人間の信仰の道程として読んでいただけると、書き手としてはうれしいです。

■「にもかかわらず」信仰を続けたのはなぜか

【島薗】私がここはとくに大事だなと感じたのは、第10章「そこに神はいたか」、第11章「神はなぜ奪うのか」、第12章「それでも赦さなければならないのか」です。戦争を生きた人、事故や災害といった不条理にあった人、他人に深く傷つけられた人、そうしたことがあった上でも信仰に向き合った様子が書かれています。

『証し』は1000ページ超の大作
撮影=髙須力
『証し』は1000ページ超の大作。「洗礼」「奉仕」「差別」「赦し」などの主題にそって、日本のキリスト者たちの証言がつづられている - 撮影=髙須力

この3章は「にもかかわらず」の章だと思いました。ドイツ語には「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」という言葉があるようで、私は日本に死生学を広めた一人のアルフォンス・デーケンさんからこの言葉を知りました。「にもかかわらず」という意味のドイツ語は“trotzdem”ですが、デーケン先生が大事にした言葉です。

『ナグネ』の具恩恵さんの場合は、中国の朝鮮族として様々な苦しい経験をした。そして『証し』で語っておられる80代、90代の方のお話を読むと、戦争の時代のキリスト教徒が本当に辛かったことがわかります。両者とも社会の中のマイノリティで、それゆえの困難があった。

「にもかかわらず」この方たちは、信仰をしてきた。信仰によって生き抜いてきた。いろんなものを経た方のお話というのは、にじみ出る深さがあるという感じがしますね。これは伝統的なキリスト教の深さだとも思います。

■自分の力を超えた困難に向き合うのに必要だった

【最相】ええ、みなさん90代、80代後半なので、本をお送りしようと思ったら亡くなられていた方もいました。本当にギリギリにお話をうかがった。どの語りも日本史のひとつの風景だったと思います。

例えば、北海道の開拓時代、馬や牛をひきながら、教会に連れて行ってもらった話をされた方がいました。信仰がなければ集まることも、協力することもできなかった、命がけで生きてこられた時代のお話でした。

こうした人たちの話を聞いていると、原始キリスト教の時代のしいたげられた人たちが、なぜイエスを救世主としてキリスト教を作り上げる必要があったのか、その苦しみが、聖書を読み直すと感じられるような気がしてきました。きっと2000年前も、差別や貧困、病に苦しみ、つらい時代を生きた人たちが信仰を求めたんだろうと感じています。

やはり、生きているとどうにもならないことがあります。「キリスト教なんて縁遠い」と思っている方も、自分の力では何ともしがたいような困難があるかもしれません。信仰をもつ人がどう向き合い、生きたのか。彼らの語りに何か手がかりを読み取っていただけたらと思います。(後編に続く)

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最相 葉月(さいしょう・はづき)
ノンフィクションライター
1963年、東京都生まれ。関西学院大学法学部卒業。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(講談社ノンフィクション賞、大佛次郎賞ほか)などがある。

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島薗 進(しまぞの・すすむ)
宗教学者、東京大学名誉教授
1948年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。上智大学グリーフケア研究所前所長。NPO法人東京自由大学学長。主な研究領域は近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』(ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ』(朝日選書)、『いのちを“つくって”もいいですか? 生命科学のジレンマを考える哲学講義』『宗教を物語でほどく アンデルセンから遠藤周作へ』(ともにNHK出版社刊刊)など多数。

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(ノンフィクションライター 最相 葉月、宗教学者、東京大学名誉教授 島薗 進 構成=山本ぽてと)

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