これから「卵1パック300円」は日常になる…「安い卵」のために日本の養鶏業界が陥っていたチキンレース
プレジデントオンライン / 2023年5月18日 13時15分
■高騰を続ける卵の価格はいつ戻るのか
長年価格が変動せず、「物価の優等生」の異名を取り、スーパーの特売の目玉だった卵。その卸売価格は4月平均で1キロ350円(JA全農たまごの東京地区Mサイズ)と、昨年同月比で66%上がり、過去最高を記録し続けている。値上がりが収束するには1年、下手をすると2年かかるかもしれない。
「卵が値上がりして困ります。いつになったら、また安くなりますか?」
鳥インフルエンザが猛威を振るい、殺処分数が過去最多を記録し、国内で飼われている雌鶏の1割に達したと話題になっていた今年2月のこと。大阪のラジオ番組に出演していて、リスナーの女性からこんな質問をいただいた。安価なたんぱく源で、日々の食事や弁当に取り入れやすい卵の値上がりは困る。そんな「主婦感覚」は、この質問だけでなく、番組全体を貫く通奏低音になっていた。
卵は安くて当たり前。実はこの前提こそが、鳥インフルエンザの被害をここまで大きくし、外食のメニューから卵が消えたり、地域によっては量販店ですら卵が品薄になったりするという状況を生んでいる。
どういうことか解説する前に、今の値上がりを養鶏業者がどのように受け止めているか紹介したい。
■「一般的な流通に乗せると廃業する」
「これまでの価格が異常に安かったんです。今スーパーでは1パック300円前後で販売されていますが、やっと正常な価格になったんじゃないか。とはいえ、養鶏業者はこれまで借金を重ねて経営をしているので、価格が少し高くなったからといって経営が楽になるわけではないですね」
こう話すのは、愛媛県四国中央市妻鳥(めんどり)町の有限会社熊野養鶏代表取締役の熊野憲之(のりゆき)さん。羽数を増やして規模拡大するのが常識となっている業界において、飼っていた4万羽を1万7000羽まで減らしてきた。理由は、就農した時に卵を一般的な流通に乗せていては「廃業もしくは倒産する」と直感し、独自のブランドを確立し直売する路線に切り替えたからだ。
■飼料の高騰前から「原価割れ」は珍しくなかった
養鶏業者は一般的に「GPセンター」という卵の選別包装施設に出荷する。そこから、全農あるいは民間の問屋を介して、小売店や加工業者などに届けられる。販売額は相場で決まる。原価の約5割を占める飼料は、ウクライナ侵攻を受けて価格が急騰する以前から上昇傾向にあり、原価割れが珍しくなくなっていた。
原価割れが起こりやすい原因の最たるは、卵の価格が実質的に値下がりしてきたことだ。1955年にキロ当たり205円だった卸売価格は、2021年度は213円だった。物価の変動を勘案すると、これはかつての半額ほどに過ぎない。
ここまでのコストダウンを可能にしたのが、中小の淘汰(とうた)と大手への集積だった。羽数を増やして生産原価を下げるというチキンレースが繰り広げられてきたわけだ。
熊野さんは「羽数の多いところが勝つに決まっている」と、このレースから降りることを決めた。純国産鶏「もみじ」に自家製の発酵飼料を与えて生ませた「美豊卵(びほうらん)」を商標登録し、4カ所の直売所と飲食もできる「たまご専門店熊福」、通販などで販売する。
![熊野養鶏の美豊卵](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/9/1200wm/img_49a5f686b6e1387bbd5eb6a908bfac30403098.jpg)
![熊野さんが経営する「たまご専門店熊福」で一番人気の卵かけご飯](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/0/1200wm/img_40484c444225c91f764d538fb71bb8ce401355.jpg)
おいしさが口コミで広まり、生産原価に応じて卵を値上げしても顧客が離れることはない。「今は近隣のスーパーに並ぶ卵が1パック300円を超えているので、うちの方が安くなるという価格の逆転現象が起きている」といい、新規の顧客も増えている。
■「拡大」前提のビジネスモデルが成り立たなくなった
養鶏の歴史を振り返ると、高度成長以前は庭先養鶏といった小規模な経営がひしめいていた。1960年代にケージを使い多くの羽数を飼う多羽数飼育が可能になったことで、業界は様変わりする。既存の養鶏業者が規模拡大したり、企業的な大規模養鶏場が現れたりして、卵は供給過剰に陥った。
コストで太刀打ちできない中小は廃業に追い込まれていく。雌鶏(成鶏めす)10万羽以上を飼う養鶏業者は戸数でいうと全体の20.5%に過ぎないが、いまや全羽数の79.4%を占めるまでになった。多くの養鶏場は工場と見まごうほど巨大化し、かつ消費地への供給に便利な地域に集積されている。
熊野さんは業界が目指してきた拡大を前提とするビジネスモデルが、もはや成り立たなくなっていると感じている。
「多くの業者は、事業を広げ続けることでなんとか経営が持っているという自転車操業じゃないか。養鶏業界は、再生産ができない、もうからない構造になってしまった」
現に拡張路線の旗振り役だったといえる最大手のイセ食品(東京都千代田区)は2022年、経営不振で会社更生の手続きに入った。卵が品薄になっているのも、そもそも飼料の高騰に耐えられなくなった養鶏業者が羽数を減らしていたところに、鳥インフルエンザが急拡大したからだ。
■大規模になればなるほど殺処分する鶏の数は増える
鳥インフルエンザのウイルスは、渡り鳥によって国内に持ち込まれる。ニワトリへの媒介はカラスやネズミといった野生動物が担っている可能性が指摘されている。
被害は年によって波があるものの、拡大基調にある。従来は冬に感染が多発し、春には収束してきた。しかし、昨シーズンは5月中旬まで発生が続き、今シーズンは最速の10月28日に1例目が確認されるなど、期間が長くなっている。環境中のウイルス濃度が高まっているとみられ、被害が拡大しやすい素地がある。
5月6日の時点で、今シーズンの殺処分数は約1771万羽。その内訳を示す棒グラフは、被害の偏りを端的に示す。26道県での鶏舎などにおける鳥インフルエンザの発生数84件のうち、50万羽以上を飼うわずか10件の大規模農場だけで、殺処分数の過半を占めているのだ。
![【図表1】用途別及び規模別の発生事例数及び殺処分羽数](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/3/1200wm/img_e3b7645c276d90f48d80929448027b80235034.jpg)
■「経営の強み」が途端に弱点に
鳥インフルエンザは1羽でも発病すると、農場内のすべての家禽(かきん)を殺処分するため、規模が大きいほど被害も大きくなる。
養鶏場の規模は大きくなる流れにあり、鳥インフルエンザの1農場当たりの殺処分数も増えている。今シーズンは100万羽を超える殺処分が5件も起きた。北海道大学大学院農学研究院研究員の大森隆さんは「大規模経営は突然の疾病発生などに見舞われると、経営上の強みであるはずの規模が逆に最大の欠点へと急転します」と解説する。
国内では窓がなく環境をコントロールできる「ウインドウレス鶏舎」が防疫に役立つと考えられてきた。広い敷地にウインドウレス鶏舎の立ち並ぶ近代的な養鶏場こそが、効率的な経営を可能にすると信じられてきたのだが、そうした鶏舎でも鳥インフルエンザは発生している。
■「鳥インフルに弱い構造」の上に安価な卵は成り立っている
大森さんは「動物の生命に由来する食品である以上、卵を工業的に大量生産される製品と同じように考えるべきではない」と警鐘を鳴らす。
予防に有効なワクチンはいまだ開発されていない。仮に開発されても、変異株の発生と新たなワクチン開発のいたちごっこになる可能性もある。それだけに、「現状の大型農場を運営するスタイルを将来も続けていくなら、毎年鳥インフルエンザにおびえながら被害を覚悟で経営していくしかない」と指摘する。
「消費者も低価格を目指すこの方針に同意するなら、大きな被害が発生したときは、卵の入手困難と極端な価格上昇という現実を受け入れるしかないでしょう」(大森さん)
現在の値上がりについて、農水省食肉鶏卵課は「過去の例では、半年くらいでニワトリが再導入され、1年後くらいから供給が元に戻る」とする。だが、大森さんは全国的に生じている大量かつ緊急のヒナの需要に対し、供給が間に合わないかもしれないと懸念を示す。
「仮に、来シーズンの鳥インフルエンザの発生時期が早まり、かつ収束時期が遅くなる可能性を考えれば、卵の供給を回復するのに2年ほどかかることも予想されます」(大森さん)
■農水省の対策はその場しのぎでしかない
殺処分の増加を受けて、農水省は敷地がつながっている農場であっても、防護柵などを設けることで人や物の流れを遮断し、別農場として扱う「分割管理」を広めようとしている。再度の流行が予想される今秋までに、マニュアルをまとめたいという。
死亡率が高くなる可能性のある「高病原性鳥インフルエンザ」が発生すると、半径10キロ圏内にある養鶏場でも卵やニワトリの移動が制限される。敷地が隣り合うこと自体がリスクになるのだが、分割管理のマニュアルでは農場同士の距離については指定しない見込みだ。現状の行き過ぎた集積を是正するものではなく、その場しのぎの対策とも映る。
■行き過ぎた規模拡大は即刻やめるべき
大森さんは以前から、被害を最小限に食い止めるために1鶏舎で飼う羽数の制限や、農場同士の距離の確保、群ごとの管理のあり方を工夫・改善する必要があると提言してきた。
「国民がこれからも卵を安定して食べ続けたいと望むのならば、今こそ養鶏業のあり方を見直すタイミングではないか」
こう指摘する。
消費者は「卵が高い」とこぼす前に、そもそもこれまでの価格が妥当だったのか考え直す必要がありそうだ。
![養鶏場](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/6/1200wm/img_d6d66f89d7cb4b92027d5e57a35c1ea2391577.jpg)
今を鶏卵業界のいびつな構造をつくり替える好機と捉えているのは、熊野さんも同じ。
「価格が異常に安すぎたせいで、消費者の感覚がおかしくなっているところがある。今は『卵は安いもの』という考え方や意識を変えるいいチャンスなのかもしれない」(熊野さん)
消費者の立場からしてみれば、少しでも安い卵を買い求めたいと思うのは当然の心理だ。だが、今後も国産の鶏卵が安定して供給されることを望むのであれば、1パック300円前後の現状を「値上げ」と捉えるのではなく、「通常の価格になった」と考え直すことも必要と言えよう。
人口減少に伴う需要の減退で、ただでさえ養鶏業者の倒産が増えかねない状況にある。そこに飼料高騰と鳥インフルエンザで業界は疲弊している。
安い卵を安定的に供給するはずだった大規模養鶏場で感染が相次ぎ、卵の不足と価格高騰を招く。日本と同じ事態は、米国でも起きている。日米ともに野生動物の侵入や人によるウイルスの持ち込みを防ごうと躍起だが、奏功しているとは言いがたい。行き過ぎた規模拡大路線からは、早く離脱すべきだ。
今年もまた秋になれば、鳥インフルエンザの流行が始まるはずだ。消費者にとっても「喉元過ぎれば熱さ忘れる」が許される状況ではなくなりつつある。
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ジャーナリスト
京都大学文学部卒、中国・北京大学修士課程(歴史学)修了。雑誌や広告などの企画編集やコンサルティングを手掛ける株式会社ウロ代表取締役。著書に『人口減少時代の農業と食』(ちくま新書)、『誰が農業を殺すのか』(新潮新書)などがある。
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(ジャーナリスト 山口 亮子)
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