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「コロナ禍の教訓を残すため"石碑"を建てる?」内閣府に建立の意思を聞くと返ってきた無味乾燥な回答

プレジデントオンライン / 2023年5月14日 11時15分

出典=国土地理院資料「『自然災害伝承碑』について」より「自然災害伝承碑(水害碑:広島県坂町)」

新型コロナの感染症法上の位置付けが「5類」に移行し、市民生活は平時に戻りつつある。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「大規模な洪水・土砂災害や地震・津波などの犠牲者を弔い、教訓として後世に残すための石碑などは全国にたくさんある。今回のコロナ禍に関しても政府や自治体主導で伝承碑建立を造ってもらいたい」という――。

■5類に移行で「コロナ感染」を風化させないために

全国各地には「自然災害伝承碑」と呼ばれる、記念碑や慰霊碑が数千基あるといわれる。いつの時代も日本人は甚大な災害の後には、伝承碑を建立し、後世に受け継いできた。新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが「5類」に移行し、ようやく平時の市民生活に戻りつつある。いまこそ、伝承碑建立の機運を高めるべきだが、国の動きは鈍い。

自然災害伝承碑とは、大規模な洪水・土砂災害や地震・津波などの犠牲者を弔い、教訓として後世に残すための石碑やモニュメントのことである。国土地理院では2019年より自然災害伝承碑の地図記号をもうけ、全国の地区町村に碑の情報を呼びかけるとともに、ウェブ上で公開を始めている。

たとえば、約2万2300人の死者・行方不明者を出した2011年3月の東日本大震災。その後、東北沿岸地域には、多くの鎮魂の石碑(自然災害伝承碑)が建立された。鎮魂碑は犠牲者の供養を続けることで、津波の被害を語り継ぎ、次世代に対して「ここまで津波がやってきた」と警鐘を鳴らす役割がある。

かつて三陸大津波の後、「ここより下に家を建てるな」などの伝承碑の教訓を守り、東日本大震災での災禍を最小限に食い止めた地域もあった。

たとえば、青森県三沢市は2014年に「東日本大震災 津波の碑」を建立している。人の頭上をはるかに超えて、天に向かう波をイメージしたデザインが斬新だ。

「昭和8年3月に発生した『三陸大津波』や平成23年3月に発生した『東日本大震災』など、自然災害は、人の想像をはるかに超え、大きな爪痕を残してきました。私たちは、この経験を心に刻み、未来に伝えていかねばなりません」とのプレートが掲げてある。

また、岩手県田野畑村では大津波の度に「津波の碑」を建立している。1896年(明治三陸地震津波)と1933年(昭和三陸地震津波)に起きた2つの大津波の伝承碑の横に、新たに「東日本大震災 大津波伝承の碑」を建立した。そこには「津波を甘くみないで より早く、より高い所へ逃げる事」とある。

東日本大震災関連の伝承碑は、青森県から栃木県まで、主なものだけでも27基設置されている。

閖上の震災慰霊碑
名取市震災メモリアル公園、閖上の震災慰霊碑(写真=Arui Kashiwagi/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

■約100年前のスペイン風邪の石碑も少なくとも2つ

伝承碑の中で珍しいものは、2014年に起きた、御嶽山噴火における慰霊碑(長野県王滝村)がある。突然の噴火によって登山者58人が亡くなり、5人が行方不明となった。噴火が起きた毎年9月27日には、碑の前で追悼式典が実施されている。

歴史をさかのぼれば、最古の伝承碑は、1361年に起きた正平地震で押し寄せた津波の碑(康暦の碑、徳島県美波町)といわれている。

最近では2021年、広島県安芸郡坂町の小屋浦公園に西日本豪雨災害(2018年7月発生)の碑が設置された。伝承碑の横には、土石流で流れ出た巨石が置かれ、当時の様子をリアルに伝えている。さらに「災害から自分の身を守るためには、早めの避難をすることが最も重要」との説明が添えてある。

伝承碑は、地元自治体などが施主になって建立することが多い。自然災害の伝承に限っては、デジタルデータとして残すよりも、超アナログ的に石の造形物として残すほうが、はるかに効果的である。

伝承碑は、水害・台風・地震・津波に関するものがほとんどだ。他方、感染症の伝承碑は極めて少ない。それは、パンデミックが数十年〜100年という長期スパンで起きていることや、他の自然災害に比べて「防ぎようがない」という人々の諦めの境地もあったかもしれない。

国土地理院に問い合わせれば、感染症に関する伝承碑の情報収集や公開は「国土地理院の定義のなかでの自然災害ではないので、感染症は対象外」としている。

前回のパンデミックとして知られているのは、わが国だけで2500万人が感染し、38万人以上が死亡したといわれる大正時代のスペイン風邪だ。日本においては、1918年8月下旬から第1波が始まり、いったんは下火になるも1919年秋から翌1920年にかけて第2波以降が押し寄せたとされている。

一心寺写真
一心寺写真(撮影=鵜飼秀徳)

筆者が調べた範囲では2カ所、スペイン風邪の伝承碑が建立されている。

ひとつは大阪市天王寺区の一心寺にある慰霊碑だ。細長い角柱型で、正面に「大正八九年(大正8・9年)流行感冒病死者群霊」と刻まれている。施主は大阪市内の薬剤師小西久兵衛となっている。大阪では1919年の第2波がより強力なものであった。大阪全域では、47万人以上の感染者と1万1000人以上の死者を出している。

多くの人々が感染症で亡くなっていったのを目の当たりにし、小西は薬剤師としての無力感、責任感に駆られて伝承碑を立てたのかもしれない。いち民間人が私財を投じて伝承碑を建立したことに、頭が下がる。

丹後大仏
丹後大仏(撮影=鵜飼秀徳)

ほかにも、スペイン風邪の伝承碑の類では、「丹後大仏(筒川大仏)」(京都府伊根町)がある。高さ4mの大きな石仏である。

1917年、地元の製糸会社の工場従業員116人が東京に慰安旅行し、多くが感染した。京都に戻ってきて発症、42人の工員らが死亡した。それを悼んだ工場長が翌1918年に金銅仏を建立した。丹後大仏は第2次世界大戦時の金属供出の憂き目に遭い、現在の石仏が2代目として造られた。

この大仏の前では、毎年春にお釈迦様の誕生日を祝う花まつりが実施され、スペイン風邪の悲劇を伝承し続けている。

■内閣府に「コロナ感染症の伝承碑の建立は」と尋ねると

宮崎県では2010年に家畜の伝染病、口蹄疫が広がった。県全体では牛や豚、およそ30万頭が殺処分された。川南町や都農町などでは鎮魂碑を建立し、例年、供養祭を実施している。

内閣府や厚生労働省に、「新型コロナ感染症の伝承碑を建立する動きや予定はあるか」と尋ねたところ、「今のところは、そういった予定はない」とのことであった。動物の感染症の伝承碑は積極的に立てられたのに、人間の感染症の伝承碑建立の動きがないのが不思議である。

丸3年にわたるコロナ禍は、国内各地で7万5000人近くの死者数を出す歴史的災害となった。新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが「5類」に移行したことで、数年も経てば今回のパンデミックはすっかりと過去のものとして忘れ去られてしまうだろう。

100年後の次代への教訓として、政府や自治体主導でコロナ感染症の伝承碑を造ってもらいたいものである。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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