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こんな人は長年連れ添ったパートナーと別居した方がいい…75歳・弘兼憲史も実践する「別住」向き夫婦の姿

プレジデントオンライン / 2023年5月23日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FredFroese

老年期の夫婦がお互い幸せに暮らすにはどうすればいいか。漫画家の弘兼憲史さんは「長年連れ添った伴侶と不快な距離感、ギクシャク感を覚えながら一緒に生きていくのは、お互いにハッピーではない。すぐに離婚しなくても『ひとり時間』を愉しく充実させながら、妻とは快適な距離感をいつまでもキープする『別住』という選択肢もある」という――。

※本稿は、弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■夫婦間の小さな怒りや不満、ストレスに目をつむっていないか

「お前百まで、わしゃ九十九まで」

最近はトンと耳にしなくなりましたが、そんな言葉があります。どちらかというと、夫から妻へのメッセージと思われがちですが、どうもそうではないようです。

この「お前」は、もともとは敬語です。「わしゃ」は「わたくし」であって、妻である「わしゃ」が夫である「お前」に敬意と愛情をもって向けたメッセージというのが正しい解釈のようです。

いずれにせよ、「夫婦が長生きして、死ぬまで仲睦まじく過ごしましょうね」ということのようです。たしかに、相手に対する愛しさが存在し、なんの不満もなく、一緒にいてストレスもなく、機嫌よく生きている夫婦もいるかもしれません。そうであれば、「お前百まで、わしゃ九十九まで」も大いに結構なことです。

けれども私の実感としては、そんな夫婦は、誤解を恐れずにいえば、かなり少ないような気がします。

お互いにさまざまな不満やストレスを抱えつつも、お互いに「ま、いいか」と折り合いをつけるというか、あきらめるというか、そんな気分で夫婦生活を続けているのではないでしょうか。

だからといって別れてしまえば、お互いに不都合も生じます。夫婦によって、依存の形は異なるでしょうが、たとえば妻が専業主婦だったとすれば経済面で困難が生じますし、家事を妻に任せっきりだった夫なら、毎日、右往左往してしまうでしょう。

熟年離婚した場合、世間体も気になります。お互いに別れた場合のスッキリ感を夢想しながらも、しかし、マイナス面を秤(はかり)にかけて、結婚生活を続けている夫婦も多いことでしょう。小さな怒りや不満、ストレスに目をつむっているといってもいいかもしれません。

■万事においてなんとなく依存し合って暮らしている状態

しかし、こういう関係は本当に幸せなのでしょうか。

「お前百まで、わしゃ九十九まで」はそのあとに「ともに白髪の生えるまでと続きますが、「ともに怒りが消えるまで」となると、決して幸せとはいえません。

こうした状態の原因が、相手の暴力、浮気、浪費、ギャンブルといったはっきりとしたものなら、離婚するという選択もあります。

けれども、それほど決定的なものではなく、生活スタイルが違うとか、価値観が違うとか、自分にはやりたいことがあるのに理解を得られないといったことが原因で、不満、怒り、ストレスが生まれているのだとしたら、なかなかすぐに離婚というわけにはいかないでしょう。

話し合ってお互いの違いを尊重しつつ理解し合えればいいのですが、長い間一緒に暮らしてきたにもかかわらず生じてしまった夫婦間の不快な距離感、ギクシャク感は、話し合ったからといって消し去ることはむずかしいでしょう。

それに、こうした関係はそもそも「どちらが正しいか」を基準にして白黒つけられる問題ではありませんし、白黒つけることになんの意味もありません。もし白黒つけてしまったら、お互いの溝はさらに深まるばかりでしょう。

こうした関係が生まれる最大の要因は、お互いが本当の意味で自立していないからではないでしょうか。そして、怒りや不満やストレスを感じながらも、万事においてなんとなく依存し合って暮らしている。そして、かなりの時間を一緒に過ごしているからです。

もし、あなたが「うちの女房なんて」からはじまる愚痴を外で本気で口にしているとしましょう。そんな愚痴を口にしているとき、突然、クシャミをしたくなることはありませんか?(笑)

間違いなく、あなたの奥さんもどこかで噂話をしているのです。「あの人ったら」ではじまる愚痴に違いありません。「あの人」は、もちろんあなたです。

残りの年を不快な距離感、ギクシャク感を覚えながら一緒に生きていくのは、お互いにハッピーとはいえません。

真面目に対策を講じるべきでしょう。

■長年連れ添った伴侶と別れて暮らすことは悪いことではない

「退職金が出たら、山分けして別れましょう」

妻からそう提案されたら、あなたはどうしますか?

「それも悪くないな」

そう思えたら、もしかすると、あなたたち夫婦にとって、それは愉快な「老春時代」の幕開けになるかもしれません。それぞれの人生に、新しい可能性、新しい希望、新しい愉しみが芽吹く春の訪れかもしれません。

私は離婚であれ、別居であれ、長年連れ添った伴侶と別れて暮らすことを悪いこと、悲しいこととは思いません。実際、私は妻とは別の家で暮らしています。離婚はしていません。

「別住」

「別居」というと、なにやら、どこか暗かったり、悲劇的だったりするので、私はそんな言葉を使っています。

なぜそうしたのか。

とくにいがみ合ったとか、嫌になったとか、「別住」のきっかけになるような大きなトブルがあったわけではありません。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、妻も私と同様に漫画家です。ある意味、特殊な職業です。

創作に没頭すれば、普通の夫婦とは違った時間をそれぞれが過ごさなければなりません。ネーム(漫画のストーリー、セリフ)作りに苦戦するようなことになれば、ピリピリすることもありますし、締め切りが迫ってくれば一心不乱に作業に打ち込まなければなりません。

■「別住」で、ひとり時間をデザインする

また、創作の時間帯やスタイルが異なりますから、一緒にいる時間もかぎられてきます。長年続けてきていますから、無理にそれぞれの創作のスタイルを変えて、時間を共有するようにしてしまえば、お互いの仕事にいい影響はないはずです。

どんな夫婦、どんなカップルでもそうでしょうが、つきあいが長くなれば、多かれ少なかれ、快適とはいえない距離感、ギクシャク感が生じることがあります。それによって「同住」することがお互いのメリットではなく、デメリットになることがあります。

お互いにそう判断して、いまの形になりました。

妻も経済的には自立していますし、私自身も、料理は大好き、洗濯や掃除もまったく苦にならない男ですから、きわめてスムーズに「別住」をはじめられました。また、子どもはすでに自立していますから、子育ても完了しています。

そうしたライフスタイルをはじめると、じつに快適です。

仕事はもちろん、ゴルフ、旅行、親しい友人とのつきあいなど、自分の時間の過ごし方を自由にデザインし、充実させることができます。また、妻と些細なことで言い争ったり、言葉の行き違いで相手を不快にさせたり、逆に不快になったりすることがなくなりました。

一緒にいる時間が少なくなった分、妻の立場、考えていること、主張、感情のあり方などを冷静に考える時間が増えたようにも思います。妻への感謝、リスペクトの気持ちを再確認する機会も増えたように思います。

「経済的に恵まれているからできること」

そんな声も聞こえてきそうです。それを完全否定するつもりはありませんが、「別住」は、それほど経済的に敷居の高いライフスタイルではありません。子どもの教育を終えてしまえば、工夫次第で可能なのではないでしょうか。

夏の晴れた日にテラスで屋外に座っている犬とコーヒーを持つ先輩女性。
写真=iStock.com/Halfpoint
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Halfpoint

■薄れていた妻への愛情が蘇る可能性も

実際、私の知人で自宅近所に小さなアパートを借り、妻や家族に気兼ねなく、趣味の油絵にいそしんでいる人間がいます。また、定年間近のある知人は、シェアハウスに居を移し、セカンドキャリアに備えて社会保険労務士の資格を取るために勉強に余念がありません。

彼らの夫婦間の距離感、ギクシャク感がどうであるかは知る由もありませんが、会って話してみると少なくとも充実した「別住」を実現しているように思えます。

今回のコロナ禍によって、リモートワークが注目され、働き方、暮らし方の可能性が広がりつつあります。職住近接が何かと便利だという考え方に、疑問符がつくようになりました。

これからは、会社からも、これまで住んでいた家からも遠い、家賃の安い場所に「別住」の拠点を置くこともしやすくなるに違いありません。

さらに、仕事においても人の移動を必須としないスタイルが定着しそうです。「別住」の選択肢もどんどん広がるのではないでしょうか。

「ひとり時間」を愉しく充実させながら、妻とは快適な距離感をいつまでもキープする。こういうライフスタイルは「アリ」だと私は強く感じます。もしかすると、薄れていた妻への愛情が蘇るかもしれません。

■「今回の人生はこのままでいいや」と結論づけていないか

「仲よき事は美しき哉」

文豪・武者小路実篤の言葉です。たしかにそうでしょう。けれども主語が「仲よくしなければならない事」となったら、それでも美しいでしょうか。

「すべき」「ければならない」といった強制は決して美しいことではありませんし、当然のことながらとても不自由なことです。

これは夫婦、恋人、友人、上司、同僚などあらゆる人間関係にいえることでしょう。ことに夫婦関係に「仲よくすべき」という強制が加えられたら、とても悲惨なことになってしまいます。

戦国大名同士の政略結婚は別ですが、恋愛結婚であれ、見合い結婚であれ、もともとお互いの自由な意志で結婚という選択をしたわけですから、はじめは「美しき哉」という関係だったはずです。

しかし、ともに生活する中でさまざまなシーンで「仲わるき事」が生じてくるわけです。そして、3組に1組の夫婦は離婚という選択をします。では、ほかの夫婦は「仲よき事」といった関係を取り戻せるかというと、必ずしもそうではありません。

お互いにギクシャク感、不快感を覚えながらも、「仲よくしなければ」ともがきます。そして、一緒にいることのマイナス面と別れることのマイナス面を秤にかけて、一緒にいることを選択するわけです。

つまりはこうです。

別れるデメリット>一緒にいるデメリット

けれども、そうした夫婦関係を続けていくうちに、この図式は変わっていきます。

二人の間にあったギクシャク感、不快感が消えてしまうこともあります。あるいは、消えはしないものの、もはや秤にかける必要がないほどに、ギクシャク感、不快感が小さくなっていくケースもあるでしょう。

「今回の人生はこのままでいいや」と諦念というか、妥協というか、達観というか、そう結論づけてしまうわけです。世の夫婦の多くはこうした選択をしているのだと私は感じます。

■対立、憎しみが生まれる前に

とくに年月を重ねると、お互いに新しいライフスタイルを選ぼうという精神的パワーがなくなります。平たくいえば「面倒くさい」のです。それはそれで非難されるべきことだとも私は思いません。

しかし、いつまでたってもギクシャク感、不快感が消えず、それどころかそれがますます膨らんでいくケースもあります。お互いの間に芽生え、成長し続けるこうしたマイナスの感情はあるとき、「変異」してしまうことがあります。

ギクシャク感→対立

不快感→憎しみ

感情であれ、なんであれ、量的な蓄積は質的に変化してしまう傾向があるのです。小さな傷でも手当てをしなければ傷口が開いて化膿しますし、小さな潰瘍でも放っておけばガンになることもあるでしょう。

別れるデメリット<一緒にいるデメリット

こういう夫婦関係なら、別住や離婚という選択を考えるべきかもしれません。夫婦間のこうしたギクシャク感、不快感、別な言葉で表現すれば「齟齬」は、ほとんどの場合、どちらが悪いという問題ではありません。どちらも悪くないのです。

齟齬とは、本来一致するはずの両者がうまくかみ合わない状態です。一致するはずだった結婚生活のリズムが崩れ、音色が調和しなくなったわけです。

弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)
弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)

ですから、白黒つける性質のものではありません。泥仕合になる前にそれぞれの道を歩むことがお互いの幸福のためなのです。

「別れる事は美しき哉」

そういう選択も大いに結構なことだと私は考えます。

武者小路実篤はこんなこともいっています。

「君は君、我は我也。されど仲よき。色と言うものはお互いに助けあって美しくなるものだよ。人間と同じことだよ。どっちの色を殺しても駄目だよ。どの色も生かさなければ」

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弘兼 憲史(ひろかね・けんし)
漫画家
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。74年に漫画家デビュー。作品に『人間交差点』『課長 島耕作』『黄昏流星群』など。島耕作シリーズは「モーニング」にて現在『会長 島耕作』として連載中。2007年紫綬褒章を受章。

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(漫画家 弘兼 憲史)

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