「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意"
プレジデントオンライン / 2023年5月18日 19時15分
■「オグラ、ちょっと黙れ」
オシムがジェフの監督に決まったとき、その価値を祖母井の次に知っていたのは恐らく小倉勉だろう。天理大学を卒業した1990年にドイツに渡り、ヴェルダー・ブレーメンのユースなどを指導し92年に帰国してコーチとしてジェフに入団した。
「オシムさんに関しては、イタリアワールドカップでユーゴスラビアの監督だった人という印象が強かった。ストイコビッチにボバンがいてサビチェビッチがいて、みたいなスター軍団を率いた監督が来るのか! と。本当にワクワクしました」
当時の旧ユーゴスラビア代表は、紛争が起きたため92年欧州選手権出場を断念。代わりに出場したデンマークが欧州を制した。そのことも挙げつつ「とにかくすごいチームをオシムさんは作っていた。ジェフに来るなんて夢ちゃうかと思いましたね」
欧州での暮らしを体験していたため、選手の度肝を抜いた「テーブルコンコン」にも違和感はなかった。小倉によると、例えば大勢で食事をして会話が弾んでいるとき。誰かがひとりで先に帰る際、何も言わずテーブルを拳でコンコンとノックして席を外す。つまり「お先に」と伝える挨拶のような意味でテーブルをノックする人は少なくなかった。
小倉が主に住んだドイツとオシムは縁が深い。母方の祖母はドイツ人。家庭内での会話はドイツ語中心で育ったことでドイツ語が堪能だった。よってドイツ語を話せる小倉は、時に通訳を介さずオシムとコミュニケーションをとった。
ある日のこと。練習試合中、小倉はベンチの前に立ったまま指示を出していた。すると、オシムが近づいてきた。
「オグラ、ちょっと黙れ」
眉間にしわを寄せ不機嫌な様子で言われた。が、小倉は特に間違った指示は出していないので「いや、選手に指示を出しているだけです」と返答した。
「おまえが指示を出したら、その選手が下手になる」
まさかの「指示禁止令」である。一体どういうことなのだ。そこはいったん黙ったものの、試合後にオシムに理由を尋ねると丁寧に答えてくれた。
■ミスをする選手のタイプを見極めろ
「ミスをする選手には大きく分けて2通りある。選択肢がいっぱいありすぎて判断が遅れてミスをする選手と、選択肢がなくて判断が遅くなってミスをするやつだ。おまえ、その選手がどちらになるかとか、その違いがわかるか?」
小倉は「いや、わかりません。わからないです」首を横に振るしかない。
「おまえの指示は全部同じなんだよ。選手がミスしたとき、理由は概ね3つある。状況を最後ギリギリまで見極めていたからプレーが遅れて(ミスが)起きたのか、選択肢がひとつしかなくてその判断を潰されたのか。3つめは、選択肢がたくさんあったから判断が遅れたのか。そんなふうに異なるミスをした選手を、おまえは同じように扱っている」
納得するしかなかった。
「おまえはもう指示を出すな。創造性のあるやつが下手になる」
その理由を聞いて理解できた小倉は「どうすればいいのか」と考え始め、その様子を見て取ったオシムは珍しく“アドバイス”をくれた。
![トレーニング中のサッカー選手たち](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/2/1200wm/img_f29719d9a1dbb3e9929c5fe317d3633f390288.jpg)
「そういう選手には、まず何が見えていたかを聞いてやることだ。そこで、選手はこれこれを見たと答えるだろう。ああ、そうかと受け止めてやればいい。次に同じミスをしないためには判断を素早くすることだ。プレーを早くひとつに絞らなくてはいけない設定をしたトレーニングをすればいい」
■無駄な指導は選手のアイデアを潰してしまう
オシムが言った「その選手」は、水野晃樹だった。後に代表入りしセルティックでプレーした水野は「アイディアというか選択肢をたくさん持った創造性豊かな選手だった」(小倉)。その才能をオシムは見抜いていた。
「オグラ、おまえが言い過ぎると、あいつの選択肢が狭まる」
具体的に説明もしてくれた。例えばクロスを上げろとコーチが言い過ぎると、クロスしか上げない選手になる、と。水野は本来左でクロスも上げられるし、かわして右でも上げられる。ひょっとしたらワンツーを叩いて前に出て行ける。そんな可能性を持っているのに、小倉がそれを言うことによって水野の選択肢を狭めてしまう。
「言わば、選手のアイディアを潰してしまうわけだ。そういう指導はダメだ。その選手がどういう特徴を持ってるか、どういう才能を持ってるかっていうのをもっと見ろ。プロのコーチだったら、それぐらいのことをしなくてはいけない」
オシムは普段、コーチらと「レミー」と呼ばれるトランプゲームに興じながらサッカーの話をすることが多かった。かしこまってミーティングをやることはほとんどなかった。
「僕らがピッチに立ってるとやって来て、今日の練習はこうやったなとポロッという。水野の話をしたときも雑談の延長。立ち話です。でも、僕の頭には鮮明に残ってますね」
■コーチに対して罰走を命じることも
当時小倉はまだ30代。プロのコーチになって6年ほど経ったころだ。
「日々気づき学ぶことばかり。コーチも選手もみんなそうやったと思います。目の前に選手はおるわけで、本当は学んでる場合ちゃいますよね。でも、当時の僕らあそこまで追いついてなくて。選手が一所懸命オシムさんに食らいついて走ってる。それを見てコーチも頑張る。それを選手が見てくれて俺ら頑張らなあかんなっていうふうに思ってやってたっていう感じですかね」
選手ができないのはコーチが悪い。時に、そんなジョーク入りでコーチにも罰走が命じられた。
「走れ」
選手やコーチへ一斉に向ける言葉は、いつも短い。短いが、深い。それぞれに何ごとかを考えさせる。そのなかで小倉の印象に残っているのは、監督就任直後の韓国遠征を終えた日の言葉だ。
「これは序章に過ぎない。帰ってから本格的に練習する」
■「オシムマジック」の正体は根拠に基づいた指導
すでにシーズン開始まで残り2週間を切っていた。優勝だとか、Aクラス入りだとか目に見える目標などは一切掲げない。だが、選手やスタッフに「これから本章に入るから準備しろ」というメッセージとして伝わったと小倉は言う。この5カ月後、ジェフはリーグファーストステージの優勝争いをするのだ。
「オシムマジックとかいろいろ言われましたけど、決してマジックなんかじゃない。指導のすべてに経験に裏付けられた根拠がありました。当時はわからなかったことも、僕自身が経験を積んだ今になって気づくんです。(オシムの指導を)まだ整理しているような感じですかね」
すべて整理するには一生かかるかもしれない。整理しきれないかもしれない、と小倉は言う。ジェフ、日本代表と5年弱続いたオシムとの時間は、そのくらい濃厚だった。
![黒板に戦術を書いて示している手元](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/c/1200wm/img_7cbbfbda9b61a79be80a4d25505dc1cc364261.jpg)
指導力を鍛えられた小倉だが、最も胸に刺さったオシムの言葉がある。
当時のジェフは試合がナイターの場合、午前中に練習をしてから会場入りするのが常だった。先発選手11人は軽く体をほぐす程度に動かす。一方で、サブの選手はエントリー以外の選手と練習をしてから行くのだ。したがって、この練習で誰が先発で誰がサブなのかはわかる。
コーチの小倉はレギュラーとサブメンバーに声をかけて全員バスに乗るよう促した。さまざま手はずを整えて、おもむろにメンバー表を見たら、サブの顔ぶれが違う。ひとり替わっていた。オシムは選手の動きや顔を見て、メンバー表提出のギリギリで変えることもあった。
■「このチームの監督は誰だ?」
小倉は「スタッフが書き間違えたのかもしれない」と思いオシムに確認したら「いや、これで行く」と言う。その瞬間、自分でも顔が真っ青になるのがわかった。噴き出した額の汗をぬぐいながら「実は選手に言ってしまいました」と伝えた。
沈黙が流れた。
「このチームの監督は誰だ?」
オシムさんです。
「いや、おまえは監督か?」
いいえ、違います。
「俺は最後の最後までいろいろ考え決断している。この選手を外して、この選手を入れるといったことを決めるのは大変な作業だ。選手には家族もいる。子どもがいるやつもいる。それでも俺は決断しなきゃいけない。それを軽はずみにおまえが伝えたことによって、この選手をバスから降ろさないといけない。おまえはそれを誰かに頼むのか? マネージャーに頼むのか?」
![悩めるビジネスマン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/9/1200wm/img_b98307e7ef65d86babd1893e1ddbf5b1246593.jpg)
(そんな……。自分で行くしかないじゃないか……)小倉は「いや僕が行きます」と伝えた。
「俺たちは、それぐらいの決断を毎試合しているんだ。監督だけじゃなくて、おまえたちもそうだろう。だから、そこは慎重にも慎重をきたせ。選手はモノじゃない。右から左に簡単に動かしていいものじゃないんだ。生身の人間だ。感情がある。その扱いを間違えるな」
■オシムがコーチに激怒した理由
小倉はダッシュでバスに駆け込み、サブから外れた選手を探した。
「申し訳ない。俺のミスだ。メンバーが替わったからバスを降りてくれないか」
小倉はそのベテラン選手に「こころから詫びなければ」と必死だった。
「指導のやり方や、練習のノウハウよりも、このときにオシムさんに言われた言葉が残っていますね。そういった一つひとつの人生の教訓じゃないですけど、人としての向き合い方を教えられました」
小倉は指導者生活を経て、横浜マリノスでGМに。監督以上にダイレクトに選手の人生を左右する立場になった。選手それぞれの背後には家族がいることを意識しながら仕事をした。また、小倉以外のコーチが「Aが最近調子がいいので、Bと入れ替えませんか?」と提案したときも、オシムは雷を落とした。
「この選手の後ろには家族がいるんだぞ。なぜその選手のほうがいいのか、ちゃんと裏付けがあるのか? 別に俺に意見を言うなということじゃない。ただ感覚でとか、なんとなくでものを言うな」
小倉は筆者とのインタビューで「失敗談ばかりで恥ずかしい」と幾度となく言った。穴があったら入りたい、と。とはいえ、小倉はジェフから代表へとオシムに連れて行かれた。オシムが最後に率いたクラブがジェフで、最後に代表監督をやったのが日本になったが、その両方でコーチとして支えたのだ。
■オシムは選手だけではなく指導者も成長させた
その後、オシムは病に倒れ日本代表監督から退いたが、小倉はコーチとしてそのまま残った。後を引き継いだ岡田武史とは、かつてジェフでお互いにコーチをした仲である。2010W杯南アフリカ大会出場を決め、本大会では二度目のベスト16進出を果たした。
主催国だった日韓W杯を除けば、他国の主催大会で初めての予選ラウンド突破である。その2年後には、U23日本代表のヘッドコーチとしてロンドン五輪で44年ぶりの4強入り。いずれも小倉がスタッフの一員として貢献したことは言うまでもない。
オシムは、選手だけでなく指導者をも成長させた。そのひとつの証左と言えるだろうそして、逝去からおよそ半年後に開幕したW杯カタール大会で日本はドイツ、スペインを下したものの、またもベスト16に終わる。4大会阻まれてきた8強への壁を打ち破るには、日本独自のサッカーの確立と効果的な育成が求められる。
「そのヒントというか鍵は20年前にオシムさんが渡してくれている気がします。これを活かしていかなきゃいけないのは、選手じゃなくて、僕ら指導者。指導者の意識改革が必要です。選手は指導者の映し鏡のような存在ですから」
つまり、選手だけが素晴らしく進化して、指導者はそうでもない、という状況はあり得ないというわけだ。
■一流選手は増えたが、一流指導者が足りていない
20年前と比べ海外でプレーする選手は大幅に増えた。当時は欧州でプレーする選手は20人程度だったが、現在は100人超。レギュラーになって通用している数は数倍になる。
![島沢優子『オシムの遺産』(竹書房)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/1200wm/img_b5fa2ce961bd99132c7fe9e0bd1bd2b7170548.jpg)
「つまり、選手は世界レベルの環境でプレーしているわけです。しかし、残念ながら指導者がそこに到達していない。今後は欧州でキャリアを積む指導者が出てくるのが望まれる。ただ、現在は世界のサッカーは映像でも見られるし、体感しないまでもコーチングのヒントを探すことはできます。僕らはとにかく、新たなもの、異なるものを受け入れること。それを恐れないこと。これが重要だと思います」
新たなもの、異なるものを受け入れる――日本人が一番苦手なことかもしれない。そう考えると、異物そのものだったオシムを、小倉たちは受け入れるしかなかった。逆に言えば失うものがなかった。だからこそ、受け入れる勇気が生まれたのだ。
「それがどれだけ幸運なことだったか。指導をやっていると日々実感するんです」
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ジャーナリスト
筑波大学卒業後、英国留学等を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年フリーに。近著に『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』(文藝春秋)『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)『部活があぶない』(講談社現代新書)など。『高学歴親という病』(成田奈緒子/講談社α新書)『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』(佐伯夕利子/小学館新書)など企画構成した書籍もヒット。「東洋経済オンラインアワード2020」MVP受賞。日本バスケットボール協会インテグリティ委員。沖縄県部活動改革委員。
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東京ヴェルディ トップチームヘッドコーチ
1966年生まれ。大阪府出身。天理大卒業後、同志社香里高校で指導者のキャリアをスタートさせ、ドイツでも指導経験を積む。1992年からジェフでコーチや強化部を歴任、2006年からA代表のコーチとしてオシムジャパン、岡田ジャパンを支え、4強入りした2012年ロンドン五輪ではヘッドコーチを務める。その後、大宮監督などを歴任。23シーズンより現職。
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(ジャーナリスト 島沢 優子、東京ヴェルディ トップチームヘッドコーチ 小倉 勉)
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