日本で初めて承認された経口中絶薬「メフィーゴパック」の利点と必ず知っておきたい懸念点
プレジデントオンライン / 2023年5月22日 10時15分
■経口中絶薬「メフィーゴパック」とは
4月28日、厚生労働省はイギリスの製薬会社ラインファーマの経口中絶薬「メフィーゴパック」の製造・販売を承認した。日本で初めて経口中絶薬が使用可能になる。
経口中絶薬「メフィーゴパック」には、胎児の成長を止める薬、子宮を収縮させて妊娠組織を排出させる薬の2種類がある。一つ目の薬を服用後、36~48時間後に二つ目の薬を服用するというもの。海外では30年以上前から使われ、多くの先進国で利用実績があり、G7の中で経口中絶薬が使えないのは日本のみとなっていた。
これまで日本における人工妊娠中絶は、手術で行われてきた。妊娠12週未満に日帰りで行う「初期人工妊娠中絶」には、柔らかい使い捨ての手動吸引器で子宮内容物を吸い取る「手動吸引法(MVA)」、金属製の管を子宮の中に挿入して内容物を吸い取る「電動吸引法(EVA)」、胎盤鉗子という器具で内容物を除去したのち、金属製のさじで子宮内膜を掻き出す「掻爬(そうは)法(D&C)」の3つの手術法がある。妊娠12~22週未満に入院して行う「中期人工妊娠中絶」は子宮収縮剤を使った分娩(ぶんべん)で行われ、22週以降は行うことができない。
「以前は掻爬法が主流でしたが、徐々に吸引法が普及しました。人工妊娠中絶手術は9割以上が診療所で行われており、2019年の調査によると診療所の手術法の内訳では掻爬法単独は3割を下回り、他は吸引法、または吸引法と掻爬法の併用が占めています(※1)。掻爬法と併用といっても、最初は吸引法で行って、最後の確認を掻爬の器具で行うという場合もあります」(宋さん)
※1 安全な人工妊娠中絶手術について
■主流だった掻爬法は「女性への罰」ではない
以前、日本で主流だった掻爬法は女性の体を傷つけるやり方で、中絶をしなくてはならなくなった「女性への罰」として行われてきたという意見もあるようだ。実際のところ、掻爬法は女性の体への負担が大きいのだろうか。2012年の調査によると、掻爬法による合併症は、最も多い再手術が必要な取り残しの起こる「遺残」の発生頻度が0.3%、大量出血が0.03%、子宮穿孔・損傷が0.02%となっており、全体として発生率は非常に低いと言える(※1)。
「掻爬法には遺残が少ないという利点がありますが、子宮内を傷つけるリスクがあります。でも、日本では合併症は少ないと思います。また、いずれの手術でも麻酔をしますから、掻爬法だから痛いということはありません。以前、掻爬法が主流であったのは、掻爬法の機械しかない医療機関が多く、多くの産婦人科医が新しい機器や手技を安全に取り入れるには時間がかかったからであって、特に罰として行っていたわけではないでしょう」(宋さん)
一方、こうした説が広まるのは、中絶をする女性には説教をしなくてはいけない、高圧的に対応すべきという医師が、特に昔は多かったからではないかと宋さんは話す。「避妊をしても必ずしも妊娠を100%防ぐことはできない」(宋さん)のに、中絶するとなると心身に負担を負う女性だけが責められ、中絶への偏見がいまだに根強いことは大きな問題だ。
「医療者の態度や中絶後の心のケアなど、至らない部分もあったと思います。それは同じ医療者として申し訳なく思うところです。ただ、手術自体が問題かというと決してそうではありません。また、だからといって過去に流産・中絶で掻爬法による手術をした人に、自分が受けたのは暴力だったんだと思わせてしまうのは二次被害ではないでしょうか」(宋さん)
■手術による中絶と薬による中絶の違い
手術と薬剤による中絶では、どのような違いがあるのだろうか。もっとも大きいのは、中絶の完了までにかかる時間の長さだ。
掻爬法や吸引法などの中絶方法は、ほとんどの場合は手術日に完了することができる。手術自体は10~15分程度で終わり、2時間ほどの待機時間を経て、日常生活に戻ることが可能だ。一方経口中絶薬の方は、陣痛のような痛みが訪れ、血液とともに少しずつ胎嚢や子宮内容物が排出されていく。
「経口中絶薬の場合は、少しずつ体外に出ていくため、その後の予定を立てづらいのです。また、『メフィーゴパック』の場合、被験者のうち93.3%の人は24時間以内に中絶が完了したそうですが(※2)、割合としては少ないとはいえ、完了しない場合もあります。その場合は、手術をしなければなりません」(宋さん)
※2 厚生労働省「いわゆる経口中絶薬『メフィーゴパック』の適正使用等について」
■経口中絶薬は決して「魔法の薬」ではない
経口中絶薬は決して万能ではなく、当然リスクもある。2000~2006年のフィンランドの調査によれば、有害事象の発生率は、出血は経口中絶薬で15.6%、手術で2.1%、不完全中絶は経口中絶薬で6.7%、手術で1.6%と、いずれも経口中絶薬のほうが発生率が高い結果となっている(※3)。
「経口中絶薬は魔法の薬のように言われ、リスクが過小評価されています。実際は、吐き気、発熱、腹痛、下痢、出血、体の痛みなどの副作用が起きる場合があります。特に痛みは強いことが多く、痛み止めを飲むとはいえ、我慢せざるをえないケースもあるでしょう。海外の経口中絶薬が選択できる国でも、みんなが経口中絶薬を選んでいるわけではありません」(宋さん)
経口中絶薬という選択肢が増えることはいいことだが、あくまでもメリットとデメリットを正確に理解したうえで、選択したほうがいいと、宋さんは話す。では、いざという時、経口避妊薬、吸引法、掻爬法のどれを選んだらいいのだろうか。
「どの方法を選択するかは、その時の体の状況、子宮の形や向きや硬さを診たうえでの医師の判断にもよりますから、担当医に相談しながら決めるのが一番いいと思います。もちろん、ある程度の希望を伝えることもできます」(宋さん)
※3 Immediate Complications After Medical Compared With Surgical Termination of Pregnancy
■ハッシュタグ「#中絶薬が10万円はありえない」
もう一つ、気になるのが経口中絶薬の価格だ。日本産婦人科医会は「薬の価格はおよそ5万円とみられ、診察料などと合わせると10万円程度になることが予想される」とした。このことが報道され、ツイッターでは「#中絶薬が10万円はありえない」というハッシュタグが広がり、波紋を呼んだ。
「患者さんの視点で10万円が高いというのは、その通りだと思います。ただ、海外では1000円なのにとか、製薬会社や産婦人科医がぼったくっているというのは違います。海外でも結構お金はかかるんです」(宋さん)
経口中絶薬による中絶の価格が高くなるのは、製薬会社が薬の開発や製造、申請などをするにも、産婦人科が診察や管理などを適切に行うにもお金(人件費や設備投資等)や時間がかかるからだ。
実際、経口中絶薬による中絶の費用は、アメリカで10万円程度、イギリスでも7万円、フランスでも4万円程度と、海外でも決して安くはなく、本人の負担は少ないという仕組みだ。諸外国では国から助成が行われることによって、自己負担額の軽減が実現している。イギリスやフランスでは国の保険によって個人の負担はなく、ドイツでは低所得者には補助がある。
■必ずしも保険適用にすればいいとは限らない
一方、現在、手術による人工妊娠中絶も日本では10万~15万円くらいかかるのが実情だ。全ての人のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)を守るため、社会的にハイリスクの人や性暴力の被害に遭った人を守るためにも、アクセスをよくすることは必要だ。宋さんも「費用面の改善は絶対に必要でしょう」と言う。ただし、自己負担を減らすために「保険適用にすべきだ」という声があるが、その選択には問題があるかもしれない。
「自己負担額を減らす仕組みとして、保険適用がベストなのかどうかというのは、もっと議論が必要です。まず、一律で3割負担となると、人によって金額の重さは全然違い、やはり払えないという人もいるでしょう。また保険適用となってもあまりに点数が低ければ、対応できない産婦人科も出てくることが考えられます」(宋さん)
となると、国が公費で全額または一部を負担することにより、次世代のためにリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)を守っていくことが必要なのかもしれない。宋さんは、「公的費用でいくらまでは負担する、その中で中絶できる病院を探して行ってもらうという制度のほうが、メッセージ性は高いのではないでしょうか」と話す。
■経口中絶薬でも最初は入院が条件となる見込み
また、経口中絶薬を日本で導入する場合、中絶が完了したことを確認するまで院内待機が必要となり、入院が条件となる見込みだ。そもそも、現在の日本の法律(刑法堕胎罪と母体保護法)では、自宅で経口避妊薬を使うと犯罪となる。
海外では、処方された経口中絶薬を家で服用できたり、オンラインによる診察で処方できたりする国もあるが、内診や経腟エコーなしでの服薬にはリスクがある。
「そもそも、海外の多くの国では医療へのアクセスが悪く、しかも子宮や卵巣の状態を細かく診ることのできる経腟エコーがほとんど行われていません。そのため、オンライン診療で経口中絶薬を処方することが多いのです。でも、子宮外妊娠の場合に経口中絶薬を飲むと、例えば卵管が破裂するなどのリスクがあります。処方の前に、医師の診断が必要です」(宋さん)
さらに家で服用して重篤な副作用が起きた場合、救急車を呼んだり、緊急で対応してくれる病院を探す必要がある。しかし、昨今、産婦人科は激減している。
「大量出血などの重篤な副作用が起きた時の不安やリスクを考えると、最初から入院するというほうが現実的です。入院していれば、何かあった時にはナースコールを使えますし、何かあったらお医者さんが診てくれるほうが安心という人も多いのではないでしょうか」(宋さん)
■次に求めるべきは「配偶者同意の撤廃」ではないか
経口中絶薬の導入にあたり、悪用されるリスクを懸念する声もある。実際に国内でも、妊娠した交際女性に国内未承認の中絶薬を飲ませた男性が不同意堕胎未遂の疑いで逮捕されるという事件も発生している。
「入院して処方される場合は悪用のリスクはきわめて低いですが、今後オンライン診療で処方されたりと規制が緩む日がくる可能性はあります。また、正規ルート以外で、適用外使用目的で平行輸入する場合もあります。ただ、悪用されるリスクがあるから承認されるべきではないという話ではなく、人の生命に関わる薬なので悪用を想定したうえで対策を考える必要があります」(宋さん)
また、日本では母体保護法により中絶する際、配偶者の同意が必要だ。DVなどで婚姻関係が事実上破綻し、同意を得ることが困難な場合に限って配偶者の同意は不要だが、中絶に配偶者同意が法的に必要なのは世界で日本を含む11カ国のみ。経口中絶薬も、服用には原則として配偶者の同意が必要になる見通しだ。
「経口中絶薬を入院して飲めるようになったあと、私たちが求めるべき権利は、オンラインで処方できるようにするとか、産婦人科医を受診しなくても処方できるようにする、ということよりも、配偶者同意の撤廃ではないでしょうか。女性が中絶したいと思ったら、本人の判断で中絶できるようにする。配偶者同意の撤廃を求める声は高まっていると思います」(宋さん)
1995年生まれ。ライター。地方の貧困家庭で育つ。“無い物にされる痛みに想像力を”をモットーに弱者の声を可視化するために取材・執筆活動を行う。著書に『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)がある。
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産婦人科医、医学博士
大阪大学医学部卒業後、同大学産婦人科に入局。周産期医療を中心に産婦人科医療に携わる。2007年、川崎医科大学講師に就任。ロンドンに留学し胎児超音波を学ぶ。12年に第1子、15年に第2子を出産。2017年に丸の内の森レディースクリニック開院、一般社団法人ウィメンズリテラシー協会代表理事就任。『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』『産婦人科医宋美玄先生が娘に伝えたい 性の話』『医者が教える 女体大全』『産婦人科医が伝えたいコロナ時代の妊娠と出産』など著書多数。
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(産婦人科医、医学博士 宋 美玄 取材・文=ヒオカ)
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