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女子大生は舌を抜かれ、放射能まみれで死んでいた…男女9人が変死体で見つかった「不可解な遭難事件」の真相

プレジデントオンライン / 2023年5月27日 13時15分

1959年2月26日、救助隊が発見したテントの光景。テントは内側から切開されており、一行のメンバーたちは靴下や裸足でテントから逃げ出していた。(写真=PD-RU-exempt/Wikimedia Commons)

1959年2月、ロシア・ウラル山脈で大学生ら9人が怪死した。マイナス30度の冬山で見つかった遺体は薄着で、全員が靴を履いていなかった。3人は頭蓋骨折などの重傷、女子学生は舌が丸ごとなく、衣服からは高濃度の放射線が検出された。なぜこんな遭難事件が起きたのか。作家・中野京子さんの著書『新版 中野京子の西洋奇譚』(中公新書ラクレ)から紹介する——。

■ソ連の冬山で起きた「ディアトロフ事件」の謎

20世紀前半の大規模な戦争のさなか、ロシアでは皇帝専制打倒を掲げた暴動が繰り返し起こった。後にこの時の戦争は「第一次世界大戦」、暴動のほうは「ロシア革命」と呼ばれるようになる。

この革命によってロシアは長く続いたロマノフ王朝を倒し(拙稿『名画で読み解く ロマノフ家 12の物語』参照)、1917年、世界初の共産主義国家を樹立した。国名もロシア帝国からソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)へと変わり、この体制は「ベルリンの壁崩壊」後の1991年まで続く。

その間に資本主義国家と共産主義国家の冷戦があり、もともと秘密主義の色濃いソ連は、鉄のカーテンの向こうに隠れていっそう他国の眼から見えにくくなった。70年以上もカーテン越しだったのだ。

ロシア絵画があまり知られていない大きな理由はそこにあるし、ソ連時代に起こっていた数々の事件も、ロシア連邦に変わるまで噂でしか知り得ないものが多かった。

奇譚というにふさわしい「ディアトロフ事件」もその一つである。謎はまだ解明されていない。

■現場は「死の山」と呼ばれていた

1959年1月。日本ではメートル法が施行され、南極に置き去りにされた樺太犬タロとジロの生存が確認された。フランスではド・ゴールが大統領に選ばれ、アメリカではアラスカが49番目の州になっている。

そしてソ連。ウラル科学技術学校(現ウラル工科大学)のエリート学生たちを中心とした若者10人の一隊が、真冬のウラル山脈をおよそ2週間の行程でスキー・トレッキングすべく、エカテリンブルクを出発した。

隊長は大学4年生のディアトロフ(この事件が彼の名にちなんで付けられたことがわかる)。他に男7人、女2人。皆20代前半だったが、男性のうち1人だけが30代後半の元軍人。インストラクターとしてついて行ったとされる。

彼らが残した日誌、数人が撮った写真、途次に立ち寄った場所での地元の人々との交流などは正確に知られており、それによれば、出発して10日目の2月1日が、ホラチャフリ山、即ち先住民マンシ族の言葉で「死の山」――なんとも不吉で、しかも予言的な山名ではないか――へ登る前日だった。直前に男子学生1人が体調不良で脱落したため(おかげで彼は命拾い)、グループは9人に減っていた。

9人は翌日の万全を期し、「死の山」の斜面をキャンプ地にして一泊を決める。この夜に「恐るべき何か」が起こったのだ。

■発見された凄惨な9人の遺体

一行の連絡が途絶えたため、2月下旬に捜索隊が結成された。厳しい条件下、まず雪に埋もれた無人のテントを見つける。中にはスキーブーツがずらりと並び、食料やリュックなどがきちんと整頓されていたが、テント布は内部から切り裂かれていた。

やがてそこから数百メートルほど下ったヒマラヤ杉の近くで2遺体が発見される。ともに木から落ちたような傷と、火傷の跡、口から泡、上着もズボンも靴も身につけていなかった。零下30度にもなる場所だから、これは命取りである。死因は低体温症とされた。

次いで、その木とテントの中間地点の雪の下に男女3遺体が見つかる。1人は隊長ディアトロフで、服は別のメンバーのもの、帽子や手袋はなく、靴も履いていない。格闘したような跡が見られた。もう1人の男にも格闘した形跡があり、頭蓋骨を骨折していた。

靴下は何足もはいていたが靴はなし。女子学生はスキージャケットにスキーズボンと、服装はきちんとしていたもののやはり靴はなく、手に多数の打撲傷、胴の右側部に長い挫傷。3人とも直接の死因は低体温症らしい。

他の4人はなかなか発見されなかった。何度目かの捜索でやっと5月初旬に、件のヒマラヤ杉からさらに離れた小さな峡谷(テントから1キロ半も先)で発見されたが、どの遺体も凄惨そのもので、先の5人がごく普通の死に思えるほどだ。

ディアトロフのツアーグループメンバーの写真(写真=PD-self/Wikimedia Commons)
ディアトロフ峠事件の犠牲者の慰霊碑(写真=PD-self/Wikimedia Commons)

■女子大生の遺体は、舌が丸ごとなくなっていた

全員、靴を履いておらず薄着。下着姿の者までいた。また全員、骨に著しい損傷があり、落下が原因とは考えにくい暴力的外傷だった。解剖医は、車に轢かれたような、と形容したという。ただし最初に発見された男性の遺体は水に浸かっていたため腐敗が進みすぎ、死因の詳細が突き止められなかった。顔の見分けがつかず、頭蓋骨も露出。

あとの男2人は、それぞれ肋骨が何本も折れ、また頭部に烈しい損傷を受けていた。1人の衣服からは放射能も検出される。さらに痛ましいのは女性で、肋骨が9本も折れ、心臓の大量出血、口腔内からは舌だけが丸ごとなくなっていた。そして彼女の衣服からも、高レベルの放射能が検出されたのだった。

■なぜ彼らはテントを離れたのか

ウラル科学技術学校の男女学生6人、及び同大卒業生2人、臨時に加わった退役軍人1人からなる9人のトレッキング・グループは、真冬の「死の山」の斜面の雪を掘って大きなテントを張り、夕食を終えた6、7時間後、ブーツを脱いで眠りについた(あるいはつこうとしていた)。

真夜中、だがなぜか全員そのままテントを飛び出る。幾度も雪山トレッキングを経験してきた彼らが、零下30度にもなる戸外へ靴も履かずに出たらどうなるか、知らないはずがない。まして漆黒の闇だ。雪の白さをもってしても、また数人が手にしていたマッチや懐中電灯の明かりがあったとしても、元の場所にもどれる可能性は限りなく低い。テントを離れることは、即ち死を意味する。

にもかかわらず皆が皆、やみくもにテントを出たがった。中からナイフでテント布を切り裂いてまで、大慌てで、そして我先にと、その場を離れたがった。統制のとれた理性的な行動をずっと続けてきた彼らだけに、あまりに奇妙で信じがたい。これほど激甚で無謀な行動を引き起こしたものは、いったい何だったというのか?

■極寒の冬山で靴を履かず、服を脱ぎ捨てた理由

ディアトロフ事件最大の謎はここにある。このまったき不可解さに比べれば、彼らの死の様相についての説明には、納得しやすいものがいくつもある。たとえば誰ひとり靴を履いていなかったのは、単にその暇がなかったからだろう。

また服を脱ぎ捨てた者がいたことについてだが――史実をもとにした映画『八甲田山』(森谷司郎監督)に生々しく描かれているように――人は極度の低体温に陥ると、かえって暑く感じてしまうらしい。体表の冷たさに比して、体内に流れる血液の温度に熱さを覚えるせいだという。

火傷跡や木からの落下は、暖を取ろうと木の枝を折っていて落ち、その後マッチで枝を燃やしていて火がついたのかもしれない。別メンバーの服を着ていた例は、死者の服を脱がせた可能性がある。格闘跡の見られた2人は、テントの一番近くに倒れていた。つまり逃げるのが最後だったからで、そうとう焦ってぶつかりあい、互いにもつれあってこけつまろびつ走ったとも考えられる。

遠くまで逃げた者たちに打撲跡や肋骨ないし頭蓋骨骨折が見られたのは、斜面を走り下りている時に根株や雪に埋もれた岩などにぶつかったり、通常であれば大怪我には至らないような崖でも暗くて気づかず、頭から落ちたと考えられなくもない。全ては雪山の夜にひそむ危険であり、おまけにそこを走ったのは平常心を失くした人間たちだった。

一人で登山
写真=iStock.com/mjora
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mjora

■衣服に付いた放射能の謎

とはいえ全てが納得できるわけでもない。検死報告書には、彼らの骨折状態が崖から落ちてできるようなものとは明らかに違うと記されていた。舌の喪失は小動物に食べられたとの説もあるが、ではなぜ他の遺体(すぐ近くに3体あった)は無事だったのか。

衣服の放射能については、2年前に同じウラル山脈で放射能漏れ事故があり、その際に放射線を浴びた服が古着屋に売られ、知らずに買って着ていたのかもしれない(まだ物資の少ない貧しい時代だった)。しかし検出された放射能は高濃度だったというから、旅行中いつも雑魚寝していた仲間の服に付着していないのはなぜだろう。

ただの偶然かもしれないが、学生の1人は核物理学を専攻しており、原子力関連の研究室に在籍したこともある。ただし放射能が検出されたのは彼の服からではない。

どこか胡散臭いのは退役軍人で、年齢も学生たちより一回り以上も上だし、名前も変名を使っていた。鉱山会社に勤めた後、軍事工学を学んでいたとも言われる。トレッキング中よく写真を撮っていたが、もう1台、別のカメラも持ち、皆に隠していた。

服から放射能が検出されたのはこの男だ(もう1人は彼の近くで発見された女子学生)。彼は今回が学生たちと初顔合わせで、どうやってグループに参加できたのか、実はあまりよくわかっていない。放射能とこの男を結びつけた秘密工作員説も浮かぶ所以である。

■事件の謎に対するさまざまな解釈

ソ連が崩壊してロシアへの旅がしやすくなるにつれ、世界中の謎解きマニアたちが「ディアトロフ事件」に挑みはじめた。数々のノンフィクション、小説、テレビ・ドキュメンタリー、映画が生まれ、さまざまな解釈が披露されている。どれも一長一短あり、これぞ決定版というものはまだないが、いくつかあげておこう。

I 雪崩説――ありふれていても、一番妥当とされてきた。ただし「死の山」の勾配はわずか16度しかなく、ふつう雪崩は起きない。しかも学生たちの足跡が一部残っていた。
II マンシ族ないし野獣襲撃説――足跡皆無。
III 竜巻説――テント内にいた時ではなく、外へ出てから小さな竜巻に襲われたというのなら、ひどい骨折の説明にもなる。ただ固まって倒れていた理由はわからない。
IV UFO説――数カ月前からこの近辺の上空に正体不明の火球が飛んでいた(目撃証言が多数ある)。もしそれがUFOで、テント近くに着陸してエイリアンが降りてきたら、どんな剛毅な人間でもパニックになって逃げだすだろう。特にこの時代はSF黄金期だった。あいにく物的証拠はない。
V 軍の陰謀説①――火球はUFOではなく開発中の新兵器で、軍事機密をグループに知られたため全員を抹殺。
VI 同②――軍による人体実験の犠牲になった。
VII 同③――グループに同行した元軍人が、山で秘密裏に接触したスパイと何らかの理由で争い、学生らが巻き添えになった。

このようにソ連軍が関与していたとしたら、永久に証拠書類は出てこないだろう。

■アメリカの映像作家が挑んだ真相解明

そして2013年、新たなドキュメンタリーの傑作が生まれた。アメリカの映像作家ドニー・アイカー著『死に山』がそれだ。翻訳も出ているのでぜひ読んでほしい。

著者アイカーは、現場に赴くことなく自宅の椅子に座って事件を解決する「アームチェア・ディテクティブ」ではなかった。自らロシアへ何度も出かけ、グループ唯一の生き残り(21歳だった学生は、すでに75歳になっていた)にも会って貴重な証言を得たし、驚いたことにディアトロフ隊と同じ行程を辿って冬の「死の山」へも登ったのだ。

この本の最大の読みどころが事件の解明部分にあるのは間違いないが、同じくらい興味深いのは――これまでの素人探偵たちがほとんど関心を寄せていなかった――ソ連時代の若者たちの生き生きした生態だ。鉄のカーテンの向こうでも、変わらぬ人間の営みがあったことを知らされる。

ディアトロフ隊は大学のあるエカテリンブルク(当時は革命家の名にちなんでスヴェルドロフスクと呼ばれていた)から鉄道、バス、トラックを乗り継いで山を目指した。そこまでは車中泊の他、工事現場の労働者用の寮に泊めてもらったり空き家を探して寝たりと、かなり切り詰めた旅である。

それでも若いだけに終始元気いっぱいで、楽器を鳴らし、合唱し、絵を描き日誌をつけ写真を撮り、ラジオを組み立てた。恋愛模様もあった。

■テントから飛び出した理由は「超低周波音」なのか

途中下車した町の小学校では即席の教師役まで引き受けた。女子学生の1人は生徒たちから特になつかれ、いざ別れる段になると皆に泣いて引き留められている。エリート大学生も田舎の小学生も、ある意味非常に純朴でいられた時代でもあった(アイカーはこの小学校も訪れている)。

いよいよ山地に着くと、そこからは徒歩やスキーで登り、テントを張って雑魚寝すること3回。4回目が惨劇の夜だった。

アイカーの説では、直接の死因たる頭蓋骨骨折も圧迫骨折も全て事故で説明がつけられ、怪死でも何でもないという。つまり本当の死因はテントから飛び出たことであり、飛び出ざるを得なかった、その理由は――超低周波音の発生だったと断言している。

「死の山」は標高1000メートルを少し超える程度の、さほど高い山ではない。勾配もゆるやかで、左右対称の、お椀を伏せた形をしている。

しかし一見おだやかそうなこの形が、強風のもとでは稀にカルマン渦(物体の両側に発生する、交互に反対回りの渦の列)を生じさせることがある。今回はテントをはさんで右回りと左回りの空気の渦ができて超低周波音を生み、中の人間を襲った。

■9人を同時に錯乱させ得るものなのか…

それでどうなるかといえば、耳には聞こえなくとも生体は超低周波音に共振し、ガラスのようにもろくなる。心臓の鼓動が異常に高まって苦しくなり、パニックと恐怖に襲われ、錯乱状態になるという。

中野京子『新版 中野京子の西洋奇譚』(中公新書ラクレ)
中野京子『新版 中野京子の西洋奇譚』(中公新書ラクレ)

ここが「死の山」と名づけられたのは動物がいないからだが、それは時折り発生するこの超低周波音のせいで棲みつかなかっただけかもしれない。

アイカーはこの説を専門家に肯定してもらったと記している。しかしその専門家は1人だけだし、検証がなされたわけでもない。完璧に証明されたとは言えないのではないか。

超低周波音が心臓に及ぼす影響は、理論的にはわかる。だがはたして9人もの人間を同時に錯乱させ得るものだろうか。それほど凄まじい超低周波音が存在するのか。かといって実験するわけにもゆかない。

結局この解答にもまだ謎が残り、ディアトロフ事件はこれからもずっと奇譚として語られ続けるような気がする。

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中野 京子(なかの・きょうこ)
作家、独文学者
北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに絵画を読み解くエッセイや歴史書を多く執筆。「怖い絵」シリーズは好評を博し、2017年には「怖い絵」展を監修、続く2022年にはコニカミノルタで「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」上映。近著に『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争』がある。

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(作家、独文学者 中野 京子)

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