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53歳元エリート銀行マンが仕掛けた「寺+ホテル一体のビル」が大繁盛…檀家の負担「ずっとゼロ」実現のスゴ技

プレジデントオンライン / 2023年5月27日 11時15分

ホテルのアプローチの奥に寺域が広がる - 写真=浄教寺提供

■“オンボロ寺院”を再生させた44代目住職は元銀行マン

シティホテルと「合体」して、寺をよみがえらせる――。こんな稀有な事例が、いま注目を集めている。京都市中心部にある浄教寺は近年、建物の老朽化によって存続が危ぶまれていた。しかし、ある元銀行員の住職が、寺とホテルとを一体化させる事業で再建に成功した。いま、商業施設を組み込んだ都会型寺院の再生モデルが、各地で広がりをみせている。

ほのかにお香の薫りが広がるラウンジ。随所に木のオブジェが飾られ、壁には墨で現代アートが描かれている。和洋折衷のモダンな空間は、いかにも京都のホテルらしいたたずまいをみせる。2020年9月に開業した「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」である。

文字通り、寺とホテルが「同居」している。本堂とホテル1階ロビーとは壁一枚を隔てて隣接しており、ガラス窓がはめ込んである。浄教寺側からは宿泊客がロビーでくつろいでいる様子が観察でき、ホテル側からは本尊阿弥陀如来が鎮座する荘厳な宗教空間を、のぞき見ることができる。

ロビーの窓からは本堂がのぞける
撮影=鵜飼秀徳
ロビーの窓からは本堂がのぞける - 撮影=鵜飼秀徳

「施設は一見、真新しく見えますが、元のお寺の部材を可能な限り再利用しました。本尊などの仏像や、釣り灯籠などは修復。劣化が激しかった曼荼羅(まんだら)図は最先端のデジタル技術を使って再現しました。工事の際の文化財調査で出てきた創建当時の鬼瓦や、頂相(高僧の肖像画)などの展示スペースも、本堂内に設けています。ホテルのロビーにも欄間(らんま)(鴨居と天井の間にはめ込む、透かし彫りされた板)や木鼻(きばな)(寺院建築における木の装飾)をオブジェとして飾り、宿泊客の評判も上々のようです」

浄教寺第44代目住職の光山公毅氏(53)は作務衣姿で本堂とホテルを案内しながら、説明した。ホテルのスタッフとも親しげに会話を交わす。古式然とした、一般的な寺の風情はここではまったく感じられない。

浄教寺がある場所は、商業地の公示地価において、京都で最高価格地の定番地「四条河原町交差点」から直線距離でわずか200メートルほど。東京で例えれば、銀座の東京鳩居堂のすぐ裏側といったイメージだ。

570年以上の歴史を有する浄土宗の古刹である。創建された室町時代は現在地から少し離れた場所にあったが、豊臣秀吉によって洛中寺院の整理・統合が行われ、寺町通り沿いの現在の地に移転した。浄教寺は、首都防衛の役割を担う寺だった。周辺には、そうした寺が多く点在しており、新しい商業施設と古刹が入り混じったエリアとなっている。

寺町通りからアプローチが延びており、手前にホテル、その奥にお寺らしい風情の境内が広がっている。広くはないが、境内墓地もある。入り口は寺とホテル用とで分けてあり、双方を行き来するにはいったん、外に出なければならない。

寺とホテルとが一体型となったビルは、地上9階建て。ビルの東側は浄教寺が占有し、1階に本堂や寺務所がある。一方で、ホテルは2階にレストラン、大浴場を備え、2階〜9階に客室167室を設けている。

■「今なら仏教とビジネスの融合ができるかもしれない」

その実、寺の境内に宿泊施設がある事例は、少なくない。たとえば、高野山や信州善光寺などの「宿坊」は一般旅行者も宿泊が可能だ。昔は、宿坊然として居心地がよいものではなかったが、現在は誰でも快適に過ごせる上質な空間と、ホスピタリティを提供しているところも少なくない。

京都の浄土宗総本山知恩院は、祇園や円山公園からも近い宿坊の和順会館を、近年リニューアルした。「シティホテルと比べても遜色ないグレードで、割安感がある」と評判だ。

こうした寺が直営する「宿坊」に対し、浄教寺の場合は寺が「大家」になってホテルを誘致した点が大きく異なる。さらに、浄教寺が画期的なのは「寺院の再生」を目的として、ホテルと一体型の施設をつくりあげたことだ。

そもそも、光山氏は浄教寺の生まれでもなければ、京都人でもない。東京都文京区小石川にある浄土宗寺院の出身だ。大学卒業後、日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)に入行した銀行員であり、浄教寺継承の話が舞い込んできた2014年当時も別の金融機関に籍を移していたが、一貫して法人融資業務に従事していた。

「浄教寺の先代が、父の従兄弟という関係でした。浄教寺には子どもの頃、しばしば遊びにきていてなじみはありました。先代には後継がおらず、親戚中を見渡したら、継承できそうな人間が私しかいなかったというわけです」

浄教寺住職の光山さん
撮影=鵜飼秀徳
浄教寺住職の光山さん - 撮影=鵜飼秀徳

しかし、当時の木造本堂は築200年が経過し、荒廃していた。このままでは、近い将来の「崩壊」は目に見えていた。一般的な寺の改修には、時に億単位の資金が必要になる。前回の改修は90年も前のこと。雨漏りもひどく、耐震上も大きな問題を抱えていた。建て替えは不可避であった。

だが、浄教寺は、檀家数は100軒にも満たない骨山(裕福な寺院を「肉山」と呼び、貧しい寺院を「骨山」という)。一般的に京都の寺は、檀家300軒が経済的に自立できるラインとされる。改修や建て替えを檀家に提案したところで、到底、寄付は集まるわけがない。

「一度は、住職就任の話を断りました。ですが、京都のど真ん中という恵まれた環境にあって、継承の話が出た2014年当時は、まだ京都ではホテルが足りていなかった。銀行員としての経験を活かし、今なら仏教とビジネスとの融合ができるかもしれないと思い、よし、やってやろうと思い直しました」

■「檀家さんの負担を将来にわたってゼロにします」

本来であれば、伽藍と宿泊施設は別々の建物にするのが好ましい。しかし、境内地が狭い浄教寺には、2棟の建物を建てる余裕がない。そこで光山氏はビル1棟の中に、寺とホテルを同居させる手法を考えた。そして、ホテル側から決まった賃借料を得て、寺の護持に充てるという構想である。

どこの寺でも同じことだが、人口減少・高齢化社会にあって檀家の減少は免れない状況だ。浄教寺のように境内地が狭い都市型寺院では、新規で墓地分譲するにも限界がある。当面の間は寺を維持できたとしても、中長期的には「ゆでガエル」になることは目に見えていた。

不安がよぎったのは、京都の保守的な檀家がどう反応するか、であった。光山氏は、説明会を開いて丁寧に説明した。

「ホテルに入居してもらい、その賃料で寺を護持する体制をつくります。建て替えのために寄付は一切、いりません。年間の管理費も廃止し、檀家さんの負担を将来にわたってゼロにします。そのためのホテルとの一体型事業なのです」

光山氏のこだわりは、弱者に優しい寺に変えていくこと。堂内は冷暖房完備で、靴のままでお参りができる完全バリアフリーにする。車椅子や、ストレッチャーでも楽に参拝ができる設備にすることを伝えると、檀家の心に響き、一同に賛成してくれたという。

旧本堂で使われていた装飾を利用したフロント
撮影=鵜飼秀徳
旧本堂で使われていた装飾を利用したフロント - 撮影=鵜飼秀徳

「浄教寺の檀家さんは、クールでドライ(笑)。それが、逆に助かりました。最初は驚かれていた方もいらっしゃいましたが、今では本当に喜んでもらっています」

光山氏は大学時代や銀行員時代のツテを頼って、再建事業をスタートさせる。なにしろ、これ以上ない好立地だ。東には髙島屋京都店が隣接。寺に面する寺町通りは、かつて「京都の秋葉原」と呼ばれた電気街で、常に若者やビジネスパーソンが大勢行き交う。なおかつ、競合しそうなホテルチェーンは、近隣には見当たらなかった。

和をイメージした客室
写真=浄教寺提供
和をイメージした客室 - 写真=浄教寺提供

光山氏のホテル構想には、6社ほどのホテルチェーンが手を挙げたという。しかし、うち4社は「多国籍の観光客が集まる京都にあって、特定の宗教施設の中で事業をするのは難しい」などとして、折り合いがつかなかった。

最終的には、「むしろ、お寺と一緒になるメリットは大きい。新規顧客が開拓できる」と、コラボレーションに強い意欲を示した三井ガーデンホテルを運営する三井不動産と、光山氏との考えが一致した。

■単独では生き残りが難しい寺院の「ホテル一体型モデル」

冒頭に述べたように、協同事業を通じて、ホテルのロビーには寺の装飾品をあしらい、本堂が見える設計にすることなどの独創的な発想が生まれた。朝のお勤めに宿泊客が参加できること、御朱印がホテルでもらえることなど、寺院一体型ホテルとしての特性を生かしたプランが次々と具現化していった。

見えないところの配慮も。本堂には、本尊阿弥陀如来が鎮座する。その上階にあたる客室では、本尊の上にベッドを置かないように注文をつけた。宿泊客が本堂に入れるのは、朝のお勤めの際と見学タイムの1日2回。ホテル内部に、読経や木魚などの音が漏れないように防音には特に気を配った。

本堂では、宿泊客は朝のお勤めに参加できる
写真=浄教寺提供
本堂では、宿泊客は朝のお勤めに参加できる - 写真=浄教寺提供

お勤めは早朝6時40分からだが、宿坊のように参加が半ば義務付けられているわけではない。外国人への解説などは、ホテルスタッフが対応する。週末になれば30人ほどの参加者がある。なかには、「この寺にお墓を持ちたい」という宿泊客もいたという(浄教寺では墓地の新規受付はしていない)。

2020年から始まったコロナ禍は、京都にも大打撃を与えた。ホテルの開業は同年9月。浄教寺はホテルから賃借料を得るだけで、経営には関わっていないのでダメージはなかった。そのコロナ禍も落ち着きをみせ、いま京都は本来のにぎわいを取り戻しつつある。

最近では視察も増え、「浄教寺モデルを取り入れたい」と話す寺も現れてきた。

「保守的な寺の中には、冷ややかにみている僧侶もいるかもしれませんが、私はあまり気にしません。それよりも、若い僧侶たちが『勉強のために見学させてほしい』と言ってくるのがうれしいですね。お寺にとっては、厳しい時代かもしれませんが、それもやりようによっては飛躍できるチャンスかもしれません」

ロビーには旧本堂にあった木鼻などを飾ってある
写真=浄教寺提供
ロビーには旧本堂にあった木鼻などを飾ってある - 写真=浄教寺提供

浄教寺に続いて、2021年1月には大阪の心斎橋御堂筋沿いにある三津寺(大阪市中央区)が、カンデオホテルズと一体化したビル建設に着工した。

三津寺は1933年築の伽藍の老朽化による建て替えの時期を迎えていた。そこで耐震補強などの修繕を施した上で、曳家工事によって本堂を移動。1階から3階までの吹き抜けに本堂をはめ込み、4階以上をホテルにするという構想だ。最上階の15階にはスカイスパを設ける。竣工は2023年9月を予定している。

また、本堂ではないが山門とホテルが一体化したケースもある。大阪市中央区の「南御堂」として親しまれている真宗大谷派難波別院では老朽化した山門の建て替えに際し、大阪エクセルホテル東急との一体型ビルを2019年に完成させた。17階建てのビルの5階以上がホテル、4階以下が寺院施設やテナントになっている。

寺院単独では生き残りが難しい時代だ。寺院の新たな価値創造にもつながりうる「ホテル一体型モデル」は、今後もきっと増えていくことだろう。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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