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「世代を超えた年金制度」が成り立つはずがない…その不都合な真実は「厚生年金の歴史」を知ると理解できる

プレジデントオンライン / 2023年6月3日 13時15分

年金制度は社会を大きく変えてしまった(※写真はイメージです)

なぜ年金制度が危機に瀕しているのだろうか。早稲田大学招聘研究員の渡瀬裕哉さんは「厚生年金は役人の老後設計のために始まったが、それが国民全般に広がってしまった。あらゆる人の老後管理にまで政府が責任を負うというのは、最初から無理筋だった」という――。

※本稿は、渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

■年金制度が少子高齢化の遠因

日本の福祉国家化への道は「揺りかごから墓場まで」が本格的に提唱される以前、戦前からスタートしていた。

ここでは、その代表事例として年金制度を見ていこう。

「人生の最後の瞬間までどのように稼ぎを得て暮らすか」というのは、人生における重要な課題である。

人類の歴史において、多くの国民は、親の庇護(ひご)、大人として自立、そして老後には家族の支え、というプロセスで過ごしてきた。

特に老後の人生のあり方は、伝統的な家族制度や相続制度の形にも関連し、社会の根幹を成してきたと言っても過言ではなかろう。

しかし、年金制度は、その伝統的な家族や相続の考え方を大きく変えてしまった。

そして、実質的に少子高齢化などの社会構造自体の変化の遠因ともなっている。

■もともと役人の老後設計のためのもの

なぜ年金制度は、このような社会変化を与えるインパクトを持っているのか。

その理由を知るために、年金制度の起源をさかのぼり、本質をつかむことは極めて有意義だ。

日本における年金制度は、軍人や官僚のための恩給制度として開始された。

1875年に初めて軍人向けの恩給制度が導入されたことを皮切りに、1890年に高級官僚向けの制度が整備されることになった。

その後も教師、警察、現業職員などの順番で、公務員向けの年金制度が次々に創設された。

つまり、もともと政府が創設した年金制度は、国民全般ではなく、自分たち役人の老後設計のためのものであった。

■民間人で初めて年金制度に組み込まれたのは「船乗り」

しかし、戦争がすべてを変えた。

第二次世界大戦は軍人だけでなく、民間人を巻き込んだ総力戦体制となった。

民間人で初めて政府の年金制度に組み込まれたのは船乗りである。なぜなら、彼らは近代戦争の兵站(へいたん)管理上、重要な役割を果たす、海上輸送を担っていたからだ。

船の操縦
写真=iStock.com/danr13
民間人で初めて年金制度に組み込まれたのは「船乗り」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/danr13

そのため、船乗りに対する充実した年金制度が整備され、医療保険制度と組み合わせた総合保険制度のはしりが構築された。

その後、総力戦体制が進展すると、工場労働者を対象とした年金制度が創設された。

この工場労働者には、当初、男性のみが含まれていたが、女性の動員も本格化した後には、性別に関係なく、適用範囲が拡大した。

このようにして誕生した制度が「厚生年金保険制度」である。

■年金制度の目的は「総力戦体制の整備」

したがって、年金保険制度の目的は、「安定した総力戦体制を整備する」という戦争遂行能力の向上であったと言えよう。

また、別の側面として、年金制度に内包される強制貯蓄は、インフレ対策としての側面も期待されていた。

ただし、この強制貯蓄制度には、戦後に負の遺産が残置されるきっかけとなった。

厚労省の資料に面白い記述が残っている。

1988年発行の『厚生年金保険制度回顧録』の中で、花澤氏(初代厚生省厚生年金局年金課長)が語った言葉をそのまま引用しよう。

■OBになった時の「勤め口」に困らない

・資金運用と福祉施設

【花澤】それで、いよいよこの法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。

この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作ってその理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。

そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。

この資金を握ること、それからその次に、年金を支給するには二十年もかかるのだから、その間何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。

ビジネスバッグを持つ人
写真=iStock.com/shironosov
OBになった時の「勤め口」に困らない(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/shironosov

■「どんどん使ってしまっても構わない」

戦争中でもなんでもすぐに福祉施設でもやらなければならない。そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替わりする。社会局の庶務課の隅っこほうでやらしておいたのでは話にならない。これは強力な団体を作ってやるんだ。

それも健康保険協会とか、社会保険協会というようなものではない、大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける。

そして年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうちどんどん使ってしまっても構わない。

■「金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいい」

使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。貨幣価値が変わるから、昔三銭で買えたものが今五十円だというのと同じようなことで早いうちに使ってしまったほうが得する。

二十年先まで大事に持っていても資産価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。

何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。

それで昭和十八年十一月に厚生団を作ったのです。

これはそこらにある団体と違って、デカイことをどんどんやろう。そこでまず住宅を作ろうとしたら、住宅は住宅営団が作るのだから厚生年金ではやることはできないと言われる。

雪ダルマ
写真=iStock.com/OliverChilds
金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなる(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/OliverChilds

■年金が「腐敗の塊のような施設」に流用

では、病院を作ろうと言ったら、病院は日本医療団とかほかにやるところがあると言う。何かしようにも何もできない。だけれども、整形外科というのはないのですね。では、整形外科病院をやろうではないかということで、まず別府の亀ノ井ホテルを早速買収して、整形外科病院を作ったのです。

(出典:「第1節 労働者年金保険制度の創設と厚生年金保険への発展」23~24ページ 財団法人厚生団編集『厚生年金保険制度回顧録』昭和6年11月 社会保険法規研究会)

これが当時の年金官僚の本音であった。

その言葉のとおり、この巨額の運用資産を抱えた厚生年金制度は、戦後にグリーンピアなど腐敗の塊のような施設の建設・運営に流用され、多額の資金が天下り官僚の生活資金や癒着した事業者に対する発注費用などに消えていくことになった。

■「厚生年金制度」が官僚たちを勘違いさせた

このような有様に至ったことは、その起源をたどれば必然であったように思う。

そもそも公務員を対象としていた年金制度が民間人にまで拡大された厚生年金制度は、戦争がなければ存在することがなかったかもしれない、余計なものだからだ。

実際に支払いが本格化するまで、当初、年金制度は、ほとんど問題にならないものだった。

ところが、政府は本来手元になかった、民間人の老後の人生のための莫大(ばくだい)な資金を、一時的に手にするようになった。

そのことで、多額のキャッシュと利権に目がくらんだ官僚が、「人々の人生が終わるまでの設計ができる、神のような力」を自分たちが持ったと思い込んでも不思議ではなかった。

彼らはそれが、政府の能力を超えた分不相応な試みであることは、見て見ぬふりをしていた。

軍人や公務員はその一生を「政府」という限られた空間の中で過ごす人々である。

そのため、当初の年金制度のように、公務員の人生が老後まで「政府によって設計されたの」であったとしても、自然だと言えるだろう。

政府の一部としての仕事しかできない公務員のために、年金制度が当初から用意されていたことは一定の理屈が立つ。

■保障の代わりに自由を奪われた

一方、第二次世界大戦まで、民間人は人生の老後においても、自由意思と自己責任で生きていくことが前提とされていた。

ところが、政府は日本国民を戦争遂行の道具として、政府管理の下に一時的に組み込んでしまうことになった。

結果として、政府はそれらの人々の老後管理にまで責任を負うことになってしまった。

渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)
渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)

現在でも、年金の財源問題などは常に政治的議論の対象となっている。

が、なぜそのような議論が必要かという根本を振り返ってみれば、「最初から無理筋の計画であったから」に他ならない。

総力戦体制の中で、人々の人生の自由が奪われたこと、その結果として民間人が事実上の公務員、すなわち政府が一生の面倒を見る存在になってしまったことが原因なのだ。

そして、令和の時代になっても、政府は過去の時代に人々から奪ってしまった「老後の自由」の管理に躍起になっている。

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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員
パシフィック・アライアンス総研所長。1981年東京都生まれ。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。創業メンバーとして立ち上げたIT企業が一部上場企業にM&Aされてグループ会社取締役として従事。著書に『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』(PHP新書)、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』(すばる舎)などがある。

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(早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 渡瀬 裕哉)

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