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「G7は代理戦争をあおる悪魔」は本当か…ウクライナ戦争を終わらせるために、私たちが理解すべき国際常識とは

プレジデントオンライン / 2023年5月26日 17時15分

広島サミットに集まったG7首脳と、ウクライナのゼレンスキー大統領(右から5人目。2023年5月21日) - 写真=時事通信フォト

■「G7のウクライナ和平政策」が誤解されている

G7はかつてないほどに結束している――。アメリカのバイデン大統領をはじめ、広島サミットに集結したG7首脳は口々にそう語っていた。実際、横一列に並んで原爆死没者慰霊碑に献花する光景や、談笑しながら宮島の厳島神社を訪問する光景は、首脳たちが実際に「結束」を実感している様子を象徴的に描き出していた。

この「結束」をもたらした最大の要素は、ウクライナだ。確かに、各首脳の個性や各政府の政策も無関係ではない。議長国である日本の岸田首相は、「法の支配に基づく国際秩序の堅持」というG7の中核的価値を、サミット全体を貫く視点と定めて維持し続け、「結束」に貢献した。

だがそれ以上に、現実の国際情勢が各国に「結束」を促している。G7メンバーは現在、他の同盟国・友好国とともに、対ロシア制裁とウクライナ向け支援で共同作戦をとっている状態にある。核戦力をちらつかせながら軍事侵攻を行っている側の国に広範な制裁を科し、侵略されている側の国に広範な武器支援を行っている。仲たがいをしている余裕などない。

とはいえ、ロシア・ウクライナ戦争をめぐるG7の政策が、そもそもどのような戦略に基づいたものなのか、日本国内ではあまり理解されていないように思う。その大きな原因の一つは、日ごろから反米主義・反政府主義的なイデオロギーを持っている方々が、いたずらにG7の政策を悪魔化して描写する態度をとっているからだ。

「(G7は)ロシアを破壊するために、戦争を美化し、ウクライナに武器を渡して戦いをあおり続けている」、あるいは「ロシアに制裁は効果を持たない。ウクライナが占領地の全てを奪還することなどできない。G7メンバーは疲弊しやがて自滅していく」、といった言説が、ある種の思想的傾向を共有する人々の間であふれかえっている。果たしてG7は、彼らの言うように、ロシアを破滅させる野心に駆られ、何ら現実的な目標を持たず、無責任に代理戦争を盛り上げているだけなのだろうか?

本稿では広島サミットの開催を機に、理解されているようで理解されていないG7のウクライナ和平政策を、あらためて整理し直すことを試みたい。

■広島発の「二つの声明」に書かれていたこと

ウクライナをめぐる諸問題は、G7サミットにおいて主要な議題であった。会議初日の5月19日に早速討議され、「ウクライナに関するG7首脳声明」が発出された。さらに5月20日には、会議全体の成果として「G7広島首脳コミュニケ」が発出され、ウクライナをめぐる諸問題は、その中でも特筆された。これらの文書で強調されたのは、「包括的で、公正かつ永続的な平和(a comprehensive, just and lasting peace)」という概念だ。これこそがG7のウクライナ支援における政策的な目標といってよいだろう。

「包括的」というのは、軍事的な面だけでなく、社会経済活動の復旧なども含めた総合的な視点で、ウクライナの平和を考えていきたい、ということである。仮に軍事的問題が解決されても、その後ウクライナの人々の社会経済生活が成り立っていかないのであれば、それは平和な状態だとは言えない。その中で、例えば軍事面で貢献できることは限られている日本も、社会経済面での復興支援では積極的に役割を果たしていく、ということだ。

■「侵略行為としての戦争は違法とする」という規範

より深く考えてみたいのは、「公正」かつ「永続的」な平和、という表現についてだ。この言葉でG7は、いったい何を言おうとしているのか。

第1回の論考「『兵器支援より和平交渉を優先すべきでは』なぜ地元テレビ局はゼレンスキー大統領にそんな質問をしたのか」でも示したように、「公正/just」な平和とは、「法の支配に基づく国際秩序の堅持」の決意に沿った平和、より具体的には「国連憲章の諸原則」に沿った平和を求めるということである。

ニューヨークの国連本部ビル
写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

ウクライナ情勢に即して言えば「ロシアによる侵略という国際法違反を見逃したまま平和を目指すことはしない」、あるいは「そのような平和は真の平和とは言えない」という認識が、その根底にある。冒頭で述べたようなG7への批判的な声を、強く意識した表現であると言えるだろう。

国連憲章の諸原則によって表現される国際社会の「法の支配」の根幹には、「侵略行為としての戦争は違法とする」という規範がある。これは第1次世界大戦後の1919年に作られた国際連盟規約で導入され、1928年にパリで締結された不戦条約によって法規範として強化され、1945年の国連憲章でさらに発展して今日に至る一大原則だ。

ロシアはこの原則に明白に違反しているため、その違反を容認するような形での平和は認められない、というのがG7の立場である。

■現代の国際秩序を生んだ歴史の教訓

この「公正な」平和に対する日本の立場には、歴史的な重みがある。国際連盟規約と不戦条約の両方に加入しておきながら、中国大陸で侵略行為に及んだのが、他ならぬ1930年代の大日本帝国だった。満州国の設立に至る満州事変は、不戦条約体制に移行した国際社会の新しい「法の支配」に基づく国際秩序に対する、最初の根本的な挑戦であった。

その後日本に続くように、イタリアはエチオピアを侵攻し、ナチス・ドイツは拡張併合政策を推し進めた。結局、大日本帝国の侵略政策にその他の諸国がなすすべもなかったことが、その後の第2次世界大戦の悲劇を招き寄せることになった。

ウクライナの東部戦線、残された車にウクライナ国旗
写真=iStock.com/Jakub Laichter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jakub Laichter

ウクライナに傀儡(かいらい)政権を樹立して軍事侵略を正当化しようとしているロシアの行動は、満州国樹立時の大日本帝国の行動と、全く同じ性格を持っている。現代国際社会が受けている挑戦も、当時の国際社会が受けた挑戦と全く同じ性格を持っている。

■違法行為を事後追認していいのか

万が一、日本が率先して、あるいはイタリアやドイツとともに、「違法行為であっても法的現実を作り出すことはできる。ロシアの侵略行為を事後追認する平和を認めるべきだ」などと主張してしまったら、大変である。旧枢軸国日本の歴史認識が疑われるばかりでなく、第2次世界大戦の苦い経験から生まれた、「国連憲章の諸原則」によって成り立つ「法の支配に基づく国際秩序」そのものが、深刻な打撃を受けてしまうだろう。

第2次世界大戦中の旧枢軸国が、当時の連合国とともに、共通の価値観を確認するために集まるのがG7である。だからこそ、「国連憲章の諸原則」によって成り立つ「法の支配に基づく国際秩序」への信奉を表明することが、G7にとっては非常に重要になる。逆に言うと、その共通の価値観を互いに確認できれば、G7は強力な「結束」を見せることができる。

1930年代当時、大日本帝国の行動を止めることができなかった諸国は、しかし事後追認もしなかった。アメリカは、満州国の樹立を決して認めない立場を貫き通した。違法行為から生まれた現実を認めることはない、という不承認主義、いわゆる「スティムソン・ドクトリン」の貫徹である。

当時の国際連盟加入国のほとんども、アメリカのこの方針が不戦条約体制における論理的帰結だと考え、満州国の不承認を貫いた。しかし、イタリア、スペイン、ドイツなどの当時のいわゆる全体主義国家、それら枢軸国陣営の同盟諸国、および一部の中立国は、1945年までに満州国を承認した。世界の大多数の諸国は不承認主義を貫いたが、そこから逸脱して国際秩序に挑戦する諸国が生まれるのを防ぐことはできなかった。不承認主義は、即効性のある形では現実を是正することができなかったのである。

■「領土をあきらめ停戦せよ」論が有害な理由

ただし、不承認主義は、第2次世界大戦後に国際秩序を再構築する際に大きな意味を持つことになった。満州国の法的存在は認められず、そもそも存在していなかったという前提で、新しい国際秩序が形成された。民族の自決権を尊重する「国連憲章の諸原則」によって、「法の支配に基づく国際秩序」が作られたのである。

不承認主義は、ウクライナの平和の枠組みにも大きく関わる。すでに述べたように、ロシアの侵略が、かつての枢軸国の侵略行為と同じ性格を持っているとみなされるからである。

「ウクライナは領土をあきらめて一刻も早く武器を置くべきだ」「(2022年の侵攻前の)2・24ラインまでとしてみてはどうか。クリミア奪還までを狙うべきではない」といった領土の線引き論が、和平に向けたアイデアとして語られるのをよく見かける。しかしそれらは机上の空論であるばかりか、無意味かつ有害ですらある。

当事者であるウクライナが(そしておそらくはロシアも)第三者による勝手な領土の線引きを受け入れる見込みは乏しい。さらに、侵略者の行動を事後追認する形で、その場限りの安易な妥協をしてしまえば、その侵略者がいずれ別の侵略行為に出る蓋然(がいぜん)性は高い。そもそも、2014年以降のウクライナ東部におけるロシア関連組織の侵略的行為やその他地域におけるロシアの不穏な行動に対し、国際社会が強い態度をとれなかったことが、2022年のウクライナ全面侵攻を招いたのだと言うこともできる。

■侵略者に利潤を渡してはいけない

停戦は両者が疲弊した時に訪れる。その時点での線引きは、軍事情勢によって決まるだろう。もしウクライナが盛り返すことができず、ロシアがウクライナの領土の一部を占領したままの状態で停戦がなされるとしたら、どうなるだろうか。諸国は、ロシアの侵略行為を事後追認する形で、和平交渉を盛り立てるべきだろうか。

G7は、決してそのようなことはしない、と述べている。それはテロリストが凶悪な犯罪行為を取引材料にするのを認め、利潤を渡してしまうようなものだ。味を占めたテロリストは、利潤を拡大するため、再び犯罪を行うだろう。一時的と信じた安易な譲歩が、長期的で巨大な損失につながる。それが、現在の国際秩序を生んだ第2次世界大戦の教訓である。現在の国際秩序を支えることは、その契機となった教訓を裏切らないことと、密接に結びついている。

■ロシアの「ゴネ得」をG7は看過しない

このことは、「ウクライナが領土を全て回復するまで戦争が続く」ということまでを必ずしも意味するものではない。停戦は軍事的な現実によって決まり、妥協は現実の評価の中で決まっていく。それでも、停戦によって不承認主義が放棄される形にはならないだろう。領土の回復を外交的努力に委ねる形で、停戦と不承認主義の間の折り合いをつける努力がなされるだろう。なぜなら安易な妥協は、将来に禍根を残し、国際秩序をも危機に陥れるからだ。

G7は、停戦の機運が出てきたときも、ウクライナの領土的一体性の尊重それ自体を見限ることまではしないはずである。全ては、将来のロシアあるいは他国による、新しい侵略行動を抑止するためである。これは、ロシア・ウクライナ戦争の停戦合意の枠組みを構成する基本的な考え方となるであろう。

■「永続的な平和」をどう構築するか

日本語のG7首脳共同声明で「永続的」とされているのは、原文の英語版では「lasting」である。長続きする平和、という意味である。いったいどのような平和が、長続きする平和だろうか。

ロシアが再侵略をする恐れがない状況の平和が、長続きする平和である。すぐにまたロシアが侵略してくるだろう状況の平和は、短期的な平和である。どうすれば、ロシアの再侵略の恐れが取り除かれた状態を作れるのか。抑止力を確立すること、がその答えである。

ロシアのプーチン大統領は、昨年2月24日の時点で、3日間ほどでウクライナの首都キーウの政権を転覆させ、傀儡政権を樹立することができると期待していたといわれる。なぜそのような安易な見込みを立ててしまったかと言えば、ウクライナの実力を過小評価していたからである。

したがって、ロシアの指導者に抑止となる実力の存在を覚知させることが、再侵略を防ぐための条件である。十分な実力を伴った抑止力なくして、ロシアの再侵略の恐れを取り除いた長期的な平和を作り出すことはできない。これがG7の考え方である。

■抑止力を伴ってこそ「平和」は維持される

ここでいうウクライナの実力とは、国民の士気や外交力などのさまざまな要素を含む総合的なものであるだろう。しかしその中核が軍事力であることは、言うまでもない。したがって今、ロシアに対して、ウクライナ軍の軍事力を見せつけておくことが、どうしても必要だ。今、ウクライナ軍がロシア軍に対して行っている軍事行動は、直近の領土の回復をめざす行動であるだけでなく、将来の抑止力発揮のための行動でもある、ということができる。

さらに言えば、ウクライナ軍が、孤立無援なまま十分な実力を見せつけることは、実際問題として難しい。そこで広範かつ国際的なウクライナ支援の体制をロシアに見せつけることが、直近の領土回復のみならず、将来の抑止力発揮のために、どうしても必要になる。

戦後には、ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加入も大きな政策課題となっていくだろう。とはいえ、即座の加入は現実問題として難しい。そこで昨年9月にウクライナとNATOが共同で提案した「キーウ安全保障協約」で語られているような、新しい国際的な「安全の保証」の体制が必要になる。すべては戦後の抑止力の確立のためであり、つまりはウクライナの「長期的な平和」のためである。

停戦がいつ、どのような形で成立するかは、軍事情勢の推移に大きく左右される。予言めいたことを言うのは難しい。しかしそれでもはっきり言えるのは、抑止力なき停戦は「長期的な平和」ではない、ということだ。ウクライナおよびG7は、同盟国・友好国とともに、抑止力を伴った「長期的な平和」が見込める形での、戦争の終結を求めている。

■相手を悪魔化してばかりの議論は危険

ロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、苛烈な言葉を伴った非難の応酬が、世界中で行われている。日本国内も例外ではなく、さまざまな立ち位置からG7の方針を糾弾する人々の口調は、どんどん激しさを増している。

さまざまな見方・意見があることを前提にして、議論を進めること自体は、自然であるし、必要なことでもある。しかしイデオロギー的立場に拘泥し、相手を悪魔化して打ち負かそうとすることだけに労力を注ぐのは、あまりに非生産的であり、危険なことである。

G7の立場をどうしても支持できないという方もいるだろう。だが少なくとも自由民主主義社会の活力を信ずるのであれば、われわれは論理的に思考し、批判の理由を明晰(めいせき)に説明するといった、開かれた議論のための努力を前提にし続けなければならない。

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篠田 英朗(しのだ・ひであき)
東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『戦争の地政学』(講談社)、『集団的自衛権で日本は守られる なぜ「合憲」なのか』(PHP研究所)、『パートナーシップ国際平和活動:変動する国際社会と紛争解決』(勁草書房)など

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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)

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