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医学生からは「キモい」と呼ばれたことも…それでも病理医が「死亡した患者」の解剖を続けているワケ

プレジデントオンライン / 2023年6月8日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/loongar

病理医とはどんな仕事なのか。フリーランス病理医の榎木英介さんは「他の科の医師との最大の違いは、解剖だ。患者の病気を直接治すことはできないが、病理解剖で死因を特定したり治療の効果を調べたりすることで、未来の患者さんを救うことができる」という――。

※本稿は、榎木英介『フリーランス病理医はつらいよ』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

■治療方針を左右する「医師の医師」

私たち病理医は、普段は病院の奥のほうにある、一般には「病理部」などと呼ばれる部署で仕事をしています。

したがって、患者さんと直接お会いすることはほとんどありませんし、一般に知られる機会も少なく、それゆえ知名度は低いのですが、医療現場の中ではとても重要な役割を果たしています。

詳細は本書の中で詳しく述べていきますが、概念だけここで簡単にご説明しましょう。

一般に、患者さんと直接対面して治療する医師を「臨床医」といい、その臨床医の治療方針を決める根源となるのが、病理医の診断です。

患者さんの病気が何であるのか、がんであればどんながんなのか、どれぐらい転移しているのか、どのような抗がん剤が効くのか、放射線治療は適正なのか、といったことを病理医は診断します。少し難しいですが「疾患の確定診断」をするともいいます。

臨床医はこれをもとに治療方針を決定するのです。病理医が「Doctor’s Doctor(医師の医師)」と呼ばれるゆえんです。

■全国に約2120人しかいない少数派

これに加え、「病理解剖」というのも病理医にとって重要な仕事です。病理解剖では、亡くなった患者さんを解剖し、なぜ亡くなったのか、病気がどこまで広がっていたのか、他に併発していた病はなかったかなどを調べます。

このように、正確な診断と正しい治療のために重要な任務を担っているのが病理医です。

その病理医がどれくらいいるのかというと、全国で約2120人ほどです(病理診断科を主たる診療科としている医師の数。令和2年厚生労働省調査)。一般に数が足りていないといわれている小児科医でも、その数は1万7000人ですから、いかに病理医の数が少ないかがおわかりいただけるでしょう。

■「コミュ力低そう」「お金がなさそう」

医師全体で見ると、0.6%しかいません。文部科学省によると、主な医学部の2023年度入学定員は、順天堂大学が140人、東京医科大学が122人、日本医科大学が125人、北里大学が125人、関西医科大学が127人、近畿大学が112人となっています。ざっくり見て、1つの大学の定員が100人ちょっとですから、この中で病理医になる学生は1学年に1人いるかいないかということになります。

これだけ少ないと業界内でも偏見をもたれることが多く、他の科の医師から「病理医は変わった人が多いよね」なんて言われることもあります。

彼らに言わせると、病理はちょっと変わっている、あまり社会慣れしていない、コミュニケーションが取りづらい、すぐ怒るといったようなイメージがあるようです。

少し前の調査ですが、日経メディカルカデットが2013年に行った診療科のイメージに関するアンケートでは、病理医は他の科から「コミュニケーション能力が低そう」「影が薄い」「お金がなさそう」といった声が寄せられていました。

そうした声はSNS上でも目にすることがありました。過去にある医大生が病理医を「キモい」とツイートし、病理医(のごく一部)が騒然となったことがありました。

「キモい」と心の中で思うのは自由ですし、それを止める権利は誰にもありませんが、その思いを言葉にしてネット空間に発信するのは別の話です。せいぜい飲み会などの場で、仲間内で言いあうくらいにとどめておいたほうがいいでしょう。

■病理医と他の科の医師との違いはなにか

病理医と他の科の医師の違いはいくつもありますが、一番わかりやすいのは服装です。病理医は、病理外来のときを除いて患者さんに会うことが基本的にはありません。それもあってか、白衣というものを着ない人も多いのです。

もちろん、臓器を切って顕微鏡で見る部位を取り出す「切り出し」のときは、服が汚れるのを防ぐために白衣になりますが、そうでないときは全く着ない人もいます。

反対にユニフォームのように常に白衣姿という病理医もおり、ある病院で血液が付着している白衣を着て院内を歩いて、患者さんに不快だと投書された医師がいました。名指しはされていませんし、患者さんもその医師の専門が何かを知らなかったはずですが、私は個人的に「それは病理医かもな」と思ったものです。以来、院内を白衣で歩くことを私自身は自粛しています。

■直接命を救う、苦痛を取り除くことはできない

また、病理医の仕事は他の科からの依頼で行われるので、自分の意思で「仕事」を増やすことができません。

昨今、成果主義の導入などで病院の「売り上げ」が厳しく問われる中、自分の意志で売り上げに貢献できない病理医の院内における立場は、ややもすると弱くなりがち。その点も他の科の医師と違うところです。

顕微鏡を使う人の手元
写真=iStock.com/Kkolosov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kkolosov

そして、なにより大きな違いとして、病理医は解剖を行う医師であることです。人の命を救うこと、苦痛を取り除くことに特化しているはずの病院という存在の中で、直接は命を救うことも苦痛を取り除くこともできない病理解剖。未来を見ている病院で、唯一過去を見続ける空間といえます。

実際、医学部のある同期から「俺たちは生きた患者さんを扱ってるんだ! オマエら病理医とは違うんだ!」と力説されたことがあります。

しかし、病理医だって亡くなった患者さんのことばかり考えているわけではなく、仕事の大半は存命の患者さんの標本を診断しているわけです。「そんなこと言われましても」と思うしかありません。

■「解剖いらなくね?」と言われることも…

とはいえ、「亡くなった患者さん」を診る仕事が多いのが病理医の大きな特徴であることは事実。しかもそれは、診療報酬という意味ではなんらプラスになりません。

病院の売り上げにも貢献しないわけですから、医療現場にうとい経営コンサルタントなどからしたら「解剖いらなくね?」となるわけです。

しかし、さすがにそれはひどい話だろうと、日本病理学会はなんとか診療報酬上に解剖を位置づけようと要望を出し続けていますが、なかなか実現しないというのが実状です。

いずれにせよ、「過去を振り返ることに特化した仕事をする」という点は、病理医と他の科の医師との決定的な違いといえるでしょう。そして、その違いは私たち病理医の考え方に影響を及ぼし、そこに特異性を生んでいると思っています。

では「特異な病理医の考え方」とは何なのか。あくまで私個人の考え方ではありますが、ここで思うままに綴ってみたいと思います。

■地位や名声に冷めた目を持つようになった

先述した通り、病理医と他の科との最大の違いの1つは「解剖するか、しないか」です。解剖は、患者さんの健康の向上に直接的には貢献しない行為ですし、時間軸で考えても、未来を向いている「治療」とは逆方向です。「解剖」は医療という世界の中でも非常に特殊な作業です。

前しか見ない集団の中に、後ろを見る人間がいるということは、組織の活性化のためには必要だと思うのです。流れ去る時間の中で、ゆっくりとものを考える人間だからこそ気づくこと、見えるものがあります。

私自身も病理解剖から様々な影響を受けてきました。一番大きいのは死生観です。生前にどんなにお金持ちだったとしても、逆に貧乏でも、亡くなったら誰もが遺体になります。お金も権威も消滅します。名誉も不名誉もあの世に持っていくことはできません。そうしたご遺体を解剖させていただく中で、この世の地位や名声に、あるときから冷めた目を持つようになったのです。

遺体とはその人の最期です。人生の末期を私たちに提供してくださったご本人、ご遺族の気持ちは果てしなく重いものです。その想いを受けて私たちは解剖を行います。身体に傷が刻まれていたとしたら、その傷は生きた証。とても尊いものです。

与えられた人生という場所で、その人なりに苦闘してきたという事実こそがなにより大切なのです。そういった生きる尊さを、私は医療現場で解剖という行為の繰り返しから学んだのです。

■過去を見て未来の患者さんを救う

内科医なら病んだ患者さんを治すこともできますが、病理医が亡くなっているご遺体を生き返らせることは絶対にできません。

それでも解剖を続けるのは、未来の患者さんを救うためです。私たち病理医が行う解剖の一例一例が、臨床医の医療の質を向上させ、遺族の疑問に答え、公衆衛生にも貢献するわけです。

これは私たち人間社会の本質ではないかと思うのです。自分が生きているということは、過去の人たちがこの社会をつくってきたからです。

そして、今私たちがしていることが、後世の人たちの社会をつくるのです。これを連綿と繰り返してきたのが人間社会です。

自分の生命の長さを超えたつながりの感覚こそが、私たち人類と他の生き物たちとの違いであると思ったりもするのです。

■命という大きな流れを受け渡す小さな役割

自分が死んでも子供を助ける親。社会のために危険に飛び込む職業の人たち。いずれも自分が死んだ後のことを考えるからできることです。

榎木英介『フリーランス病理医はつらいよ』(ワニブックスPLUS新書)
榎木英介『フリーランス病理医はつらいよ』(ワニブックスPLUS新書)

解剖という行為自体が、まさに死んだ後の「種の永続性」を象徴する行為ではないかと、大げさといわれるかもしれませんが、私は思っているのです。命という大きな流れを受け渡す小さな役割、それが病理医に与えられた使命だと思うのです。

だからこそ、どうせ死んだら無になってしまうのだから、どんな悪事だって働いていい、という虚無的な考えに陥ったりしてはいけません。悪事とは自分一代で資源を消費し尽くしてしまうことに他ならないからです。

大学の常勤職をあっさり捨て去り、安定した公務員を辞めて不安定なフリーランスに飛び込むことができたのも、地位や名誉にこだわるのには意味がないという、病理解剖から学んだことが影響を与えているに違いありません。

「どんな仕事に就いても全力を尽くす」と心の底から思えているのも、病理解剖から学んだことが生かされていると自分では思っています。

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榎木 英介(えのき・えいすけ)
病理専門医、細胞診専門医
1971年生まれ。95年東京大学理学部生物学科動物学専攻卒。同大学院博士課程中退後、神戸大学医学部医学科に学士編入学。04年卒。医師免許取得。06年博士(医学)。大学病院や一般病院に勤務したのち、在野の立場で科学技術や医療の問題に取り組んでいる。2020年フリーランス病理医として独立。著書に『博士漂流時代』(DISCOVERサイエンス、科学ジャーナリスト賞2011受賞)『嘘と絶望の生命科学』(文春新書)、『フリーランス病理医はつらいよ』(ワニブックスPLUS新書)など。

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(病理専門医、細胞診専門医 榎木 英介)

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