1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

職業を侮辱され、胸が潰れそうになった…路線バス運転士に敬老パスのお客が吐いた「呪いの言葉」

プレジデントオンライン / 2023年6月5日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/U.Ozel.Images

路線バスの運転士は、乗務中にさまざまな暴言にさらされる。このうち路線バスに12年間乗務した須畑寅夫さんは「運転手の分際で生意気なやつだな」と言われたことが、いまだに忘れられないという。須畑さんの著書『バスドライバーのろのろ日記』(三五館シンシャ)より、一部を紹介しよう――。(第3回)

■別れの舞台装置になることもあるバス停

「8時ちょうどの~ あずさ2号で~ 私は私はあなたから~ 旅立ちます♪」

言わずと知れた名曲「あずさ2号(*1)」の歌詞である。電車や駅はよく映画などの別れのシーンの舞台として使われるが、バスもまた別れの舞台装置となることがある。

日曜日の夜、駅に向かうバスを運行していると、バス停で10代のカップルが待っていた。バスを停車させ、中扉を開き、「横浜駅行きです」とアナウンスするもなかなか乗ってこない。両手を握り、見つめ合ったままである。あれ、乗らないのかなと思い、「扉が閉まります」とアナウンスすると、女の子のほうだけピョンと飛び乗った。けれど、まだ二人はつないだ手を離さず、見つめ合ったままである。

するとあろうことか、外にいる男の子は女の子をグッと抱き寄せて、チューをした。そんなところでチューをされたら、扉を閉めることができない。扉付近に人が立つとセンサーが反応して、閉めようとしても自動的に開いてしまう(*2)のだ。ほかの乗客たちは「こんなところで何やってんだよ、このバカップルは」という冷ややかな目で見ている。もちろん私もその一人だ。そういうことは家で済ませてきてほしい。

(*1)1977(昭和52)年、狩人が歌ったヒット曲。実際にJRでは2020年まで「特急あずさ2号」が運行していたが、ダイヤ改正にともない現在は運行していない。
(*2)自動的に開いてしまう:また降車時に扉付近に人が立っている場合もセンサーが反応し、逆に扉が開かなくなる。ステップがあるバスが減り、ノンステップバスが増えてからこのようなトラブルが増えたという話も。混雑時などは仕方ないが、運転士としてはできるだけ扉の近くに立たないでいただきたい。

■100メートル以上もバスを追いかける男の子

女の子は大きなスーツケースを持っているから、もしかするとこれから電車にでも乗って遠くに行ってしまうのかもしれない。だとすれば、別れを惜しむ気持ちもわからないでもないが、舞台はバスの乗降口じゃなくてもいいだろう。

バスを待つ二人
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

私は車外マイクの音量を大きくして、「扉が閉まります! お下がりください!」強く催促した。すると、二人はようやく離れ、扉を閉めることができた。女の子は交通系ICカードをタッチすると、一目散に最後方の席(*3)に向かった。バスが動き出すと、まさかの事態が起きた。なんと、バスを追って、男の子が歩道を走り出したのである。

左のサイドミラーで確認すると、男の子が何やら叫びながら、手を振っている。女の子のほうもそれに応え、最後方の席から窓越しに大きく手を振っている。こんなドラマのようなシーンを生で見せられると、主人公の二人が盛り上がれば盛り上がるほど、エキストラである運転士の私やほかの乗客たちは「こいつらアホとちゃうか」と白けた気持ちになってくる。

男の子は10メートルほど後方を走っている。バスもスピードをあげる。早々にあきらめるだろうと思っていたが、若さゆえか、それとも彼女への愛の強さか、100メートル以上、粘り強く追走してくるではないか。

(*3)最後方の席:なかにはバス車内でキスをするカップルもいて、こういう場合もたいてい最後方の席に座る。ほかの乗客から見えない位置を選んだつもりだろうが、車内ミラーがあるので運転士には丸見えである。

■別れの舞台として使うのは若い男女だけではない

もうすぐ次の交差点、信号は赤だ。ここで止まれば、男の子に追いつかれてしまうかもしれない。「早く青に、青になれ!」私は祈った。祈りが信号機に通じたわけでもないだろうが、信号は赤から青に変わった。その瞬間、私はアクセルを踏み込み、一気に男の子を引き離しにかかった。

少し進んでサイドミラーで確認すると、彼は立ち止まり、手だけを大きく振っていた。その後も後部座席から彼のほうを見ている女の子の姿を見ていたら、自分がずいぶんと大人気ないことをしたような気になってきた。若者の最後の別れくらい、もう少し温かな気持ちで見守る余裕があってもよかったのだろうか。

バスを「別れの舞台」にするのはカップルだけではない。日曜日の昼下がり、腰の曲がった白髪のおばあさんが乗り込んでくると、バスの外では中年男性が「それじゃあ、気をつけてね」と言って、手を振っている。おばあさんも名残惜しそうに手を振り返す。田舎から久しぶりに息子を訪ねてきたのだろうか。何歳になっても親が子どもを思う気持ちは変わらないのだ、などと想像が膨らむ。

もちろん、二人の関係性などはわからないので勝手な妄想にすぎない。でも、そんな妄想も少し楽しい。

■道路に飛び出してバスを止めようとする20代の女性

ある日の夕方には、幼稚園くらいの子どもを連れた妙齢の美女と、50代後半と思われる恰幅(かっぷく)のよい男性の別れ。バスに乗り込んだ女性は男性の姿が見えなくなるまで手を振っていた。女性と男性にはかなりの年齢差がある。この時間帯に別れるなら、夫婦ではなく、不倫関係かもしれない。ワケあって一緒に暮らせず、月に一度だけ子どもを連れて彼に会いに行く……余計な妄想はとどまることをしらずに広がっていく。

彼ら、彼女らが扉付近で別れを惜しんでいても、心を鬼にしてバスを発車させなければならない。もし運転士がバスを発車させなければ、この人たちはいつまでもいつまでも別れを惜しんでいるのだろう。

小田急線の大和駅のロータリーから出発し、最初の交差点に差しかかろうとしたときだった。髪の長い女性が歩道から道路に飛び出てきて、行く手を阻むように手を振りながらバスを止めようとする。まだかなり若い。現代風のファッションで、20歳そこそこではないだろうか。緊急事態なのだと思い、女性の前でバスを止め、前扉を開けた。

「どうしましたか?」「W駅に行きたいんだけど、ここから駅までバスだと何分ぐらいかかるの?」一瞬、なんのことを言っているのか質問の意味が理解できなかった。駅まで何分? それって道路に飛び出してきて、聞くことだろうか。

車庫に並んだバス
写真=iStock.com/Wirestock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wirestock

■強引にバスを止めてまで聞いたのは「バスと電車の料金」

「……だいたい30分ぐらいかかりますけれど」

不思議に思いながらそう答えると、「料金はいくら?」「……250円です」。ここは駅のロータリーを出て最初の交差点に向かう片側一車線の主要道路である。信号もない道路上で突然バスが停車したため、後ろのクルマは追い抜くことができず、後方でそのまま停車している。

「それじゃあ、W駅まで電車で行くとどのくらいかかるの?」

女性は平然として質問を続ける。私としては、後ろのクルマに迷惑がかかってしまうので、とりあえず左ウインカーの点滅からハザードランプに切り替えた。

「……10分ちょっとじゃないですか」
「電車ならいくら?」

女性は、お客を乗せた路線バスを止めた(*4)という意識がまったくなく、表情も変えずに次々と質問をしてくる。腹が立つよりも、なぜ彼女は運行中のバスを強引に止めてまで、このような質問をしてくるのか理解できなかった(*5)。駅で停車しているバスのドライバーか、バス案内所で聞けばいいのに……。

電車の料金はわからないと答えると、「あっそ」とだけ言って、スタスタと駅のほうへ歩いていく。バスの後ろには渋滞が起き、駅のバスロータリーから後続のバスも出られない状況になっている。はたから見たら、バスの故障か、前扉を開けて運転士が女性と話しているからなんらかのトラブルと思われるだろうが、女性はW駅まで電車とバスではどちらが早くて得なのかを聞きたかっただけなのだ。

(*4)お客を乗せた路線バスを止めた:運転中のバスを止められたことはほかにもある。バス停まであと150メートルほどの市道を走行中、学生風の男性が道路に飛び出してきた。バスを止めると慌てた様子で前扉を叩く。扉を開けると、息を切らせて「すみません。乗せてもらえませんか」と言う。どうやら急いでバス停に向かう途中、後方からやってくるバスを見つけ、このままでは間に合わないと判断して道路に飛び出してバスを止めたようだ。扉を開いて話を聞いてしまった以上、断ることはできず、「本来はこういうことは絶対ダメですからね」と注意して、今回限りと約束のうえで乗車してもらった。
(*5)理解できなかった:その理由の一端は「制服」にあるのではないかと思うことがある。バス運転士もそうだが、タクシードライバーや交通誘導員など、「制服」を着ている仕事を侮っている人は一定数いる。警察組織でも、キャリアは背広組、ノンキャリアは制服組と呼ばれる。制服を着ている人は「なんでも屋」で、無理難題を押しつけてもいいという意識が働くのではないか。元施設警備員の同僚・後藤田さんにこの考察を聞かせてみると、「警備員時代はもっとたいへんでしたよ」としみじみ語っていた。

■運転士を苦しめる「お客さま第一主義」

彼女は周りが見えておらず、自分のことしか考えていないのだ。もし同じことを電車の運転士にしたら、たいへんなことになることは、彼女にも理解できるはずだ。バスだって公共交通機関だということをよく理解してほしい。

この話を営業所で同僚にしたところ、数名が「自分も似たようなケースがあった」と言う。河原君はバスドライバー歴5年の30代の既婚男性。彼はバス停から乗ってきた女性客に突然、年齢を聞かれたという。何かと思いながら答えると、続いて「どこに住んでいるの?」と聞く。これでおかしいと思い、「乗務中なのでお答えできません」と言うと、女性はそのまま乗車したのだが、降りていく際に「連絡先、教えてくれない?」と言われたという。いわゆる逆ナンパというやつだ。

竹野内豊似でイケメンの彼は「怖くなって断りました」と教えてくれた。ここまでひどくはなくても、バス停でいろいろなことを聞かれ、運行が遅れてしまうことはよくある。行き先や停車するバス停、経由地の質問ならまだしも、このバスの年式は何かとか、他社のバスの経路などを聞いてくる人もいる。バス案内所で聞くかネットで調べればと思うのだが、平気で営業運転中のバスに聞いてくる。これも、お客さま第一主義の弊害なのかもしれない。

■突然、怒り出した年輩の男性客

バス停につけて「お待たせしました。市役所行きです」と案内し、扉を開けた。

「何やってんだよ!」

先頭にいた年輩の男性客が怒鳴りつける。

指を突き出して怒る人
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

「どうされましたか?」
「この1つ前のバスに乗ろうとしたら、俺の目の前で扉を閉めていっちまった。おかげでこのバスが来るまで15分も待たされた。おまえらのバス会社はどうなってるんだ⁉」
「それはすみませんでした。失礼しました」

そう謝罪すると、多少は怒りが鎮まったのか、「おまえらの会社はなってねえなあ」と捨て台詞を吐き、そのままバスの後方へ進もうとした。しかし、料金の支払いを忘れている。

「すみません。お客さま、前払いのため、運賃をお願いします」

私がそう呼びかけると、立ち止まってこちらを振り返り、ポケットから何かを取り出して、一瞬こちらにかざすと、再びポケットにしまいこんだ。確認ができなかったので、「お客さま、お手間をおかけしますが、もう一度見せていただけないでしょうか」と再度お願いする。お客はことさら面倒くさそうな態度でこう言った。

「運転手の分際で生意気なやつだな」

そして、「ほらよ」と敬老パスを鼻のそば5センチのところに突きつけた。ここまで書いたとおり、乗客から不満や怒りを浴びせられたこと(*6)は何度となくある。しかし、このときの「運転手の分際」という言葉は、どういうわけか、そのまま私の頭の中を占拠してしまった。そのままバスを発進させ、運転を続けるが、「運転手の分際」という言葉が頭の中でこだまする。

(*6)不満や怒りを浴びせられたこと:もちろんその逆もある。コミュニティーバスでは運転士と乗客の距離感が近い。病院に通う常連のおばあさんからミカンをもらったり、おじいさんが自販機で買ったばかりの缶コーヒーをくれたりしたことも嬉しい思い出だ。お母さんと一緒に乗ってきた保育園くらいの女の子が小袋ののど飴をくれたことも忘れられない。

■職業そのものを侮辱した「運転手の分際で」という言葉

なぜこんなことを言われなければならないのかという屈辱感と不快感、さらに情けなさみたいな感情が募ってくる。

それまでは少々嫌なことを言われても運転に集中していれば、すぐに忘れてしまった。自分でも楽天的で、切り替えは早いほうだと思う。だが、この日は違った。

「終わったことだ。もう忘れて、運転に集中だ」

そう思っても、すぐにあの言葉とあのお客の顔がよみがえってくる。運転中も屈辱感に支配されて、胸が潰れそうになる。そんな状態がその日の勤務時間中ずっと続いていた。夜8時、当日の乗務が終わる。営業所に戻って帰り支度をする。そのあいだも、イライラとそのことばかりが頭の中を渦巻いている。

須畑寅夫『バスドライバーのろのろ日記』(三五館シンシャ)
須畑寅夫『バスドライバーのろのろ日記』(三五館シンシャ)

「よくあることじゃないか」と自分に言い聞かせても、もうどうしようもない。家に帰る。もうしばらく妻とは一緒に夕食をとっていない。次女は家にいるが、部屋に入ったきりで、あまり顔を出さない。一人きりで夕食を済ませ、風呂に入る。風呂から出てテレビを眺めていても、心はいつのまにかお客に言われたあの言葉を反芻(はんすう)している。

「考えても仕方ない」と思っても、ついつい考えてしまう。考えるたびに、心がふさいでいく。布団に潜り込む。一日の勤務で体は疲れ切っているはずなのに、頭は冴えている。思い出すのは「運転手の分際で」というあの言葉だ。それは、私ひとりだけではなく、バスドライバーという職業そのものへの侮辱だろう。

営業所の同僚たちの顔、佐山所長、そして営業所を去った清原や神谷たちの顔までもが浮かんでくる。私はなぜ、あの言葉にこれほど囚われてしまう(*7)のか……。眠れないまま、明け方まで悶々と考え続けるのだった。

(*7)これほど囚われてしまう:人間とは不思議なもので、それでも数日もするうちにだんだんと傷は癒えていき、業務中にくよくよと考えることもなくなった。それでもあのときの言葉は今も私の心の中に刻み付けられているし、一生消えないだろう。こういう経験をすると、自分はこんなふうに誰かを傷つけることはしたくないと思うのだった。

----------

須畑 寅夫(すばた・とらお)
元路線バス運転士
1962年、神奈川県生まれ。大学卒業後、中学教師、塾講師、高校教師を経て、47歳のとき、心配する妻を説得してバスドライバーに。以来、59歳で「ある出来事」により退職するまで私鉄系バス会社にて路線バス運転士を務める。

----------

(元路線バス運転士 須畑 寅夫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください