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高収入かつ尊敬される職業がほかに見当たらない…エリート高校生が「医学部合格」ばかりを目指す根本原因

プレジデントオンライン / 2023年6月8日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

医学部を目指すエリート高校生が増えている。だが、過熱する医学部人気は日本社会に弊害を招いてもいる。日本経済新聞社編『「低学歴国」ニッポン』(日経プレミアシリーズ)から一部抜粋してお届けする――。

■当たり前のように医学部を目指す私立・灘高校

2022年6月のとある土曜日。休日だというのに全国で指折りの進学校、私立灘中・灘高(神戸市)には約600人の生徒が登校した。例年1、2学期に3回ずつ開く土曜講座があるからだ。

土曜講座は生徒の視野や関心を広げるキャリア教育の一環。「新しい道路をつくると渋滞が悪化する?」「法学でスポーツ界に貢献する」「脳神経科学で記憶と感情を書き換える」……興味深い題目が並ぶ。

講師は同校の卒業生をはじめ第一線で活躍する研究者や官僚、弁護士、会社員、起業家、外国の駐日外交官など一流どころばかり。「将来、幅広い分野で活躍してもらうために、生徒の好奇心を刺激したい」。海保雅一校長は講座の狙いを語る。

世間一般では「理系離れ」が言われて久しいが、灘高では4人に3人が理系志望という“理高文低”が何十年も続く。中でも伝統的に強いのが医学部志向だ。22年度の大学入試では卒業生221人中40人(他に浪人生24人)が国公立大の医学部に合格した。国公立理系学部進学者の4割を占める。土曜講座で各界の一流講師を招いてみても、“医学部信仰”の壁が厚いのが現実だ。

「多くの生徒が医学部を目指す。なぜだろう。社会の発展やテクノロジーの進歩には工学も理学も重要なのに……」。海保校長は灘高ならではの“ぜいたくな懸念”を吐露する。

■大学入試で最難関になったのはバブル崩壊以降

大手予備校の河合塾によると国公立大医学部は50校中31校が偏差値65以上(23年度入試、前期日程)の狭き門だ。工学系で65以上の大学は東京大、京都大、東京工業大の3校のみ。高学力受験生に根強い医学部志向を物語る。

ただ、大学入試の歴史の中で医学部が常に最難関だったわけではない。一橋大の高久玲音准教授(医療経済学)によると、1980年代は国公立医学部の平均偏差値は60台前半。私立は55以下だった。「難化は90年代のバブル経済崩壊がきっかけ。企業や公務員が不況のあおりを食った反動だった」と指摘する。

日本経済の停滞が長期化する中で、医学部の志願者数は伸びていった。文部科学省の学校基本調査によると、2022年度入試で医学部志望は約12万人。1992年度の約7万7000人から5割も増えた。この間の受験生が少子化の影響で1割以上減少していることを踏まえると、医学部志向の高まりは顕著だ。

女子アジアの学生グループの後ろに試験でテストを書くことは、タイの学生の制服を着て教室で真剣に最終試験デスクを取って、高校に集中しています。学校に戻る教育評価
写真=iStock.com/smolaw11
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/smolaw11

■加熱する医学部人気の弊害が出ている

日本の医療水準の向上を考えれば優秀な高校生が医学部を目指すことは歓迎すべきことだ。だが過熱する医学部人気は、理系人材の偏在を招くとの懸念も広がる。2019年に経済産業省がまとめた「理数系人材の産業界での活躍に向けた意見交換会」の報告書。IT(情報技術)機器の普及やAI(人工知能)、ビッグデータの活用といったデジタル革命の時代に欠かすことのできない学間として「第一に数学、第二に数学、そして第三に数学だ」と訴えた。

日本にはデジタル時代の国際競争を勝ち抜くための土壌が広がっている。OECD(経済協力開発機構)が実施した18年度の「生徒の学習到達度調査(PISA)」によると、参加した79カ国・地域のうち高校ー年にあたる15歳の「数学的リテラシー」は6位、「科学的リテラシー」は5位と世界トップ水準だった。OECD加盟国に限定すると、数学は1位だ。にもかかわらず、20世紀末からのデジタル革命で日本人の存在感は今ひとつ薄い。

原因の一つに挙げられるのが、過熱する医学部人気だ。先の経産省の意見交換会報告書は「数学人材の育成が急務」と指摘した上で、「日本の中高生は数学の高い潜在能力があるのに、国際数学オリンピックの予選通過者では医学系へ進む人が多い」と危機感を募らせる。しかし、受験生や進学校、行政の根強い医学部信仰がそれを阻む。

■入学してから向いていないことに気づく学生たち

例えば都立高校7校を進学指導重点校に指定する東京都。基準の一つに「難関国立大学等の現役合格者15人以上」を掲げる。ここで言う難関国立大学等とは東大、京大、一橋大、東工大と国公立大医学部。医学部だけは地方の国公立も含め一律の特別扱いだ。こうした風潮を東工大の加藤文元教授(数学)は「頭のよい子だけを集める人試制度が問題」、「最難関の医学部合格は頭がよいことの証明になり、高校も評価される」とみる。

懸念は医学界でも広がる。優秀な人材が医学界に集まること自体は歓迎すべきだが、受験秀才が優れた医師になるとは限らないからだ。人間力も必要となる。さらに言えば、「医師になって何をやりたいか」ではなく「医学部合格自体が自らの勲章」と考える風潮が広がっていたとしたら看過できない事態だ。

地域医療を担う人材の育成を重視する和歌山県立医科大。県内からの入学者は3割程度で、多くが大都市圏の有名進学校の出身だ。宮下和久学長はこれまで、適性に疑問を感じる学生を何人も見てきた。高校や親に勧められるまま受験し、入学してから医師に向いていないことに気づいた学生。血が見られない学生、人体に触れない学生……。せっかく医大に合格しても耐えられず中退してしまったケースもある。

■「成績が良い=医学部」という発想はやめるべきだ

多くの大学が受験生に医師の適性があるか見極めようと、入試で面接を課す。だが、たった10分程度で適性や人間力を見抜くのは困難だ。だから宮下学長は機会があるごとに高校に訴える。

「模試の成績がよいから医学部という指導はやめてほしい。将来この生徒になら自分の腹をさばかれてもよいと思うような子に医学部を勧めてほしい」

上皇さまの心臓手術の執刀医として知られる天野篤・順天堂大特任教授は15年から希望した高校生を手術室に入れ、手術や前後の診察の様子を間近に見せるプログラムに取り組む。「本当に医師に向いているかどうか、知りたがっている高校生は多い。不安を解消し、中途半端な覚悟の人には現実を見せる機会が必要だ」と話す。

日本経済新聞社編『「低学歴国」ニッポン』(日経プレミアシリーズ)
日本経済新聞社編『「低学歴国」ニッポン』(日経プレミアシリーズ)

問題は医学部の努力だけで解決するわけではない。一橋大の高久准教授は「医師以外の理系人材のロールモデルを社会が高校生に示せていないことが根本的原因」と指摘する。経産省の意見交換会報告書によると、国際数学オリンピックの予選通過者のうち、専攻を選ぶ際に重視した項目として「収人」を挙げた割合は数学や物理、工学系の学生の3倍超だった。灘高の海保校長も「高校生からしたら、安定していて世間から尊敬され、報酬が高い職業が医師以外に見えてこない」と話す。

高校生の目線で考えると、身近にいる医師の仕事はある程度想像がつくが、理学系の研究者や工学部出身のエンジニアがどのような仕事をしているのかとなると、具体的イメージがほとんどないのが実態だろう。子どもたちに生き生きと活躍する大人の姿を示し切れない時代。医学部人気からは現代社会の様々なゆがみが見えてくる。

(日本経済新聞社編)

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