相手の弱みを握り、最後は武力で押さえる…元外交官が痛感した「ロシア人らしい手口」の共通点
プレジデントオンライン / 2023年6月22日 10時15分
※本稿は、亀山陽司『ロシアの眼から見た日本』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
■ロシアを相手にした交渉は難しい
外交交渉の場で出会う典型的なロシア人の姿を描写してみよう。
まず、彼は部屋に入ってきた我々を立って出迎え握手を求める。席についた彼らは椅子の背板にもたれるようなことはしない。両手は軽く組んで机の上にそっと置いている。これが礼儀正しい話の聞き方とされているのだろう。
こちらが話すことはちゃんと聞き、話に割り込むようなことはしない。表情はにこやかであるか、または無表情である。概して日本側代表の方がだらしなく座っていることが多いくらいだ(私もそうだった)。
逆に不自然に親しく歓待してくれるような場合には、何か魂胆があると考えた方がいいだろう。
これだけを見ても、ロシア人は交渉者として決して油断してはいけない相手であることがわかるのではないだろうか。つまり、相手に隙を見せないことを信条にしているのだ。
しっかりと理論武装し、礼儀正しく、そして忍耐強い。こういう相手を前に、自分の主張を通すのは簡単ではない。だからロシアを相手にした交渉は難しいのである。
■自分のものを決して手放さない
ちなみに、ロシア人の忍耐強さは教育によって培われたものというよりは、社会生活の中で自然に身についたものと思われる。今はそれほどでもないかもしれないが、私がロシアに行った2000年代にはまだ至るところに行列があった。
まず、長距離列車の切符を買うのに長い列に並ぶという洗礼を受けた。役所の窓口にも行列がある。郵便局で荷物を受け取るにも行列。そして私が一番よく並んだのがマクドナルドのレジの行列だ。並んだ行列の先にレジがなかったこともある。そうなると並びなおしである。とにかく忍耐だ。
忍耐しなければ何にもありつけない。そして、黙ってずっと並んで、自分の番が来れば、これは私の権利だと言わんばかりに居座って用を済ますのである。自分のものになったものは決して手放さない、という強い意志のようなものを感じる。
■家主に渡した敷金は返ってこなかった…
こうした彼らの気質には苦い思い出がある。ロシアに赴任したてのころ、モスクワ大学の近くのマンションの一室を借りていたのだが、別の部屋に引っ越すことを告げたら、家主の女性から最後の月の家賃を払えと言われた。
最後の月の家賃は入居時に払っていた敷金を当てるという約束だったと言うと、敷金は部屋を出るときに返却するということだった。
しかし、案の定というべきか、部屋を出る日になって、返さないと言い出したのである。約束が違うではないかと食い下がったが、一度渡したお金は絶対に返さない。いくら約束を思い出させようとしてもあれこれ言い立てて全く取り合ってくれない。
相手の手に握らせてしまえば、それを取り返すには力ずくで取るしかない状況になった。もちろんそんなことはできない。私はただ、決して物理的に相手に現物を握られるような状況に陥ってはならないのだという教訓のみをかろうじて得た。
■ロシア人が「ケンカ上手」と言える理由
ロシア人は「交渉」という名の「ケンカ」が上手である。
![シルエットのモスクワクレムリン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/b/1200wm/img_8b6952cda29176efdfc52ab6fbca6feb661259.jpg)
交渉もケンカも、いざこざを解決するためか、何かを分け合う状況にあるときに使われる手段である。平和的(非暴力的)であるか、暴力的であるかの違いである。交渉は非暴力的な手段であるが、勝つためのやり方はよく似ている。
交渉に勝つには、まず相手のことをよく調べなければならない。これは相手の弱点や急所を知るためである。相手の主張、その根拠、背景事情など、情報は多ければ多いほどよい。そこには交渉のスタイル、そして意思決定のスタイルも含まれる。
交渉は基本的にチーム戦なので、誰が決定権を持っているのか、誰に発言力があるのか、誰が誰の側近なのか、誰とつながれば相手の中枢に近づけるのか、そういうことを知ることができれば、有利な立場に立てるだろう。もちろんそれを知るには時間がかかるし、手間もかかる。そのために、外交官や外交官のふりをした諜報員がいるのである。
私がモスクワ大学アジア・アフリカ諸国研究所で研修していたとき、長く国連で勤務していたという先生の授業を受けたことがある。周りは全員ロシア人学生である。その先生は、自分が専攻している国における組織の特徴と意思決定のスタイルについて調べてくるように、という宿題を出した。正直なところ、私はこの課題の意味がよく掴かめなかった。
■安倍元首相はプーチンの術中にはまったのか
私は自分がどんなことを答えたか覚えていないが、先生はそういうことを聞きたいのではないという顔をして、次に日本専攻のロシアの女学生を指した。
彼女は、日本の組織は責任の所在があいまいであり、迅速な意思決定ができない。何かを決めたいと思えば、少しずつ関係者に理解を求めていき、雰囲気を醸成していくことが必要だ。このプロセスを日本語で「根回し」というのである、と述べた。先生はなるほどとうなずいた。私もなるほどとうなずいた。
ロシア、というよりプーチン大統領との関係を異常なまでに大切にした安倍晋三元首相は、ロシアに籠絡されているのではないかという噂が冗談交じりにささやかれていたことがあった。我が国の外務省よりもロシア大使館の言うことを重視しているようにすら思えたからである。
なぜそのような印象を与えたのだろうか。
それはひとえに、駐日ロシア大使が官邸の要路に太いパイプを築いたからである。
ご存じのように安倍元首相は側近を大切にしていた。ロシア側はそのことを把握したうえでどのようにかして接近したのであろう。大使が駐在国の政府にパイプを持つのは不思議ではないが、安倍官邸の周りには正体のよくわからないロシア人ビジネスマンもうろうろしていた。
官邸主導は大変結構だが、保守的な外務官僚の眼から見ればロシア相手に危なっかしく見えたのも事実だ。
■ロシアの手法は「北方領土問題」に詰まっている
ロシアはこうして相手のことを知ったうえで、いろいろな角度から攻撃してくる。
しかし、最も重要なのは相手よりも優位に立つことだ。交渉の術はいろいろとあるが、どんな術もより有利な立場に立つこと以上に有効ではあり得ない。具体的には、欲しいものを物理的に押さえておくことだ。先に押さえてしまってから交渉する。単純なことだが、これが交渉で勝つための最も確実な方法である。
そもそもなぜ交渉が必要なのかと言えば、強制的な執行ができないからである。法があり、裁判権があり、強制執行力があれば、交渉は必要ない。必要なのは決定か判決である。あとは強制するだけだ。しかし、国際政治の世界では法の支配が確立されていない。何かしたければ交渉するしかない。だが交渉はたいがい行き詰まる。
だから始めから押さえてしまえ、というわけだ。後で返すと嘘の約束をして先にお金を押さえる(モスクワで私が最初に借りた部屋の大家)、国内法を根拠に外国企業の活動を停止させる、武力で押さえる(北方領土)。
![北方領土の位置・マップ、内閣府ウェブページより](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/3/1200wm/img_d37922cc2185c6108822cb389c3d21c3123775.jpg)
こういう状況をつくれば、相手がこちらにお願いしてくる立場に置かれる。お金を返してくれ、島を返してくれ、魚を獲らせてくれ。あとは相手の要求に対してあれこれと条件を付ければよいのだ。
■なぜ外交は必要なのか
しかし、元外交官としてひとこと言わせてもらえるならば、初めから優位に立って行う交渉ではなく、要求者の立場に立って何かを勝ち取ることの方が、外交の醍醐味を味わえるというものだ。
例えば、日本政府が支援するある団体(ロシア法人)に対してロシアの税務当局が税の追加徴収を通告してくるとしよう。日本政府が全面的に支援している団体とはいえ、ロシア法人である以上はロシア国内法の管轄下にある。日本側は圧倒的に不利であり、この決定をひっくり返すのは不可能に近い。法的手続きは当然ながらロシア側に有利に進んでいくからである。
仮に不服申立てを行って裁判に訴えても事情は同じである。こういう場合にどうするかと言えば、政治的な解決を目指す他ない。政治的解決とは、決定権限を有する機関あるいは発言力のある機関のしかるべき人物に働きかけることで、「超法規的」な解決策を探るということだ。
問題はどこまで求めるかである。もちろん、何もせずに素直に追加徴税に応じる選択肢もあり得る。政治的(外交的)に働きかけるのは相手の恩を受ける可能性もあるため、それなりの政治的(外交的)コストがかかるからである。それでもあえて働きかけるとすれば、どこまで求めるか。
■したたかなロシアに向き合う現実的な方法
最も有利な解決はもちろん、追加徴税を撤回させることだ。しかしこれは現実的でないし、ロシアの税務当局のメンツをつぶすことになりかねない。そんなことをすれば、将来的にもっと大きなコストを支払うことになる可能性がある。
![亀山陽司『ロシアの眼から見た日本』(NHK出版新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/1200wm/img_b595fb0c743c44d41c8fc479cdaa1919360115.jpg)
外交的に妥当なラインがどこにあるのかを見極めることが極めて重要となる。この場合であれば、追加徴税を半額にするというのが妥当な線だろう。もちろん、そもそも追加徴税の決定が妥当なのかといった様々な論点があるだろう。様々吟味したうえで、お互いが折れることができないのであれば、痛み分けが最も受け入れやすい解決となる。
難しいのは、相手がどこまでなら受け入れるのかを的確に推測することである。このケースで言えば、ロシア側は圧倒的に有利であり、放っておけばロシア側の主張の通りに追加徴税に応じるしかなくなる。したがってロシアは日本側の働きかけをのらりくらりとかわすこともできるのである。
それにもかかわらず、それなりのハイレベルでの話し合いに応じてくれるとするならば、その時点でロシア側としてはすでに配慮を示していることがわかる。つまり、場合によっては日本側に譲歩する用意があるということだ。
■諦めてしまえばそれまで
ここまで読めば、もう答えは見えてくる。あらためて追加徴税撤回を頑なに主張するのは相手側の心を完全に閉ざすであろうし、反対に、もう無理だからと諦めてしまえばそれまでだ。
そういう心理的駆け引きこそが外交交渉の醍醐味だ。ただし、世論に晒され政治的に争点化されてしまえば、もはや駆け引きは不可能である。だから外交の世界で「政治化」というのは、問題を本当に解決したいと考える人からすれば最も忌避すべきものとなる。
反対に、問題を解決したくないのであれば(そういうこともしばしばある!)、政治化することが有効となる。世論が好き勝手に議論して収拾がつかない状態にしてくれるからである。
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元外交官
1980年生まれ。2004年、東京大学教養学部基礎科学科科学史・科学哲学コース卒業。2006年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後ロシア課に勤務し、ユジノサハリンスク総領事館、在ロシア日本大使館、欧州局ロシア課など、約10年間ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は林業のかたわら執筆活動に従事する。日本哲学会、日本現象学会会員。北海道在住。著書に『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』(PHP新書)がある。
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(元外交官 亀山 陽司)
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