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息子に責任を押し付け、保身のために「ウソ」をつく…岸田首相が長男・翔太郎氏の更迭を渋った本当の理由

プレジデントオンライン / 2023年6月6日 11時15分

首相官邸を後にする岸田文雄首相(手前)。左奥は岸田翔太郎首相秘書官=2023年4月20日、東京・永田町 - 写真=時事通信フォト

岸田文雄首相の長男・翔太郎氏が首相秘書官を辞職した。昨年末、親族らを首相公邸に招いて忘年会を開催したと『週刊文春』が報じたのがきっかけだった。岸田政権はこれからどうなるのか。ジャーナリストの鮫島浩さんは「翔太朗氏の更迭の背景には、全責任を翔太郎氏になすり付けようとする岸田首相の意図が透けて見える。支持率のさらなる低下は避けられない」という――。

■G7広島サミットで急上昇した内閣支持率の暗転

首相公邸で昨年末に催された岸田一族の大忘年会が「公私混同」として強烈な批判を浴びている。G7広島サミットで急上昇した内閣支持率は急降下し、「岸田外交」で稼いだ貯金を瞬く間に費消してしまった格好だ。

今なら勝てるとして自民党内で高まった「6月解散・7月総選挙」論は急速にしぼみ、岸田文雄首相は一転して窮地に陥った。

大忘年会がここまで批判を浴びたのはなぜか。身内のスキャンダルに足元をすくわれた岸田政権はどうなるのか。岸田政権は大きな転期を迎えたといっていい。政局を大きく動かした一連の騒動を俯瞰(ふかん)して分析しつつ、今後の政局を大胆に展望してみよう。

■「首相公邸で大ハシャギ」の文春砲で一転

はじまりは5月24日の文春オンラインのスクープだった。岸田首相の長男翔太郎氏が昨年12月30日、従兄弟ら親族を首相公邸に招いて大ハシャギしたという内容だ。

翔太郎氏と同世代の若者たちが、新閣僚が並んで撮影に応じる赤絨毯の階段に寝そべり、さらには「閣僚ごっこ」をして記念撮影する様子を撮影したスクープ写真の数々は、世襲政治家一族の公私混同ぶりを浮き彫りにした。

翔太郎氏は岸田政権発足から一年を迎えた昨年10月、31歳の若さで首相秘書官に抜擢された。世論は「縁故人事」として激しく反発し、内閣支持率は急落。年明けには翔太郎氏が首相外遊に同行した際、パリやロンドンで公用車に乗って観光地や高級デパートを巡ったことが発覚。岸田首相が「公務だった」とかばったことで世論の怒りは過熱し、内閣支持率は続落したのである。

翔太郎氏は岸田政権のアキレス腱となった。

■G7は「息子を隠し、妻を担ぐ」戦略は成功したが…

岸田首相は翔太郎氏に地元の広島サミットの下準備を担当させ、表舞台から遠ざけた。代わって裕子夫人を全面に打ち出し、首相夫人としては初めてとなる単独訪米でバイデン大統領夫妻と面会させ、自らの訪韓にも同伴させて尹錫悦大統領の夫人と親交を深めさせ、サミットでは裕子夫人が各国首脳の配偶者をもてなす「もうひとつの広島サミット」を演出した。

「息子を隠し、妻を担ぐ」戦略は見事に的中し、マスコミはファーストレディー外交を好意的に報じて内閣支持率は急回復。菅義偉前首相ら反主流派が年明けに仕掛けた「岸田降ろし」の動きはすっかり影を潜めたのである。

表舞台から姿を消していた翔太郎氏が久しぶりにメディアに登場したのが、サミット閉幕3日後の「文春砲」だった。

岸田首相はただちに翔太郎氏を厳重注意したと表明したものの、首相秘書官を続けさせる意向を示したことで世論の批判は沸騰し、週末の世論調査で内閣支持率は急落。岸田首相は週明けにあわてて翔太郎氏の秘書官更迭を発表し、幕引きを図った。

ここへ襲いかかったのが、写真週刊誌「フライデー」が報じた第二弾だった。なんと大忘年会には翔太郎氏と同世代の従兄弟だけでなく、岸田首相夫妻に加え、首相の兄弟とその配偶者ら親世代も参加していたことが、フライデーが入手した一枚の集合写真で明らかになったのだ。

2023年5月19日、G7広島サミット(1日目)にて、岸田文雄内閣総理大臣による、G7首脳に対するおもてなしの一環として行われたワーキング・ランチ
2023年5月19日、G7広島サミット(1日目)にて、岸田文雄内閣総理大臣による、G7首脳に対するおもてなしの一環として行われたワーキング・ランチ(写真=Government of Japan/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

■保身のために長男をかばう岸田首相

総勢18人の岸田一族に囲まれ、裸足に寝間着姿でご満悦の表情を浮かべる岸田首相と、その隣で微笑む裕子夫人――。首相公邸での集合写真は、この大忘年会の主催者が長男翔太郎氏ではなく、岸田首相自身ではないかという強い疑念を惹起させたのである。

なぜ翔太郎氏は更迭されなければならなかったのか。むしろ更迭されるべきは親戚一同を招集した岸田首相ではないのか。

岸田首相は第1弾の文春砲の後、自らの関与について国会で「顔は出して、あいさつはした」と答弁していた。翔太郎氏を更迭する理由については「公邸での行動が不適切であり、けじめをつけるために交代させる」としていた。

誰もがこの説明を聞いて「翔太郎氏が同世代の従兄弟たちを首相公邸に招いて忘年会を主催し、岸田首相はそこへ少し顔を出してあいさつをしただけ」と錯覚したことだろう。

フライデーの第2弾はその幻想を打ち砕いた。岸田首相は、息子に全責任を転嫁するため、国会でウソの答弁をしたのではないか――。岸田首相はフライデーの第2弾を受け、一転して「年末に親族と食事をともにした」と認めたうえで、「公邸の中には私的スペースと公的スペースがある。その私的スペースで親族と同席した」と釈明した。

翔太郎氏ら子世代は公的スペースの赤絨毯の階段で悪ふざけをしたからアウト、自分たち親世代は私的スペースで宴会しただけだからセーフ、と言いたいのだろう。

■守り切れないと分かれば、全責任を負わせて切る

しかしこの釈明には決定的な欠陥がある。翔太郎氏は忘年会の途中で子世代を引き連れて首相公邸の公的スペースを案内した。そこで従兄弟たちが羽目を外したのであって、翔太郎氏自身が赤絨毯の階段に寝そべったわけではない。翔太郎氏が問われたのは「管理不行き届き」の責任なのだ。

私的スペースで岸田首相ら親世代が宴会を続けていた時、翔太郎氏ら子世代が公的スペースに向かったことを知らなかったとは思えない。仮に知らなかったとしても、管理不行き届きの責任を負うべきは、首相公邸の主として大忘年会を主催した岸田首相本人であろう。どう考えても長男更迭のブーメランは首相自身に跳ね返ってくる。

6月21日に会期末を迎える国会最終盤で、岸田家による権力私物化・公私混同は最大の焦点に浮上してきた。

単に岸田一族が首相公邸で大ハシャギしたという問題にとどまらず、首相が自らの責任を回避するために国会で自らの関与を隠す「ウソ」を発言し(「虚偽答弁」と断定できなくても「はぐらかした」とは言えるだろう)、息子に全責任を負わせようとした姑息(こそく)な姿勢が問われるのだ。内閣支持率は続落する可能性が高い。

■今解散しても維新を勝たせるだけ

支持率低迷にあえぐ立憲民主党には、国会終盤に内閣不信任案を提出することへのためらいが強かった。岸田首相に6月解散の大義を与え、総選挙を誘発して大惨敗を喫しかねないからだ。

ところが、大忘年会騒動のおかげで内閣支持率が急落したため、解散におびえることなく内閣不信任案を出しやすくなった。むしろ岸田首相が不信任案に対抗して衆院解散を断行することに躊躇する政治状況に立場が入れ替わったのである。

岸田首相が6月解散・7月総選挙を断行する最大のメリットは「内閣支持率が高く、今なら確実に勝てる」ことだった。支持率急落でメリットは吹き飛んだ。

そもそも7月総選挙には、野党第1党の立憲を打ち負かしても、野党第2党の維新を躍進させ、立憲以上に強力な野党第1党の誕生を後押しするリスクがあった。内閣支持率が急落するなかで無理やり総選挙に突入すれば、大量の政権批判票が維新になだれ込む可能性が高まるだろう。

日本維新の会ウェブサイトより
画像=日本維新の会ウェブサイトより

自民党は公明党との選挙協力を固めつつ、立憲と維新を競わせて野党を分断することで国政選挙で連戦戦勝してきた。立憲が壊滅的に敗北し、維新が歴史的な躍進を遂げれば、野党間のバランスが崩れ、立憲の多くは維新に駆け込み、政界地図は大きく塗り変わる。

■「そもそも岸田首相は6月解散に前向きではなかった」

岸田首相が率いる宏池会(岸田派)は、財務省を介して野田佳彦元首相ら立憲幹部とのパイプはあるものの、維新との縁は薄い。むしろ維新と親密な関係を築いてきたのは、岸田首相の最大の政敵である菅前首相だ。「立憲崩壊・維新台頭」は自民党内の力学では岸田首相に不利に働く。

岸田首相にとってもうひとつの6月解散のデメリットは、来年秋の自民党総裁選まで1年以上あることだ。総裁選前に解散を断行する意義は、総選挙に勝利した勢いで総裁選を無投票で乗り切ることにあるのだが、いま総選挙で圧勝しても、その効力が1年以上続く保証はない。

その間にスキャンダルや失政で内閣支持率が下落すれば、総裁選前に「岸田降ろし」が再燃する恐れは拭えない。解散の時期が早すぎるのである。岸田派関係者は「そもそも岸田首相は6月解散に前向きではなかった」と明かす。

とはいえ、「今なら勝てる」という自民党内の期待を黙殺して6月解散を見送れば、あとで「あの時に解散しておけばよかった」という不満が党内に充満し、岸田降ろしが再燃するかもしれない。「大忘年会騒動で6月解散論が下火になり、岸田首相は安心して解散を先送りできる。むしろホッとしている」(岸田派関係者)という側面もある。

■「6月解散論」が沈静化したもう一つの理由

岸田首相が探る次の一手は「解散より人事」だろう。野党提出の内閣不信任案を粛々と否決して国会を閉じた後、今夏に内閣改造・自民党役員人事を断行して体制を一新し、内閣支持率が再上昇すればその勢いで9月解散・10月総選挙を狙うという筋書きだ。

岸田政権の主流派は、第2派閥の麻生派(麻生太郎副総裁)、第3派閥の茂木派(茂木敏充幹事長)、第4派閥の岸田派(岸田総裁)。反主流派は無派閥議員を束ねる菅前首相と二階派(二階俊博元幹事長)で、昨年夏に急逝した安倍晋三元首相の後継争いが激化する最大派閥・安倍派を引っ張りあっているのが、現在の自民党の権力構造である。安倍派会長レースの先頭を走る萩生田光一政調会長は菅氏と気脈を通じ、萩生田氏に対抗する世耕弘成参院幹事長は麻生氏に接近している。

大忘年会騒動とともに6月解散論を沈静化させたのは、衆院東京28区をめぐる自公対立だった。公明党は独自候補擁立を主張したが、自民党都連会長の萩生田氏は譲らず、公明党は「28区擁立を断念する代わりに東京では自民候補を推薦しない」と通告。マスコミは「連立解消の危機」と騒ぎ、選挙地盤の弱い自民若手を中心に「公明推薦を得られないかもしれない」との不安が広がって6月解散論がしぼむ一因になった。

公明党「核兵器の不使用の記録」の維持に向けての提言手交
公明党「核兵器の不使用の記録」の維持に向けての提言手交(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

公明党の強硬姿勢を後押ししたのは創価学会である。創価学会は岸田―麻生―茂木の主流派と縁が薄く、菅―二階の反主流派とのパイプが強い。さらに自民都連を率いる萩生田氏も菅氏と親密だ。岸田首相が6月解散を決行して勝利すれば長期政権が視野に入り、菅氏や二階氏の影響力は大幅に低下する。6月解散を阻止するために菅氏が創価学会や萩生田氏としめし合わせ、自公対立を演出したと私はみている。

■夏の人事は、茂木幹事長の処遇が焦点

岸田首相が大忘年会騒動で批判を浴びる最中、菅氏は日韓議連会長としてソウルを訪問し、尹大統領と会談した。菅氏は6月2日、首相官邸を訪れて岸田首相に訪韓結果を報告したが、この場で岸田首相は菅氏へ自公関係の修復へ協力を求めたとの見方が永田町に広がっている。

私はこの場で、岸田首相と菅氏が「6月解散見送り」で一致し、さらには今夏に内閣改造・党役員人事を行うことでも大筋合意した可能性があるとみている。岸田首相がつまずき、菅氏は勢いを取り戻しつつある。両者の和解が整う絶妙のタイミングが訪れたといっていい。

今夏の人事の最大の焦点は、茂木幹事長の処遇だ。内閣支持率が下落した昨秋以降、茂木氏はポスト岸田への意欲を隠さなくなり、年明けには首相に十分な根回しをしないまま児童手当の所得制限撤廃を打ち上げ、今春には訪米してポスト岸田をアピールした。岸田首相は茂木氏への警戒を強め、統一地方選・衆参補選では茂木氏よりも森山裕選対委員長を信頼して指揮を任せた。

森山氏は少数派閥(森山派)の領袖。地方議員出身で知名度は高くない78歳のベテランだが、国会対策や選挙対策に精通し、実務型として党内評価は高い。とりわけ菅氏や二階氏とは親密だ。今夏の人事で茂木幹事長を更迭し、森山氏を後任に起用すれば「岸田・菅の和解」による「主流派組み換え」の象徴人事となる。

■9月解散含みの政局は続く

地味な森山氏とは別に、目玉人事となりうるのは、茂木派ホープの小渕優子元経産相の官房長官への抜擢だ。小渕氏は小渕恵三元首相の娘で早くから将来の首相候補と目されたが、派閥内で茂木氏に押さえ込まれてきた。茂木氏を更迭して小渕氏を引き上げれば、茂木派を分断することもできる。

岸田派関係者は「現在の松野博一官房長官は安倍派に配慮した人選にすぎず、実質的な官房長官役は岸田派の木原誠二官房副長官が担っている。木原氏と小渕氏は同世代で極めて親しく、小渕氏は外向けの官房長官、木原氏は実務を担う副長官にすればよい」と話す。

さらにサプライズがあるとすれば、菅氏の副総理起用だ。これが実現すれば「岸田・菅の和解」の完成といえよう。昨夏の内閣改造でも「菅副総理」案は浮上したが、麻生氏の猛反対で見送られた。岸田首相としては茂木氏だけ更迭して「麻生副総裁―菅副総理」の挙党体制を築きたいところだが、麻生・菅両氏の確執は深い。どちらを取るのか、ギリギリの判断を迫られるだろう。

6月解散を見送れば今夏の内閣改造・党役員人事が大きな焦点となる。岸田・菅の和解が成立して主流派が入れ替わった場合も、両者が決裂して菅氏が岸田降ろしを再燃させた場合も、9月解散含みの政局は続く。岸田首相が麻生氏と菅氏のどちらに軸足を置いた人事を行うのか、それが最大の注目ポイントだ。

曇天の国会議事堂
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

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鮫島 浩(さめじま・ひろし)
ジャーナリスト
1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。

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(ジャーナリスト 鮫島 浩)

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